日本の霊性を再生するシリーズの第2弾。熊野古道・熊野本宮大社・花の窟神社・那智の滝・・熊野にむき出しの宗教性を見る。
この正月に「聖地巡礼」シリーズは発行されている第1弾から第3弾まで一気に読みましたが、この「熊野紀行」について書き留めておくのが遅くなりました。
祖先は、一体いつの頃から「霊性」や「神」の存在を感じたのでしょうか。古代の人々にとって大自然の中で生きていくことは過酷だったと思います。大自然の脅威と恵は、古代人の心に「恐れ」と聖なるものへの「畏れ」(おそれ)を生み出します。
私達の祖先は、自然をも超越した完全無欠の「神」ではなく、自然の中に存在し、災害も恵も合わせ与える厳しくも温かい「神」を望みました。
自然が作り上げた神聖な場所は、全国各地に未だ多くありますが、この熊野はとりわけ濃厚な霊性を感じられる地だと言われています。
はるか古代から自然への信仰を飲み込み、それらを原点として神社神道へと展開していく熊野信仰は、六世紀に仏教が伝わると神仏習合が進み、「熊野権現信仰」が広まります。
熊野古道は、滅罪と救いを求めて難行を行う人々が開いた命の道です。古代や中世においては、今では想像も出来ないほど険しい山道だったに違いありません。それだけに宝前に辿りついた人々は皆 涙したと言います。以前サンティアゴ・デ・コンポステーラの道の巡礼の終点である大聖堂に着いたときも皆涙すると聞きました。
熊野古道とサンティアゴ・デ・コンポステーラの道の二つ道の巡礼を達成した人は「二つの道の巡礼者」と呼ばれます。