リノベ―ションと断熱改修

雑誌等に紹介されているリノベーションの事例には、コンクリート躯体を剥き出しにしたスケルトンのものや、既存の断熱材や断熱効果のある天井を撤去してしまったものが散見される。断熱改修どころか、既存建物より断熱性能が低下しているような断熱改悪のような事例もある。

省エネ法では、用途変更(コンバージョン)でも、省エネ法の届出が必要な場合がある。第一種特定建築物(2000㎡以上)の場合で、それ以下の面積や別紙の要件に該当しているものでも意外と省エネ届出は作成提出されていない。なかには、検討して断熱性能指標(PAl*)や一次消費エネルギーが未達成で、断熱材の変更が必要だと告げると工事費が嵩むからと「省エネ届出」そのものを提出しない人もいる。

「届出対象となる特定建築物の修繕・模様替・設備改修の規模一覧表」(横浜市)

弊社が最近関わったプロジェクトで、廃校となった小学校を用途変更して展示場等にする計画の省エネ検討を紹介する。

省エネ3地域で、木造平屋の一般校舎とRC造2階建ての特別教室等部分により構成されている延床面積1800㎡、築23年の比較的新しい既存建築物である。

プロジェクトは基本計画段階の為、今後実施設計に移行した際、内部の平面計画や天井高さ等が変更になる可能性があるため、現存する既存設計図書に基づき、外皮性能指標(PAL*)を算出し、その上でH28省エネ基準に適合するよう外皮性能指標(PAL*)を算出する省エネ改修計画を立てた。

リノベーション時の断熱改修は、施工性や経済性を勘案する他、大規模模様替えに該当しないように法規上の問題も検討しておく必要がある。

既存建物は、木造平屋の一般校舎とRC造2階建ての特別教室等部分に構造的に分かれている為に、外皮性能指標(PAL*)は、別個に計算した。下記に既存建物(学校)及び断熱改修前(展示場)、断熱改修後(展示場)の外皮性能指標(PAL*)を示す。

0007以上の検証により、既存建物(学校)の木造部分は達成していたが、RC部分は未達成だった。展示場に用途を変更して検証したところ、やはり同じように結果となった。そこで断熱改修は、屋内側からの施工に限定しシュミレーションしたところ、いずれも達成した。実施設計段階では、用途・内部間仕切り・天井高が変更になる可能性が高い為、計画段階では余裕のある断熱改修計画が望ましいと考えている。また今回の検証結果により工事費が嵩む開口部(サッシ・ガラス)の変更は必要ない事が事前に把握でき、コストコントロールに寄与できたと評価された。築年数が比較的新しく旧基準とはいえ一定の断熱材が施工されていたのが幸いし、比較的軽微な断熱改修計画になった。

尚、計画段階では一次消費エネルギーの検討は行っていない。又標準入力法により計算を行っている。

「暮しの手帖」初代編集長・花森安治

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連続テレビ小説「とと姉ちゃん」花山伊佐次のモチーフである『「暮しの手帖」初代編集長・花森安治』(暮しの手帖別冊)を読みました。

「もう二度と戦争をおこさないために、『暮らし』を大切にする世の中にしたい」という思いで「暮らしの手帖」を創刊したという花森安治さん。

誌面の美しさと、言論の自由のため、広告をいっさい載せないという唯一無二の雑誌。

衣食住をテーマに数々のヒットを飛ばした「カリスマ編集長」の軌跡を紹介しています。

実は、「暮しの手帖」も「花森安治」さんも「とと姉ちゃん」で初めて知りました。装丁や誌面デザインがとても美しいですね。大胆な余白と書き文字で、ひとめ見ただけでわかる誌面が心に焼き付きます。

「わたしたちの夢の住まい」

終戦後、都市に住む人のほとんどが戦火で家を失い、粗末なバラック等に住んでいました。焼かれた街になにもなかつたように、家の中にも何もありませんでした。

ないなら作ろ。

それが住まいの記事の始まりだったと書かれています。

1952年掲載された「小さいけれどうれしいわが家・三帖ひと間の家」には、住み手の喜びが溢れた写真が掲載されています。終戦の翌年、中国の奥地から引き揚げてきた女性は、兄の家に身を寄せていたが、間借りをしているのが心苦しく、3帖ひと間にベッド・収納・トイレ・流しのついた7帖・2坪あまりの住まいを建てられました。工事費は8万かかったそうです。

1954年に掲載された「たまのお客より家族の暮らし・六角形の家」は、奇をてらって六角形にしたのではなく、外壁の面積が減り、材料や工費、暖房費を減らせ室内を広く使え地震に強いと言う理由からだそうですが、階段を中心に展開する二階建ての住まいは、とても使い易そうで感心しました。

アドバイスをしていたのが大成建設でホテルニューオオタニ等の設計を手掛けられた建築家の清水一さんと知り、あ~そうだったんだと頷きました。若いころ清水一さんの書かれ本を幾つか読んだことがあります。専門家向けの本ではなく一般の方や若い学徒のために書かれたエッセイ集のような本でしたが、人に向けるまなざしが優しい人だという記憶が残っています。

「暮しの手帖」は、こうした家の実例を数多く紹介し、暮らし方を含めて提案したそうですので、是非バックナンバーを読んでみたいと思っています。現在の建築基準法の成立時期の庶民の住まいは、どんなものだったのか興味深々です。

「PEN 2016・8/15・№411」いつの日か訪れたい奇跡のホテル

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妻が美容院でながめていて、よく読みたいとあとから買ってきた雑誌。

「絶景・自然」「建築・デザイン」「ホスピタリティ」「美食」のテーマで「奇跡のホテル」を紹介している。ちょっとやそっとで行けないホテルがほとんどであり、永遠にいけないかもしれないが、ここには至極のホテルが紹介されている。

興味深かったのは、イタリア・バジリカータ州・マテーラの洞窟住居を、現代的にリノベーションした「バジリアーニ・ホテル」

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1993年に世界遺産に登録された「マテーラの洞窟住居と岩窟教会公園」の洞窟住居の一角を宿泊施設にリノベーションしてできた全11室のホテル。

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ホテルのオーナーは、建築家のジュゼッペ・スターニョ。

一人の建築家が遺産を買い取り、ホテルという体験できる場所を伝えてくれたことに敬意を表したい。

バジリアーニ・ホテル

「雪あかり日記/せせらぎ日記」谷口吉郎著

雪あかり日記せせらぎ日記
雪あかり日記せせらぎ日記
東北大学教授の五十嵐太郎さんが日経アーキテクチュア誌で推薦していた「今こそ読みたい名著01」「雪あかり日記/せせらぎ日記」(谷口吉郎著)を読みました。

1938年、アドルフ・ヒトラーの指揮の下、第三帝国へと都市計画の進むベルリン。若き日の谷口吉郎さんは、日本大使館の改築監督のため赴任しました。ナチスによって大規模な反ユダヤ攻撃がドイツ各地で起きたいわゆる「水晶の夜」に「うすら寒く、鉛色の空」のベルリンに到着します。それからナチスのポーランド侵攻、独ソ不可侵条約締結の4日後に陸路ノルウェーへ出国、日本へ向かう船で英仏の対独宣戦布告の報を聞くまでの1年弱の激動する政治社会情勢のもとで欧州の建築、人々の暮らしが描かれています。

 このように歴史の転換点の目撃談としても貴重な記録です。谷口吉郎さんの本はあまり読んだことが無かったのですが、谷口吉郎さんの豊かな教養と建築知識に裏付けられた文章は読みやすかつたです。
建築については、19世紀のドイツの建築家・シンケル(カール・フリードリッヒ・シンケル)に関する記述が多く勉強になりました。シンケルの建築は、ギリシア建築を源泉とする新古典主義建築ですが、ベルリン旧博物館・アルテス・ムゼウム(Altes Museum)にも見られる幾何学的、厳格で端正なデザインはモダニズム建築の美学に通じる言われています。
ベルリンは訪れたことがないので、現存しているシンケルの建築に触れてみたいと思っています。

広島は6日、71回目の「原爆の日」を迎えた

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広島は6日、71回目の「原爆の日」を迎えた。広島市中区の平和記念公園では午前8時から平和記念式典が開かれ、被爆者や全国の遺族の代表、政府関係者、各国代表が参列する。

戦前は、日清戦争(1894-1895)、日露戦争(1904-1905)、満州事変(1919-1931)、日中戦争(1931-1945)、太平洋戦争(1941-1945)と戦争が断続的に継続した。

本田勝一さんは日清から太平洋戦までを「50年戦争」と言ってた。

戦後71年戦争がないということは、すごいことなのだとあらためて思う。

安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから

合掌

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原爆ドームの写真は、いずれも2014年3月のものです。