「八田利也」というのは私の恩師である建築史家・伊藤ていじ と建築家・磯崎新、都市計画家・川上秀光が架空の人物を装って使用していたペンネームです。
『現代建築愚作論』(八田利也、彰国社、1961年)は、学生時代に大学の図書館で読みふけった記憶がありますが、自分では所有してなかった本です。2011年に復刻されたのでようやく蔵書にしましたが、しばらく書棚に並んだままだったものを最近読み直しました。
「建築家諸君! せっせと愚作をつくりたまえ。愚作こそ傑作の裏返しであり、あるいは傑作へのもっとも確かな道である。愚作を意識してこそ建築家は主体性を確保し、現代の悪条件に抵抗する賢明な手段となる」
この本に掲載された「近代愚作論」のなかの一節で、「近代愚作論」は当時の建築家へのエールとして書かれたものですが、現代でも生きている「檄(げき)」だと思います。
八田は歴史的に傑作とされる姫路城や法隆寺、また数々の近代建築家の名作を引き合いに出しつつ実はそれらの建築には致命的な欠陥が含まれていること、しかしだからこそ傑作になり得たと指摘しています。そして建築家に向けて、失敗を恐れず愚作をつくり続けることが、傑作への道なのだと説いています。
創意に満ちた挑戦がその時代においては愚作となる建築を生み出してしまったものの、後世から振り返ると傑作と呼べるものになり得ているのだと。
しかし現代では こうした高邁な思想に基づく「八田利也」ではなく、失敗を恐れるばかりの者や自信過剰の「ハツタリヤ」も散見されます。
設計者と建築主の訴訟に登場するのは、正真正銘の「ハツタリヤ」設計者です。学校教育の影響でしょうか、自信過剰の「表現建築家」が多いのは哀しい事です。