一条戻り橋

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一条戻橋(いちじょうもどりばし)は、京都市上京区の、堀川に架けられている一条通の橋である。

単に戻橋ともいうそうだ。

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オカルト愛好者の聖地だそうだ。

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戻り橋から南をみる

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遊歩道から見た戻り橋

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794年の平安京造営のときに架橋され、橋そのものは何度も作り直されているが、現在でも同じ場所にある。一条通は平安京の一番北の通り「一条大路」であり、洛中と洛外を分ける橋でもあったそうだ。

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現在の橋は1995年(平成7年)に架け直されたもので一条戻橋の近くにある晴明神社には、それ以前の一条戻橋を実際の部材を使って再現したミニチュアがある(上の写真)

安倍晴明は十二神将を式神として使役し家の中に置いていたが、彼の妻がその顔を怖がったので、晴明は十二神将を戻橋の下に置き、必要なときに召喚していたという。

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公開空地@日本都市センター会館・平河町 -1

JA共済ビルとは貝坂通りを挟んで反対側にある日本都市センター会館の公開空地

この公開空地は、貝坂通りとプリンス通りを結ぶ通路をつくり、そこにアルコーブのように緑地を配しているところに特徴がある。

ともすれば街を分断しがちにな再開発が 通りと通りを結ぶ通路によって連続性を保ち、界隈性を作り出している。

貝坂通リから 通路を挟んで左側が日本都市センター会館、右側が全国都市会館

可憐なフイリヤブラン

公開空地@JA共済ビル・平河町

平河町のJA共済ビルの北側、平河町レジデンスの前に位置する東京都総合設計制度による公開空地。

平河町レジデンスは地上18階、地下2階、総戸数117戸の高級マンション(賃貸?)

公開空地を示す看板 (設置を義務付けられている)

石たたみ

植え込みと石たたみとのエッジ部分

さりげなく野草的な植物が植えられている

都市の中の緑地@JA共済ビル・平河町

永田町の砂防会館から麹町に向かう道、貝坂通りに面したJA共済ビルの外溝

江戸時代 平河町は武家屋敷が連なる緑豊かな城下町だった(本当かは知らない)と本に書いてある。

1863年に長州藩は下関海峡を渡る米国商船を襲い、翌年英・仏・米・蘭の四カ国連合軍から砲撃を受け、長州軍は壊滅した。

世に言う下関戦争である。

この講和に長州藩から抜擢されたのが、高杉晋作(正史)、杉孫七郎(副使)、伊藤博文(通訳)であったが、このJA共済ビルは杉孫七郎の屋敷跡である。

永田町(南側)から麹町(北側)に向かって道は下がっている。

北西の平河町レジデンスにアプローチする階段

どこかで見たことがある気がするが、しゃれた階段になっている。

ちなみにJA共済ビルと平河町レジデンスからなる街区は、「みどりコート平河町」と名づけられているらしく2011年2月に竣工した。

設計監理・日本設計

施工・竹中工務店