「フードスケープ 図解 食がつくる建築と風景」 正田智樹 著

地形と気候に応じた食がつくる建築と風景が、フィールドワークに基づく図解集として紹介されており興味深い。

 食をつくる条件が、純粋に建築となってあらわれる。

 プラックスボックス化したフードシステムに支配された現代では、ハンナ・アーレントの「機械のリズム」と「生命の自然のリズム」が想起されると藤原辰史さんと正田智樹さんが対談の中で書かれている。

 スロー・フードスケープは「顧客と売る側」「売り手と買い手」という固定化した人間関係に隙間を作っている。

カレマ村のワイン、アマルフィのレモン、小豆島の醤油、多気町の日本酒等、日本とイタリア16の食の生産現場を読み解いている。

 蓄熱する石積みの段々畑、風を呼込む櫓、光や湿気を採り入れる窓等、自然のリズムとともにある食生産と人の暮らしを取り戻す為の建築の問い。

 現実と折り合いをつけながらの建築、それが僕らの目指す唯一のシステムではないという事を教えてくれる。

「世界史は化学でできている」左巻健男 著

 なんだか最近、自分自身の各分野における中学生から高校生レベルのリテラシーを回復するために本を読んでいるような気がしてきた。

 中学校1年の時の担任が理科の先生で、最初のクラブは科学部だった。生物班と化学班に分かれていて生物班は女の子ばかりで嫌だったので化学班に行った。信じられないだろうが、その頃は女の子が嫌いだったのだ。妙に女の子が大人びいている感じが嫌で距離を置いていた。中一の時の担任が生物専攻だったので、生物班に来てもらいたかったと大分経ってから聞いた。2年生から生徒会活動の比重が多くなったが、それでも科学部に所属していたので、3年時は人がいなくて部長になっていた。振り返ると何をしていたか思い出せない。色々な化学薬品を混ぜて遊んでいたような気がする。

 さて、こういう本に若い時に出会いたかった。化学の基本と歴史が、とても読み易く、分かり易く、面白く語られている。

「化学」は、地球や宇宙に存在する物質の性質を知るための学問であり、物質同士の反応を研究する学問である。火、金属、アルコール、薬、麻薬、石油、そして核物質・・・。化学はありとあらゆるものを私たちに与えた。本書は、化学が人類の歴史にどのように影響を与えてきたかを紹介するサイエンスエンターテインメント!」と書かれていることに実感する。

 こういう本に若い時に出会えれば、進む道も変わっただろうにと思うが、化学には縁がなかったんだろうな。

 建築の世界は、当然ながらセラミックス、ガラス、金属、染料、コンクリート等の数多くの化学製品に溢れかえっている。メーカーはどこも我が社が一番と宣伝してくるが、それらを選別する基礎的知識が、私も含め建築士には欠けている面がある。何しろ高校で「化学」を履修してきた人も限られるから。

 基礎的な教養・知識は、自分で努力して学ぶしかないのかもしれない。

「ザ・ロイヤルファミリー」早見和真 著

 今、TBS系日曜劇場でTVドラマになっている「ザ・ロイヤルファミリー」をネットフリックスで観た。原作を読みたくなってアマゾンをポチった。

 9、10月の疲れが中々取れない。つまり歳をとった証明でもあるのだけど、そういう時は外出せず、ただただベッドで読んでみたかった本を読めるのは自営業者の特権のようなもの。あとで集中して仕事をしなければならなくなるのだが。

 ドラマは、北海道日高地方の牧場の映像が、とてもきれいだった。

 馬主と秘書の20年の歳月を描いているのだけど、今野敏さんが「途中からずっと泣きっぱなしだった」と帯に書いているように、私もなぜか涙が止まらなくなった。淡々とした文章なのだけど「継承」をテーマにした物語に感動するのは、自分も歳をとったからなのだと思った。

 最近よく泣く。このあいだも加子母の地歌舞伎を観て泣いていたと婆ちゃんに指摘された。涙腺が非常に緩くなっている。身体は水分が抜けてきているのに何故だろう。

 第33回山本周五郎賞受賞。TVも良いけど原作も良い。

「田舎の思考を知らずして地方を語ることなかれ」花房尚作 著

 仕事の関係があり、2025年の夏から月の1/4程度は中部圏に滞在するようになった。名古屋という都会のときもあり、岐阜県内の各地ということもある。地方都市も過疎地も含まれているが、東京にいるだけではわからない事、知らないことが多すぎた。新しい発見があり、出会いがある。

 著者は「日本の国土に占める過疎地域の割合は約60%。「田舎は危機的状況にある」「過疎地域は悲惨」――。「田舎=過疎地域」にはネガティブな言説が付いてまわる。しかし、こうした言説の多くは「都心の思考」で発信され、「都市部の都合」を田舎に押しつけている。だが、田舎は本当に悲惨なのか? 都会の思考とは異なる合理性に裏打ちされた「田舎の思考」を明らかにし、過疎地域で暮らす人びとの日常を通して日本の未来を考える」と書く。

 この本が書いているように「都心の思考」で田舎を決めつけている人達もいるかもしれないけれど、どっこい田舎の人はマイペースのようにも思える。

 生活していくうえで都会も色々な問題あるように、過疎地も様々な問題を抱えていることは間違いない。でも、それは実体験を通じてみると「豊かさ」の次元が異なるだけではないかと思うようになった。

 私なんかは、「現代の漂泊の民」と定義できるかもしれないと最近は考えている。それは物流(アマゾン含む)とインターネット(WEB会議含む)と交通手段(私は利用しないが格安航空機)のおかげだ。それは技術の進歩でさらに改善されていくようにも思う。

 田舎は大切。守り応援し続けたい。

「大人のための地学の教室」鎌田浩毅 著

 9月10月と出張が続き、現地調査と打合せ、人に会う機会が多く身体が少し疲れたので1、2、3日の三連休は休むことにした。だらだらと過ごし、寝て、DVDを観て、専門書以外の本を読んで過ごした。

 私の地学の知識は中学生レベルで、ほとんど素人。高校でも大学でも地学は履修しなかったのだから当然といえば当然。長年、京都大学で教えていた鎌田先生によると激烈な受験戦争を勝ち抜いてきた京大の新入生も受験科目以外のことは、ほとんど知らないらしい。

 そんな地学のリテラシイー(読み書き能力)は中学レベルでも、読みこなせる専門書である。

 さて日本は、2011年の東日本大震災(M9.0)以降、平安時代から1,000年ぶりの「大地変動の時代」を迎えている。南海トラフ巨大地震、首都直下地震、富士山噴火などがスタンバイ状態と指摘されている。

 3.11以来、避難用品・備蓄は怠りなく準備してきたつもりだけど、この本を読んで富士山噴火による火山灰の影響が、首都のインフラに広範囲で長期間なものになるという事を再認識した。火山灰は始末が悪い。

 この本を読んで、地学のリテラシイーは高校生レベルに近づけたかもしれない。

「ずっと工事中! 沢田マンション」

 街の本屋さん探索家の婆ちゃんが「おもしろい本みつけたよと」私の仕事部屋の暖簾をくぐってきた。「この建物、絵本にしてよいかのかな?」といいながら。

「高知の沢田マンションは有名だよ」と言いながら絵本を手に取り、巻末をみる私。2025年10月1日出版だから本屋に並んだばかりのホヤホヤ。

 私の業務、立場から言うと真逆の建物。コンプライアンスを重視して、ほとんど違反建築物が多い既存建築物の「黒」または「灰色」の建物を「白」にしていく私の仕事からすれば、沢田マンションは、建築基準法による確認申請無届、完了検査未了のまぎれもない建築基準法違反建築物。

 でも好き。

 無鉄砲で無計画でセルフビルドで、トランスフォーメーションしていく沢田マンションは痛快でさえある。

 でも少し心配なのは絵本を出して大丈夫かなと思う。正義論を振りかざし、役所に電話するなどする輩は多くいる。それらが行政を刺激しないかと。高知というおおらかな街だからこそ、強権的な指導はこれまでしなかったのであろうと推測するが、大きな事故がないかぎり見守ってやりたい。 ただ老朽化が進んでいるようなので心配ではある。

 この絵本が違反建築物を薦めたり、助長する契機を作ってしまうのではないかという一抹の懸念もある。今でも「建築法令なんか守る必要あるんですか?」と言う若い設計者に出会うことがある。特に内装関係のデザイン事務所には、そういう傾向が強い。そういう人達の書く「絵」を後始末する依頼も多いから。

「過疎ビジネス」-2

これは週刊東洋経済の「喰われる自治体」第2弾。今年2025年6月21日号。

「地方創生を掲げながらコンサルティング会社が自治体を“喰っている”実態を追った特集「喰われる自治体」から1年が経ちました。この特集は大きな反響を呼び、発売後には多数の内部告発が寄せられました。本特集では、そうした告発に基づき第2弾を展開しました。固定電話契約や医療ツーリズム受託など、全国各地の自治体から上がるさまざまな“悲鳴”を詳報。一方、地方創生コンサルに頼らずに人口増に成功した自治体の秘訣もお伝えします」

この本の中で木下斉氏は「地方再生は、・・・地元の人々がその都地特有の課題を見つけ、再生に向けたエッセンス、つまり『自分達の原液』を作り出すことだ」と書く。

そのうえで地方創生で結果をだす地域には幾つかの共通項があるという。

1、自前主義に徹する

 外部に任せず、自分たちで現場を回し、考え、動く。失敗しても学習機会とし、軌道修正をしながら進む。

2、補助金に頼らない

 行政による補助金にも頼らない。重要なことは、民間が喜んで投資する環境形成だ。

3、とがつた人材に任せる

 行政の看板に頼らず、自ら責任を負って挑戦するプレーヤーが地方創生には不可欠だ。百人の合意を取り付けることより、覚悟を持ったプレーヤーに委ねることが政治や行政に求められる。

「過疎ビジネス」-1

コンサルタント全盛の時代だ。今や東大生の希望就職先№1は、コンサルタントだと聞く。こうした中で地方自治体を食い物にする「過疎ビジネス」という言葉が目に入ってきた。

この2024年5月11日付け「週刊東洋経済」では、地方創生マネーが都会のコンサルタントに吸い上げられていく実態を浮かび上がらせている。

「地方創生が叫ばれ始めてから10年が経ちましたが、地域活性化に成功したという自治体はそう多くないのが実情です。それでは地方創生をめぐる「カネ」はどこへ溶けていったのでしょうか。本特集では地方創生マネーが都会のコンサルに吸い上げられていく実態や、弱った自治体の機能をぶんどる「過疎ビジネス」など、地方創生の虚構を描き出しています。一方でコンサル主導の計画に住民が待ったをかけたケースや地場の中小企業が創生を実現した実例など、喰われないまちづくりに取り組んだ好事例も多数紹介しています。」

「凡人のための地域再生入門」木下斉著

 木下斉さんの本をまとめて読んだので幾つか紹介する。物語風なんだけど「地方のリアル」と「成功のコツ」が122のキーワードで展開されていて とても読みやすかった。

 多くの「まちづくり」の研究書や役所が出している事例集がある。それらは成功した事業を一覧にし類型化している。本来成功した事業を深く知るには、長いプロセスを多角的に知らなければならない。しかし事例集は結果を整理しただけで、わかった気になってても実際には あまり役に立たないものだ。こうした一つの事例を深く知れるように物語風に展開するのは共感できる。

 私自身は地域再生の鍵は、ひとつは「食や飲食店」が持っているのではないかと最近思っている。かつて都市のビル内で、「Farm to table」(農場から食卓へ)というテーマで企画提案したことがあった。「Farm to table」は、2010年代のアメリカ西海岸から広まった食に対する考え方のひとつ。生産者と消費者が物理的に、また概念として近い距離にあり、環境にも配慮したサステナブルな食材を地産地消するような食に関しての潮流を指す。

 その時、本当の「Farm to table」が実現できるとしたら、それは地方なのではないか思った。普通のスーパーの野菜売り場に並んでいるものは、流通のために日持ちが良くて、傷つきにくい品種だったりする。地方で野菜を買うと、妻はこんな品種があったのかといつも驚き、新しい発見があるという。地元のものを地元でちゃんと出す店は意外と少ない。

 それと飲食店は、美味しい店なら商圏が広い。地方で車移動だと1時間前後ぐらい、30kmから40kmぐらい離れた客が訪れるといわれている。地域外の外貨を得れるし、雇用も生まれる。農家との連携も生まれれば地域経済に寄与する。店は新築や古民家だけでもない。空き家活用でリノベーションする「逆算開発」で展開するならば資金的にも無理のない計画になるのではないか。今日日、工場を誘致して雇用が生まれても非正規雇用で、そほど地域経済には寄与しないだろう。

 こうした美味しいレストラン(付加価値の高い店)が、そのエリアに10件もあってごらん。夢が広がるではないか。

 木下斉さんは書く「必要なのは才能じゃない。『始める勇気』だ」と

「稼ぐまちが地方を変える・誰も言わなかった10の鉄則」木下斉著

著者の木下斉氏は1982年生まれと書かれているから、私の子供世代

 高校1年生からまちづくりに関わり、17年間で経験した実体験に基づく「稼ぐための教訓」をまとめたという一冊。

「まちづくり」という言葉のホァーとしたイメージをひっくり返す「まちを一つの会社に見立てて経営する」「稼ぐまちが地方を変える」というのは鋭いし、その通りだと思った。

 いろいろな地方を訪れてみて思うのは、地方はまだまだビジネスチャンスにあふれていると感じることだ。

 地方衰退の構図は、日本社会の縮図。人口縮小時代を迎えた現代では、補助金頼みではまちづくりは成功することはないだろう。

 「リーン・スタートアップ」(小さく始める)。最初は小さくてもひとまずやってみる。これはとても大事だ。大概の人は実践に踏み出す勇気がたりない。

 とても為になる本です。

「宮脇壇の住宅設計テキスト」宮脇壇建築研究室

書棚を整理していたら懐かしい本が出てきた。

「宮脇壇の住宅設計テキスト」

もう30年前の本。

そういえば宮脇壇さんが亡くなって30年近くなるんだなぁ~

 社会人になりたての頃、法政大学・宮脇研究室出身の先輩がいて、斜め向かいの席から、時々声をかけてくれた。「建築家はどうあるべきか」「建築の表現」について、よく教えてもらった記憶が蘇った。その先輩は若くして亡くなったのだが、導いてくれた先輩の一人だ。

 さて、当時住宅設計の第一人者であった宮脇檀(みやわきまゆみ)と研究室が、20年の設計の軌跡をまとめた本である。「住宅設計は、いかに進めるべきか?」「いま住宅に何が求められているか?」住まいの考え方、手法、技術、ディテールのすべてを公開している。

今読み返しても住宅・住まいの様々な提案を通して語られる内容は、時代を超えた力を持っている。

久しぶりに住宅の設計がしたくなった。

「『風の谷』という希望・残すに値する未来をつくる」安宅和人著

 今年、2025年7月に出版された安宅和人さんの著書「『風の谷』という希望・残すに値する未来をつくる」をずっと読んでいました。

 7年にわたる検討を重ねたうえで書き下ろしたという1000頁を超える大作で、何度か読み返しているので、いまだ机の上にある本です。

 本書で語られる「風の谷」とは、自然豊かな疎な空間を、都市に頼らずとも人が住み続けられる「もう一つの未来」として再構築する構想の呼び名です。都市を否定するものではなく、都市と自然、両方を生かす空間デザインの試みとして提案されます。

 もともとは、宮崎駿監督による映画「風の谷のナウシカ」に描かれる心の原風景のような集落です。ナウシカの世界では、大半の土地が人間にとって有毒な「腐海」に覆われ、風の谷はその風上にあって常に新鮮な風が吹き込むため、わずかに人が住める場所として描かれています。

 日本には恐らく1000以上ある「風の谷」をつくるポテンシャルを持っている「疎空間」があると考えられますが、疎空間を再構築するためのロングスパンの構想が描かれています。

 

「改訂版 既存不適格建築物の増改築・用途変更」大手前建築基準法事務所株式会社

 建築基準法では、既存建築物は、「現行法適合建築物」「既存不適格建築物」及び「違法建築物」に分かれます。古い建物が既存不適格建築物ではなく、新築時の確認申請済証、検査済証があり、その後の法律で不適合箇所が生じたものが既存不適格建築物です。

 この既存不適条項への訴求と緩和の規定は、建築基準法の中でも最も難しい部分と言われており、その内容を熟知し活用するのは容易ではありません。

 本書は、わかりやすく解説されており、既存建築物の業務に携わる者にとっては必読書的な存在になるでしょう。

 先に紹介した「建築基準法 改正履歴確認のポイント」大手前建築基準法事務所株式会社共編と合わせて活用されることをお薦めします。

 さて既存建築物の法適合状況調査を行う場合には、その調査目的を明確ににしておく必要があります。

1、既存建築物の増築や用途変更等に係る建築確認申請の手続きのため・・・一般的です

2、不動産の売買に際する資産評価の資料とするため・・・最近、リート投資法人に聞いた話では、「建築基準法適合状況調査(新ガイドライン調査)は、法的位置づけのない任意の規定であり、民間指定確認検査機関の交付する書類であるから、仮に適合証明が交付されたとしても検査済証に代替できるものではないの不動産投資の世界では、検査済証のないものとして扱う」と聞きました。あくまでも取引のあるリート投資法人で聞いたことなので全てのリートが同じ扱いかどうかは知りません。

3、既存建築物を用いた他法令の許認可を受けるため・・・弊社で最近多いのは、検査済証のない既存建築物の建築基準法適合状況調査を行い、法適合を証明し「倉庫業を営む倉庫」(陸運業)の許可を受けるというものです。既存建築物も色々で、あまりに老朽化が進んだもの、建蔽率がオーバーしているもの、もともと倉庫ではないので倉庫にすると積載荷重の設定が異なり補強工事が過大となるもの等。

 初期に渡される数少ない情報・図書で物になるか判断をしていかないとなりませんので、結構集中して進めます。

 まあジャンクな物件の中からは、たまに金が出ますので、さながら砂金とりの気分になりますね。

「建築基準法 改正履歴確認のポイント」共編 大手前建築基準法事務所株式会社

 ひと昔前までは ほとんど見向きもされなかった建築基準法の改正履歴。

 昨今の既存建築物の再生・活用に伴い、既存不適格建築物の増改築・用途変更も増加し、建築基準法の改正履歴を熟知するのは、建築士として必須事項となっている。

 しかし 他の会社のレポート等を見ると「現行法に適合していない既存不適格建築物だから改築する必要がある」とか、そもそも既存不適格ということを理解していない建築士に遭遇することは多々ある。また法曹界(弁護士や裁判官)でも既存不適格が理解できていない人に出会うこともある。そのぐらい「既存不適格」という概念は、建築基準法にある 特殊な概念でもある。

 もっとも日本の「建築確認」という制度も、世界的にみれば特殊な規定で、世界の趨勢は「建築許可」であるが、それはまた別の機会に書いておこうと思う。

 この本は、2025年4月に初版が発行された本だが、条文毎ではなく、項目ごとに「現行規制の内容」「主な改正履歴と改正の趣旨・内容」について、国土交通省が改正時に示した通達、技術的助言等を記載し、法令改正時のねらいや、その概要を記載しているので、とても分かりやすく、お薦めの本だ。

 「既存不適格建築物」(法3条第2項、3項)は、「過去の法令に適合していたが、現行法には適合しない建築物」をいい、一部の法令に適合していない状態では違法建築物とは法的に区別されている。

 でも、時々「既存不適格建築物の賞味期限」を設定した方が良いのではないかと思う事案に出会うことがある。

 例えば昭和45年に竣工した商業ビルで、用途は店舗、延床面積は1万㎡を超えていて、常時不特定多数の人が出入りしている建物だが、排煙設備がない。排煙設備の規定の施行は、昭和46年1月1日だから、築54年の間 テナントは入れ替わったが、用途の変更もないので、ずっと排煙設備がないまま現在も稼働している。安全面から考えて既存不適格の賞味期限を設定しても良いのではないかと思った。

 又 別の事案だが、古い建物のエレベーターやエスカレーターも既存不適格となっていることが多い。これらも昨今は、法令改正により安全面が強化されているが、常時不特定多数の人が出入りしている建物に設置されている場合などは、安全面から考えて既存不適格の賞味期限を設定しても良いのではないかと思っている。

 いずれにしても、ストック活用、長寿命化に向けて今後の法的整理、課題は多いように思う。

100年後に残したい最強マンガ

 子供の頃から青春時代、そして概ね30歳代に見ていた漫画に、どんなのがあったかなと思って検索してみたら、「100年後に残したい最強マンガはこれだ!!」というサイトを見つけた。

https://ebookjapan.yahoo.co.jp/content/genre/etc/meisaku100

 私は、概ね1950~1960年代の日本の漫画文化が創られた伝説の時代から、特に1980年代ぐらいまでに沢山の漫画を見ていた。特に記憶に残っている漫画を書いておこう。

 「鉄腕アトム」(手塚治虫)・・これはどちらかと言うとTVアニメ

 「火の鳥」(手塚治虫)・・全巻保存

 「鬼太郎大全集」(水木しげる)

 「巨人の星」(原作:梶原一騎原作、画:川崎のぼる)

 「ゴルゴ13」(さいとうたかお)

「明日のジョー」(原作:高森朝雄、画:ちばてつや)

「ドラえもん」(藤子・F・不二雄)

「三国志」(横山光輝)

 「キャプテン」(ちばあきお)

 「はだしのゲン」(中沢啓治)

 「ブラック・ジャック」(手塚治虫)・・全巻保存

 「包丁人味平」(原作:牛次郎、画:ビッグ錠)

 「将太の寿司(寺沢大介)・・この漫画の影響で鮨職人になったとと言う人に時々出会う。

 「釣りキチ三平」(矢口高雄)

 「美味しんぼ」(作:雁屋哲、画:花咲アキラ)

 「課長島耕作」(弘兼 憲史)

 「ギャラリーフェイク」(細野不二彦)

 「サラリーマン金太郎」(本宮 ひろ志)

 「アドルフに告ぐ」(手塚治虫)・・全巻保存

 どんな漫画を見て、次世代に残しておきたいかというのは、生きてきた時代、年齢の違いなので、あまり意味がないと思うが備忘録的に書いてみた。

個人的には「仁-JIN」(村上もとか)、「龍-RON」(村上もとか)、「つげ義春全巻」とかもリストに載せるかな。

「アドルフに告ぐ」手塚治虫

もう随分と昔に見た漫画なのだけど、古本屋で見つけたので5巻セットで購入。

一晩で5巻全部読み終わった。

 正確には再読なのだが、最初に読んでから、あまりに月日が経過しているためか、何か新鮮というか、始めて読んだようにさえ思った。

 資料によるとこの漫画は、1983年1月6日から1985年5月30日まで、『週刊文春』(文藝春秋)に連載された。1986年(昭和61年)度、第10回講談社漫画賞一般部門受賞。

 第二次世界大戦前後の時代、ドイツと日本を舞台に、「アドルフ」というファーストネームを持つ3人の男達(アドルフ・ヒトラー、アドルフ・カウフマン、アドルフ・カミルの3人)を主軸とし「ヒトラーがユダヤ人の血を引く」という機密文書を巡って、2人のアドルフ少年の友情が巨大な歴史の流れに翻弄されていく様と様々な人物の数奇な人生を描いている。

 今なお 色褪せない、抜群のストーリー展開。

 ドイツ人とユダヤ人と日本人の織り成す、融和と衝突、理解と誤解、異和と差別は、今なお現代的なテーマでもある。

 こうした時間が経過しても作品評価が低下せず、尚且つ時代を超えた普遍的テーマを持っている漫画や本を子供や孫達の世代に残してあげたいと思っている。

 手塚治虫では、「ブラックジャック全巻」「火の鳥全巻」を持っているが、あと どんな漫画を古本屋で見つけてこようかな。

「土地は誰のものか‐人口減少時代の所有と利用」五十嵐敬喜 著

 今年、考え始めた社会問題として「空き家活用」の問題がある。地方に出かけると地方都市の市街地から、農村部に至るまで「空き家」「空きビル」「空きテナント」の現状を目の当たりにしていた。

 弊社の主力業務である「既存建築物の再生活用」として具体的にアクションを起こせる場合は、まだ恵まれている方で、ほとんどが放置されている。

 地価高騰・バブルから一転、空き家・空き地の増大へ真っ逆さまに落ちこんでいる日本。

 生存と生活の基盤である土地はどうなっていくのだろうか。

 この本は、近年続々と制改定された、土地基本法と相続など関連する個別法を解説するとともに、外国の土地政策も参照し、都市計画との関係や「現代総有」の考え方から解決策を探っている。

 この「現代総有」の概念は、弊社が現在取り組んでいる「空き家活用の実証的研究」のベースになった考え方だ。

「現代総有」とは、「個人の所有権は尊重するが、その利用は結束した共同体が主体となり共同で行う。」「現代総有とは、可能な地域で、また必要な地域で、地域住民を中心として取り組まれる「運動」でもある」

 弊社の「空き家活用の実証的研究」は、まもなくベースとなる基地ができる。この拠点をベースに実証的研究を更に進めたいと考えている。

「境界確認の困難要因と実務対応」鈴木泰介・内野篤 共編

 建築物と敷地・敷地境界にまつわる問題は多い。

 既存建築物の敷地面積に関わることで こんな事が以前あつた。新築時の建築確認済証では建蔽率は適合していた。土地の登記簿謄本を取り寄せてみたところ確認済証に記載されている敷地面積より少なかった。謄本上の敷地面積なら建蔽率は不適合。

 そこで、とりあえず敷地の四辺をテープで実測してみたところ、新築時の確認申請副本の配置図に記載されている辺の数値と、ほぼ同じだった。既存建物があったので斜辺は実測できなかった。計画の初期段階で測量士や土地家屋調査士に依頼する以前の段階だったので、自分で実測。

 なんで敷地面積が違うんだろうと思案して、作図をしてみたところ 何という事はない、新築時の配置図の三斜法の底辺と高さを書き換えていることが分かった。多分 建蔽率がオーバーするので、敷地面積を増やして建築確認済証を取得したものであろう。つまり設計者による虚偽の建築確認申請である。

 増築時の建築確認申請の際に配置図の数値を修正した。建蔽率はどうしたのかというと、準防火地域+準耐火構造で10%加算を利用し法適合化した。

 建築物の敷地は、不動産登記法上の筆に制約されることはなく、一筆の土地の一部を建物の敷地とすることもできるし、複数の筆を建物の敷地とすることもできる。

 また敷地境界線は、厳密に境界や所有権等の範囲を明示しているものではない。判例でも、隣地と境界不明などの紛争が生じていない場合、設計の受任者は一般的な範囲で敷地の調査・確定をする義務を負っていると考えられている。(東京地判昭50・2・20判時794・89)

 建築確認申請上の敷地面積は、依頼者からの指示等により敷地の現状を調査すれば足りるので、境界確定や厳密な測量をしていなくても良いのだが、悪意のある虚偽の図面に出くわすことは多々ある。

 敷地境界に関わることは土地家屋調査士に相談するば事足りるのだが、設計者も基本的な事は知っていた方が良い。

 別な事例で、敷地境界に関する問題が生じたので読んだ本。

「次世代への伝言・自然の本質と人間の生き方を語る」宮脇昭×池田武邦 対談

 国内外で土地本来の潜在自然植生の木群を中心に、その森を構成している多数の種類の樹種を混ぜて植樹する「混植・密植型植樹」を提唱し活動していた、生態学者の宮崎昭さんは2021年 (令和3年)に死去された。享年93歳。

 と

 2022年(令和4年)死去された建築家の池田武邦さん。享年98歳の対談集。

 2011年5月初版とあるから、お二人が亡くなられる10年ほど前に対談が行われたようだ。

 この本は邦久庵の2025年・夏の一般公開で訪れたとき、永野先生から紹介された本だったが、先に「軍艦『矢矧』海戦記/建築家・池田武邦の太平洋戦争」井川聡著を読んだので、池田武邦さんの原点については、ぼんやりと解り掛けていたので、宮崎昭さんとの植物についての対話もすんなりと受け止めることができた。

 終章の「Ⅳ、次世代への伝言」が特に記憶に残る

 「自然の摂理を敬い、従うこと」「物事を総合的に見る力を養う」「いのちは人間にはつくれない」「文明は普遍、文化は土着固有」「今、文化に根ざした行動が求められている「体で自然に触れる喜びから目も心も開かれていく」見出しを並べるだけでビビットくる。

 今年、裏木曽・加子母の神宮美林で檜の天然木を見て、自然に畏怖し、畏れ敬う気持ちを忘れてはならないと思った。それが日本文化の原点なのかもしれないと。一本一本の木に命があり、精霊が宿っていると感じた。老木と言うのは、人間の寿命よりずっと長いいのちを生きている。そのいのちを敬って、注連縄を張って神木としてきた。木は神様で、いのちは神様だという事を再認識することができた。

 ドイツ語では、文化はクルツール(Kultur)といい、文明を指すツィビリザチオン(ZiViisation)とは区別するとの事。クルツールとは土着のもので、その場所にしかないものというのは示唆的だった。

 自然を畏敬し、ふるさとの森や山、川、海と共生してるという実感覚。さらに海や山を敬う心が、日本人の心、魂なのだと思う。

 ようやくして私も 池田先生が指し示した境地にたどり着くことができたかもしれない。

「軍艦『矢矧』海戦記/建築家・池田武邦の太平洋戦争」井川聡著

邦久庵を訪れるまで、池田武邦さんについて ほとんど知らなかった。

 今回の訪問で一般社団法人邦久庵倶楽部 代表理事で 東京大学都市デザイン研究室 助教の永野真義先生から邦久庵について解説をしてもらったが、その中で紹介された本は、「次世代の伝言・自然の本質と人間の生き方を語る」宮脇昭・池田武邦対談だった。

 出張中だったのでアマゾンで池田武邦さんの本を検索して、出張から帰るころに届いているように注文していた何冊かの本の一冊だった。

 そして最初の読み始めたのが「軍艦『矢矧』海戦記/建築家・池田武邦の太平洋戦争」

 まずは、池田さんの太平洋戦争を知りたいと思った。昭和15年の海軍兵学校入隊から「矢矧」航海士として、マリアナ海戦、レイテ沖海戦、そして沖縄海上特攻を経て21歳で終戦を迎える。海軍大尉で終戦を迎えた。

 この濃密な6年間あまりの苛烈な戦場体験には圧倒される。池田さんは あの戦争を語り継ぐために「生かされた」存在なのかもしれない。

 池田さんは、私の父の世代でもあり、若い時には名前は知っていても、雲の上のような存在だった。何しろ日本設計の社長でもあったし。関わっていた建物のレイヤーが違い過ぎていた。

 邦久庵は妻が偶然見つけ、邦久庵倶楽部に登録して、いつかは見に行きたいと思っていた建物だつた。丁度その頃、私達も終の棲家をどうするか考えているところだった。

 その偶然ともいえるきっかけから、邦久庵は様々な視座を提供してくれる。

 

「日本木造遺産」藤森昭信(著)・藤原光政(写真)

 藤森照信氏が文章を、建築写真家の藤塚光政氏が写真を。プラス、それぞれの木造遺産について構造学の観点から、東京大学生産技術研究所の腰原教授がコラムを寄稿するという贅沢な本です。

 この本は、2019年から足かけ5年にわたる雑誌「家庭画報」の連載のうち32の木造遺産を雑誌とはまた異なる仕立てで再構成した本だそうです。

 既に見た建物も沢山あったが、この本を読みなおしてみると、気が付いていないことや、新しい知見が溢れていた。まだ見ていなかった建物もあり、探訪したい建物が増えた。

 「千年の時を超える知恵」が日本木造遺産には伝承されている。

「生きるための農業 地域をつくる農業」菅野芳秀著

 日本の農業の実態は、ペンを持つ農民から聞くのが一番と思い、この本を読んだ。

 山形県長井市で50年間、地域循環型家族農業を営む著者が、農業の現場から届ける百姓エッセイ。

 いま農村で何が起きているのか、衝撃的な見出しが目に入ってくる。「大規模農業には農民も農村も不要」「生産費を賄えないコメの価格」「農仕舞いに追い打ちをかける農業機械の更新」「大規模化がつくる赤茶けた田んぼ、生き物がいない水田」等

 大規模農業は、化学肥料・農薬・殺虫剤の利用とセットであり、その結果田んぼの中の小動物がいなくなり、カエルも少なくなった。虫がいないから田んぼの虫を食べるツバメもスズメもトンボも少なくなった。

 カエルの声が一晩中聞こえる田、赤とんぼが舞う秋の情景。これは家族農業・小規模農家が低農薬で頑張っている証でもある。

 そうした一次産業に従事する人たちが 日本の国土を守り、景観を環境を守ってきた。

 日本の農業を支えてきた家族農家の人達が生活できなくなっている農業政策自体間違っている。大規模化促進と輸入米拡大は邪道だ。農協の解体を目論んでいる人達もいるんだろうと思う。

「俺たち百姓の時代的役割は、いままで培ってきた農と暮らしの知恵を活かし、地域の足元から生活者と連携し、ともに生きるための農業をつくりだしていくことだろう。負けていてはダメだ」と著者は書く。

 農業・林業・漁業で暮らす人々にリスペクトし、生活が成り立つようにすべきだ。それが何よりもSDGSであり、日本の国土を守ることに繋がるのではないか。

「Iの悲劇」米澤穂信著

「I」とは、都市から地方への移住を意味するIターンの事

 舞台は田舎の中の田舎、市全体の過疎化に加え、恐らく東北の山間部を設定しているのだと思うが、ひとつの限界集落が無人になってしまい「死んだ集落」となった。そうした「死んだ集落」も、もう日本の地方では見慣れた光景になってしまったが・・・。

 その「死んだ集落」に行政が中心になって都市から新住民を呼び込み、一旦は集落を復活させるが、やがて新住民は少しずつ、集落を離れ、永遠の眠りにつく。

 移住者を増やすという取り組みは、人口減少の我が国の地方自治体では、どこもかしこも取り組んでいる。一見前向きな政策も、地方自治体の財政状態から見たらインフラ整備の予算もなく、とんでもなく負担でもある。

 行政の現場と地方の現状に視点を向けた社会派ミステリーの体裁をとってるが、反転する結末が面白いし、Iターン政策について考えてしまう本。

 婆ちゃんの本棚から借用した本だったけど、一気に読んでしまった。

「建築物の防火避難規定の解説2025」

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 2023年度版に続き2025年度版が発行された。商売道具とはいえ、法令が変わるたびに、こうした本を購入し目を通しておかなければならない。

 さて、どこがどう変わったのか、相変わらず差分対照がないので よくわからない。

 フォローアップの避難検証法の質疑回答が掲載されたように思う。まあ避難検証法等の性能規定については、恐らく一級建築士が10人いたら、そのうち9人ぐらいは知らないというだろう極めて専門的な分野。

 東京は暑いので、日中はできるだけ外に出ず、クーラーの効いている部屋で、もっぱら、こうした専門書を読む。

「建築・まちづくりのための 空き家大全」田村誠邦他編著

これまで あまり関わることもなく、さほど関心もなかった空き家問題

いざ調べていくと 結構深刻な状態が日本全国で起きている

 この本は もともと日本建築学会特別研究委員会「縮小社会における都市・建築の在り方特別研究委員会」(2018年)等の共同メンバーの活動が基になっているので、問題のアブーローチが学際的。問題と対策、利活用が1冊で分かるようになっている。

 とりわけ、第3部の「空き家を活かした50の事例」は多彩で、興味深い事例が紹介されている。

 仕事の中心が「既存建築物」だとプロジェクト毎に現代の社会的な問題と関わるざるを得ない。最近は「高齢者の住まい」「空き家活用」「都心の高層マンション等の諸問題」「まちづくり」等、考えなければならないことが多すぎる。

 地方の空き家活用に取り組んでいく 良い本を見つけた。