「方言漢字事典」笹原宏之編著

日本各地を訪れると何と呼んだら良いのわからない地名に出くわす事がある。

話し言葉に方言があるように、漢字にも特定の地域でしか用いられない「方言漢字」があり、多くは地名に見られるのだという。

その土地の人にしか読めないような漢字地名。例えば北海道には、アイヌ語に漢字を当てた地名が各地にある。私は北海道出身なので結構読める方だが、それでも読めない漢字はそれなりにある。

全国を見渡すと方言漢字というのはかなりあるようだ。こうした方言漢字の成り立ちや変遷、使用分布や使用状況について丁寧に解説した事典であり、方言漢字から地域の歴史や文化を知るのにも役に立つ。

例えば東京世田谷区にある「砧」(きぬた)。

この「砧」という地域文字は、地名としてはこの世田谷区にしかないそうである。

「「砧」は、洗濯した布を石などでできた台に載せて、棒で打って柔らかくしたり光沢をだしたりし、またアイロンのように皺(しわ)を伸ばす道具の名である。」「布だけでなく草などを打つこともあり、またそうした行為を指すこともある。」と書かれている。語源はキヌイタ「布板」に由来すると言われているとの事だ。

「砧」が何故 世田谷で地名となったのかはっきりしていない。近隣の調布市に「布田」(ふだ)、「染地」(そめち)など、布の産地を思わせる地名もあるから布の生産に関連性があるのではないかととも言われている。

そもそも「調布」というのも「布」に関係した地名だ。

律令国家の税には、いわゆる現物として租(そ)、庸(よう)、調(ちょう)、出挙(せいこ)があり、力役として雑徭(ざつよう)や兵役(へいえき)があった。「調布」という地名は調のもつとも一般的な品目である麻布の集積地だったのかも知れない。

万葉集巻14、東歌、3373に「多摩川に さらす手作り さらさらに なにそこの子の  ここだかなしき」とある。多摩川に手作り布を晒す情景が、労働歌に詠み込められている。(「坂東の成立 飛鳥・奈良時代」川尻秋生著 205頁)

埼玉県の「埼」(さい、さき)も用例と使用範囲が限定的な地域文字とある。「埼」は陸地が海や湖などに突き出した地形を意味し、神亀三年(726年)の正倉院文書に和同2年(709年)の条で「武蔵国前玉郡(さきたまのこおり)」と確認できるそうだ。歴史好きには、行田市の前玉神社(さきたまじんじゃ)が由来だろうと想起できる。

時々、読み直す事典なのだが、歴史好きには面白くて、たまらない本だ。