東京の地形を感じながら・・・

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昨日は天気も良かったので、事務所から小石川後楽園まで自転車で往復しました。

往復8km強の道程です。

自転車初心者なので、出来るだけ平地を走り負荷がかからないように国土地理院のデジタル標高地形図を見ながらルートを考えます。豊島区の台地から春日通りの尾根をくだり後楽園へ、帰路は神田川沿いに江戸川橋に進み、そこから護国寺方面の緩い坂道を登り、豊島岡に帰ってくるコースです。

結構 汗もかきました。

しかし、時間さえかければ皇居周縁や銀座まで、自転車で遠出できるという自信がつきました。

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小石川後楽園では、雪吊りという冬支度が始まっていました。

「検査済証のない既存建築物等における取扱」の改訂検討が進む

検査済証のない既存建築物の法適合性の確認については、平成26年7月に国土交通省より「検査済証のない建築物に係る指定確認検査機関等を活用した建築基準法適合状況業務のガイドライン(以下、「ガイドライン」)が公表され、指定確認検査機関が調査者になることができることが位置付けられました。

国交省に登録した指定確認検査機関は、31社(平成28年11月28日時点)です。

現在、国交省では「ガイドライン」の改訂に向けて検討が進められているそうです。改訂内容は、チェックリストの詳細化、調査方法、調査範囲の明示、指定確認検査機関の役割の明確化等が行われる予定で、「技術的助言」を発出する予定と聞きました。

これ先立って国交省が平成27年12月に全国425特定行政庁/450特定行政庁にアンケート調査をしたところ、「ガイドラインに基づく法適合状況調査の活用を図っているか」という設問に対して「あまり活用していない」が279特定行政庁65.6%という結果でした。

「活用されない理由は」

  1. 相談された実績事体がない
  2. ガイドライン以外の調査方法で既に法適合状況調査に対応しているため
  3. 具体的な調査方法が明記されておらず、不明確な部分が多い等

弊社は、指定確認検査機関勤務の経験も踏まえて、国交省「ガイドライン」以前から、全国の特定行政庁で個別に調査方法や調査箇所などの打合せを行い「2」の「ガイドライン」以外で直接特定行政庁に申請し検査済証のない既存建築物の増築・用途変更の申請を行ってきました。

一方、大阪府内建築行政連絡協議会(以下、「大連協」)では、「ガイドライン」ができる8年前である平成18年5月に「既存建築物の増築等の法適合性の確認取扱い要領」(以下、「取扱要領」)を制定し、各特定行政庁において既存建築物の増築、改築等を行う場合の法適合性の確認を行っていました。

「取扱要領」は、4回の改正を経て平成27年6月1日改正版が最新ですが、調査部位や調査方法が明確になり、書式等も統一されており実務に則しています。関西圏では、この「取扱要領」が浸透しています。

しかし法適合性チェックや申請手続きなどの具体的運用については各特定行政庁の判断にゆだねられていたようで、特定行政庁・指定確認検査機関の役割分担のあり方を踏まえ、既存建築物の法適合性の確認方法や審査方法における法的課題や審査リスクについて整理・検討が始まっているようです。こちらも来年には、改訂版が出てきそうです。

「検査済証のない既存建築物の増築等」は、「ガイドライン」に沿った「登録指定確認検査機関」しかできないという誤ったセールストークをする審査機関もあるようですが、そんなことはありません。

全国的視野に立ってみると、登録指定確認検査機関による「ガイドライン」調査は、一つの方法でしかありません。

「大連協」の改訂作業は、とても注目しています。

「食・栄養」領域のブログを公開しました。

かねてより準備中でした「統括サイト」と「食・栄養領域サイト」を公開しました。

統括サイトURL  「てら・アソシエイツ」

http://tera-associates.com/

食・栄養領域サイト URL 「ばばりんち」

http://tera-associates.com/food/

食や栄養に関する御相談をいただければ幸いです。

お問合せは、各サイトの「お問合せ」フォームより「送信」ください。

昔は、おおらかだったのに・・

最近、知人から聞いた話ですが、

確認申請・実施設計が完了し、省エネ設置届をコンサルに依頼したら計算がOUTになったので断熱材の仕様を変更して省エネ設置届を提出した。仕様変更の旨を工事会社と建築主に告げたら、それは設計者の瑕疵だから断熱仕様変更に伴う追加工事費は、設計者が負担すべきとなり、設計監理料から減額されることになった。との事でした。

昔は、追加になっても工事会社で面倒みてくれたり、他の部分で変更してプラスマイナス0にすることもできましたが、今は 世の中余裕がないというか、すぐコンプライアンスがどうのこうのと言われる方もいるみたいです。

省エネ関係の法令や計算ブログラムは毎年のように変わっているので、過去の経験だけで省エネ仕様を決めていると、紹介した事例のように、あとで痛い目にあうこともあるようです。

弊社は、特定の会社の省エネ支援しかしていませんが、非住宅の建物用途も毎回異なりますし、形態も結構複雑なものが多いので計画段階から一緒に省エネ検討を行っています。断熱材の仕様選定、開口部やガラスの仕様選定は、計画段階で確定できます。

このところ省エネスタディーの毎日です。

武蔵一宮 氷川神社

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大宮駅から商店街を抜けて歩いていくと表参道がみえる。

三の鳥居

東武野田線の北大宮駅で下車すると

裏参道経由になるが社殿には近い。

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楼門と舞殿

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舞殿

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拝殿

御祭神は、須佐之男命、稲田姫命、大己貴命の三神

社殿は銅板葺き、流造り

七五三の家族連れが多く来ていた。

壬生町おもちゃ博物館

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栃木県壬生町にある「おもちゃ博物館」に連れて行ってもらいました。壬生町にはバンダイを始めとした玩具工場が集積しているおもちゃ工業団地があるとの事です。

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モスラのような・・

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建物的には、あまり面白いところはないのですが

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子供達が沢山訪れて楽しそうに遊んでいました。

それが なによりです

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3階のプレールーム

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3階から建物の屋上部分を見る。

もう陽が落ち始めていました。

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別棟の鉄道模型のジオラマ

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壬生町おもちゃ博物館

 

建築基準法第6条の2第6項

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東京都建築士事務所協会の「コア東京・2016・11月号」に掲載されていた「一級建築士の懲戒処分は今・平成28年度第1回一級建築士の懲戒処分の分析」加藤峯男さんの記事がとても参考になりました。

東京三会建築会議の「処分適正化」「処分問題の改善要望」への活動もあり、建築士法第10条の2の改正につながっている事を知りました。役員の方々が常日頃建築士の為に活動されている事に敬意を表したいと思います。

平成28年度第1回の建築士の懲戒処分は、今年業務停止処分を受けたA指定確認検査機関と、かってA社に所属した4人の確認検査員に関わる物件だと聞いています。いずれも指定確認検査機関から確認済証及び検査済証の交付を受けた物件であり、済証を交付した指定確認検査機関に対する国土交通省の監査で違反設計部分が発見され、それに係つた設計者=建築士の処分となっています。

もともと建築基準法第6条の2第6項には、下記のように記載されています。

『6   特定行政庁は、前項の規定による確認審査報告書の提出を受けた場合において、第1項の確認済証の交付を受けた建築物の計画が建築基準関係規定に適合しないと認めるときは、当該建築物の建築主及び当該確認済証を交付した同項の規定による指定を受けた者にその旨を通知しなければならない。この場合において、当該確認済証は、その効力を失う。』
*
指定確認検査機関が交付した建築確認済証や工事完了検査済証は、絶対的な「正」ではなく、事後に覆ることがあるということは指定確認検査機関制度が出来たときからの問題でした。このことを話すと、未だに知らない建築士がいることに逆に驚きを感じます。
*
設計者が指定確認検査機関と付き合う時の基本的スタンスは、「全幅の信頼」を持つことではなく、基準法の取扱いが難しい場合は、あくまでも特定行政庁と指定確認検査機関の相互の見解を聴くようにして設計者自らが判断することが必要だと思います。
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指定確認検査機関の業務は、あくまでも本来行政が行うべき「確認事務」の代行であるに過ぎません。「確認」なのですから、その設計の内容に責任をもつのは「設計者」です。仮に不適合とされた設計箇所に対する法的取扱いが指定確認検査機関の判断であったとしてもです。
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尚、建築基準法第6条の2第7項には、下記のようにあります。
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『7  前項の場合において、特定行政庁は、必要に応じ、第9条第1項又は第10項の命令その他の措置を講ずるものとする。』
*
第7項では、違反建築物に対する措置を定めていますが、是正命令を出せるのは特定行政庁にあり、指定確認検査機関にはありません。
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平成28年第一回の処分には、旧知の方が2名いました。いずれも、この道数十年のベテランの方です。それ故に、指定確認検査機関が確認済証や検査済証を交付し物件の引き渡しが完了し、すでにその物件が使用されているのに違反設計とされ是正命令が出て、とてもやりきれなかったと思います。もしかしたら業務停止処分になるのではないかと、さぞかし不安な気持ちでおられたことでしょう。
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現行の建築基準法の指定確認検査機関制度では、こうなってしまうのです。
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設計者が判断が分かれる建築基準法の取扱いについて指定確認検査機関に相談に行くと、「指定確認検査機関では判断する裁量がないから特定行政庁に行って相談して、議事録つけてもらえば良いから」と言われ、特定行政庁に行けば、「確認を民間に出すなら指定確認検査機関に判断してもらって」と。一体「設計者はどうしたらいいのさ」というのは、今でも耳にします。
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もう15年もダブルスタンダード(二重規範)は、続いています。

季刊大林・№13「長屋」

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現在の集合住宅の原型は、江戸時代の長屋ですが、明治時代になっても、その形態は継承されたと言われています。

明治期の建築法制では、長屋建築条例が各地につくられています。その「長屋建築条例」を全国各地から収集し比較分析した先覚者の研究も見られます。

深川江戸資料館の常設展示室では、天保年間(1830年~1844年)の深川佐賀町の街並みの一部(5世帯)を想定再現していますが、規模が小さい為か何となく雰囲気はわかるものの今一つです。東京では現存していませんが、大阪には現存し改修して今でも使われている長屋があるそうです。

深川江戸資料館の展示でも参考にしたのが、この『季刊大林・№13「長屋」』です。

この1982年に発表された『季刊大林・№13「長屋」』は、とても先駆的な研究であり、江戸と大阪の長屋の比較がされているうえに、長屋の平面図と立面図が再現されているため全貌が掴める内容になっています。

「長屋」は、社会的システムつまり法で規制するというのは、古くて新しいテーマです。

「長屋」は、共同住宅の一形態であるのに 何故 現代の建築基準法では「特殊建築物」と定義されなかったか。建築基準法では定義がなく、各地の解釈にゆだねられたのはどうしてか。今なお、各地で紛争を起こす「重層長屋」や接道の問題は、なかなか厄介です。

明治のころから「長屋」の防火性・衛生は、社会的問題だったということが分かる貴重な本です。

「湾生回帰」

戦前の日本統治下(侵略地)であった台湾で生まれ育ち、戦後日本に引き揚げた人を「湾生」と呼ぶことを知りました。このドキュメタリー映画「湾生回帰」のことも台湾の植民地時代の人々の暮らしぶりを調べているうちに出会いました。

「侵略地建築」のあらましを理解する上で、その当時の生活を知ることは大切なことだと思っています。

例えば湾生である岡部茂さんは下記のように語っています。

「私は、大正7年(1918年)、台北市大正町で生まれ、台北一中を卒業するまで大正町4条(現在の長安東路付近)で過ごし、卒業から引き揚げまでは御成町4丁目(現在の中山北路2段、南京西路付近)で過ごしました。
父が当初、建設関係の仕事をしていたことから、新たに区画整理された住宅地の大正町で、今でいうモデルハウスのような家に住んでいました。上下水道完備、床は基本的に畳ではなくコルク、台風などの水害に備えて少し床高に設計、水洗トイレに収納付きと、大変ぜいたくな造りでした。
その後、御成町に移りましたが、住宅兼職場の岡部印刷は、もともと台北帝大医学専門学校の学寮を利用したもので、相撲の土俵やテニスコートがありました。近所には、台拓(台湾拓殖株式会社)の社長の家や辜振甫(台湾初の貴族院勅選議員・辜顕栄の長男。対中交渉窓口機関・海峡交流基金会の初代理事長)の家、米国領事館などがありました。」

湾生・岡部茂

日本本土と比べても都市インフラが整備され、中間所得層の豊かな暮らしぶりがうかがい知れます。

同じく湾生の川平朝清さんは、下記のように当時の台湾の建物の印象を語っています。

「私は、昭和2年(1927年)、台中の明治町7丁目4番地に生まれました。当時、そこは刑務所の近くで、沖縄から台湾に移った父母らは、そこの刑務所のクラブで仕事をしていました。ただ、私が物心ついた頃には、明治町の6丁目に移っていて、家の近くには台中地方法院(裁判所)があって、その建物が白く大きかった記憶があります。一番印象深いのは、台中公園にあった建物の大きな屋根です。
その後、5歳の時に台北の錦町に移り、旭尋常小学校、今の東門国小に通いました。
今年1月上旬に、台中の法院の跡と、台北の自宅跡地を訪れましたが、前者は、まだ建物が残っており、後者は、すでに別の大きなビルが建っていました。一方、台中公園の、あの大きな屋根も残っていました。」

湾生・川平朝清

川平さんは、ジョン・カビラさんのお父さんです。

こうして、映像や証言によって 建築が建てられた当時の人々の暮らしが重ねられ、現存している歴史的建築物にいのちが吹き込まれます。

「雨の建築術」日本建築学会編

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食品衛生を研究しているパートナーの「災害時における生活用水の衛生」という研究テーマについて話を聞いていたら、過去の災害時においてライフラインが停止したときに、風呂、洗濯、トイレといった生活用水は応急給水によって十分な使用量を確保できないという事を聞きました。都市部ほど確保は難しいと過去の災害報告に書かれているそうです。

災害時の生活用水の確保のためには、一番は各自が雨水を貯めておくことが必要で、その他身近な河川や池、堀などから自ら採取して濾過して使用するしかないだろうということになりました。

そこで近くの神田川の水を採取しようと思ったら地面から水面までの高さがあり、一般の人が水を採取するのは難しいことがわかりました。その他は許可を得て公園や外堀の水を採取して実験に使用させていただきましたが、これらも災害時に閉門されたら一般人は使用できません。東京都心部は、生活用水に使用できそうな水場が意外と少ないことに今回気がつきました。

そんな中で思い出したのが、この本「雨の建築術」日本建築学会編、技報堂出版、2005年初版です。

もう十年以上前の本ですが、当時私は、流行のエコロジカルな建築デザインに矮小化して「雨」の建築的活用を考えていました。

この本は、国内外の実例が豊富に紹介されています。再読して「水問題」という視点で雨ときちんと向き合い、改めて建築の作り方が根本的な革新につながる雨水建築が必要だと思った次第です。

建築物省エネ法の詳細説明会@東京

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11/15「建築物省エネ法の詳細説明会」国際フォーラムに参加してきました。いよいよ来年H29年4月(予定)より、非住宅部分の面積が2000㎡以上の建築物の新築建物について、省エネ基準への適合義務化が始まります。

それについての適合義務(適合性判定)・届出マニュアルについて、設計図書記載例・工事監理マニュアルについて詳細が明らかになりました。

計算方法については、これまでの「モデル建物法」の5000㎡以下の建物に適用としていた面積要件を撤廃、中央式空調の評価を可能にし、建物用途の適用を現行8モデルから14モデルに選択肢を増やし、集会場モデルでは計算対象室用途を12に増やしています。

省エネ法の計算法である「標準入力法」から「モデル建物法」へと誘導しています。標準入力法とモデル建物では、その計算手間、審査手間は雲泥の差がありましたから、その誘導の意図はわかります。ただ弊社としては、同一建物で標準入力法と新モデル建物法の計算比較をしていませんので、これまでの建物を比較してどの程度の差があるかを把握しておきたいと考えています。

省エネ適合義務に合わせて設計図書への記載方法も変更する必要があり、仕上表や建具表、設備関係の機器表への対応が必要です。適合義務マニュアルに沿う設計図書が設計者・設計事務所に周知徹底されるかどうか不安が残ります。今でも従来通り、設計図書が完了してから省エネ届を依頼してくるケースが多いの現状です。仕上表への記載名称や数値は整合しなければなりませんが、それが相変わらず省エネ届出に対応していない為、あとから設計図書を是正してもらうことが多いです。また省エネ適合義務と建築確認申請の時期が同時期ですから、一定期間業務の混乱が起こる可能性が高いように思えます。

省エネ適合義務においては、計画変更申請と軽微変更が、ほとんど発生するものと予想しています。

業務が大きく増加しそうなのが工事監理と施工管理事務です。大規模な建物=設備工事監理担当者がいる。施工管理者(現場監督)が多数いるような物件では心配不要でしょうが、意匠設計者が工事監理全般をみているような建物、所長しか正社員でないような弱小現場での事務量増加による負担と責任は、これまでより、かなり重くなると予想します。

ともあれ省エネ適合義務に係る詳細が明らかになりましたから、スムーズに対応できるように、よく読んで準備を怠らないようにしたいと思っています。

 

「古建築修復に生きる~屋根職人の世界」原田多加司著

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檜皮葺・柿葺師である原田多加司さんの屋根職人としての経験をテーマ別に記述した本ですが、実に多方面な内容にわたっています。目次は以下の通り

[目次]
伝統技術という「方舟」(屋根はいかにして作られてきたか、檜皮葺と柿葺の文化 ほか)
技術は乱世に成熟する(古代技術の探究、伝播は同心円を描く ほか)
語られなかった海外神社の時代(海を渡った神々、海外神社の実態 ほか)
古建築修復の旅(式内社を歩く、「伊勢」と遷宮 ほか)
文化財の森を育てる(国有林開放までの道程、大学演習林の研究 ほか)

歴史的造詣の深さ、国内各地の文化財修復に携わられた屋根葺職人としての経験に裏打ちされた日本古来の技の世界が語られています。

私がこの本に興味を持った最初のテーマは「海を渡った神々」の項でした。

すなわち戦前の日本の侵略地に建立された「植民地神社建築」のあらましです。

原田さんの生家は、江戸時代中期の明和八年(1771年)創業の屋根職人の家で、代々屋根職人を継承され原田多加司さんが10代目とのことです。

その生家が携わった海外の神社建築が、明治34年(1901年)に台湾神社(後の台湾神宮)、明治42年(1909年)に関東州の大連神社・遼寧神社、明治44年(1911年)に樺太神社、大正4年(1915年)に鉄峯神社(満州)等に屋根職人として関わっていると書かれています。

明治から昭和20年の敗戦まで神社の国家体制の中での位置づけは、国家の宗祀(そうし)であり、祭政一致の姿を現出したものと考えられていました。今、再び神社を国家の宗祀にしょうと企てている人達がいますし、またあえて侵略地の神社建築を見ようとしない傾向もありました。

建築デザインとイデオロギーを混同あるいは同一視してはならないと思います。

私も古代史に関心があり、御朱印帳を持って各地の神社を巡っていますが、国家神道は相いれません。

侵略地神社建築は、これまで近代日本建築史の通史では取り上げられることがありませんでした。また戦時体制下の建築として 意匠的に優れていても まるごと否定されてきました。

侵略地神社建築は、ひとつも現存しておらず、わずかな資料しか残っていませんが、ここに一条の光をあてたことは原田多加司さんの優れた業績だと思います。

学園祭・研究発表

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弊社社長が研究生となつている某大学学園祭に行き、研究発表を見てきました。研究テーマは数年に渡って別なものを探求していますが、学園祭の為の調査・研究は、毎年異なり今年は「災害時における生活用水の衛生」でした。

今年も大きな地震が多かったし、大雨や台風被害も多い年でした。

過去の地震災害時において飲料水は応急的に行き届くが、トイレ・洗濯・入浴等の生活用水の確保が中々難しいらしい。又河川や沼などの水を利用しようとしても その衛生状態は問題があるらしく、身近なものや市販されている浄水器で、入浴後の風呂の水・池や河川の水が、どの程度濾過することができるかという実験です。

この内容は、いずれ別な機会に詳しく発表することがあるかもしれません。

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避難所に指定された体育館などでは、実は防災施設としての整備は不充分であることから、既存の避難施設に指定された体育館に防災施設を付与したものを造ろうという提案で図面を書きました。

「建築×衛生」の初コラボレーション提案です。

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実に30年ぶりぐらいで、自分で模型のようなものを造りました。説明用の簡単な模型ですが、こういう展示会では模型は訴求力があるらしく、パネルよりは模型を見る人が多かったらしいです。

一晩で作って 少しは報われた気がします。

しかし 女子大の二十歳前後の女子達の話声は、騒音にしか感じられない爺(じじい)になってしまいました。学園祭から帰ってきてからどっと疲れて寝てしまいました。

「人生フルーツ」

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日本のモダニズム建築の巨匠アントニン・レーモンドに師事した建築家の津端修一さんと妻・英子さんの、丁寧な暮らしを映したドキュメンタリー「人生フルーツ」の公開が2017年1月2日に決定し、樹木希林がナレーションを務める予告編が公開された。

敗戦から高度経済成長期を経て、現在を信念を持って丁寧に生きる90歳と87歳の建築家老夫婦の暮らしぶりを映し出している。
愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンの一隅。かつて日本住宅公団のエースだった津端さんは、阿佐ヶ谷住宅や多摩平団地などの都市計画に携わってきた。

1960年代、風の通り道となる雑木林を残し、自然との共生を目指したニュータウンを計画。しかし、当時の日本は高度経済成長期。結局、完成したニュータウンは理想とは程遠い無機質な大規模団地だった。

津端さんは、それまでの仕事から次第に距離を置き、そして70年、自ら手がけたニュータウンに土地を買い、家を建て、雑木林を育て、ふたりは、ゆっくりと50年の時を生きてきた。

映画「人生フルーツ」は、2017年1月2日から、ポレポレ東中野(東京)で公開される。

「建築の保存デザイン~豊かに使い続けるための理念と実践」田原幸夫著

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現在、京都工芸繊維大学大学院特任教授の田原幸夫さんが、2003年に書かれた本・学芸出版社から発行された本です。

田原さんは、日本設計で歴史的建造物の保存活用設計に携わった後、2003年JR東日本建築設計事務所に移籍して丸の内駅舎プロジェクトを担当されました。

この本は、季刊「ディテール」(彰国社)に連載されていた原稿をもとに全面的に書き直したものと書かれています。

歴史的建造物の保存デザインについて「修復の手法」「置換の手法」「付加の手法」「新たな手法」の四つに分類整理し、世界各地の事例をあげ説明を加えています。

出版から10数年経過していますが、全然内容が色あせていない本です。

『「保存」においても「復元」においても、決して歴史をごまかしてはならないのである。そして歴史を正しく表現するなかから、本物の環境が形成されてゆくのだと思う。そこにこそ「保存デザイン」の目指すべき原点があるる』という田原さんの指摘は、今とても重要な指摘だと思います。

この本は、田原さんがベルギーのルーヴァン・カトリック大学コンサーベーションセンターにベルギー政府給費生として留学されたからだと思いますが、ベルギーの保存デザインの事例が多く紹介されており、ベルギーで保存活用の建築物を見る場合の参考になります。

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私の学生時代、この建物は廃墟でした。
2002年6月、長い眠りから覚め、よみがえったのです。

礼法の宗家で有名な小笠原家第30代当主、小笠原長幹伯爵(旧小倉藩主)の本邸です。設計は、戦前最大の建築事務所と言われている曾根中條建 築事務所(明治41年~昭和12年)。昭和2年に竣工しました。

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2階VIPルーム

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2階個室

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2階個室

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階段

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1階ギャラリー・サロン

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病理医という仕事に学ぶ

病理医は、病理診断をする医師で基本的な仕事として「病理解剖(部検)」「組織診断(生研及び手術材料)」「細胞診断」があるそうです。

以下「日本病理学会」サイトからの引用です。

病理解剖は病院で不幸にして亡くなられた患者さんの死因、病態解析、治療効果などを検証し、今後の医療に生かすことを目的に行います。
組織診断は内視鏡医がみつけた病変部から採取(生検といいます)した、小さい組織片を顕微鏡でみて診断したり、手術して切除された検体から臨床診断を確認したり、どの程度病気が進展しているかなどを検証する作業を行うことです。手術中の短時間に病理診断を下して、手術方針を決めるのに役立つ「術中迅速診断」も病理医の重要な業務です。
細胞診断は婦人科医が子宮粘膜表面から細胞を採取したり、外科医が乳腺など体表に近い病変部から注射器で針を刺して細胞を採取して検査することです。細胞診断は細胞検査士という日本臨床細胞学会が認定した資格をもつ専門技師と共同で診断します。病理医は病理診断に迷うこともあります。その時はこれが自分や自分の家族だったらどう診断するかと思いをめぐらせることで、答えが自ずと見えてくることがあります。もちろん、難解で自分の手に負えないと思えば臓器別専門の病理医に標本を送ってアドバイスを請うことも少なくありません。これをコンサルテーションシステムとよび、日本病理学会の重要な業務の一つとなっています。
この3大業務以外にも臨床各科と合同で解剖例や手術例についてカンファレンスを行ったり、院内医療安全検討会のメンバーとなって病理の立場から意見を述べたりすることもあります。最近は主治医の立ち会いのもとで、病理医が患者さんに写真や図を示しながら病理診断の説明を行う病理外来を実施する施設も見られるようになってきました。また、蓄積された病理データを使って臨床研究も積極的に行っています。」
「病理医のつよみは、何と言っても、『病気の総合的判断が可能な医師である』点です。その理由として、全科の検体を扱っていること、剖検による全身の病態診断に慣れていること、病理総論的見方を訓練されているために全身の臓器に共通した病変の概念を理解していることなどがあげられます。言い換えれば、病気を正常からの逸脱の度合いという見方からとらえ、病気の本質的な部分を深く考えている医師が病理医と言えるでしょう。」
しかしその病理医も、まだ全国に2,232名(平成26年9 月現在)しか病理専門医がおらず、決して十分とは言えないそうです。
病理医は患者と直接対面する機会が少ないからでしょうか、以前はそういう専門医がいることを知りませんでした。私が大学病院で2回の整形外科の手術を受けたときも、徹底的な入院前検査、手術前検査を受けました。しかし教授回診、担当医師のみならず多くの整形外科チームの医師や内科医などの他、麻酔医師とは直接面談しましたが、病理医と接する機会はありませんでした。
病理医という専門医がいることを知ったのは、2006年に出版された海堂尊の「チームバチスタの栄光」という小説・映画からでした。
その中に鳴海涼基礎病理学教室助教授という病理医が出場します。桐生の義弟で考えも桐生と似通る部分もあり、かつて桐生とアメリカで外科医をしていたが、病理に興味を移し病理医に転進した人です。「ダブル・ステイン法」という術中診断法を確立させ、「診断と治療は分けるべき」という考えから、会議には参加しないが病理医ながらも桐生と切除範囲を決める形で手術に参加している人物として描かれています。
日本の建築界にも「建築病理学」の確立が必要だと固く信じている私としては病理学の手法は勉強になります。

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回廊~ロビー

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グランドサロン

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ラウンジ161031-040906_rラウンジの窓

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シガールーム

この建物の内部の最大の見せ場が、このイスラム風喫煙室の濃密華麗な装飾です。漆喰彫刻に彩色を施した壁面も、大理石の柱や床も、往時のままの美しさを誇っていると言われています。

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シガールームの天井

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腰壁

「建築武者修行~放課後のベルリン」光嶋裕介著

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思想家の内田樹さんの家を設計された光嶋裕介さんのザウアブルッフ・ハットン・アーキテクツ勤務時代のベルリンの街の様子、事務所の雰囲気、ドイツを始めとしたヨーロッパの建築について書かれた本です。

私にとってベルリンは見逃している都市のひとつで、グーグルマップに建築の位置をマークをしながら興味深く読みました。

ヨーロッパは保存・再生・病理学の元祖みたいなところです。

私も学生時代、カルロ・スカルパの建築に憧れました。スカルパの仕事は、ほとんど改修計画で新築はわずかでした。リノベーションの場合は 既存の建物があるわけですから新築より格段に制約が増えます。古びた建物を注意深く観察し、調査し、生かせるものは生かしながら死んだ空間は再生します。新築の場合の何倍もの労力と想像力を必要とします。

さてベルリンといえばライヒスターク(旧帝国議事堂)という歴史的建築物を新生ドイツの連邦議会として蘇らせています。フォスターのキューポラのデザインは「置換」のデザインの代表格といえます。

若い人の「建築旅の記録」を読むことはあまりないのですが、光嶋さんのチャレンジ精神、読書や芸術への造詣には多いに刺激を受けました。

小笠原伯爵邸 -1

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月に一度の一般公開日に予約をして行ってきました。

今までも見ておきたい思っていたのですが、二三か月前に予約しないとならないので、中々スケジュールが合わなくて来れませんでした。

この外観は、車中から ちらりと見たりしていました。

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エントランス

葡萄棚がデザインされた青空の透けるキャノピー

美しいですね

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シガールームの外観

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ガーデンテント・ガゼボ

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ルーフガーデンテント