「落語がつくる〈江戸東京〉」田中優子編

 「江戸」当時世界最大の都市でありながら循環型で、持続可能な内発的発展を実現したとして都市として再評価されている。

 この本の問題意識の発端は、「落語における長屋や様々な場所と人間関係が『事実そのまま』ではなく、江戸自体の現実を要素としながらも、その後の時代に物語としてつくり上げられてきたのではないか」というところにある。

 田中優子氏は『長屋という思想』の中で、長屋は「厄介者や粗忽者や文字の読み書きができない人や無職やその日暮らしの職人が堂々と生きている社会」であり、そういう場所は近代の勝ち負けと立身出世と高度経済成長を価値とする社会から否定されたが長屋は「社会とは異なる価値の物語が生まれる場所」として生き延びた。それこそが落語の長屋であると書いている。

 陣内秀信氏は『都市空間の中の長屋⁻江戸東京とヴェネツィア』の中で、とりわけ「路地」と「共同井戸」に注目し「コモンズとしての集合的な空間」を描き出し、「家に住むより、むしろ街に住む」という感覚を指摘している。

 日本でアパートメント・ハウスが登場するのは、大正から昭和の始めにかけてで、その頃、上下に異なる家族が重なって住む欧米式の住み方が定着したと言われている。

 実際、上下に異なる家族が住む集合住宅に暮らしてみるとコミュニティ-が中々とれない。挨拶程度はするが、自治会もない。

 戸建ての時と違って町会もないし、神社のお祭り、火の用心の巡回もない。戸建てで薔薇を育てていた時は手入れをしていると近所の人に声をかけられて色々な話題に発展した。単身者になると集合住宅は孤独だろうなと思う。それゆえに「落語の長屋」に憧れるのかもしれない。

 

 法政大学江戸東京研究センターなるものがあることを、この本で始めて知った。又、初代センター長が陣内秀信先生であったことも知った。

 江戸東京研究センターが目指しているのは「さまざまな対象を人間(社会)と空間の両方から解き明かす、いわば文系と理系が協同するための研究」とある。

 総合大学のメリットを生かしている。

 バブル経済以降の再開発の事例にはパターン化した画一性を強く感じる。というか、ただの「寄せ集め」(「都市を癒す術」ピエル・ルイジ・チェルヴェッラーティ著)

イタリアの都市計画家ピエル・ルイジ・チェルヴェッラーティ氏は、その著書「都市を癒す術」で「私たちのいる場所は、すでに都市と呼べるものではなくなり、ただの『寄せ集め』となっている。土地の記憶を呼び覚まし、その姿を回復する術(すべ)を取り戻す。都市は、そのとき癒される・・・」と書いている。

 その画一性、寄せ集めと感じる理由の一つに、地域独自の社会と空間におけるディテールの読み込みの欠落があるのは明らかだが、近年、社会と空間のディテールを充実させる都市再生の新たな動きが目を引く。その場で働き暮らす人々が身の回りの空間形成へ主体的に関与しうる空間デザインの手法が磨かれつつある。また、空間を使いこなしそこを自分たちの居場所として再生していく活動も広まりつつある。