「台湾路地裏名建築さんぽ」鄭開翔著

毎日寝る頃少しずつ読んでいた。

帯びに「読んで旅するノスタルジックな台湾ガイド」とあるように、鄭さんの絵をながめ文を読んでいると、台湾の街なかを歩いているような気がしてくる。

鄭さんは台湾の画家・スケッチ画家とあるが、30歳代の若き芸術家。台湾の中にある建物「街屋」文化を記録している。台湾の「生活感」から生まれる「個性」は実に多様だ。それが台湾の魅力の一つにつながっている。

その個性の主体は、人であり、多くは個人経営・家族経営から成り立っている。言い換えれば小規模零細企業が活き活きとしているから街が賑わうのではないだろうか。

現代日本とは真逆だからこそ、余計台湾に魅力を感じるのかもしれない。

著者はロダンの言葉を引用している。

「この世界には美しいものが足りないわけではない。足りないのは発見だ」

今夜も この本を片手に旅に出よう。



「いま、台湾で隠居しています」大原扁理著

最近、ファミリーが集まると必ず語られるのは、「どこか旅行行きたい」「コロナが納まったら温泉行きたい」「いつになったら海外行けるかなぁ~」という事。大夫自粛に疲れてきました。

私は、解禁後の最初の海外渡航先は台湾とひそかに決めているので、本やユーチューブで事前調査という名の現実逃避を夜な夜なしております。台湾華語の練習も始めました。

そうした中で見つけた本がこれ「いま、台湾で隠居しています」大原扁理著・k&Bパブリッシャーズ発行。

てっきり高齢者・私と同じような爺さんが書いた本だとばかり思っていたら、なんとまあ著者は35歳。「ゆるゆるマイノリティライフ」と副題にあるように、この若者は今の日本では生きづらかっただろうな、台湾という居場所を見つけられて良かった。

一般的な観光ガイドブックとは異なり、著者が自分の足で歩き回り、探して、出会った「素の台湾」が書かれています。

台湾は「どんな人も居ていい存在」「人間がまだちゃんと人間である」ところ。

マイノリティには息苦しい国・日本。マイノリティやオタクが歴史を作り変えてきたのに そうした人は日本に見切りをつけていく。

爺も台湾に移住したい。

台湾・蔡総統、「最近買った一冊」投稿呼び掛け

台湾の蔡総統が、「最近買った一冊」を投稿呼び掛け 台湾の出版業界を応援している

https://japan.cna.com.tw/news/asoc/202101270005.aspx

蔡総統は1月26日「最近購入した一冊」を投稿する企画を立ち上げ「台湾の出版業界を応援しよう」と呼び掛けた。同日、台北国際ブックフェア開幕が予定されていたがコロナの感染拡大を受けて対面型イベントが中止された事をうけての呼びかけ。

そこで、私が最近買った一冊。実は、まだ読んでいないが・・

日本の出版界と本屋さんを応援したい。

「移民・難民・避難民、コロナ禍による世界喪失の世紀に、
古代と20世紀の経験から光を当てる「ノスタルジー」と「故郷」の哲学

帰郷の後すぐ再び旅に出たギリシアの英雄オデュッセウス、ギリシア語を捨ててラテン語を話しローマの元になる都市を建立したアエネアス、アメリカ亡命後も母語ドイツ語に拘り続けたユダヤ人哲学者アーレント。
自分の故郷を離れ、自分の言葉を忘れざるを得なかった人々の抱く「ノスタルジー」とは。

人はいつ、「我が家」にいると感じるのか?
アカデミー・フランセーズ新会員、現代フランスを代表する女性哲学者の傑作、待望の日本語訳!」花伝社サイトより。

「オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る」オードリー・タン著

2021年 最初に読み終わったのは、「オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る」世界初のオードリー・タン自著。

実は購入したのは妻(パートナー)で、年末に買ったものらしい。我が家には買った人が読み終わる前に、その本を他のものが読まないと言う不文律があるのだが、つい目にして何頁か読み始めたら止まらなくなり、結局最後まで読み切ってしまったのだが、途中で先に読んでいるのがバレてしまい。同じ本をアマゾンで注文した。

私は、読んだ本には付箋紙だらけにするし、気になるところは赤鉛筆で線を引いたり、丸で囲ったりと結構本を汚すので、妻には嫌われている。

ところで この本 刺激的な内容に満ちている。

驚いたのは、台湾はなんとも民主的で、デジタル技術が社会や政治について考えるツールとして活用されている事。帯にもあるように「テクノロジーを活用した新しい政治、経済、ライフスタイルの時代が始まっている」というのが理解できた。

それにしても2020年は、自分の子供達の世代=30歳代の人達の本に、強く共感し刺激をうけた。このオードリー・タン氏は今年40歳。『人新世の「資本論」』の斎藤幸平氏は、今年34歳。

台湾では「青銀共創」(せいぎんきょうそう)という試みが盛んだそうで、青年(青)と年配者(銀)が共同でクリエイトしてイノベーションをおこなう。若者と年配者はそれぞれ異なる角度からの見方を持っているが、それらを結合させていくと新しいイノベーションが生まれるのだと書かれている。

【オードリー・タンが伝えたいメッセージ】

・人間がAIに使われるという心配は杞憂にすぎない

・AIと人間の関係は、ドラえもんとのび太のようなもの

・デジタルが高齢者に使いにくいものであれば、改良すればいい

・デジタル技術は「誰でも使える」ことが重要

・デジタルは多くの人々が一緒に社会や政治のことを考えるツール

・インクルージョンや寛容の精神は、イノベーションの基礎となる。

・様々な学習ツールを利用して学ぶ生涯学習が重要になる

・テクノロジーで解決できない問題に対処するために美意識を養う。

「日本植民地建築論」西澤泰彦著

2020年最後に読み終えたのが「日本植民地建築論」西澤泰彦著。帯あるように、2009年、日本建築学会賞論文賞を受賞した研究書。

日本近代建築史の空白部分と言われていた日本帝国の植民地支配により生まれた近代建築を体系的に展望し、各地域における建築史的位置づけの基礎データが提供されている。また建築が植民地支配に果たした役割を余す所なく描き出しており日本近代建築史の巨大な欠落を埋め、初めて本格的な歴史的評価を示した労作。

西澤さんの研究視点は、建築活動や建築物の特徴を明確にするために、少なくとも建築計画・用途・機能、建築構造・材料・技術、建築様式・意匠という建築の基本的要素である「用・強・美」に依拠した複数の視点を立てている。それが他の建築史研究者とは異なり建築史に重層的な深みを与えてくれる。

日本の近代建築法制の研究分野でも欠落していた、あるいは意図的に無視されていた植民地の建築規制、台湾・朝鮮・満洲等の建築法制について植民地の建築活動の中で詳細に記載されている。

以前、西澤さんの「日本の植民地建築~帝国に築かれたネットワーク」を読んだが、この「日本植民地建築論」は、それより1年ほど前に出版された論文賞対象となった本で、より詳細なデーターが記載されている。

https://taf2012.sakura.ne.jp/wp/?p=6436

2020年新型コロナウイルス感染により晴耕雨読の日々が増え、「建築法制と衛生」という視点で本を読むことが多かった。最近は台湾の建築法制を主に勉強していた。台湾では1900年(明治33年)の「台湾家屋建築規則」、「台湾家屋建築規則施行規則」が本土と比べても早く法制化されている。建築物の耐火・不燃化と建築の衛生水準の確保という二つの命題を統一した総合的な法令で、日本国内の各種法令に先んじて格段に整備された法令だった。

台湾に防疫や衛生管理を根付かせて伝染病の撲滅に貢献したのは、日本統治時代の1898年に台湾総督府で民生長官を務めた医師出身の後藤新平だ。それから120年以上がたち日本は感染症の流行対策について台湾に学ばなければならない立場に逆転している。

「社会的共通資本」宇沢弘文著

Looking back on 2020

「2020年を振り返る」今年は、英語を使う事が多かった。喋ることは不得意だが、英文メールのやり取りで頭が活性化した。一般社団法人や特定非営利法人等の私企業ではないところとの仕事が多かったのも今年の特徴だ。複数の非営利的事業所が集まって一つの建物を建築するような仕事にも関わりを持つた。

2020年は新型コロナウイルスとの闘いに始まり、今まだ感染拡大の只中で2021年を迎えようとしている。「私・共・公」について考え、コモンを強く意識した一年だった。

そうした中で思い出したのが、宇沢弘文さんの「社会的共通資本」という20年以上前の岩波新書。宇沢さんの晩年・72歳のときの啓蒙書を再読した。

宇沢さんは「社会的共通資本」を次のように定義している。

「社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する」

宇沢さんは社会的共通資本の重要な構成要素として

(1)自然環境(大気、森林、河川、土壌等)

(2)社会的インフラストラクチャー(道路、交通機関、上下水道、電力・ガス等ど)

(3)制度資本(教育、医療、司法、金融等)-を挙げている。

市場経済(資本主義社会)は「市場」の領域と「非市場」の領域で成り立っている。ところが、主流派経済学(新古典派経済学)はもっぱら「市場」領域のみを分析の対象とし、市場システムの正当性ばかりを強調しがちだ。主流派経済学が新自由主義、市場原理主義の色彩を強めたのも、分析対象が市場の領域に偏りすぎていたことと無関係ではない。

宇沢さんによれば、市場経済制度がうまく機能するかどうかは、どのような社会的共通資本のネットワークのうえで市場が営まれているのかに左右される。市場経済は「市場」だけで成り立っているのではなく、「非市場」という土台を必要とする。そして、「非市場」領域の実態こそ、「社会的共通資本のネットワーク」なのであるとする。

この本を再読して色々と考えが拡がっている。

建築トラブルを避けるための本 -4

「四会連合協定 建築設計・監理等業務委託契約約款の解説」

2020年11月に出版された改正版

設計・監理契約に添付する約款の解説書。この契約約款、他の定型約款と同じように、契約締結時、受託者が詳しく説明すると聞いたことがないし、委託者も説明を聞いたことがないし内容もあまり見ていないと聞くことが多い。約款そのものが契約書に添付されていない事もある。

しかしトラブルが起きた時、この契約約款は威力を発揮する。とりわけ法律家は約款が好きだ。

誤解を恐れず書くと、約款とは両刃の刃みたいな文書。

この約款、改正民法を反映して今回改正された項目も多いので、実務者は一読しておく必要がある本だと思う。

建築トラブルを避けるための本 -3

「Q&A 建築訴訟の実務-改正債券法対応の最新プラクティス-」編集代表・岸日出夫、編集・古谷恭一郎、比嘉一美。新日本法規刊

この本は、ちょつとマニアチックな本。というのも元・現判事さん達が執筆した建築訴訟の実務書だから。しかも2020年3月初版の新しい本。

東京地裁と大阪地裁の建築事件集中部において蓄積された事件処理のノウハウを提供して建築関係の訴訟と調停の審理モデルを提言している。プラクティスというのは「手法」とでも訳したらよいのかな。

訴訟を提起する側の本ではなく、審理する側の本なのだが、これが結構役立つというか、面白い本。

2001年(平成13年)に東京地裁と大阪地裁の調停部が従来の建築調停事件のほか建築訴訟事件も取り扱うことになり建築事件集中部が発足した。専門的知見や独特のノウハウを要する建築訴訟は、知財訴訟や医療訴訟と並んで、訴訟追行と審理・判断に多大な手間暇がかかり審理期間が長くなりがちな訴訟類型と言われている。

東京・大阪という大きな地裁に建築専門部が出来たと言う事は、それだけ社会的に建築関係の訴訟が増えたことが背景のひとつだと思う。それから彼此20年間に蓄積されたノウハウが公開されている。

医療訴訟等の専門訴訟では 弁護士と医師・薬剤師・看護師等がチームを作って弁護団を形成していたが、建築関係訴訟も弁護士と建築実務者とのチーで対応することが増えつつあるように思える。まあ、どんな勝てるチームをつくれるかが、これからの課題でもある。専門訴訟は、弁護士なら誰でも良いわけでなく、それなりに経験も必要。依頼者が相談する弁護士を選択する目が大事だと思うのだが。

建築トラブルを避けるための本 -2

「新・建築家の法律学入門」大森文彦著、大成出版社刊

これは2012年11月初版の本で、著者は中央建設工事紛争審査会委員等数々の要職を務めておられる他、「四会連合協定建築設計・監理等業務委託契約約款の解説」の本も書かれている弁護士・一級建築士の大森文彦氏。

建築設計業務・工事監理業務の法的解析等、判例ケースが多く実務上でも大いに役立つ。

初心者向けとは言えないが、四会契約約款に関わった大森文彦弁護士の本なので、建築実務者が法律問題を深く理解できるように配慮されている。

さらに紛争解決システム、工事請負契約の概要、責任施工の法的解析の章もあり盛沢山の内容になっています。

日常的に頼りにしている本です。

建築トラブルを避けるための本 -1

建築実務者の人に是非読んでもらいたい一冊が「判例で学ぶ・建築トラブル完全対策」日経アーキテクチュア編・2017年4月初版

建築実務者にとって建築トラブルを避ける上で参考になる判例が提示されている。事件の概要と主な争点、裁判所の判断とそこから得られる教訓を弁護士が解説しており、色々な事件を網羅していて、しかもわかりやすいと文章だと思う。

日経アーキテクチュアに取り上げられて掲載された記事をまとめた本なので、社会的に話題になったトラブルが中心。

この中で紹介されている東日本大震災で東京町田市のショッピングセンターのスロープが崩壊し死傷者が出た刑事事件。2016年2月に東京地方裁判所立川支部で構造設計者に禁固8カ月、執行猶予2年の1審で有罪判決。2審で逆転無罪判決。

この事故で生じた損害を巡る民事訴訟の1審判決は、スロープ崩落原因は「設計3社の過失」として約7億円の賠償命令を下した。が係争はまだまだ長引きそうだ。

 民事訴訟の原告は店舗所有者の米コストコの日本法人と保険契約を締結していた欧米の保険会社2社で、請求総額は約12億5000万円に上った。

 被告側は、設計を統括し確認申請などを実施した意匠設計事務所、構造設計の再委託を受けた構造設計事務所A、そしてコストコ側から特命を受けて構造の変更設計を手掛けた構造設計事務所B、施工を元請けした大手建設会社だ。

尚、日経アーキテクチュア最新号 2020年11月12日号でも「特集 法令違反の代償」として特集を組んでいる。

【内容】
・法令違反の代償 それでも不正に手を染めますか?
・確認済み証偽造で損害2億円超 開き直る 「設計者」 に怒り心頭
・本誌が報じた建築界の不祥事 免震偽装に施工不備、噴出するコンプラ問題
・ベルヴィ香椎六番館 JR九州などが杭未達で謝罪 全戸買い取りなら約16億円
・パークシティLaLa横浜 建て替え関連費用509億円 施工者が責任の押し付け合い
・レオパレス21 118億円の債務超過に転落 「前言撤回」 連発で信用失墜
・不正の温床 「企業風土」 の変革を デジタル技術の活用も


現実のトラブルはドロドロしていて、しかも地味なので本には書けない事も多い。


週刊文春・WOMAN

妻(パートナー)から「この本面白いよ」と言われ読んでみたら、とても刺激的な内容で面白かった。若い女性の裸写真満載の近頃の週刊誌の類は買うことはないし、たまに手に取っても一部の記事を読む程度だったが、この週刊文春・WOMANは読みどころ満載だった。

ひとつは、台湾のデジタル担当大臣 オードリー・タン氏と音楽家の岡村靖幸氏との対談「幸福への道」。パートナーもこの記事を読みたくて買ったらしいが、オードリー・タン氏 性別は「無」。ジェンダーは男女だけではなく「両方」も存在しないと言う。さらに台湾はトランスカルチャーの国だと言う。日本も古代は、多種多様な文化を取り入れて受容するトランスカルチャーの国だったと思うが、現代では価値感が一元的になってる傾向が強く、日本にいると息苦しい。35歳のデジタル大臣を抜擢した台湾という国に、以前より増して関心を持った。

二つ目は、脳科学者の中野信子氏とエッセイストの内田也哉子氏との家族について考える対談。中野氏の「本当の自分なんてない」「私達はいろいろなペルソナ(人格)をバラバラに持っていて、そのバラバラな自分がモザイクのように融合して一つの形になっている。」「そのペルソナは学習して獲得している」この対談も刺激的だった。

三つ目は、作詞家の松本隆氏の「ずっと韓流ドラマが好きだった」。実は私も韓国映画、ドラマは若い時から大ファンで、特にイ・チャンドン監督の「オアシス」「ペパーミント・キャンディー」という名作を観てさらに好きになった。他の監督作品を観ても秀作が多く流石「演芸の国、演芸の民俗」だと感心していた。最近は「愛の不時着」「梨秦院クラス」で第三次韓流ブーム到来とも言われているが、とにかく監督・脚本家・俳優のレベルが高いし、層が厚い。

四つ目は、檀ふみ氏と高樹のぶ子氏との対談「今こそ伊勢物語を読むべき理由」。高樹のぶ子氏の「小説伊勢物語 業平」は現在も並行読みしている本。寝ながら読むにしては分厚く重たい本なので中々進まないが、著者の裏話がとても面白い。

五つ目は、プロデューサーの五箇きみたか氏とマンガ家の田中かつき氏とタレントの原田たいぞう氏の「コロナ時代もサウナでととのう」のサウナ談義。「ととのう」は「整う」「調う」、そして仏教用語の「斉う」で、これは薪を三つあわせて燃やす形から来ているとの事。ブッダも淋浴後、木の根元に座って悟りを得たとある。悟りを開くためにサウナに行かねばならぬ。

とにかく読みどころ満載。週刊文春・WOMAN  あっぱれ。

「小さな企業が生き残る」金谷勉著

以前、テレビ番組で知った町工場再生のパートナーである金谷勉さんの「小さな企業が生き残る」を、いろんな本と並行的に読んでいた。

「小さな会社でも”強み”は必ずある!!」というメッセージは、時々くじけそうになる心に勇気を与えてくれる。

今夏、弊社としては大きなプロジェクトのプロポーザルを逃し少し気落ちした。爺婆の小さな小舟で鯨を採りに行き手ぶらで帰ってきた焦燥感のようなものに一時期苛まれた。まあ結果として収穫もあったのだが・・・。

そういった反省もあり「爺婆でしかできない事」をしようと思った。その時、この本を思い出して読み、この本に書かれている処方箋を基に「自己分析」をすることができた。結果として「ソーシャルワーカー」になる「社会の為に働く」ということが、残された時間のテーマになりそうだ。

金谷さんが主宰するセメントプロデュースデザインのサイト「コトモノミチ」での紹介記事を転載しておく。

『弊社セメントプロデュースデザインは、広告やweb の制作を行うデザイン会社とし活動する中、各地域における町工場や職人との出会いの中で、小さな企業が直面する危機を見てきました。
その危機を脱するために自社の強みを生かしながら新たな商品作りの可能性を行い、アイデアとデザインと販売をサポートしながら、その企業の業績を上げ続けています。
「日本のモノづくりの課題を、互いに解決し合える方法はないだろうか」を常に考え、下請けの小さな町工場や職人でも、生き残る「手」を提案し続けています。
この本は、「生き残るための12の手」という実例 をテーマに、具体的な解決方法を踏まえ、「小さな企業が生き残る」術 をまとめています。日本の企業の約9割と言われる中小企業のための書籍です。』

「歴史人口学事始め・記録と記憶の90年」速水融著

著者の速水融先生は、2019年暮れに90歳で亡くなれたが、日本において歴史人口学を開拓し、宗門改帳を使った人口動態調査という数量資料を取り入れ、統計手法を通じて歴史的研究を行った先駆者です。この本は速水先生の自叙伝で、幼少期からの体験に始まり、戦中、戦後と、どのような時代背景の下で、どのようにして自己が形成されたのかが克明に記されている。最近は、この速水先生の本をまとめて読んでいたので、この本は先生の最後のメッセージとして受け止めた。

さて、歴史の事柄をあまり書いても、このサイトの読者には、あまり関心がないと思うので、「本の中の建築」について記しておく。「映画の中の建築」と別のカテゴリーが出来てしまった。

【現在の港区立高輪台小学校】

速水先生は、1929年(昭和4年)に東京で生まれ、1936年(昭和11年)芝区高輪台尋常小学校に入学された。この年、2.26事件が起こり時代はきな臭くなっていく。

この芝区高輪台尋常小学校は、現在の港区立高輪台小学校であり現存している。

校舎は、昭和10年に建てられた関東大震災の復興小学校で、いざというときの防災拠点として計画されたもののひとつ。東京都選定歴史的建造物に選定されている。築85年、都内で残り少なくなった戦前の建物のひとつです。

鉄筋コンクリート造一部鉄骨造、地下1階地上3階、延べ床面積6688.58㎡、屋内体育館、25mの屋外プールという新式の設備を持つ学校で、完成当時は東洋一の小学校と言われたそうです。当時周囲には高層ビルがなく、白亜の校舎はひときわ目立ち、校舎からは東京湾を間近に臨むことができたとか。

2005年(平成17年)に大規模改修工事が行われて、現在屋外プールの部分に校舎が増築工事中である。

【グーグルより】

1960年(昭和35年)前後には、児童数3000人以上が在籍した超過密校だったのが、増築が計画された2016年(平成28年)には525人、学級数16室。今後の見通しとして児童数が増加するとのことで普通教室4室を既存部分に確保し、増築部分には特別教室を整備すると港区の資料に書かれています。

この本の中で、1938年(昭和13年)10月に、ヒットラー・ユーゲント(1926年に設けられたナチス党内の青少年組織に端を発した学校外の放課後における地域の党青少年教化組織)数十人が高輪台小学校を訪れ、スマートな行進を見せ、素直に感心したと書かれています。作詞・北原白秋、作曲・高階哲夫「万歳ヒットラー・ユーゲント」を全員で歌って迎えたと。

一、 燦たり輝く ハーケン・クロイツ ようこそ遥々西なる盟友 いざ今見えん朝日に迎へて 我等ぞ東亜の青年日本 万歳ヒットラー・ユーゲント 万歳ナチス

二、 聴けわが歓呼を ハーケン・クロイツ 響けよその旗 この風この夏 防共ひとたび 君我誓はば 正大為すあり 世紀の進展 万歳ヒットラー・ユーゲント 万歳ナチス

三、 感謝す朗らに ハーケン・クロイツ 交驩かくあり 固有の伝統 相呼び應へて 文化に盡さん 我等が選士も 幸あれその旅 万歳ヒットラー・ユーゲント  万歳ナチス

四、 燦たり輝く ハーケン・クロイツ 勤労報国 またわが精神 いざ今究めよ  大和の山河を 卿等ぞ栄ある ゲルマン民族 万歳ヒットラー・ユーゲント 万歳ナチス

今思えば、すごい時代を生きてこられたのだなと思います。

「できそこないの男たち」福岡伸一著

この6月、段ボールにしまっていた本を全て出し、壁面いっぱいに並べた。

パートナーとは専門が違うので、それぞれの専門書は互いの部屋におき、それ以外の本はリビングの壁面に並べた書棚に展開された。大きくなってきた孫達が、本好きに育ってもらいたい、少しでも本に関心を持ってもらいたいと思ったから。

これまで随分と本を買い、処分し、概ね50年間に取捨選択され残った本。

 その中で私の目に留まった一冊の本が「できそこないの男たち」である。パートナーの本であり、今まで存在も知らなかった。

何しろ書名が刺激的だ。

 私の生物学の知識は、中高生レベルである。しかも分子生物学については、基礎的知識もない分野である。ゆえに読み終えるのに随分と時間が経つた。

 教科書は、事後的に知識や知見を整理し、そこに定義や意味を付与しているので、読み終わっても何の感慨も、興味も湧いてこない。福岡さんの本は、何故、其の時、そのような知識が求められたのかという切実さが科学史という時間軸の中で活き活きと記述されている。顕微鏡で精子を見たアントニー・ファン・レーウェンフック。Y染色体を発見したネッティー・マリア・スティーブンズ。性決定遺伝子をめぐるデイビド・ペイジ (David C. Page) とピーター・N・グッドフェロー (Peter Goodfellow) の研究の競争が記される。

 メスは太くて強い縦糸であり、オスはそのメスの系譜を時々橋渡しし、細い横糸を役割を果たす「使い走り」に過ぎない。男性は生命の基本仕様である女性を作り変えたものだから、ところどころに急場しのぎの不細工な仕上がり具合になっているところがある。胎児は、受精後7週目にあるスイッチがオンになり変態がはじまる(SRY遺伝子スイッチ)

 生命誕生から10億年経過した頃、大気に酸素が徐々に増え、気候と気温の変化がよりダイナミックになり、新しい形質を生み出すことができない種は全滅の危機にさらされた。メスたちはこのとき初めてオスを必要とすることになった。ママの遺伝子を他の誰かの娘のところへ運ぶ「使い走り」。現在全ての男が行っていることはこういうことなのである。アダムがイヴを作ったのではない、イヴがアダムを作り出したのである。自分たちのために。

 統計的に男より女のほうが長く生きる。いつの時代のどんな地域でも、あらゆる年齢層で常に男のほうが短命である。男を男たらしめるテストステロンは、全年齢において放出され続け、免疫系を傷つけ続ける。Y染色体という貧乏くじを引いたばかりに、生物の基本仕様である女の路線から外れ、使い走りにされた男たちはこのプロセスで負荷がかかり、男性の生物学的仕様に不整合を生じされられた。

 Y染色体からみて、日本人は単一民族ではない。出アフリカを果たした「C、D、F」系という三つのY染色体の系統が流れ流れて様々に分岐したあと、もう一度落ち合った特別な場所が日本列島である。日本列島は「人種のるつぼ」なのだ。

 社会経済構成体の運営をイブ達に返す時代が来たのかもしれない。少なくてもフィフティーフィフティーに。

目から鱗の本だった。

道の駅

地方に出かける機会があると、道の駅に立ち寄り新鮮な野菜を買ってくる事が多いが、道の駅も昔と違い 随分変化したなと思っていた。その変化の道程を知りたいなと思い「道の駅/地域産業振興と交流の拠点」関満博・酒本宏著、新評論刊を読み始めていた。

道の駅が、地域の経済・社会にとって、どういう意義を持つのか意識して書かれた本は少なく、今後の進化・変化の方向性を探る上で とても参考になった。

以前の道の駅は、やたらと軒下空間が広く、そこが農産物の直売スペースだった。建築確認申請は、外気に開放されたピロティで床面積非算入。実態は屋内的利用は恒常的で当然床面積に算入されるべきだったが、最近は農産物直売も室内になったものが多い。当然ながら道の駅のデザインも変化してきている。

ちょうど日事連10月号が届いたので見てみると特集が「地域を活気づける道の駅」だつた。最近の道の駅は複合的で大規模化している。それもそのはず 色々な機能が盛り込まれている。

道の駅は、当初は道路利用者のための「休憩機能」、道路利用者と地域の人々のための「情報発信機能」、道の駅を核とした地域の町どおしが連携する「地域の連携機能」の三つの機能が意識されていたが、やがて地域の農産物や加工品の直売といった「地域産業振興の機能」が加わり、さらに現在では「防災機能」も強く意識されている。

「地方創生・観光拠点」も結構だが、地方の人口減少・高齢化への対応といったことも差し迫っている課題だ。

「道の駅・ガイドブック」も手に入れたので、もう少し全国の色々な道の駅を見に行きたいと思っている。

「感染症の日本史」磯田道史著

2020年。人類は新型コロナウイルス感染症の危機に直面している。現在も様々な情報に翻弄されながらも生きている。生きていくうえで 社会生活を維持していくうえで、どのような知恵を働かせるか。見えないもの、滅多にやってこないパンデミックに対応するには、総合的な知性が必要だと著者は語る。「総合的知性」からの発想がいる問題には、長く、幅広く、時間軸で物事を捉える歴史学が最も威力を発揮すると。

興味深かったのは、1858年ペリー艦隊のコレラに感染した乗組員が寄港した長崎でコレラが発生、8月には江戸に感染が拡大し3万人とも26万人とも言われる死者が出た。その後3年にわたって流行した。開国がコレラの感染を拡大したとして攘夷思想が高まる一因となったこと。

また孝明天皇の攘夷の意志は、1862年(文久二年)の麻疹(はしか)流行が大きな影響を与えていること。孝明天皇は観念的なものではなく、感染症を媒介として「異国は日本を害する」という現実に根差した認識を反映しているという指摘は興味深かった。確かに「感染症」という物差しにより日本史を見てみると新しい視点が広がる。

「歴史は単なる過去の記録ではありません。日常生活で生かすことのできる教訓の宝庫です」

主に歴史学・経済学・建築学の本を並行して読んでいるが、歴史の本は一気に読める。今更ながら道を誤ったかなと思う今日この頃。

「科学でツッコむ日本の歴史~だから教科書にのらなかった」平林純

 著者曰く科学の視点で歴史を調べ上げズバッと斬った本。気楽に読めたが、後から考えると深い内容が散りばめられいる。

 日本では歴史は文系、科学は理系で選別され「別物」扱いされがちで、歴史=暗記だと勘違いされている。この科目別教育と若年のときから理系・文系コース分けの弊害は、今の日本に如実に表れているように思う。

 フィンランドは科目別教育を廃止し、領域横断型で現象やイベントを総合的に学ぶ教育システムを導入したと聞いた。見直しが始まつているところがあるのは興味深い。

「科学・・起きる現象には必ず理由があって、それを解き明かすことができる。」と著者が書く通り。全て科学で解明できるかどうかは一旦置いといて。

 最初に豊臣秀吉の「中国大お返し」を取り上げている。織田信長が本能寺で明智光秀に殺されたとき、秀吉は京都から200km以上離れた備中(現在の岡山市北区)にいた。「信長死す!」との知らせを聞いた秀吉は、毛利方と和解し京都に向かい山崎の決戦となる。

 秀吉軍2万人が一週間から10日ぐらいで移動する。これを伝説の「中国大返し」というのですが、よく考えると一日20kmから30kmの移動なので、1日8時間歩くとしても時速3km程度なので、普通に歩く程度。もっとも歴史の本によると備中高松城の陣から姫路までの移動は大変だったらしい。

 この本の著者が注目したのは「食料」。2万人が200km移動するのに必要なエネルギー、食糧を用意した石田三成の実務官僚としての能力の高さ。石田三成は若い時から兵站部門に能力を発揮していたらしい。石田三成再発見という気がした。

他にも考えることがあった。それは労働時間のことだけど、別の機会に書くとしよう。

「少年と犬」馳星周著

 直木賞を受賞した馳星周さんの「少年と犬」。出先の駅の本屋に平積みされていたので買って帰り、一気に読んでしまった。

 それなりに仕事に追われているのに・・・。

 一気読みした本は久しぶり、いつもは途中までしか読まなかったり、数ページずつしか読めない。大概は読んでいるうちに眠くなるから。でもこの本には引き込まれてしまった。読み進めると、ときおり以前飼っていた犬達のことが脳裏に浮かんでくる。ついつい「ありがとう」と呟いていた。

 さてこの本は、東日本大震災で被災し飼い主を亡くした犬・多聞(たもん)の数奇な運命をたどる物語。

 帯にも書かれているように「(犬は)人という愚かな種のために、神が遣わした贈り物」という著者の言葉に、うなずいてしまう。

人は「無償の愛」に包まれた時、しあわせを感じる。

 「犬を愛するすべての人に捧げる感涙作」といのは間違いなし。

「建築バイリンガルノート」堀池秀人著

かれこれ20年ぐらい前に買った本。その頃外資の仕事に関わっていて専門用語の英語表現を確認したくて買ったのだと思う。ところどころの単語に赤線が引いてある。

その頃と比べても グローバル化は進み、個人事務所の我社でも英語が必須な仕事に関わることが増えている。特に今年は多い。

この「建築バイリンガルノート」は、単なる建築系技術英単語辞書でないところが良い。4部構成になっており、「国境なき世界を横断する」というコラム集と3つのカテゴリーで分類した用語集からなる。3つのカテゴリーとは、企画から設計、工事といった実務の流れに沿った「建築のベーシックとしてのヴォキャブラリー」、文化施設や商業系、住宅系といった建物タイプごとの「形式の解体、そして再構築へ」、哲学や物理学、心理学といったイディオムにかかわる言葉を集めた「概念の構築」。実務用語の章では、海外の建築許可証の例や図面の種類について図入りで解説されているのがユニーク。

この本を書いた堀池秀人さんは 5年ほど前に65歳で亡くなられた。まだまだ活躍できたのに惜しい。

外資の仕事も 昔と比べると随分と楽になった。何しろ愛用するポケトークがあるし、幾つもの翻訳ソフトで表現を確認することができる。読み書きは。しかし相変わらず会話は、一向に進歩しない。活舌が悪いせいかポケトークでさえ正確に認識してくれない事がある。

まあ歳をとっても 英語に触れると頭が活性化するように思えるのはありがたい。

「記者失格」柳澤秀夫

NHKの「あさイチ」で一躍有名になり、その後NHKを退局し現在は各種テレビ番組でコメンテーターとして活躍されている柳澤秀夫さんの本。

戦争報道記者、癌との戦い、組織ジャーナリズムの矛盾が赤裸々に語られている。「へぇ そうだったんだ」と今になって知ることが多かった。

「第5章 現実は、ひとことではくくれない」に書かれていた「0か、1かのデジタル思考は、グラデーションを捨象する。だけど、ものごとの本質は、アナログ的なグラデーションのなかにこそあるのではないのだろうか」 に強く同感した。

「キャッチ商法化するメディア」での「人間は、頭で考えるより先に、単純化されたものや扇情的なものに感性で飛びつく。テレビはもともと、見てもらってなんぼのものだ。キャッチすることは必要だと思う。だけど、キャッチすることばかりに長けて、店の暖簾をくぐらせてたあとに食べさせるものがまずいのでは仕方ない。」

「ジャーナリズムの元々の意味は日記であり、記録だ。記録するものは事実でなければならない」「あくまでもファクト、事実を丁寧に積み重ねる。対象に近づかなければ事実はなかなか見えてこない。だからこそ、何があっても現場に行かなければいけない。それが我々の仕事だ。」生涯、記者としてあり続けようとする柳澤さんの思いが伝わってくる。

今、メディアだけでなく日本全体が「キャッチ商法化」している。この本を読んでそう思った。

『あわいの力・「心の時代」の次を生きる』安田登

能の主人公の「シテ」に対して「ワキ」はワキ役ではなく「横(の部部)」を指すそうです。着物の脇の縫い目の部分を「ワキ」と言い、着物の前の部分と後ろの部分を「分ける」からで、古語でいえば「分く」その運用形が「ワキ」。体の横で前と後ろを「分ける」と同時に、前と後ろをつなぐ「媒介」にもなっている。この「媒介」という意味をあらわす古語が「あわい・あはひ(間)」と書かれています。

世阿弥は「心(しん)より心(しん)に伝ふる花」という言葉を残しています。能という芸能を端的に表現した言葉だそうですが、「心(しん)」という言葉の意味を押さえて置く必要があると言います。

日本的な心(しん)というのは三層構造からなっている。いちばん上、表層にあるのが「こころ」で、その下に「こころ」を生む「おもひ」というものがあり、さらにその下、もっとも深い層に「心(しん)」が存在する。

安田登さんは「心(こころ)」だけで物事を理解し考えようとするのではなく、身体という外の世界とつながる「媒介」を通じて身体感覚で思考する。それが「心(こころ)」の副作用が蔓延する現代から次の時代にかけて、生きるために必要な力となっていくと私たちを導いてくれます。

「かんがえる」の語源は「か身交(みか)ふ」で、「か」は接頭辞なので、もともとの意味は「身」が「交ふ」、つまり身体が「交わる」状態を指す。身体が「交わる」ときに、すなわち思考が生まれると古代の人は、この言葉をつくつたのではないかと書かれています。

「かんがえる」のにいちばん適しているのは、自然の中を歩くこと。鳥のさえずりや葉のそよぎ、川のせせらぎの音を聞きながら歩いていると、いつしか「外」の自然と「内」の自己が「交わ」って、自分が普段おもいつかないようなことが引き出される。身体が「か身交(みか)ふ」のは、自然とだけではなく、思考する対象と自分が「か身交(みか)ふ」ことも大事。思考する対象と身体的にも交わる、そのとき思考する対象と身体的に交わる、そのとき思考する対象と自己の境界はあいまいになり、そこに思考が生まれると書かれています。

能楽師ならではの視点なのでしょう。凡人には中々すんなりとは理解できない事が多いのですが、身体感覚に基づいて思考する安田登さんの指摘は示唆的です。

「司馬遷・史記 歩むべき道は歴史に学べ」安田登

能楽師の安田登さんが、開成高校の生徒に司馬遷の中国歴史書「史記」について解説した本。「NHK100分de名著」による2019年11月の特別授業。

「シンギュラリティ」(特異点) 少しづつ変化して来たことが、ある地点を境に劇的に変化する、その変化する一点のことを言うとのこと。かつて人類は、こうしたシンギャラティを何度も体験して来た。紀元前1300年頃の古代中国では「文字」が発明された。

何故「史記」を読むのか、「史記」は伝説を含めた古代中国の非常に長い歴史(2500年以上)を扱っている為、文字の誕生をはじめ人類にとっての大きな変化が幾つも記されている事。そして「史記」の叙述スタイルに注目している。それまでの歴史書が出来事を時系列に沿って書く「編年体」であったのを人物を中心に書く「紀伝体」という新しいスタイルを作り出した。

古代中国の各時代では、次のような大きな変化があったと指摘する

殷・文字の誕生

周・心と論理の誕生

秦・法の完成

漢・中華文化の成立

その変化を時代ごとに解説されていて とてもわかりやすかった。

司馬遷が投げかけた問い「天道是か非か」は、答えの出ない永遠の問い。「良い事をすればよい事が起きる」「天道というものがあると言われたが、本当にあるのか」。司馬遷が問い続けた「天道是か非か」は現代の私達に突きつけている問いでもある。

「写真でわかる世界の防犯-遺跡・デザイン・まちづくり」小宮信夫著

「犯罪機械論」の立正大学・小宮信夫教授が半生をかけた犯罪学研究の集大成と自ら言われている本です。

人類の歴史は、戦争の歴史ともいえる。戦争という名の強盗殺人を防ぐ手立てが「犯罪機会論」の原点であり、それが万里長城や客家の福建土楼等の城壁都市になった。しかし日本では城壁都市をつくるまでもなかった。四方の海が城壁の役割を演じ、しかも台風などが日本への侵入を一層困難にしていた。

中庭を囲んで四方に部屋を配した漢族の伝統的住居は「四合院」だが、これこそ防犯に配慮した家の形式だ。外壁を壁で囲み、壁には窓を設けない。出入口も南面に設けられた一箇所のみ。壁をよじ登ったとしても降りる先は中庭なので、侵入者は四方から丸見えとなる。その住空間は、現代都市住宅のコートハウスに通ずるものがある。

学生時代に、坂倉建築研究所の西澤文隆さんの「コートハウス」論は、愛読書だった。1970年代に都市住宅の新しい可能性を感じたものだった。

現代は、グローバリゼーションの只中にある。

社会的あるいは経済的な関連が、旧来の国家や地域などの境界を越えて、地球規模に拡大して様々な変化を引き起こしている。感染症によるパンデミック、犯罪の増加、環境汚染等、今まさに時代の転換期にいるのだとつくづく思う。

古来より「名医は既病を治すのではなく未病を治す」と言われている。予防に勝る治療無し。

リスク・マネジメントで最も重要なことは「予測」である。

犯罪機会論では、景色を解読する事によって「予測」できると書かれている。領域性(入りにくさ)と監視性(見えやすさ)を物差しにして景色を測る事が必要だ。絶体絶命の窮地に追い込まれる前に、景色解読力を高めて未知の危険を予測し、被害の予防が可能になると言う。

全ての分野において現代社会に欠落しているものは「予測」だと思うのだが・・・。

「正しく怖がる感染症」岡田晴恵著

時の人、岡田晴恵さんの「正しく怖がる感染症」(ちくまフリマ―新書)を妻から借りて読んだ。感染症とか公衆衛生学の分野は門外漢だったのだが、2017年に書かれたこの本を読んでみてとても良く分かった。

「新型インフルエンザ、ジカ熱、エボラ出血熱、結核、梅毒。多種多様な感染症をその経路別に整理して正しい知識を持ち、いたずらに怖がり過ぎず来たるべき脅威に備えよう。」という本で、章建てが下記のようになっている。

1章 昆虫が運んでくる感染症
2章 接触することでうつる感染症
3章 吸い込んでうつる感染症
4章 母子感染で重篤化する感染症
5章 飲み込んでうつる感染症
6章 傷からうつる感染症
7章 動物からうつる感染症

岡田さんは、21世紀は感染症との闘いの時代と指摘しているが、新コロナウイルスによるパンデミックスの真っただ中にいる現在。岡田さんが2017年にこの本に書いている危惧のとおりになっている。

エボラ出血熱のような、まだまだ怖い感染症も、未知の感染症もある。

新型感染症の流行時には、感染機会を減らし生き残るためには、水や食料、生活必需品の1ヶ月程度の備蓄は必要と指摘している。

我が家も防災対策として1週間分ぐらいの備蓄はしていたが、あらためて備蓄リストを作成し、そのぞれの品の数を調べた。表にしてみると少ないもの足りないものが良くわかる。

犯罪機会論

妻の愛読書「ニュートン(2020.04)」の中に、面白い記事があると勧められて読んでみたのが立正大学・小宮信夫教授の『「犯罪機会論」で犯罪を防げ!』。

『犯罪学では、人に注目する立場を「犯罪原因論」、場所に注目する立場を「犯罪機会論」と呼んでいる。欧米諸国では、犯罪原因論が、犯罪者の改善更生の分野を担当し、犯罪機会論が、予防の分野を担当している。
犯罪機会論とは、犯罪の機会を与えないことによって犯罪を未然に防止しようとする考え方である。ここで言う犯罪の機会とは、犯罪が成功しそうな状況のことである。つまり、犯罪を行いたい者も、手当たりしだいに犯行に及ぶのではなく、犯罪が成功しそうな場合にのみ犯行に及ぶ、と考えるのである。
とすれば、犯罪者は場所を選んでくるはずである。なぜなら、場所には、犯罪が成功しそうな場所と失敗しそうな場所があるからである。犯罪が成功しそうな場所とは、目的が達成できて、しかも、捕まりそうにない場所である。そんな場所では、犯罪をしたくなるかもしれない。逆に、犯罪が失敗しそうな場所とは、目的が達成できそうにないか、あるいは、目的が達成できても捕まりそうな場所である。そんな場所では、普通は、犯罪をあきらめるだろう。』

小宮信夫の犯罪学の部屋

犯罪学者の小宮教授が提唱する世界標準の「犯罪機会論」は、「犯罪は犯行の動機があるだけでは起こらず、動機を抱えた人が犯罪の機会(チャンス)に出合ったときに初めて起こる」というもの。

そこで、機会をうかがう犯罪者が「心理的・物理的に犯罪をやりにくい条件とは」という目線で、世界遺産、住宅や道路、学校や公園、駅やトイレなどを調査した小宮教授の「写真でわかる世界の防犯 遺跡・デザイン・まちづくり」という本を早速注文した。

一つ例を取り上げると、トイレの設計で通常行われているのは「A」だが、防犯機会論から言うと危険なのは「A」で、男女のトイレの入口が近く、そのそばに多目的トイレがあると、異性を尾行して多目的トイレにすぐ連れ込める。確かに多目的トイレは密室空間。「B」の平面だと男女の入口がはなれ、かつそれぞれのトイレの中に多目的トイレがあれば連れ込みにくいそうだ。

目から鱗。

是非「ニュートン」を買うか「小宮信夫の犯罪学の部屋」をみて欲しい。視点が変わると、建築のあり方も大きく変わる事に気づく。