下呂温泉 川上屋花水亭 -3

露天風呂 河原の湯 早朝

下呂温泉の泉質は、単純温泉(アルカリ性単純温泉)

効能は、リウマチ、運動機能障害、神経症、神経麻痺、病後回復、疲労回復など。

下呂温泉でも場所によって泉質が違い、飛騨川の西と東では微妙に異なるとか

「川上屋花水亭」のお湯は「pH9.1」

アルカリ性特有の石鹸効果によりツルツルした肌ざわりで「美人の湯」とも呼ばれているとか。じんわり後から身体が温かくなる、とても良いお湯でした。

下呂温泉では、5本の源泉井戸から最高79度の温泉が毎分2,300リットル湧き出しているそうで、「川上屋花水亭」は、源泉かけ流し、一部循環ろ過併用方式との事。

昭和7年(1932年)の創業の老舗温泉旅館です。とても料理がおいしかった。

とりわけ、お米が印象に残っている、全国のお米コンクールで数々の賞を受賞している「銀の朏」使用しているとの事。「銀の朏」は岐阜県飛騨地域で、低農薬で科学肥料を一切使用せずに栽培されているお米。

「川上屋花水亭」は、「お湯良し、料理良し、接客良し」の三拍子揃った宿でした。

自家焙煎珈琲の店 緑の館

下呂温泉から少し高山側の岐阜県下呂市萩原町の

「自家焙煎珈琲の店 緑の館」で一休み

内部の撮影は禁止なので外観だけ

創業50年で、コーヒーに特化し、万人に好かれるより本当にコーヒーが好きな1人に愛してもらえる喫茶店を目指したそうです。

店内にはジャズ、アンティーク時計、アメリカ電子ピアノ等が置かれ、こだわり続けた店づくりをしているそうです。

店内の雰囲気も良く、とても人気のある店だという事がわかります。

各自別な珈琲とリングトースト小倉バターを食べたけど、3人でも多いぐらいのボリュームで、餡子もバターもいっぱいで、とても美味しかった。

珈琲焙煎室と珈琲豆の販売所

中々の豆の種類

エチオピアを買い求めた

そば処 山法師

愛知県下での打合せ、現場確認を経て岐阜県の下呂に移動

 高山本線に沿って国道64号線を下呂に向かう途中、岐阜県加茂郡川辺町にある「そば処 山法師(やまほうし)」で遅い昼食。昼食のオーダーストップ直前の入店だった。

天丼セットを食したが、そばつゆがとても美味しい

こんなところに 良い店を発見

岐阜では、結構人気のある店と聞いたが、最近は地方に美味しい店が多い

古民家にグランドピアノが

駐車場側から

杣人の里 挽屋 2025春

岐阜県中津川市加子母にある「杣人の里 挽屋」(そまびとのさと ひきや)

2025年3月に続き2回目の宿泊

風呂の窓を全開し、露天気分で朝風呂

新緑に囲まれたデッキで、裸のまま風にあたる 気持ちいい

ここの湧き水は美味しい

色々な草花が作く庭・敷地内を散歩する

一晩中 蛙の鳴き声が聞こえた

加子母やこの宿に泊まると 心も身体もリセットされて東京に戻れる

「杣人の宿 挽屋」の魅力を地元の人に話すのだけど

地元のほとんどの人が中に入ったことがない。泊まったことがないと言う

加子母には、二つの「宝」のような宿がある

「ランプの宿 度合温泉」・「杣人の宿 挽屋」

谷間の花は見えないものだし、

灯台下暗しということもあるが、

大事にしていきたい宿

内木家 -2

加子母フィールドツアーが終わった翌日、

内木家で

加子母むらづくり協議会・認定NPO法人かしもむら

伊藤事務局長と面談し打合せをしました。

3月に来た時とは、全然違う風景

内木様より沢山の「内木家文書」を頂戴しました

しばらく加子母の森林と生活の本に没頭しそうです

上見屋・とこわか

岐阜県中津川市付知にある和食店「上見屋・とこわか」

「とこわか」とは「常若」

「常若(とこわか)」の思想は、日本の伝統的な考え方の一つで、主に以下のような特徴を持っていると言われている。下記は幾つかネットから収集したもの。

1、永遠の若さと新鮮さ
「常若」とは、文字通り「常に若い」という意味。これは単に年齢的な若さだけでなく、精神的な新鮮さや活力を指す

2、継続的な再生と更新
特に伊勢神宮の式年遷宮に見られるように、定期的に物事を新しくすることで、その本質を保ち続けるという考え方。20年ごとに社殿を建て替えることで、常に新しい状態を保ち続けている。

3、伝統の継承と革新の調和
「時代と精神を継承するためには、すべてのものを変えなくてはいけない」という paradoxical な考え方がある。つまり、本質を守るために形を変えるという思想。

4、生命力と持続可能性
長く続くものは常に若いという考え方があり、これは持続可能性や生命力の象徴とも言える。

この「常若」の思想は、日本の伝統文化や宗教観、さらには現代人の生き方にも影響を与えていると言われている。常に新しさを保ちながら本質を守り続けるという、一見矛盾するようでいて深い洞察を含んだ言葉でもある。

店名の「常若(とこわか)」というのが2025年3月に店の前を通った時から気になっていた。

中津川には5つの地歌舞伎保存会があり、日本一地歌舞伎が今も盛んな地域。そういう事から「とこわか」という店名をつけたのか、店主に聞くのを忘れた。

柱・造作材・家具も栗材

トイレは離れに

プリン美味し

良い飲食店を見つけた

設計・施工は、中津川市付知の杣工房 早川泰輔事務所

お宿ONN中津川

岐阜県中津川市にある鉄骨造5階建てのホテル

玄関

中廊下の換気が悪い為か、黴臭がする

客室は狭く、天井照明の配置、空調機の位置等に難点がある

良い点は まだ新しいこと

木材は無垢材であっても、ほぼ意匠材として使われている

全体的な印象は、

ホテルのシステムはドーミーイン(共立メンテナンス)のコピー

建築は、見てくれ第一

すや本店

岐阜県中津川市にある和菓子の老舗「すや」本店

中津川市街には、第63回伊勢神宮式年遷宮のぼり

「裏木曽御用材伐採式」が、2025年6月5日(木曜日)に中津川市加子母地区にて執り行われ、御神木が2025年6月7日(土曜日)まで市内各所に立ち寄り、伊勢神宮へと運ばれます。

内木家 -1

「内木家」は、岐阜県中津川市加子母にある江戸時代に尾張藩の「御山守」を代々務めてきた家で、日記をはじめとする三万点におよぶ史料が、今なお同家には残されている。

 2025年3月に特別に内部を見せていただいた。

 徳川林政史研究所の発行しているブックレット『御山守の仕事と森林コントロール』と題された報告書には、内木家が取り組んできた森林の育成や管理の実践について具体的に解説されている。樹木の成長には長い期間が必要であり、人々によって適切に手入れされることによって健全な森林は育成される。森林管理の最前線にいた内木家をはじめとする先人たちの知恵や努力によって、江戸時代の森林が健全に維持されてきたことが理解できる。

「内木家は美濃国(濃州) 恵那郡加子母村(現・岐阜県中津川市)を開いた、いわゆる〝草分百姓〟の由緒をもち、元和元年(1615)に同村が尾張藩領となってから100年余りの間、歴代にわたって同村の庄屋をつとめた家です。享保一五年(1730)からは、庄屋にかわって「三浦・三ヶ村御山守」という藩の役職を代々つとめるようになりました。
三浦・三ヶ村御山守とは、尾張藩のもとで、信濃国(信州)筑摩郡王滝村の三浦山( 飛驒〈飛州〉・信濃・美濃の国境に位置)と、美濃国恵那郡加子母村・付知村・川上村(いずれも現・岐阜県中津川市)の山々を管理した役職です。一口に山といっても、藩の直轄地や村人の所持地など、さまざまあってややこしいのですが、御山守が主に管理したのは、「御山」「御林」と呼ばれる藩の直轄地でした。後でくわしく述べるように、尾張藩は、江戸時代にあった多くの藩のなかでも、とりわけ森林の保護・育成に力を入れた藩でした。」とある。

また『山村の人・家・つきあい─江戸時代の“かしも生活”①─』と題したブックレットには、「江戸時代中期における加子母村の生活を、当主内木彦七の日記をもとに具体的に見ていく。江戸中期の加子母村では、内木彦七をはじめとする人々がお互いに支え合い、緩やかながらも活き活きとした暮らしを営んでいた。その様子は、現代社会において希薄になりつつある人と人とのつながりを私たちに再認識させ、真に豊かな生活を送るうえでのヒントを提供してくれているように思える。」とある。このブックレットも中々興味深かった。

 こうして林業に関わってきた先人たちの残した資料を見ると、苗木から材木となるまで何十年もかかるからか、物の考えた方のスパンが長い。出会った加子母の現代の人々には「志」や「気概」を感じた。

かしも明治座 -2

楽屋

楽屋・大部屋

現在は別の建物に楽屋があるそうです

奈落

廻り舞台の床下も見せてもらえる。

人力で廻り舞台を回す仕組みを見た

地域の人たちで作り上げ、守ってきた「かしも明治座」

かしもの文化的基層は、半端じゃない

自分たちの街は、自分たちで守ると言った「気概」

今や地方から失われつつある、

この気概が脈々と受けつがれていくのは何故か

とても興味と関心がわいている

かしも産直市

翌朝、かしも産直市に寄った

三年ぶりの訪問

食材や加工品の品揃えが豊富になったように思える

色々な食材を物色し購入

焼き芋を焼くストーブ

こんな大きなストーブ始めて見た

丸太をそのまま入れて焼けるそうだ

こちらは、木工品のギフトコーナー

こちらも品数が豊富になった

売れる→出品するクラフトマンが増加・商品が多彩に

→客が集まる→潤う

二年で好循環になっていったそうだ

仕入れて東京で売ろうかしらと 思ってしまうぐらい安い

杣人の里 挽屋 -4

挽屋の夕食 2025年3月

前菜

食事のお供は、恵那山

大好きな西方芋の中にむかごが入っている椀

食事処にある囲炉裏

囲炉裏の火でゆっくり煮られた

 動物性タンパク質の入っていない野菜だけのけんちん汁

野菜の旨味が凝縮された 優しい汁

口に含めば、身体が美味しいねと ささやいてくれる

五平餅は、このぐらいの大きさが丁度良い

お蕎麦

アマゴの塩焼き

野菜の揚げ物

飛騨牛の赤身A5

この野菜と一緒に飛騨牛を焼く

自家栽培の古代米とアキタコマチの御飯

美味しくて 何度もお代わりをしてしまった

敷地内にある田んぼや畑で育てられた米、野菜、山草、薬草を取り入れた

身体に優しい薬膳料理

細部に気が配られた丁重な料理の数々

料理はどこかで修業したのではなく独学だと聞いた。

敷地内に湧き出る水・軟水が美味しい。

その水を使った食事と飲み物

首都圏の暮らしでは考えられない 美味しい水と美味しい米

お金がなければ楽しくない、暮らせない そんな街で生活しづけることが

本当の幸せなのだろうかと

ふと考えてしまう

翌日の朝食

こんなにも 心も身体も 癒される宿に泊まったことがあっただろうか

ミシュラン風に言うと、遠出してもわざわざ行く価値がある宿

5月に再訪するべく予約をしてきた

杣人の里 挽屋 -3

陽の間(ひなたのま)

ベッドの硬さが丁度良い

和室が付属しているので、ごろっとできる

窓を開ければ露天風呂気分

浴槽は大人二人が一緒に入れる大きさ

浴槽の框はコウヤマキ

天然ラドン温泉に癒される

暖かい季節になれば、このデッキでくつろぐのは最高だろうな

設備類、アメニティは過不足なく用意されている

杣人の里 挽家 -2

玄関

30帖の広々としたロビー

ロビー北カウンター

20年前に農家住宅から旅館にコンバージョンされた先駆け的な建物

和モダン・民芸的な雰囲気が充分に醸し出されている

改修設計は、20年前に亡くなられた一色建築設計事務所・大阪事務所の

成瀬氏と聞いた

施工は地元の中島工務店

杣人の里 挽家 -1

名古屋での仕事を終え、夕方 岐阜県中津川市加子母に入り打合せ

宿は、「杣人の里 挽家」(そまびとのさと ひきや)

「挽家」の名前の由来は、水車で米の粉を粉をひいていた事からで、

本来の屋号は「福島屋」だそうです。

写真は、入り口脇に移築された水車

1日2組限定の宿で、この日は、他に宿泊客がおらず貸切状態だった

 明治12年に建てられた養蚕農家だとのことで、東濃檜の本場である加子母ならではの立派な材料が使われている。そんな農家住宅を平成17年に旅館にコンバージョンしたそうで、それから20年ほど経過している。

 加子母に旅館があることさえ知らなかった。加子母から下呂は車で20分ほどなので、下呂温泉に宿をとるのが良いのかなと考えていたら、ここ「杣人の里 挽家」と下呂温泉のとある宿を紹介してもらい、ここを選んだ。

南庭の庵

敷地面積4000坪と言われる庭が

緑色になるころ再訪することにした

大垣の水辺空間 -2

途中で見つけた桝屋さん

まだ営業前だった

水門川沿いを南下する

美登鯉橋

アニメ「聲の形」では、「いつもの場所」として物語全体を通して何度も登場するとても重要な場所です。将也や硝子が鯉にエサをあげているシーン、仲間たちとの集合場所以外にもさまざまなシーンで登場します。

まあ、ミニ聖地巡礼をしてきたのでありました。

美登鯉橋の西側水路

虹の橋方面を見る

大垣八幡神社 -3

大垣市は「水の都」だという。しかし日本全国に「水の都」というのは沢山ある。国交省の水の郷百選に選ばれている都市は中部地方だけでも岐阜県の郡上八幡、静岡県の三島市、天竜市等がある。

大垣で水辺空間として興味深かったのは大垣八幡神社東側の水路だけだった。

そういえば東京だって水都だな。

それで思い出したのが陣内秀信さんの「東京の空間人類学」(1985年刊)。東京の山の手と下町の「水の都市」の考察が新鮮だった。昔からデザインというより建築史への関心が強かった。