同名の漫画やテレビドラマで有名になった「テセウスの船」
ギリシャ神話を源とする逆説(パラドックス)のひとつで「ある物体の全ての構成要素が置き替えられたとき、基本的に同じといえるのか」という問題です。
私の学生時代・1970年代半ば、もう40数年前に議論したテーマなので、とても懐かしく感じました。恩師・伊藤ていじの研究室では、伝統建造物保存地区の保存修景や古民家に関わることが多かったのですが、夜更かししたり研究室に泊まり込んでおしゃべりしていたことのひとつでした。その他に「カルネアデスの舟板」(緊急避難)などもテーマにあげられたことがありました。
歴史的建築物の保存修景(当時は静的保存が主流でした)において、どこまで歴史的な構成要素を残すのが保存修景と言えるのか、実態が違っても価値は同じと言えるのか、そういうものを保存修景して歴史的建築物として残すことに意味はあるのか。そんな答えの出ないような議論をしていた記憶がよみがえってきます。
ここ数年、古民家をリノベーションした建物を幾つか見せてもらったり、聞いたりしました。その中には、基礎・土台・柱等をほとんど新規のものにし、歴史的構成要素は、全体のフォルムと一部の梁材等だけという事例を見うけることがありました。又用途が異なる動的保存が増えていますが、それらは改修した後も「古民家」と言えるのでしようか。中には解体して新たに建て直す、全ての構成要素を現代のものにし、古民家風に見せた方が良いではなかったのではないかと思うものもありました。
歴史的建築物の動的保存が増えている現代において、建築設計者達は「テセウスの船」について語り合ったりしないのかなと思ったりしています。