「ひとりみの日本史」大塚ひかり著

日本では「結婚して子を持って一人前」という考えが今なお根強い。とりわけ年配者では顕著だ。そういう自分もそうした意識は持っていた。

しかし古典文学や歴史書を読んでみると「ひとりみ」」を肯定的に描くものも見られる。著者は、古代から源氏物語や竹取物語に至るまで「ひとりみ」を肯定的に記しているものをあげている。

この本を読むと結婚は特権階級のいとなみで、歴史的に多様な独身たちの生と性が脈々と受け継がれてきたことが判る。

江戸時代の末、幕末の婚姻率は、江戸の男性は5割すなわち半数。京の男性の6割が独身だったという統計資料もある。

現代ではどうだろうか。

2020年(令和2年)の国勢調査では、単独世帯は38.1%。夫婦のみ世帯は20.1%。夫婦と子供からなる世帯は25.1%なのだ。単独世帯は2015年では34.6%だったので5年間で14.8%増加している。今後も単独世帯は増加するだろう。

現代は、下流化・貧困化しているのか、それとも家族の形態や概念が変わっているのか。

歴史的に見ると江戸時代後期や現代に少子・晩婚化傾向があらわれている。

これから住まいと住まいを取り巻く環境は、どのように変わっていくのだろうか。

「MATERIALIZATION 山本理顕的設計監理思想 生まれ変わる名古屋造形大学」

久しぶりに山本理顕さんの本を読んだ

 名古屋造形大学名城公園キャンパスを訪れてみて、このプロジェクトの全容を詳しく知りたいと思い、この本を取り寄せた。

 この建物を見て、「地域に開かれたキャンパス」を目指したのだろうということは、山本理顕さんのこれまでの考えから容易に伝わって来た。

 ここで本のタイトルにもなっている言葉「MATERIIALZATION」(物化)が登場する。ユダヤ人政治哲学者・ハンナ アーレンの言葉だ。読んでいた本が山本理顕さんと重なっていて驚いた。ハンナ アーレンは全体主義を分析し批判したことで知られている。MATERIIALZATIONは邦訳すると具体化、体現ということで、「考えの視覚化」ということなのだと思う。

 そう意味でいえば、この建物はコンセプトが明確に視覚化されている。

敷地の南北を貫くアートストリートの地下には、地下鉄が走っている事を知った。当然ながら地上部の荷重制限がある。それを解決する為に上階に大空間のスタジオを作っている。下記は初期計画の断面図。

 この建物を見に行き、まるで「大屋根の下の集落」という感じを受けたが、実にコンセプチュアルでテクノジカルな集積を このプロジェクから伺えることができる、

「建築物の防火避難規定の解説2023」日本建築行政会議編

「建築物の防火雛規定の解説2016(第2版)」の発行以降に行われた建築基準法令及び国土交通省告示の改正内容、さらに関係各方面からの質疑回答を反映している。

いつも前版との差分を確認するのだが、新しい項目の追加は見られなかった。

「耐火構造の屋根の例示仕様について」の内容が追記されているのが目についたが、質疑回答を本文に反映した変更が多いように思う。

ともあれ特殊建築物が業務の中心になっている設計者にとっては、今や必携書となっている。

「借地借家法の解説(4訂版)」渡辺晋著

最近は、借地借家法第28条に基づく立退きの正当な事由に関する調査・報告書作成依頼が多いので「借地借家法の解説」を再読。

この本、今秋には「5訂版」が出版される予定らしい。この「4訂版」が令和3年4月に出版された本だから基本的なところは変わらず、最新裁判例や賃貸借にまつわるトラブルが追加されるのではないだろうか。

「5訂版」も予約しておいた。

「借地借家上、建物とは、土地に定着し、周壁、屋根を有し、住居、営業、物の貯蔵等の用に供することのできる永続性のある建造物」(大阪高判昭和53.5.30、東京地裁平成19.12.20)「建造物の一部についても、障壁その他によって他の部分と区画され、独占的排他的支配が可能な構造・規模を有するものであれば、建物になる」(最判昭和42.6.2)

これは建築基準法第2条の「建築物」の用語の定義に沿っている。

ただ、賃貸借契約でも多様なものがある。「サービスオフイス」、「建物内の売店」、「商業施設内でのケース貸し」「鉄道高架下」、「立体駐車場部分」、「社宅・宿舎」、「公営住宅」、「経営委託・業務委託・営業委託」等、賃貸借が否定された事案もあり、個別事案の実質に沿って判断されるようだ。

仕事柄、主として「借家」に関する事を中心に読んでいるが、具体的なトラブル事例が豊富で、実務者向けの必携本。

「南極の食卓」渡貫淳子著

第57次南極地域観測隊の女性料理人が極限の地で見つけた暮らしの知恵が、素敵な南極の写真と可愛らしいイラストとともに綴られている。

昔「南極料理人」という映画で、南極観測の厳しさ、楽しさ、その魅力を知ったが、この本の著者・渡貫さんが、南極観測隊員を志したきっかけも「南極料理人」とのこと。

映画よりも更に詳しく、観測隊員の受検から訓練、準備、出発から観測隊員としての生活に渡るまで知ることができた。

特に「ごみ」処理については、興味深かった。

そもそも「ごみ」は、全て日本に持ち帰らなければならない。分類としては「燃えるごみ」と「燃えないごみ」でこれは日本と同じ。難しいのは「生ごみ」の考え方で、「生ごみ」の中には液体も含まれる。ラーメンのスープや煮汁など。「生ごみ」は、生ごみ処理機で乾燥させ、重さも体積も減らして焼却炉で灰にする。「燃えないごみ」はとにかく量(かさ)を減らして、ガラス類は破砕。缶類はプレス。ごみの最終形態をイメージして各自が捨てる。

ごみ箱は食堂と風呂場にしかなく、それを当直が毎日回収し、集積所で30品目くらいに分別後、種類別に重さを測る。南極観測隊員になると、どうやって「ごみ」を出さないようにするか、極力出さないようにする工夫と知恵が自然と身に付くようだ。

この本は、私にとっては、もうひとつの「南極料理人」本となった。

「Farm to Table シェフが愛する百姓・浅野悦男の365日」浅野悦男・成見智子著

 食に関する世界で聞かれるようになった「Farm to Table」(農場から食卓へ)という言葉は、生産者と消費者が物理的に、また概念として近い距離にあり、環境にも配慮したサスティナブルな食材を地産池消するというような意味で使われている。

 「料理人が生産者と直接つながり、食材をより広く深く知る機会を得て料理の幅が広がっていく。浅野さんは、その基盤を作った立役者」と浅野さんの旧知のシェフたちは、口をそろえる。と書かれている。

 ファームトゥテーブル(Farm to table)は、2010年代のアメリカ西海岸から広まった食に対する考え方のひとつとされている。一般的には、飲食店など食事を提供する側が、地元の食材、とくに天然ものやオーガニックを使用することが多い。

 この本の第1部「春夏秋冬 浅野悦男の農と食」の、野菜に関する記述は、とりわけ面白い。

 「白い根っこだけが大根だと思うなら、そこで終わり。だけど毎日つぶさに観察していれば、そうじゃないことに気付く人は気づくはすだ。どの状態のものを、どんなふうに使ったら面白いか。おいしいか。レストランの「皿の上」をイメージすることで、可能性はどんどん広がる。1+1が2で終わらず、3にも5にもなるんだ。」(春-萌芽のとき)

 「食というのは、官能の世界だ。食材、料理、そしてそれを楽しむ料理には、エロティシズムがなければね。食べるということは、五感を使って自分以外の他者を体内に受け入れることなんだから」

 建築のリノベーションの世界では、オランダ・アムステルダムのオランダ語で温室を意味する「De Kas(ダ・カッス)」が有名だ。緑豊かなアムステルダム郊外の野菜畑の中に建つ、有機栽培食材を使用した料理が自慢のレストラン(M★)だ。

 1920年代に実際に使われていたガラス温室の内部を、そっくりそのまま厨房やダイニングルームに改造したユニークさが売りで、周辺の広大な畑で収獲された無農薬野菜やハーブを使用し、丹精こめて作られたフュージョン料理の数々は独創性にあふれる。

最近、料理や食に関する本を多く読むようになって、料理人は建築家と似ていると思う事が多い。

「料理人は、常に新たなものを創造し、新しい価値を生み出すことを求められる。外からの刺激が少ないとインスピレーションが鈍ってしまう」「原動力は他人の評価ではない。自分の好奇心だ。」

 出張等で全国各地を出かけると、地場産の農畜産物や海産物、酒、調味料などにこだわつた飲食店が各地に沢山出来ていて楽しい。そうした店に探して出会った時は喜びにあふれる。食材だけでなく、器、カトラリー、内装、家具、花、メニューの紙にいたるま地場産業ものにこだわっているところもある。食べ物はどんな観光スポットよりも その土地を物語っている。

 居酒屋であれ、旅館であれ、オーベルジュであれ、レストランであれ「地域の語り手」が増えていると感じるとき、この国も捨てたものんじゃないぞと思う。

 日本は いつのまにか畑と食卓が遠い国になってしまっている。建築の世界も、そんな気がしてならない。

「転落の歴史に何を見るか」齋藤健著

現在、ポスト岸田の一人として名前があがっている経済産業大臣・齋藤健氏の著作である。氏の官僚時代2002年3月にちくま新書として出版され、2011年に増補版として出版された。

齋藤健氏は、現在の自民党では数少なくなった「文人」である。いわゆる二世議員でもないし、東京生まれの東京育ちだから選挙区の衆議院千葉7区は出身地でもない。官僚から落下傘候補として政界入りし、今や経産大臣であり首相への道を歩んでいる。

首相になるぐらいの人は、このぐらいの本を自筆できるぐらいの「教養」は、あってしかるべきだが、「文人」は「首相にはなれない」というようなジンクスが自民党にはあるとも聞く。

1905年日露戦争で、奉天会戦でロシアを破った日本陸軍が、1939年のノモンハン事件では、ソ連軍により壊滅的な敗北を喫した。その間30数年の「転落」の軌跡を分析し、その原因を突き止めようとした労作である。

戦後瓦礫の中から再出発して30数年経過した1980年代前半には、日本の貿易黒字が世界の脅威となるほどの経済成長を成し遂げた日本。それから失われた30年を経て、日本は、今 転落の瀬戸際に立っているように思える。

政権の中心にいる齋藤健氏が「転落」の主人公にならない事を願っている。

NQ

「NQ」って何?

 この間、本を読んでいたら出てきた聞きなれない言葉。 NはNetwork(ネットワーク)のNで、 QはQuotient(クォーティエント)のQだそうだ。ネットワークとは、網状組織・関連性を意味する。クォーティエントは、能力の意味。 NQは「人脈を作る能力という意味」と使う人もいれぱ「共存指数」という言い方もあるようだけど、何だか良くわからない。
 IQ(知能指数)、EQ(感情指数)などは聞いたことがあったけど。

USJをV字回復に導いたマーケター・森岡毅さんの「マーケティング入門書」では、「人の心の中を読み解くのが上手な人」「空気も行間も抜群に読める人」と書き、このEQという素養に優れた人はマーケ―ターに向いていると指摘する。そして、どちらかというと女性に多い。

このEQとは、「人の心の中を読み解くのが上手な人」というのが、一番しっくりくる。

「プリニウス-Ⅰ」ヤマザキマリ、とり・みき著

第28回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞した「プリニウス」の第1巻を買ってみた。

「プリニウス」博物学者にして艦隊の司令長官。古代ローマ一の知識人。そして変人。

古代ローマの雰囲気が、良く描かれているように思った。もっとも私は一度しかイタリアに行った事がないけど。

プリニウスは、科学的な考察を大事にしているけど、一方で幻想的なもの、空想的なものを切り捨てず内包している。

全12巻セット注文しちゃおうかな。

「イギリス人アナリストだからわかった日本の『強み』『弱み』」デービッド・アトキンソン著

日本文化を愛し、日本社会と日本経済の歪を鋭くシニカルに撃ってきた著者が四半世紀見続けた日本社会の「強み」と「弱み」を指摘している。

この本の第1刷が2015年6月なので、もう9年経つている。そこで、この本で使われているデータを幾つか調べてみた。

「購買力平価で見た一人当たりのGDP」だが、一人当たりの生産最終財やサービスの価値を購買力平価(PPP)を用いて算出したもので、簡単に言うと、国民一人当たりの生産性がどれだけ高いのか比較したもの。

この本で取り上げられた「IMF 2014年単位USドル」では、世界ランキング28位。2023年(最新)では世界ランキング37位とランクを下げている。

世界の一人当たりの購買力平価GDP(USドル)ランキング – 世界経済のネタ帳 (ecodb.net)

アウトバンド(海外旅行者)の消費額は、2014年で世界ランキング7位、2020年(最新)で世界ランキング14位。2000年には世界ランキング3位だったのだから、日本人は間違いなく貧しくなっているように思う。インバウンド・インバウンドと騒ぐけど、日本人が世界に旅立ち、色々なところで顰蹙(ひんしゅく)をかっていた時代を思い出す。

 著者は、日本人が生産性の低い民族だと指摘しているわけではなく、職人とエンジニアに見られる技術力と勤勉さを「強み」として評価しており「潜在能力に比べて低い」と指摘している。

 「強み」と「弱み」は、表裏一体。「能力があるにもかかわらず、生産性という結果が出ていないことは、まず考えられるのは、組織や働き方に何か重大なシステムエラーがあるという可能性です。」と指摘する。小西美術工芸社では、プロセスを重視しすぎていたことから数字という結果に重きを置くようにして経営改善が出来たという。

 私も数字という結果には、かなり重きを置いていて、建築の技術的な本より経済とか経営の本をこの10年多く読んできた。プロジェクト毎の原価管理、毎週経理ソフトへの入力を自分でやるようになって、弊社の適正な粗利率、諸物価の上昇率をリアルタイムで把握できるようになった。

 もっとも弊社はコアスタッフが少人数なので、毎日が株主総会。毎日が役員会議みたいなものだから、軌道修正も早い。

 まあ、オーナー社長は、なんでも勉強して、何でも自分でやらないとならない。

「既存建築物の法適合調査ガイドー円滑な改修のためのAtoZ」(一財)日本建築センター

2024年5月17日に初版が出版された「既存建築物の法適合調査ガイドー円滑な改修のためのAtoZ」が一般財団法人・日本建築センターが届いたので早速一読。

日本建築センターだけあって流石に全体的であり項目も過不足なく網羅されている。

図書の全体構成が、建築基準法の概要・既存建築物に関する法令の整理・建築基準法の変遷・既存建築物に関する調査方法・増築等又用途の変更の改修計画と展開される。

既存建築物の法的調査に関する文献は随分と充実して来た。それだけ既存建築物の再生と活用業務が増加してきているのだろう。

「既存建築物の再生と活用分野」のひとつの課題は、既存建築物の改修に法(建築基準法だけでない)の適用関係を理解し、適法な改修をする為の実務に精通している設計者が少ないことだ。

人間の医療で言えば「診察・検査・診断」=既存建築物の調査・検査・診断と「治療」(手術等)=改修方法・補修方法は一体不可分なのだが、それらに精通した設計者・技術者は多くない。

一級建築士事務所なら、これらのことに精通しているだろうと思われるが、ところがどっこいで、一級建築士といえども昨今では、医療で例えるとメスも使えない、傷の縫合もしたことがない出来ない。つまり実務が出来ない設計者も多い。図面はドラフトマン。設備や構造は別の人。現場に行った事もないから、当然配筋検査もしたくない出来ない。そうした分業化や極端なアウトソーシングの弊害も大きい。

設計者は、医療の分野で言えば「臨床医」であり、「森を見る」ドクター・ゼネラルでなければならないのだ。

私が考える、もうひとつの課題は、建築病理学が確立していない日本では、既存建築物の補修方法が、建築基準法の構造規定に適合しているとは一概に言えない。判断に苦慮するということだ。これについては現在悪戦苦闘中でもあり、別の機会に記したい。

とにかく、この本「既存建築物の法適合調査ガイドー円滑な改修のためのAtoZ」は、「既存建築物の再生と活用」を担いたい者にとって必読本である。

是非、購入をお薦めする。

「幻の料亭・日本橋『百川』」小泉武夫著 

 江戸日本橋浮世小路にあった料亭「百川(ももかわ)」は江戸時代中期に始まり幕末にかけて繁盛した料亭だが、明治の初めに忽然(こつぜん)と消え去った。その史料を掘り起こし謎に包まれた名店の全容を小泉武夫さんが浮き彫りにしている。

 「百川」は、江戸中期の明和・安永頃(1764~1781年)に創業し、文化・文政(1804~1830年)頃に最盛期を誇ったようだ。

 逢引きの場としての茶屋、卓袱料理屋から始まり当代屈指の一流料亭に変貌している。この本によると幕末の安政6年(1859年)の「即席会席御料理番付」には、山谷「八百善」、山下「がん鍋」、両国「亀清」、両国「万八」、深川「平清」、檜物町「嶋村」といった江戸料理屋とともに浮世小路「百川」の名前があげられているとのこと。

 江戸の町民文化が根付いていくうえで、人々がとても大切にしていたもののひとつが「社交」だったという。それは江戸という街が、様々な地域の出身者の寄せ集めで成り立っていたからかも知れない。

 商売の新規開業や家督相続、跡取りの元服、養子取り、火消しや鳶の頭の就任披露といった様々な機会に、関係者や親戚を招いて饗応し、引出物を配った。それらの舞台が一流料亭であり、料理茶屋であったと記されている。

 興味深い記述が盛沢山の本で、江戸時代の一流料亭では、まず風呂に入ってもらい、次に酒席になるのが習わし。料理は「旬」と「産地」に強くこだわる。茸・ジビエ・川魚など多様な食材を活用していた事。またこの頃既に食用花も料理に彩を添えていた。

 日本文化の凝縮した空間が日本料理店にはあり、建築・料理・器・庭・掛け軸による総合的な空間構成である。敷居が高いようにも感ずるだろうが、高級なフランス・イタリアン・洋食店と、さほど料金は変わらない。

 日本文化の探求と継承のために「日本料理店」に行きましょう。

「建築家・内藤廣 BuiltとUnbuilt 赤鬼と青鬼の果てしなき戦い」内藤廣

2023年島根県立岩見美術館での展覧会に向けて準備され、書籍となった本だと知った。

内藤廣さんの これまでの作品が整理されて、実現した建物。コンペ等の応募作品で実現しなかった建物。現在計画中の建物。約80プロジェクトが掲載されている。

情熱的でロマンティストな赤鬼に対して、冷静なリアリストの青鬼。

この自問自答のような、内藤廣さんの脳内を見ているかのような文章が楽しい。

手書き時代の青焼き図面、CADの断面詳細図、近年竣工物件に納品している寄贈図(断面詳細図にポイントとなる特徴的なディティールをレイアウトした図面)が模型写真等とともに収録されている。

CADの断面詳細図等は、老眼鏡にルーペを併用しないと活字を判読できない文字の大きさで読むのに苦労したが、やっぱり図面が美しい事務所の作品は、愛と情熱がたっぷりと注入されている。

今まで見た内藤廣さんの作品も幾つかあるので、時々見直し、思いだしながら、大いに学ばさせてもらっている。

「坂上に咲く」原田マハ著

「ワぁ、ゴッホになるッ!」
1924年、画家へ道に憧れを抱き裸一貫で青森から上京した棟方志功。
しかし、師もおらず、画材を買うお金もなく、帝展に出品するも落選し続ける日々。
そんな彼が辿り着いたのが木版画だった。全精力を打ち込む創作姿勢から生み出された「板画」は、やがて新しい芸術を生み出す。

棟方志功の生い立ちや妻チヤとのなれそめは知らなかった。

棟方志功の妻チャの視点から世界の「ムナカタ」を描いているが、棟方志功を支え続けるチヤにも引き込まれていく。

純粋すぎて眩しくなる夫婦。

妻や家族などの支えてくれる人。応援してくれる人。そういう人達がいて自分がある。やはり妻の力は偉大。

一気に読んでしまった。

なんとなく「ほんわか」気分。


「浅草かっぱ橋商店街 リアル店舗の奇蹟」飯田結太著

 効率度外視の「売らない」経営が、廃業寸前の老舗を人気店に変えた。多くのメディアでも紹介されている浅草合羽橋の料理道具専門店「飯田屋」の本。

 ノルマなし。売上目標なし。営業方針はまさかの「売るな」──型破りの経営で店舗の売上は急拡大、ECサイトもアマゾンをしのぐ販売数を達成している。


 廃業の危機に瀕していた浅草かっぱ橋の老舗は、なぜ行列の絶えない人気店へと変身できたのか 小売店再生への道、ヒントが詰まっている。

 試行錯誤、七転八倒の時を乗り越えて、自分の会社なりの事業システムを確立したことに敬意を表したい。

 本を読み、サイトを見ると何気に楽しそうな店舗だ。定番アイテムからマニアックな逸品まで楽しい料理道具が所狭しと並びんでいる。「プロのシェフから家庭の主婦まで世界中の料理人のためのお店」と謳う。

https://kappa-iida.com

 何だか昔の東急ハンズを思い出した。行くと新しい発見があり、オタクのような商品に詳しい店員さんがいて、買い物に行くことが楽しかった。

 建築的にも浜野安広さんが関わっていていたのでスキップフロアとか、新しい仕掛けが興味深かった。若い人は、浜野安広さんのこと知らないかも知れないが、私の時代では商業建築界における「あこがれの人」だった。

 東急ハンズも在庫管理、効率、人件費削減でつまらない店になり、東急不動産が撤退し、今や社名も「ハンズ」。

 中々、使ってみて気に入ったフライパンがないので今度 合羽橋に買いに行こうと妻と話していた。

「僕たちはもう帰りたい」さわぐちけいすけ著

 若い世代にとって「働く」ことは、喜びでも生き甲斐でもないと受け止めている人が多いのかも知れない。この漫画を読んでそう思った。

 「全日本もう帰りたい協会」というツイッターアカウントがある。フォロワー数47万人を超えている。

 ここでは働く人々の「もう帰りたい」という気持ちが日々つぶやかれている。こんなにも多くの人が帰りたいと願っているのに、なぜ帰れないのか?

 例えば

・なぜ無意味な残業に付き合わされる?
・「板挟み」状態をどうすればいい?
・上司の無茶振りにどうやって対処する?
・なぜうちの会社は効率が悪いんだ?
・妻でも母でも社員でもない私の時間が欲しい
・何を最優先にすればいいんだろう?
・自分の居場所は本当にここなのだろうか?

「もう帰りたい」と願う理由も、年齢も、性別も、立場によって全く異なる。これから始まるのはそんな人々のお話の漫画。この本も兵庫県明石市の出版社・ライツ社の本だけど、着眼点が面白いと思った。

 確かに私の知る限りでも日本の会社は、生産効率が悪いと思う。無駄な会議も多いし、それに対する資料作りにも相当な時間が費やされる。その時間を費やした資料の分析をするのならともかく、会議は上司の訓話(何度も聞いた昔話)に終始したり。定時で退社するのは、はばかれる環境。建築設計業界なんかブラック×3ぐらいの環境だったけど「帰りたい」と思ったことはあまりなかった。会社に泊まり込むなんて結構あったし、仕事をすればするほど早く技術を習得できると思っていた。私にとって「働くこと」は生活の糧を得る手段であったが、同時に「喜び」であり「生き甲斐」だった。

 時代は変わってきているのだな・・・

 

「売上を減らそう」佰食屋・中村朱美 著

京都の国産牛ステーキ丼専門店・佰食屋。

「働き方を極限まで絞ることで売上を上げているお店」「働き方の形は自分の人生に照らし合わせて決めることができる」つまり、どれだけ儲かったとしても、「これ以上は売らない」「これ以上は働かない」あらかじめ決めた業務量を、時間内でしっかりこなし、最大限の成果を挙げる。そして残りの時間(人生)を自分の好きなように使う。

2019年日経WOMAN「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2019」大賞(最優秀賞)を受賞した中村朱美さんの本。1984年生まれとあるから、まだ30代。男社会にどっぷり浸かり、サラリーマン、零細企業の経営を経験してきた自分にとってコペルニクス的視点。中村さんは、凄い経営者だと思った。

女性目線、子供・家庭を持つお母さん目線での働き方改革、経営システムだと感じた。

「100食という「制約」が生んだ5つのメリット」を挙げている。

メリット1「早く帰れる」退勤時間は夕方17時台

メリット2「フードロスほぼゼロ化」で経費削減

メリット3「経営が究極に簡単になる」カぎは圧倒的な商品力

メリット4「どんな人も即戦力になる」やる気に溢れている人なんていらない

メリット5「売上至上主義からの解放」よりやさしい働き方へ

とても参考になった。自社の商品力を磨き上げる事。8時間働けば暮らせるようにする。固定経費を削減する。プロジェクトの設計チームを編成する時は多様性を基本として考えや感覚が設計に反映できるようにする。self-reflection(内省)する時間を確保して勉強や読書、WEB更新にあてる。 そんなことを自社の経営で考えた。

この本の出版社ライツ社は、兵庫県明石市にある。出版不況が叫ばれる中、快進撃を続け社員は6人と小規模ながら、独創的な企画でヒット本を連発し、重版率は何と7割を記録するという。2016年創業。writes.right.light「書く力で、まっすぐに、照らす」を合言葉に、ジャンルにとらわれないでないで本をつくっている。ヒットを生み出すアイデアはどこにあるのだろうか。

「北辰の門」馳星周著

 天平九年(737年)、藤原不比等の息子である藤原四子が疫病(天然痘)で相次いで死去し、同年橘諸兄政権が成立した。この時藤原氏は、不比等の孫である藤原豊成(武智麻呂の長男)が12月に参議に補充されただけだった。

 開けて天平十年(738年)正月、阿倍内親王が皇太子に立てられた。

 「太上天皇制」は、大宝律令で法制化した措置で、文武天皇が即位した際、若年と経験不足ゆえに、天皇個人にのみに権力を集約させず、天皇に親権を及ぼす太上天皇、天皇生母、天皇生母の近親者(外戚)等から構成され共同統治を行ってきた。持統と文武は祖母と孫であった。太上天皇という制度は、天皇と同格の君主として扱われ、法制化された地位で、日本独自の制度と歴史書では書かれている。この太上天皇制について知らないと、古代歴史小説は、よくわからないだろうと思う。

 藤原仲麻呂(恵美押勝)が聖武天皇の後押しで政権内の地位を高めていく中で、仲麻呂の後見する阿倍皇太子と諸兄の後見する安積親王のいずれを正当な皇位継承者とするか攻防が熾烈になる。ここで天平十六年(744年)、安積親王は17歳で仲麻呂が留守官の恭仁京(くにきょう)で急死する(「続日本記」)。

 日本も又、古代歴史では天皇の皇位継承をめぐって常に策謀が巡らされ、血が流されてきた。この本を読んでいると、まるで韓国や中国の歴史ドラマ、映画を観ているような気持ちになった。

 天平勝宝元年(749年)7月、阿倍皇太子が即位し未婚の女帝・孝謙天皇が誕生した。ここから仲麻呂独裁政権への進撃が始まる。

 孝謙天皇と藤原仲麻呂(恵美押勝)の衝突と分裂は、孝謙天皇と道鏡の関係から始まっている。歴史書では「寵幸」(ちょうこう)(特別にかわいがられること。寵愛をうけること)と書かれるが、この小説の中では、男を知らなかった女と女を知らなかった男(僧)の艶めかしい物語として紡ぎ出されている。

 そして、臣下が王権に組織的な軍事力で対抗した「恵美押勝の乱」に突き進み、藤原仲麻呂(恵美押勝)は古代社会最大の反逆者として歴史に名を残した。

「梅おばあちゃんの贈りもの」乗松祥子著

この本も人に紹介された本。

80歳を超えても、朝から晩まで働いておられる梅おばあちゃん。

梅おばあちゃんの春夏秋冬の梅仕事を追いながら、毎日の食事、梅を使った料理のレシピ、梅の健康効果、幻と言われた杉田梅のことが書かれている。好奇心の持ち方、大切にしていることや白洲正子さん、樹木希林さん(内田家)との交流などについても綴られている。

写真も装丁も綺麗で、とても丁寧に作られた本だ。

「60代~70代は人生の黄金期」と書かれていて、ハッとした。趣味でも仕事でも夢中になれるものがあると幸せだという。80代の人生の先輩が言うのだから間違いがないだろう。

乗松祥子さんは、70歳から杉田梅の専門店「延楽梅花堂」を始めたとある。すごいな。「生きている限りは、ずっと現役でいたいと思っています。」。自分もそうありたいと思った。

梅干しが食べたくなった。

延楽梅花堂 トップページ (engakubaikado.jp)

「アーバン・ワイルド・エコロジー」能勢文徳+常山未央 著

 時々建築について刺激をすると長文のメールが返信されてくる「私の好きな建築ベスト10」を送ってくれた知人が、「若手のいい建築家」として教えてくれた能作文徳+常山未央。

 この知人には、「本来の建築とは何か」と常々刺激をもらっているので、彼のお薦めならと思い、全然名前の知らない若手建築家だったが、この本を買って見た。

 自分の娘、息子より若い40歳代前半の若手建築家は、何を考えているのか興味津々で読み始めた。

「建築を複数種の網目と捉えている。人間と複数種が共存する居住域を築くために、菌(きのこ)のような弱い力で現代都市を分解して再組織化する、それが私たちのヴィジョンである。」とある。

 多分 若い世代は、私の年代よりも気候変動や現代社会が持つ様々な問題に強い危機感を持つているのだろうと感じた。

 地球環境や生態系に配慮した家づくりやまちづくり、太陽エネルギーを生かしたオフグリッドハウス、土壌の健全性を回復する建築やランドスケープ、生産から廃棄までの物質循環に配慮したエコロジカルデザイン等のデザイン思考に取り組んでいる。

  近年は、街並みを構成する建築のさまざまな素材に着目し、築40年の瓦屋根の家屋を解体して修繕、移築した《高岡のゲストハウス》(2013)や、都市のストックである中古住宅にあなを開け、生命がつくるレイアウトにあわせて手を入れ続けていく自邸兼事務所《西大井のあな 都市のワイルド・エコロジー》(2017)などがある。

 土地やその歴史、素材や資源、住宅産業や社会制度、人々の生活のあり方など、より広範囲の設計与件を取り込みながら、新しい生態系としての建築の実現を志向している。

 能作文徳+常山未央。鋭敏な感性と知性でグローバルな活動をする彼らの今後の活動に期待したい。

「四神の旗」馳星周著

 この小説では、長屋王政権と藤原四子を扱っている。藤原不比等の4人の息子とは武智麻呂(南家)、房前(北家)、宇合(式家)、麻呂(京家)である。

 藤原不比等が死去した後に政権首班となった長屋王(ながやおう)。長屋王の権力基盤は、高市(たけち)皇子と御名部(みなべ)親王(元明の同母姉)との間に生まれた子であること。吉備(きび)内親王(草壁皇子と元明との子、元正天皇の同母妹)の夫であるということ。それから藤原不比等二女の長我子(ながこ)の夫であるという、三つの血筋によるもの。

 長屋王は藤原不比等の存命中は、その枠内において能力を発揮していたが、元明天皇が死去して首(おびと)皇子が即位し、聖武(しょうむ)天皇となるにつれ権力が揺らいでくる。

 神亀六年(天平元年、729年)2月10日、長屋王の「謀反」に関する密告が行われ12日窮問の結果、長屋王は自尽(ジジン・自分で自分の命を絶つこと)、その他は自経(縊死)。当時も今もこの長屋王の「謀反」は、誣告(ぶこく)であったと言う可能性が濃厚だ。それは藤原不比等二女の長我子所生の安宿王、黄文王、山背王、教勝などは不問とされていることから、この事件の標的がどこにあったか、この事件を策謀したものが誰であったかを示している。

 長屋王の変は、歴史教科書をさらつと眺めただけではわからない。この小説では長屋王の立場、藤原四子のそれぞれの立場と考え方にまで踏み込んだ創作となつており興味深い。

 それにしても藤原不比等の業績は偉大である。律令国家を完成させ、律令天皇制(および太上天皇制)を確立し、藤原氏の舗政を永続化させる基礎を固めている。

 日本の権力行使の有様、意思決定システムの様相、地位継承に関する構造など「この国のかたち」を作ったのは藤原不比等と持統天皇だったと言える。

「白鍵と黒鍵の間に ジャズピアニスト・エレジー銀座編」南博著

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 2023年秋に、池松壮亮主演で映画化された同名映画の原作本で、ジャズ・ピアニスト・南博が綴る修業時代の青春回想記。

 真面目なクラシックピアノ志望の青年は、ある日ふと聴いたジャズに魅せられ、人生が一変していく。

 学校をスピンアウトして小岩のキャバレー、六本木のバー、そして銀座の超高級クラブでの掛け持ちピアニスト生活。

 1980年代バブルの時代。欲望と札束が飛び交う夜の銀座で、青年は人生を学んでゆく。のだが肝心の部分は「モニャモニャ」と書かれている。そして銀座に別れを告げて、あこがれのアメリカへのジャズ留学を決意するまでが回想されている。

 私は、東京では東京駅から浜松町の間の会社に勤めていたので、銀座の街の雰囲気にはなじみがあるが、今の銀座には、あの頃の大人の世界は無くなったようにも感じる。

 仕事に追われていると こんな郷愁を誘う本が読みたくなる。

 尚、私は、南博のジャズピアノはあまり好きではない。

ラカトン&ヴァッサル

 知人と「好きな建築ベスト10」で被った2つ目は、2021年のプリツカー賞を受賞したフランスの建築家ラカトン&ヴァッサル。ラカトン&ヴァッサルは、アン・ラカトンとジャン・フィリップ・バッサルによる設計事務所で1987年にパリで設立された。

 2003年の建築文化で特集を組まれている。わずかに所蔵している「建築文化」の中の一冊。こうしてみるとラカトン&ヴァッサルは随分以前から注目はされていたけど、日本ではあまり人気がなく、作品集も邦訳されたものはないのではないかと思う。

 初期の作品は、一見してチープだからか人気がないのかも知れないけど、私は結構参考にしてきた。

下記は、2021年にプリッカー賞を受賞した時のarchitecturephotoの記事

『1960年代初頭に建設された17階建て96戸の市営住宅「La Tour Bois le Prêtre(2011年、フランス・パリ)」を、ラカトン&ヴァッサルがフレデリック・ドルオと共同で、より大きなスケールで改修しました。建築家は、元々あったコンクリートのファサードを取り除くことで、各ユニットの室内面積を増やし、建物の占有面積を拡張して、生物気候学のバルコニーを形成しました。かつては制限されていたリビングルームは、フレキシブルな空間として新しいテラスに広がり、大きな窓からは街の景色が一望できます。このようにして、ソーシャルハウジングの美的感覚だけでなく、都市の地理的状況の中でのそのようなコミュニティの意図と可能性を再考しました。

このフレームワークは、Druot and Christophe Hutinと共に、Grand Parc(フランス・ボルドー、2017年)にある530戸のアパートメントからなる3つの建物(G、H、I)の変革にも同様に適用されました。この変革により、ソーシャルハウジングを劇的に視覚的に再構築し、エレベーターや配管を近代化し、すべての住戸を寛大に拡張し、一部の住戸は約2倍の広さになりました。それは、住人を追い出すことなく、解体して新たに建設する場合の3分の1のコストで実現しました。

「私たちの仕事は、制約や問題を解決し、用途や感情、感覚を生み出すことができる空間を見つけることです。これまでのすべてが複雑であったときには、このプロセスと努力の最後には、軽さとシンプルさがなければなりません。」とヴァッサルは説明します。』

 ラカトン&ヴァッサルは、これらの操作を「トランスフォーメーション(変換)」と称していたような記憶がある。私は、リノベーションとかリファイン建築(青木茂)とかより「トランスフォーメーション」の方が概念的にしっくりくるように思っている。

「熱帯建築家 ジェフリー・バウの冒険」

 知人と建築についてメールでやりとりしていて、何故か「好きな建築ベスト10」というのが送られてきた。年代差があるので好みの建築も自ずと違うが、私の好きな建築と被ったのは3件だった。私は「好きな建築ベスト10」というように整理したことがなく、すぐ思いつくのは5件ぐらいだが、後は絞り切れない。

 私と好みが被ったひとつがジェフリー・バワだった。

 そこで、もう10年近く前の本だが、「熱帯建築家 ジェフリー・バウの冒険」を取り出してきた。昔の本を探し出すのが一手間。全ての本を開架式で見れるようにしたい。

 この本の隈研吾の解説では「建築の時代から、庭の時代へと転換している」と冒頭に書くが、今振り返ると「建築という制度、建築という時代」から抜け出せていないのは彼自身なのではないかと思った。

 ジェフリー・バウといえば、アジアンリゾートに強い影響を与えた。基本的にスリランカの建築家であり、アジア全般で活躍したわけではないが、バリ島の高級別荘地、パトラジンパを通じてバリ島に紹介されアジアンリゾートに影響を与えたと言われている。

 バウは、理論には懐疑的だったと言う。

 「俺の作品を見に来て感じろよ。」

 そんなメッセージがスリランカから聞こえてくる。

「比ぶ者なき」馳星周著

 このところ仕事の合間に読んでいたのは「藤原氏」に関する本。「大化改新」から律令国家、摂関時代、そして中世以降と。日本史の「真の主役」は「藤原氏」という人もいる。そのくらい日本の権力中枢に位置していた一族だ。

 この「比ぶ者なき」は、皇極4年(645年)の乙巳の変(いつしのへん)で功業をなしたと言われている中臣鎌子(後の藤原鎌足)の次子である史(ふみひと)・(後の藤原不比等)が主人公である。

 馳星周は、この「比ぶ者なき」で藤原不比等を主人公に据え、「四神の旗」で藤原不比等の4人の息子である武智麻呂、房前、宇合、麻呂を、「北辰の門」で藤原仲麻呂(恵美押勝)を取り上げている。

 さて藤原不比等。日本史上、最強のフィクサーとも言われている。何しろ天皇を神にし、律令国家を完成させた男と称される。

 不比等は、百済系渡来人のフミヒトである田辺氏の許で幼少期を過ごしたといわれており、官人となってからも渡来人を配下に置くことによって最新統治技術を独占した。又斉明朝から天智朝初年にかけての大臣(オホマヘツキミ)蘇我連子(むらじこ)の女である娼子(しょうこ)と結婚した。

 八世紀の天皇家は藤原氏と幾重もの婚姻関係を築いたが、それは藤原氏の基本的攻略として受け継がれることとなった。

 馳星周さん、小説とは言え、時代的背景・感情を良くとらえていると思う。馳星周がこんな古代歴史小説を書くとは思っていなかった。

 まあ皇国史観に凝り固まった連中からしたら焚書ものの小説だが、歴史を学んだものからすれば至極まっとうな小説である。