上賀茂神社 -1

resize0254

賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ):上賀茂神社 (かみがもじんじゃ)は世界遺産。

resize0255

境内は緑あふれた広大な敷地で、一の鳥居から二の鳥居までは、競馬(くらべうま)などの五穀豊穣の神事が行われる開放的な芝生となっている。

resize0256

清浄なる気持ちになっていく空間

resize0258

 

resize0253

古代山城の豪族賀茂氏の氏神として知られる神社。

賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに平安時代以降「山城国一之宮」となった。

細見美術館 -2

resize0272

2013年8月に訪れた細見美術館の写真は、見栄えの良い部分のみカットして掲載した。

resize0274

細見美術館を訪れた個人的感想と あまり美しくない写真を幾つか掲載しておく。

建築空間としては立体的構成でとても楽しい。この頃のプランテックの作品は好きだ。聞くとこの作品に関わったスタッフは大江匡さん以外は事務所に残っていないらしいが。

地下2階部分は黴臭い・地下水位の高い京都で適切な階層構成だったか疑問

ひとつの展示室から移動する時、一旦外部の中庭部分に出るため展示室が外部環境の影響を直接受ける。

そのために、シューケース内で管理された美術品しか展示できない。しかも展示物の出し入れの時に細心の注意が必要になる。

展示室に来館者が出入りする度に展示室内部環境はコントロール不可となる。

resize0281

地下二階のアートギャラリーの前には、こんな屋根が出来ていた。いろいろな物品が階段下に置かれたり、壁に立てかけられ倉庫状態になっていて見苦しい。

私設美術館でも細部に神経が行き届いた施設管理をしてもらいたいものだ。

resize0278

下がアートギャラリーの前の屋根。

resize0283

非常用照明

非常用照明器具は、マーケット・病院・劇場・ホテルなど多数人の集まる場所で、火災その他不慮の事故で停電したとき、居合わせた人々を速やかにかつ安全に避難できるように、室内や通路を照らし出す照明器具。

既存建物を調査して思うのは、この非常用照明があまり大事にされていない事だ。

電池が無いもの、電球がないもの、非常用照明そのものがなくなってしまったりと 扱いがおざなりにされている建築設備のひとつ

テナントが入居しているビルでは、工事区分がビル所有者工事とテナント工事区分とに分けられたりするが、防災設備関係はビル所有者工事区分になることが多いせいか、店舗の照明器具は新品だけど、非常用照明だけはタバコヤニで黄ばんでいたりする。

■非常用照明器具の基本要求機能

【1 照明器具】
(1)直接照明で、床面において水平面照度で1lx(蛍光灯の場合は2lx)以上確保できること(地下街の地下道は10lx以上)
(2)常用電源が保たれた時、予備電源により即時点灯する光源を有すること。
(3)周囲温度の40℃の雰囲気の中で30分間点灯を維持できるものであること。
(4)照明カバー、その他付属するものを含み、主要な部品は不燃材料にて造り、または覆うこと。
■電源

電池内蔵型と予備電源別置型がある。どちらを選定するかは建物の規模、構造、用途、取り付け場所、配線の方式、耐熱処理の有無、電源の種類などにより異なるため、その都度検討する必要がある。

【1、電池内蔵型】

電池内蔵型は配線規制を受けない。また、予期しない事由により、器具に至る配線がしゃ断されても点灯するので、安全で非常用照明装置を設ける目的に合致。配線規制のないこと、予備電源装置が不要で施工が簡単。

【2、予備電源別置型】

予備電源を別置する場合は、配線は耐火規制を受けるが、予備電源の寿命が長く、電源確保の信頼性が高い。
また、内蔵電池がないので、器具の意匠上も有利。

一般的に電池内蔵型は設備費は割高だが、予備電源が不要で、配線規制を受けないことで増築、改築の場合や小・中規模の建物に適している。大規模の建物では、予備電源装置が必ず設けられるので、電池内蔵型より予備電源別置型の方が経済的。
■非常用照明器具の配置設計

【 照明設計上の注意事項】
(1)照明範囲〔令第126 条の5、告示1830 号、通達住指発第44 号〕
照明は直接照明として、床面において水平面照度で、1 lx 以上の照度を確保します。蛍光灯を使用する場合は、常温において、1 lx 以上というのを、2 lx 以上におきかえて設計する。

床面必要照度は、避難行動上のさまたげとならない隅角部や居室、通路、階段などで柱の突出による陰の部分や物かげなどを除いた部分で規定の照度が確保できるように計画する。

 

名神高速道路・大津SA(下り)「パヴァリエ びわ湖大津」

resize0146

平成25年4月に、「パヴァリエ びわ湖大津」がリニューアルオープン。

地元名産の味と土産・雑貨が楽しめるレストラン・フードコート&ショッピングを楽しめる複合商業施設

2階レベルのデッキ

resize0145

 

resize0148

晴れていれば琵琶湖が一望できるらしい。

resize0149

 

resize0150

2階 レストランフロアへの出入口

resize0152

 

resize0151

 

resize0153

忍者募集のポスター

resize0154

 

駐車場側

龍安寺

resize0187

金閣寺に行ったあと石庭・枯山水が有名な龍安寺に

resize0188

広縁にたたずむ観光客で いつも一杯

石庭は全体で75坪とガイドブックには書いてある

resize0190

resize0194

 

resize0195

石庭が方丈の南側だから、西側にある庭

resize0197

 

resize0196

 

resize0199

仕事の合間に、社寺や美術館などを巡る

最近は身体は東京

心は関西にある感じだ

京都は 私の亡父の出身地だから 訪れる機会も多いが 一番しっくりする街で、最近はここに住みたいなと思うようになった。

岩清水八幡宮


resize0301

resize0306

京都宇治の西方、木津川・宇治川・桂川の合流点近くの男山山上に岩清水八幡宮はある。

夏の夜のライトアップがあることを知り、車で出かけてみた。(8月末に終了した)

京都市街からは、高速道路で30~40分程度だろうか。

resize0305

夜の7時からのライトアップ開始なのだが、ケーブルカーを降りてから山道は暗かったのだが本堂周辺の空は、まだ陽が沈みかけというところだった。

resize0307

豪壮な楼門。

本殿は、この後ろにあるのだが、ともに重要文化財。

朱色の丹塗りと極彩色の彫刻で飾られた絢爛豪華な造り。

建築的には「八幡造り」(前後に社殿が連なる)の形態を今に残す貴重な建物。

hatiman-dukuri

 

 

前後二棟(内殿・外殿)からなる八幡造りの社殿建築様式は稀少で、桧皮葺屋根の軒が接するところに織田信長公寄進の「黄金の樋」(金箔貼り)が架けられている。

この軒が連なる構造がゆえに、大きな樋が必要なので雨の少ない関西より西しか「八幡造り」は作られなかった。

前が神様のパブリックなスペースで後ろがプライベートなスペースと考えても良さそうだ。

resize0311

岩清水八幡宮は京の裏鬼門(西南)にあたる。

王城鎮護のため、貞観元年(859年)に豊前国(現在の大分県)の宇佐八幡を勧請して創建されたと書いてある。

「貞観」と聞き 、 かの3.11東日本大震災を想起した。

貞観地震(じょうがんじしん)は、平安時代前期の貞観11年5月26日(ユリウス暦869年7月9日[2]、 グレゴリオ暦7月13日)に、日本の陸奥国東方沖(日本海溝付近)の海底を震源域として発生したと推定されている巨大地震である。

岩清水八幡宮があの時代1000年以上前に創建されたのだと知り、歴史の長さを感じた。

resize0312

本殿への入口

resize0316

解説付きの本殿の回覧を終えると、たっぷりと陽は落ちていた。

土塀のライトアップ

岩清水八幡宮は、源氏の氏神、現在の社殿は徳川家光の寄進とある。

時の権力者に庇護されて今ある神社だ。

ビジネスホテル

resize0222

 

最近はビジネスホテルの競争が激しいからだろうか、平日の宿泊料金が安い。

聞くと土曜日だけは、倍ぐらいの価格になるらしい。

ネットで予約すると更に割引があるし、繁華街から少し離れたところが狙い目だ。

写真は、京都で宿泊したビジネスホテルの朝食(500円)

建物調査等の仕事で出かけると、ホテルに着くなりカメラバッテリーの充電、画像の整理、調査事項を書きとめた野帳の整理とあわただしい。

シャワーを浴び、ベッドに横たわると もう外出などしたくなる

その土地の美味しいものを食べたいとは思うが、地元の人に紹介された店以外では、自分で探して、巡りあうのは難しいし、一度ホテルに入ると億劫になる。

夜は、その都市の特定行政庁の建築条例や取り扱い基準を再確認したりと その日のうちに問題点を整理したりすると、あっという間に時間は過ぎる。

カトリック神田教会

resize1283

カトリック神田教会は1874年(明治7年)1月に創建され東京の教会でも有数の歴史を持つ教会。

現在の聖堂はフランス人宣教師シェレル神父の構想により、1928年(昭和3年)に完成したもので、当時の面影がそのまま残って いる。

resize1284

マックス・ヒンデル氏の設計によるロマネスク様式とルネッサンス 様式を融合させた建築。

resize1288

 

resize1289

避難上有効なバルコニー @ 京都市

「京都市建築法令実務ハンドブック」(H24.1.1)での「避難上有効なバルコニー」の取り扱い。

「解釈編」

京都市では、避難専用バルコニーの面積は有効内法面積だった。
img153

 

避難専用バルコニーでない場合は、3m2以上という取り扱いを示している。

img154

道路占有許可

各都道府県では、屋外広告物法という良好な景観を形成し、若しくは風致を維持し、又は公衆に対する危害を防止するために、屋外広告物の表示及び屋外広告物を掲出する物件の改定並びに、これらの維持並びに屋外広告について、必要な規制の基準を定めることを目的とした法律と条例がある。

看板の大きさや高さ、道路や歩道への越境、指定地域での配色の規制など、政令や地域の条例に適合する必要がある。

これらの屋外広告物・工作物・道路占有許可を出すのは通常では看板屋さんなので、建築士の方はあまり知らない人が多い。

sign

規制がある看板の名称と分類

A)屋上広告塔看板・・・・・・・・・大きさの制限・高さの制限
B)袖看板・・・・・・・・・・・・・・・・・道路・歩道への越境は道路占用申請必要
C)壁面看板(内照式看板) ランマ看板とも呼ぶ・・・・道路・歩道への越境
D)ポール看板・・・・・・・・・・・・・ 高さの制限によって工作物申請が必要
E)スタンド看板 ・・・・・・・・・・・・地域によって設置不可の場所

F)窓面サイン・シート文字 ・・・・表示総面積によって申請必要

詳しい規制内容は各都道府県で異なる。

街を歩いていると実に多くの看板類が目に付く。

何故にこんなにもサインや看板を建物に身にまとうことが必要なのだろうかと思うのだが、それは別として、注意深く観るとかなりの数の看板が道路境界を越境していると気がついた。

それらは本当に、道路占有許可を取得しているのだろうか。

例えば東京都の道路占用許可基準

道路上またはその上空に施設や工作物を設置する場合、歩行者や車両が安全かつ円滑に通行できるという道路本来の機能を阻害しないよう、設置について許可を得なければなりません。
 設置できる場所、物件、規格などには基準があり、この基準に合わない場合は許可できません。

日よけが越境する場合の許可基準を下記に記載するが、この「日よけ」がテント生地で出来ているものは建築物か否か。

テント製小庇については、「建築物の防火避難規定の解説2012」(質問と回答№14)や「建築確認のための基準総則・集団規定の適用事例」13頁に記載されているが、どの程度の大きさのものまでを建築物として取り扱わないで良いと考えるか。

とっても悩ましい部分があるのだが、それは建築基準法の世界の話で道路法の世界では許可を取れば越境していても良いらしい。

 

hiyoke_hodou

 

 

建物に設置する日よけは、その規格が東京都の定める許可基準内であれば、設置が許可できます。

ただし、特定の場所であったり、周囲の状況によっては基準内であっても許可できないことがあります。

 歩道上空と歩道のない道路上空では路面からの高さの基準が異なります。
 日よけ下端の梁より下に布やその他のものをつり下げることはできません。
【歩道上の日よけ 解説図 (歩道上の日よけ)】
 歩道の上空に日よけを設置する場合、道路境界からの出幅が1m以下で、路面から日よけの下端までの高さが2.5m以上であれば許可できます。

 出幅が1mを超えるもの、路面から日よけ下端までの高さが2.5m未満のものは基準外となり許可できません。

hiyoke_syadou

 

 

     【歩道の無い道路上の日よけ】 

歩道のない道路の上空に日よけを設置する場合、道路境界からの出幅が1m以下で、路面から日よけ下端までの高さが4.5m以上であれば許可できます。

 出幅が1mを超えるもの、路面から日よけ下端までの高さが4.5m未満のものは基準外となり許可できません。

 また、車道幅員8m未満の場合、出幅は0.5m以下となります。

新東名高速道路・駿河湾沼津SA・下り

resize0133

早朝の新東名高速道路・駿河湾沼津SA(下り)

眼下に駿河湾が広がる

resize0134

早朝でまだショップが少ししか開店していなかった。

resize0135

トマト専門店のショーウインドーが可愛らしくて、パチリ。

カラフルな生トマトの詰め合わせ

resize0137

トイレ・勿論 男用

resize0138

 

resize0136

「箱根ベーカリー」で アイスコーヒーとパンを食べひと休み。

一条戻り橋

resize0168

一条戻橋(いちじょうもどりばし)は、京都市上京区の、堀川に架けられている一条通の橋である。

単に戻橋ともいうそうだ。

resize0167

オカルト愛好者の聖地だそうだ。

resize0169

 

resize0170

戻り橋から南をみる

resize0174

遊歩道から見た戻り橋

resize0176

794年の平安京造営のときに架橋され、橋そのものは何度も作り直されているが、現在でも同じ場所にある。一条通は平安京の一番北の通り「一条大路」であり、洛中と洛外を分ける橋でもあったそうだ。

resize0155

現在の橋は1995年(平成7年)に架け直されたもので一条戻橋の近くにある晴明神社には、それ以前の一条戻橋を実際の部材を使って再現したミニチュアがある(上の写真)

安倍晴明は十二神将を式神として使役し家の中に置いていたが、彼の妻がその顔を怖がったので、晴明は十二神将を戻橋の下に置き、必要なときに召喚していたという。

resize0177