奈良県の東吉野村で自宅兼・人文系私設図書館「ルチャ・リブロ」を主宰する著者が、志を同じくする若手研究者との対談を通じて「土着の知性」の可能性を考察した記録。
この本の副題に「手づくり」と「アジール」という2つのキーワードが記されている。
「手づくり」現代ではあらゆるものが商品化され、我々は選択肢の中から探し求めているだけ。「手づくり」は選択肢の檻からの脱出方法につながると書く。
「アジール」とは古来より世界各地に存在した「時の権力が適用しない場」。「聖域」「自由領域」「避難所」「無縁所」などとも呼ばれる特殊なエリアのことを意味する。ギリシア語の「ἄσυλον(侵すことのできない、神聖な場所の意)」を語源とするとの事。
日本の民俗学では、アジールの定義を「世俗の権力から独立して、社会的な避難所としての特権を確保あるいは保証される場所」(日本民俗学辞典)とある。
著者は「地に足をつけることの」ことの必要性を問い続ける。現代が「先行きの見えない時代」だからと。
民俗学者の柳田國男は「都市と農村」の中で、都市と農村の原理の違いを生産者と消費者の違いに求めている。柳田圀男が生きていた明治から昭和前期には、まだ都市と農村という二つの原理が機能していたが、現代はどうなんだろう。
ウイーン生まれの思想家 イヴァン・イリイチは「都市と農村」という二つの原理は、独立したものではなく「両義的な対照的補完性をなすもの」(「ジェンダー 女と男の世界」)と、互いに独立したものではなく互いに補完しあって、どっちが欠けても世界は成り立たないと書く。
二つの原理がある世界を成立させるために不可欠だったのが、お互いをつなぐ「回路」で、その存在のひとつを「異人」と称す。つまり都市と農村をつなぐ異人は「共同体が外部に向けて開いた窓であり、扉」(赤坂憲雄)であると。
著者は、自分にとっては年齢的には子供の世代なのだが、よく勉強され行動されている。期待の土着人類学研究者。
今、自分は都市と地方(農魚山村)を心と身体が行き来する漂泊の民状態。