秩父神社・神門
本殿・幣殿・拝殿からなる権現造り
建築法務/ 建築ストック再生・活用 /長寿命化/ 環境建築 / 建築設計監理 / ㈱寺田建築事務所・一級建築士事務所
最近は電気の供給がされていない既存建物の調査が多いので、ヘルメットに装着するLEDヘッドライトランプを新調した。
ヘッドライトとリアライトからなり、単三電池3本の白色LEDのもの。
LEDは、lm・ルーメン(光束)で表記されていて、今回は210lmのものにした。以前は100lmだったのだが屋内作業用としては少し暗かった。今回は屋内用としては丁度良いようにも思う。ルーメンは数値が高いほど良いかというとそうでもなく、要はヘッドライトを使う用途によると思う。
重量が軽い事も選択項目だと思う。
市街地で調査をすることが多いので、入手が容易な乾電池機種を使用することが多い。
ヘルメットに装着するクリップは別売り。
近年著作に触れることが多い、内田樹(たつる)さんの自宅・合気道道場・能楽堂など多様な機能を持っている建物「凱風館」を建てた時のことを建築主としての立場から書かれた本です。
内田さんが命名した建物名「凱風館」の「凱風」(がいふう)は、
詩経の「凱風自南 吹彼棘心」
「凱風南よりして彼の棘心(きょしん)を吹く」から取られたと書かれています。凱風は暖かい南風で、母親や教師の慈愛を表し、棘のある子を温かく見守るという意味です。名は体を表すというか、いい館名だと思います。
「道場が欲しい」から始まって、家を建てようと思った時に、初面識で雀卓を囲んだ若い建築家(まだ住宅を一から設計したことがない)・光島裕介さんに設計を依頼したくだりは感心しました。内田さんは、人を見る目があるというか、無謀というか・・・こんな建築主は、ほとんどいないだろうし。
私が、その仕事に触れたことがある人達が沢山出場します。
岐阜県中津川市加子母に本社がある中島工務店。左官職人の井上良夫さん。瓦師の山田脩ニさん。いい仕事っぷりです。
この本は、「凱風館」の建設の記録、内田さんの住まいに対する考え方の本でもありますが、やはり思想家・内田樹の書く本は違います。「能」「アジール(避難場所)」「逃れの町」「母港」「貨幣」「教育」に対する論が散りばめられています。
読み終わると爽快な気分になりました。
「空き家サミット2016」に参加してみました。
基調報告のひとつは、東京都計画調整担当課長から都内の空き家の状況が報告された。「平成25年時点の空き家は約82万戸、空き家率は平成10年からほぼ横ばいで、平成25年では11.1%」「内訳は、空き家のうち約60万戸は賃貸用であり、平成20年と比較して10万戸以上増加している」「長期不在・取り壊し予定の空き家は、平成20年比較して減少しているものの、約15万戸存在」「都内区市町村の空き家の実態調査は、まだ始まったところ」
もうひとつの基調報告は、「豊島区における空き家問題とその対策・活用」で現状は全国的な空き家問題である戸建て住宅の空き家問題とは少し異なる様相が見られる。「豊島区では世帯構成がファミリー世帯22.2%、単独世帯60.9%である」「住宅数は増加傾向だが56%が民営貸家(すなわち単身者アパート・マンション等)」「面積30㎡未満の物件が多く、増加している」
統計には表れていないかもしれないが外人向けシェアハウスも相当数増加していると個人的には思っています。
木密地区に住んでいて思う事を少し書いてみます。
この10年、豊島区東池袋地域は再開発が進み、長く住んでいた住民は流出。古い住宅や事業所跡地は、単身者アパート・マンションに建て替えられた。よって町会は再編成され子どもは減少。新しく建替えられたアパートのあおりを受け古くなった賃貸住宅には、外人入居者が増え、住民は治安の悪化を心配する。
結婚しても、低価格のファミリー向け賃貸住宅の供給は少なく、子育て世代への施策が充実していて物価等も安い北区等に転出する傾向があります。(例えば北区と千代田区は高3まで医療費無料・豊島区他は中3まで)
UR賃貸等の空き室傾向を見ていると豊島・文京・新宿などは空き室がほとんどありません。
豊島区は、単身者が歳を重ねても定着する傾向が見えてきた。その単身者の多くは非正規労働者で所得が少なく、人口が増加しても税収は減少し、豊島区は将来財政破綻の可能性があるという衝撃的な指摘で、以前NHKで特集されていました。
豊島区からの基調報告における「現時点における主な課題」についての私的意見
1、空き住戸、空き室は思いのほか見つからない
賃貸住宅は再転用されやすい。単身者用→外人用シェア・老人向け→貧困ビジネス等と意外と老朽化しても転用できる。しかもほとんどが正規の手続きを踏んでいない。
2、法令によつて利活用を断念
住宅以外の用途に転用しようとしても、従来からの住宅は違反建築・法不適合・検査済み無し・再建築不可(接道)であることが多く、前段階で活用不可となる事が多い。つまり計画の土俵にもあがらない物件が多い。
3、空き家オーナー・家族の合意形成が大事
相続の問題もあり「個人所有物件」の活用は予期しないことに直面することが多い。
4、貸したい人と借りたい人とのスピード感の違い
民間ベースでは、個別の需要が見込まれて経済的合理性を勘案して事業計画に着手するのでマッチングは中々難しい。
5、入居者の関心は家賃
豊島区は土地の実勢価格や評価額が高いので、民間ベースで再活用ビジネスを計画した場合は、中古リノベ―ションであつても家賃を安く供給するのは難しい。既存建物調査→耐震診断→耐震補強工事→その他リノベーション工事という正規の手順を踏んでいくとどうしても工事原価と営業経費が積み増しされます。
空き家は、昭和55年(1980年)以前の建物が多いので、耐震診断+耐震補強工事は不可欠となるのがほとんどだと思われます。
近接他区(板橋・練馬等)の方が有利になるケースが多い。又城南に比べると城北の所得水準は低いので購買層が限定されという傾向もみられます。
空き家の維持管理の問題と切り離し、都市のバランスのとれた成長と維持から空き家問題を考えると
ワンルームマンション規制の再検討。シェアハウスの規制。子育て世代向け施策の充実。公的住宅施策の作成が必要で、民間事業者を主体とした施策のスキームだけを考えても難しいのではないでしょうか。空き家という量はあっても、活用したいという潜在的需要が少ないところに色々なスキームを作ってみても、ビジネスにはなりづらいのではないかという感想を持ちました。
最近 歳を取ったせいか怒りっぽいというか挑発的な言い回しになる時がある。
都内の某区の省エネ審査担当者との会話
区「外皮計算の算定根拠となる図面を添付してください」
私「各室別・方角別に外皮計算をエクセルで作成し添付してありますが」
区「どこがどこの部分という色分けして外皮計算根拠がわかる。こちらがチェックしやすい図面を添付してもらっています」
私「平面図・立面図等の添付してある建築一般図で階高や辺長をチェックするのが審査ではないですか。図面に基づく算定根拠は添付してありますから、それでチェックしてください。」
区「算定根拠図がないとチェックできないでしょ」
私「添付した確認申請の図書である建築一般図で充分チェックできるでしょ」
区「皆さんに図面とは別に算定根拠がわかりやすい図を作ってもらっています」
私「何度もそちらの区に省エネ設置届を出していますが、別図を作成しろと言われたことはありません」
区「皆さんに作ってもらっているし、算定根拠図を作成してもらうのは区の方針です」
提出してあるのは2階建て500㎡あまりの建物だが、屋根形状と外皮形状からモデル建物法はそぐわないと思い、標準入力法で設置届を提出してあった。区に提出(受付)してから18日目になって電話がきた。18日経過しても全部の内容は見てないらしい。
私「今年4月に、そちらに別件の省エネ設置届(標準入力法)で提出したときも別図を作成しないさいとは言われませんでしたよ」
区「誰が担当でしたか」
私「え~っと。Aさんです」
区「わかりました。このままの書類でチェックして質疑書を出します。少し時間がかかります」
私「もうすぐ21日経過するので工事着工が伸びてしまいます」
区「受付してあるから工事着工は構いません」
工事着工の21日前に省エネ設置届を出すというのは、要は書類上の形式的儀式なのですね。
以上の会話 音声にすると結構 お互いにエスカレートした口調なのです。
平成26年3月に文科省が取りまとめた「災害に強い学校施設の在り方について~津波対策及び避難所としての防災機能の強化~」を読んでみました。
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東日本大震災では、学校施設は子供たちや地域住民の緊急避難場所又は避難所としての役割を果たしましたが、その中で発災直後から教育活動再開までの間において防災機能に関する様々な課題が顕在化しました。
災害対策基本法の改正(平成25年)において,緊急避難場所と避難所が明確に区別されました。
緊急避難場所:切迫した災害の危険から逃れるための避難場所
避難所:避難者が一定期間滞在し,その生活環境を確保するための施設
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文部科学省では,「学校施設の在り方に関する調査研究協力者会議」の下に「災害に強い学校施設づくり検討部会」(部会長:長澤悟 東洋大学理工学部教授)を設置し,学校施設の津波対策と避難所となる学校施設の在り方について検討を行い,報告書として取りまとめたとあります。
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「避難所となった学校施設の利用状況と課題」として、文科省の調査から避難所として利用された施設は「体育館」(70.1%)、「普通教室」(34.9%)、「特別教室」(33.3%)となり、やはり体育館の利用が多かったようです。
次に施設・設備に関しては「トイレ」(74.7%)、「暖房設備」(70.3%)、「給水・上水設備」(66.7%)、「通信設備」(57.5%)、「電力供給設備」(45.0%)、「備蓄倉庫等」(35.2%)、「放送設備」(32.8%)、「避難者の避難スペース」(32.6%)等が指摘されています。
避難所として指定されていても学校施設の防災機能の整備が遅れている現状が浮き彫りされ、それぞれの課題が指摘されています。避難所の指定と防災機能の実態が必ずしも整合していませんが、文科省が平成24年度に「防災機能強化事業」を新設して防災機能の整備に財政支援をし始めたので、徐々に整備が進んでいます。
また、「地域の避難所となる学校施設の在り方」について、災害発生から避難所の解消までの期間を4つの段階に区分し、必要な機能を整理していて参考になります。
日本全国、何時どこで災害が起きるかわかりません。学校施設を含めた避難所の防災設備の整備は、喫緊の課題であると思いました。
株式会社ERIアカデミーは、株式会社建築技術とのコラボレーションにより、建築技術者を対象とした住宅・建築物の省エネを学ぶeラーニング講座“eri-college”を10月1日から開設しました。
株式会社ERIアカデミーのサイトには「開設目的」について、以下のように書いています。
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「1. 開設の目的
建築物省エネ法(建築物のエネルギー消費性能の向上に関する法律)に基づく省エネ性能表示努力義務が始まり、大規模非住宅建築物の省エネ基準適合義務化を控えるなど、住宅・建築物の設計者や技術者にとって、省エネ性能に係る知見が重要になってきています。
当該分野に関する情報提供の要請が急増していることなどから、設計者や技術者を対象にした専門家による住宅・建築物の省エネに関するeラーニング講座を開設することといたしました。」
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2020年までには、省エネ基準への適合が義務化され、また標準的な新築住宅がZEH化されるなど、建築・住宅の省エネ性能向上に向けて事業環境が急速に変化しつつあります。省エネは、これからの設計者にとって必須の知識になろうとしています。
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早速 開講されている4つの講座の内、2つの講座を聞いてみました。1講座16分ぐらいで無料で聞けます。グルーバルな視点から語られているのが特徴で、実務に漬かっていると 時々 こうしたグローバルな視点の話を聞くと新鮮です。
歴史的建築物の調査をしているうちに、明治・大正時代の塗装に興味が湧いて読んで見た。
この本では「建築塗装文化史」として塗装の起源から古代、西洋塗料の伝来、明治から昭和までの建築や構造物と塗装、塗装業界、塗装技術について書かれている。
塗装の歴史について、まとまつて本を読んだのは初めてだったので「目からうろこ」の部分も多々あった。
我国では西洋からの輸入塗料を用いた塗装工事が幕末から明治の初めにかけて開始され、塗装工事業が先に確立した。国産塗料製造が本格化するのは大正時代に入ってからだそうだ。
安政6年(1859年)に開港した横浜、長崎、函館、その後開港した神戸、大阪、東京、新潟に進出した外国商社は200社から250社といわれ、なかでも横浜はその60%が進出して活況を呈していた。
明治26年刊「横濱貿易捷径」では塗料を扱っていたと思われる商館は14社、その他「横浜商人録」(神奈川県立金沢文庫蔵)には、4人の邦人ペイント商が記載されているとある。
「明治村における塗装」の章では、塗装資料の検証に役立つ貴重な建物が保存展示されているとあり「三重県庁舎」の油性塗料を用いて高価な木材種の木目を描く「木目塗装」。「鉄道寮新橋工場」の移築前の鋳鉄柱、外壁鉄板、サッシュ等のすべての塗料はイギリスから輸入され、イギリス技術者の指導の下に建設されたとある。もつとも現存建物は近代塗料に塗り替えられている。
歴史的建築物の下地から現れる塗料の被膜。それは輸入品か国内品か、一体どんな塗料で、最初の色は何なのか。ミステリアスな世界が待ち受けている。
妻が買ってきた「Pen」の最新号。
中々 刺激的な建物が掲載されている。
巻頭写真は、ドレル・ゴットメ・田根/アーキテクツ(DGT.)の「エストニア国立博物館」。場所の記憶。滑走路から未来への飛翔。
パラパラとページをめくっていて見てみたいと思った建物は、
ひとつは、藤森照信さんの岐阜県「多治見市モザイクタイルミュージアム」
これは、近々 岐阜県に行く予定があるので是非立ち寄ってみたいと思った。
http://www.mosaictile-museum.jp/
そして フランクゲーリーの「フォンダシオン ルイヴィトン」。
パリ西部ブローニュの森にあるアクリマタシオン公園に2014年に完成した。
写真は、フランク・ゲーリーのオリジナルの外観。
現在は、ガラスの帆に13色のフィルターと白いテープがダニエル・ビュレンによって加えられ「光の観測所」というアート作品になっている。
2009年に日本建築学会論文賞を受賞された、現名古屋大学教授である西澤泰彦さんの本です。戦前、日本帝国の拡大・侵略・統治とともに東アジアに広がった植民地(朝鮮・中国・台湾)には、日本の近代建築から忘れ去られた建築群がありました。
西澤さんは、建築が植民地支配に果たした役割を余すところなく描き出すとともに、近代日本建築史の欠落を埋め、初めて本格的な歴史的評価を示した人です。
この本では、台湾総督府・朝鮮総督府・関東都督府・満鉄・満洲国政府の建築組織とそれぞれのネットワークを明らかにしています。
また植民地建築を支えた建築材料~煉瓦・セメント・鉄に焦点をあて、これら材料の確保の実情を明らかにしています。植民地経済の実態に迫るもので非常に興味深い論考でした。
台湾では、1900年(明治33年)の「台湾家屋建築規則」、「台湾家屋建築規則施行規則」が本土と比べても早く法制化されていますが、それは都市化が急速に進んだという事を示しています。
台湾では、本土より早く普及した鉄筋コンクリート造の建物が普及し、建築後10年程経過して柱、梁の亀裂が入りコンクリートの剥離や脱落が見られるようになり、台湾総督府の栗山技師が調査・研究にあたったと書かれています。その結果を1933年1月刊行の「台湾建築会誌」に「鉄筋コンクリート内の鉄筋の腐食とその実例」という論文にしたと紹介されています。それが日本国内でも注目を集め、台湾で起きた問題は日本国内でも将来起こりえる問題として捉えられ、1936年8月には当時の鉄筋コンクリート造構造の権威であった東京帝国大学教授の濱田稔と日本大学教授の小野薫が台湾を訪問し、被害実態の把握と原因の考究をしたとし、その内容を紹介されていますが、現在につながる鉄筋コンクリートの耐久性の問題は、とても面白かったです。
台湾でいち早く普及した鉄筋コンクリート造は、問題が表出するのも早く、台湾総督府の技師たちは対応策も考えられたにもかかわらず、その蓄積された技術が十分に日本国内の建築技術には生かされなかったようです。
西澤さんは「建築はもっとも雄弁に時代を語る存在である」という村松貞次郎さんの言葉を掲げています。建築を語ることは、その時代を語ることであり、歴史を語ることにつながるという視点はとても大事だと思いました。
2016年1月に市ヶ谷出版から発行された本です。
「これからは既存の建物に手をかけることが主役」という時代認識のもと、建築再生という新分野の課題や実務上の展開の方法を体系的に捉えることを全面的に支えようという意図で編まれたものと書かれています。
大学等の教育機関での「建築再生」の教育方法は、未だ手探りであり、全国的みても「建築再生」の講座がある大学はないのではないかと思います。
個人的には大学等を卒業して一定の実務経験を経た人を対象として「建築再生学」を学ぶ場所を提供した方が良いのではないかと考えています。建築再生のカリキュラムを考えたとき、各個別の項目である建物診断、構造、劣化、設備、外装、内装、法的知識等は何れも基礎的知識がありその上で個別の対応が必要になります。すなわち応用が必要となります。
私の場合は、建築基準法等の法的アプローチで「建築再生」に関わってきましたが、例えばコンバージョンの場合、現在の用途と変更後の用途の、独自の法チェックリストを作成して計画段階から問題点を整理したり、検査済み証が無い場合の手続きを担当し、そこから建物診断や耐震診断・耐震補強業務に関わってきました。
ついこないだまでは、黒子の業務が多く「図面を書かない設計事務所」と言っていたのですが、最近はデザイナーとのコラボレーションのケースや実施図面まで全て依頼されるケースも増えてきました。又歴史的建築物の業務比重も増えてきています。
「建築再生学」を進めていくうえで「建築病理学」も体系的に整理していく必要があると思います。
いずれにしても この本は「建築再生学」を体系的にまとめてあり、「建築再生学」の教科書として利用できる わかりやすい本になっています。
雑誌等に紹介されているリノベーションの事例には、コンクリート躯体を剥き出しにしたスケルトンのものや、既存の断熱材や断熱効果のある天井を撤去してしまったものが散見される。断熱改修どころか、既存建物より断熱性能が低下しているような断熱改悪のような事例もある。
省エネ法では、用途変更(コンバージョン)でも、省エネ法の届出が必要な場合がある。第一種特定建築物(2000㎡以上)の場合で、それ以下の面積や別紙の要件に該当しているものでも意外と省エネ届出は作成提出されていない。なかには、検討して断熱性能指標(PAl*)や一次消費エネルギーが未達成で、断熱材の変更が必要だと告げると工事費が嵩むからと「省エネ届出」そのものを提出しない人もいる。
「届出対象となる特定建築物の修繕・模様替・設備改修の規模一覧表」(横浜市)
弊社が最近関わったプロジェクトで、廃校となった小学校を用途変更して展示場等にする計画の省エネ検討を紹介する。
省エネ3地域で、木造平屋の一般校舎とRC造2階建ての特別教室等部分により構成されている延床面積1800㎡、築23年の比較的新しい既存建築物である。
プロジェクトは基本計画段階の為、今後実施設計に移行した際、内部の平面計画や天井高さ等が変更になる可能性があるため、現存する既存設計図書に基づき、外皮性能指標(PAL*)を算出し、その上でH28省エネ基準に適合するよう外皮性能指標(PAL*)を算出する省エネ改修計画を立てた。
リノベーション時の断熱改修は、施工性や経済性を勘案する他、大規模模様替えに該当しないように法規上の問題も検討しておく必要がある。
既存建物は、木造平屋の一般校舎とRC造2階建ての特別教室等部分に構造的に分かれている為に、外皮性能指標(PAL*)は、別個に計算した。下記に既存建物(学校)及び断熱改修前(展示場)、断熱改修後(展示場)の外皮性能指標(PAL*)を示す。
以上の検証により、既存建物(学校)の木造部分は達成していたが、RC部分は未達成だった。展示場に用途を変更して検証したところ、やはり同じように結果となった。そこで断熱改修は、屋内側からの施工に限定しシュミレーションしたところ、いずれも達成した。実施設計段階では、用途・内部間仕切り・天井高が変更になる可能性が高い為、計画段階では余裕のある断熱改修計画が望ましいと考えている。また今回の検証結果により工事費が嵩む開口部(サッシ・ガラス)の変更は必要ない事が事前に把握でき、コストコントロールに寄与できたと評価された。築年数が比較的新しく旧基準とはいえ一定の断熱材が施工されていたのが幸いし、比較的軽微な断熱改修計画になった。
尚、計画段階では一次消費エネルギーの検討は行っていない。又標準入力法により計算を行っている。
連続テレビ小説「とと姉ちゃん」花山伊佐次のモチーフである『「暮しの手帖」初代編集長・花森安治』(暮しの手帖別冊)を読みました。
「もう二度と戦争をおこさないために、『暮らし』を大切にする世の中にしたい」という思いで「暮らしの手帖」を創刊したという花森安治さん。
誌面の美しさと、言論の自由のため、広告をいっさい載せないという唯一無二の雑誌。
衣食住をテーマに数々のヒットを飛ばした「カリスマ編集長」の軌跡を紹介しています。
実は、「暮しの手帖」も「花森安治」さんも「とと姉ちゃん」で初めて知りました。装丁や誌面デザインがとても美しいですね。大胆な余白と書き文字で、ひとめ見ただけでわかる誌面が心に焼き付きます。
「わたしたちの夢の住まい」
終戦後、都市に住む人のほとんどが戦火で家を失い、粗末なバラック等に住んでいました。焼かれた街になにもなかつたように、家の中にも何もありませんでした。
ないなら作ろ。
それが住まいの記事の始まりだったと書かれています。
1952年掲載された「小さいけれどうれしいわが家・三帖ひと間の家」には、住み手の喜びが溢れた写真が掲載されています。終戦の翌年、中国の奥地から引き揚げてきた女性は、兄の家に身を寄せていたが、間借りをしているのが心苦しく、3帖ひと間にベッド・収納・トイレ・流しのついた7帖・2坪あまりの住まいを建てられました。工事費は8万かかったそうです。
1954年に掲載された「たまのお客より家族の暮らし・六角形の家」は、奇をてらって六角形にしたのではなく、外壁の面積が減り、材料や工費、暖房費を減らせ室内を広く使え地震に強いと言う理由からだそうですが、階段を中心に展開する二階建ての住まいは、とても使い易そうで感心しました。
アドバイスをしていたのが大成建設でホテルニューオオタニ等の設計を手掛けられた建築家の清水一さんと知り、あ~そうだったんだと頷きました。若いころ清水一さんの書かれ本を幾つか読んだことがあります。専門家向けの本ではなく一般の方や若い学徒のために書かれたエッセイ集のような本でしたが、人に向けるまなざしが優しい人だという記憶が残っています。
「暮しの手帖」は、こうした家の実例を数多く紹介し、暮らし方を含めて提案したそうですので、是非バックナンバーを読んでみたいと思っています。現在の建築基準法の成立時期の庶民の住まいは、どんなものだったのか興味深々です。
妻が美容院でながめていて、よく読みたいとあとから買ってきた雑誌。
「絶景・自然」「建築・デザイン」「ホスピタリティ」「美食」のテーマで「奇跡のホテル」を紹介している。ちょっとやそっとで行けないホテルがほとんどであり、永遠にいけないかもしれないが、ここには至極のホテルが紹介されている。
興味深かったのは、イタリア・バジリカータ州・マテーラの洞窟住居を、現代的にリノベーションした「バジリアーニ・ホテル」
1993年に世界遺産に登録された「マテーラの洞窟住居と岩窟教会公園」の洞窟住居の一角を宿泊施設にリノベーションしてできた全11室のホテル。
ホテルのオーナーは、建築家のジュゼッペ・スターニョ。
一人の建築家が遺産を買い取り、ホテルという体験できる場所を伝えてくれたことに敬意を表したい。
1938年、アドルフ・ヒトラーの指揮の下、第三帝国へと都市計画の進むベルリン。若き日の谷口吉郎さんは、日本大使館の改築監督のため赴任しました。ナチスによって大規模な反ユダヤ攻撃がドイツ各地で起きたいわゆる「水晶の夜」に「うすら寒く、鉛色の空」のベルリンに到着します。それからナチスのポーランド侵攻、独ソ不可侵条約締結の4日後に陸路ノルウェーへ出国、日本へ向かう船で英仏の対独宣戦布告の報を聞くまでの1年弱の激動する政治社会情勢のもとで欧州の建築、人々の暮らしが描かれています。