建築確認申請のための改正建築基準法(H26.6)講習会@東京

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昨年6月4日に公布された改正建築基準法の大部分が今年の6月1日に施行される。

その約8年振りとなる建築基準法改正の説明会が、東京ビッグサイトで開催された。

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エレベーター昇降路部分の床面積の容積率不算入は、昨年7月1日に施行された。定期調査・検査の報告制度は2年以内に施行される予定で、従来の検査系資格「特殊建築物等調査資格者」「昇降機検査資格者」「建築設備検査資格者」が「建築物調査員」「昇降機検査員(仮称)」「建築設備検査員(仮称)」となり、新たに防火戸、防火シャッターなどの駆動装置の点検、感知器と連動させた動作確認を行う「防火設備検査員(仮称)」を創設するとの事。

さて今回の建築基準法の改正で建築主が構造計算適合性判定を直接申請できるようになる訳だが、構造計算適合判定機関の指定確認検査機関からの事業部化、分社化が進み営業活動も活発になるのではないだろうか。

又事実上ルート3物件だけが対象となるので、業務を続けれる構造適判機関は限られ、収斂されていくかもしれない。

構造適判機関が単独で収益力を保持し会社を維持できるのかわからないが、積極的な営業活動と適切な構造審査という両義性を内包し自己矛盾に一層苛まれるのかもしれない。

改正により構造適判機関の確認も「処分」となり、審査請求等の直接的対象となる。矢面に立たされる構造適判機関の行く末は、どうなるのであろうか。

会場から質問が出ていたが、現在は構造に係る軽微な変更は、指定確認検査機関から構造適判機関には送付されていない。実際には一つの物件で階ごとなど頻繁に軽微変更を繰り返しているようなものもあり、これらの軽微変更を適判機関がまったく知らないで良いものだろうか。完了検査をする建築主事、建築検査員が知っていれば良いと判断されるのだろうか。事務処理上どうなるのかQ&Aが待たれるところだ。

ガララテーゼ集合住宅-1 Aldo Rossi + Calro Aymonino

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ガララテーゼ集合住宅 Gallaratese Housings
アルド・ロッシ + カルロ・アイモニーノ

Aldo Rossi + Calro Aymonino
建設 1970年

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上の二枚がアルド・ロッシの設計によるもので、たぶん一棟だけが無機質な外観。他の部分は彩色豊かな カルロ・アイモニーノ担当の建物。

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ヴィラ・マラパルテ -4 / Adalberto Libera

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カプリ島の港・ナポリからフェリーで小一時間

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この小舟をチャーターして船着場まで

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こんな澄みとおった海は見たことが無いぐらい。

陽にきらめいている水面が印象的だった。

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船着場から急な階段を上り

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ヴィラ・マラパルテが現れる

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山側のアプローチを望む

ヴィラ・マラパルテ -3 / Adalberto Libera

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【地中海を望む】

ゴダールの「軽蔑」のロケ場所となった、この別荘は外部の1階から2階の屋根までが階段になり、その上にこの屋上テラスがある。

「軽蔑」のロケは、このテラスや室内を使った。

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【映画「軽蔑」の一シーン・監督:ゴダール】

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この映画を若い時(多分高校生の頃)に観てから、いつかは実際のロケ場所を見たいと思っていた。大学に進むまでは文学青年で、建築に進むとは自分でも思っていなかった。

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1989年に訪れた時は、まるで恋焦がれた女性と初デートしたような 胸のときめきを覚えた。

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山から連続する階段(屋根)を昇るとこのテラスに進む。

そこは神々しい儀式の場。

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【1963年の映画「軽蔑」のポスター】

「旧高田邸と国立大学町 ~85年の物語~」

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「旧高田邸と国立大学町 ~85年の物語~」

2015年3月8日(日)及び 3月16日(月)~25日(水)
場所 旧高田邸 東京都国立市中1-13-30

国立大学町が開発された昭和4年に建築された通称「旧高田邸」。 国立の歴史を記憶してきたこの住宅が今年3月末で惜しまれながらも解体されることになったそうです。

国立市内外の有志が集い、国立大学町時代の歴史を振り返りながら、 高田義一郎氏の業績もあわせて紹介するイベントを企画されました。

昭和モダンの国立が再現され写真展、書斎再現、大正・昭和モダン懇談会、撮影会、旧高田邸解剖図展、案内ツアー等を予定。

また3/21(土)・22(日)にはkunitachiゆる市 同時開催。

3/8には、住宅医協会による旧高田邸詳細調査が行われ、その調査結果は、3/16~3/25「旧高田邸解剖図展」として報告展示が行われる。

イベントスケジュールは
旧高田邸プロジェクト実行委員会公式サイト
http://takadagiichirou.tumblr.com/

 

ヴィラ・マラパルテ -1 / Adalberto Libera

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作家でありジャーナリストでもあったクルツィオ・マラパルテ(1898-1957)の住宅。

マラパルテは、1922年のローマ進軍に参加したファシストでありながら、その後ファシズムに批判を向けた著作「クーデターの技術」を発表し、その為にバリ島で五年間の流刑を甘んじて受けることになる。

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カプリ島の地中海を臨む高台に作れたこの住宅は、海に向う階段として構想されている。

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カプリ港から小舟をチャーターし島をめぐり、この住宅の船着場からアプローチした。

陸路 この建物を探してたどり着いても門は閉ざされていると聞く。

1989年ナポリからカプリ島へ渡ったときの写真である。

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サンカタルド墓地 -1 / Aldo Rossi

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モデナ郊外のAldo Rossiの設計による墓地・San Cataldo Cemetery

非常に広大な墓地で、道路を挟んで旧館と新館とも言える墓地に分かれており新館がこの建物である。

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この建物の中は、屋根のない納骨堂になっており、周囲の建物とは、異なり無縁仏を弔っているのではないかと思える。

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この外界と隔てる建物の中の墓地は、故人の遺影がそれぞれ飾ってあった。

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静寂というかあまりに悲しげな空間だったと記憶している

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サンテリア幼稚園 / Giuseppe Terragni

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写真に映っているひとの中には故人となった人もおり懐かしい

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ジュゼッペ・テラーニが生きた時代は、ムッソリーニ政権下のイタリアファシズムの時代だった。

その中にあって、テラーニはモダニズム運動の旗手の一人として「<新しい体制>の表現としての建築」にその生涯を託した。

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彼の作品はモダニズムの建築として、近代イタリアという枠を超えている点で高く評価されている。

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インターナショナリズム(ラショナリズム)とナショナリズム。アヴァンギャルディズムとクラシシズム。

「大衆のための建築」と「国家の建築」といったアンヴィヴァレントなジレンマが含まれているという。そこにテラーニの悩み、自殺の要因が秘められているように思う。

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カサ・デル・ファッショ / Giuseppe Terragni

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ジュゼッペ・テラーニの代表作とも言えるカサ・デル・ファッショは1936年の作品である。

邦訳すれば「ファシストの家」つまりイタリアファシスト党の地方事務所である。

訪れた当時は、税務署として使われていると聞いた記憶があったが、今回調べ直してみたら 現在の用途は、国境警備隊本部のようである。コモはスイス国境に近い。

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コモを訪れた時は、「カサ・デル・ファッショはどこにありますか?」などとは聞かないことだ、怪訝な目で見られることは間違いない。自分もそういう目で見られた。

ジュゼッペ・テラーニは、ファシズム下のイタリアにあって建築集団の左翼を形成していたイタリア合理主義(ラショナリスト)達のひとりである。

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「ファシズムとはガラスの家である」と言ったムッソリーニの命題に応えるべく造ったイタリアファシズム建築の代表作といえるだろう。

テラーニ自身がファスト党党員であり、従軍し、後に自ら命を絶った。

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「なんだ 単なるモダニズムじゃないか」と言ってコピーする無かれ、心のこもらないコピーニストに真のモダニズム建築は造れない。

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戦没者慰霊碑 / Giuseppe Terragni

若い時 訪れたヨーロッパの建築と それにまつわる思い出を時々書き綴ってみようと思う。

昔のネガフィルムやビデオを、倉庫の段ボールの中でこのまま寝かし続けておくこともないだろう。今のところスライドやネガからデジタル化して掲載するので、画質や色調があまりよくない。

8mmビデオからデジタルへの変換も依頼してあるので、後ほどそちらの写真に差替えるかもしれない。

ともかく、いまなおそこにある有名建築もあるし、取り壊されてしまった建物もある。

昔の写真を見ると色々なことが思い起こされてくる。

まずは学生時代から好きな建築家 イタリアのジュゼッペ・テラーニから

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これは、イタリア北部のコモ湖岸にある戦没者慰霊碑。

1989年に訪れた時の写真。

もう あれから25年経った。

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アントニオ・サンテリアが死の二年前にスケッチした「灯台のスケッチ」(1914年)を、同じ未来主義者エンリコ・ブランボリーニが戦没者メモリアルとして転用する事を計画し、その後紆余曲折を経て1933年ジュゼッペ・テラーニの手によりサン・テリアの故郷であり、又 テラーニの主たる活躍の場であったコモの湖畔に建造された。(1931年~1933年)

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ノウハウ

知人にブログでノウハウを知らせすぎではないかと言われた。

例えばレシピがあれば料理を再現できるわけでなく、再現するにはレシピの読解力、すなわち感性と経験が必要である。

楽譜があれば音楽を再現できるわけなく、再現するには楽譜の読解力、すなわち感性と経験が必要である。

文献、論文、データに焦点をあてた研究も危ういところがある。

逆にいえばブレークスルー(進歩・前進・突破)は、ここににある

「老い先短い人生、知識と経験を墓場にゃ持っていけない」

と答えた。

 

もう2月・・・

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梅の花も咲き始めていますが

あっという間に2月

大学は学期末テスト、入試とあわただしい日々が続きます

 江戸時代の入学テストというと

寛政年間(1789~1801年)に「学問吟味」とよばれる学力試験が始まり、この試験でよい成績をおさめれば、低い身分の者でも高い役職に抜擢される例が相次ぎ、数多くの幕臣やその子弟が受験するようになったそうです。

「学問吟味」は、湯島聖堂に開かれた昌平坂学問所で3~5年ごとに実施され、小学、四書、五経、歴史書、詩、文章の試験が行なわれていた。

 成績は甲、乙、丙、落第で評価され、合格者には身分に応じて褒美の銀や服、布などが与えられた。1回につき2000~3000人が受験するが、最高の成績である甲科合格は数人しかいないのが常だったと本にあります。

 上位合格者でないと上位の役職にはつけなかったとか

 藩校の入学試験のありようは、以前NHKのタイムスクープハンターで見たような記憶があります。

 何時の時代の入学試験も親子ともども大変です。