
京都での仕事先に近かったので北野天満宮にお参りした
2月の下旬だったので、このとき梅はまだ蕾だったが、今日ニュースで北野天満宮の梅満開とのことを知った

蕾だったが、僅かに香りがした


結構参拝客がいた

北野天満宮で買い求めた梅干しが、塩の具合と酸っぱさのバランスが良く美味しかった
建築法務/ 建築ストック再生・活用 /長寿命化/ 環境建築 / 建築設計監理 / ㈱寺田建築事務所・一級建築士事務所
京都での仕事先に近かったので北野天満宮にお参りした
2月の下旬だったので、このとき梅はまだ蕾だったが、今日ニュースで北野天満宮の梅満開とのことを知った
蕾だったが、僅かに香りがした
結構参拝客がいた
北野天満宮で買い求めた梅干しが、塩の具合と酸っぱさのバランスが良く美味しかった
今回、京都モダン建築祭の企画で、学生時代から見てみたいと思っていたウエスティン都ホテル京都・佳水園を見る事が出来た。
ガイドをしてくれた施設課の人の村野藤吾愛には感銘した。例え一部分しか残せなくても、何とか村野建築を継承しょうと外資(マリオット)とも闘っているのだろうという事が推察できた。
確かにウェスティン都ホテル京都の原設計者は、村野藤吾である。しかしその後の改修、とりわけ2018年以降の大規模改修工事には、幾多の建築家・設計者・デザイナーが関わっている。佳水園の改修設計は、中村拓志&NAP建築設計事務所が手掛けたように。
https://www.nakam.info/jp/works/kasuien
ウェスティン都ホテル京都を観て、正直なところ村野藤吾が降下してこなかった。中村拓志さんの改修設計が拙いと言うわけではない。細部にわたりに目が行き届いた素晴らしい仕事をされていると思う。でも村野藤吾建築の持っている「柔らかさ」「芳醇さ」が失われた、村野藤吾のいない村野藤吾建築という感じを受けた。
佳水園に限らず、外形や照明や階段、家具の一部は保存・修景し必死に残そうとしている、でも所詮部分の継承では限界があるのではないか。そんな事をずっと考えていた。
建築ストックに関係するものとして、原設計者が著名な建築家であれ、そうでないであれ、他の建築家・設計者が改修を手掛ける場合。それは「再生」ということではなく「変容」(トランスフォーメーション)となり、別なものとなるのではないかと強く思った。安易に「建築再生」という言葉を使うべきでないのかもしれない。
佳水園室内・リフォーム後
鉄筋で組まれた下地窓
別館・佳水園
村野藤吾さんは屋根にこだわりがあった。
内樋だから、メンテナンス的には支障もあるようだ
まるで折り紙のように薄く連続する屋根
屋根の形がそのまま廊下の天井に。
左側の下がり壁は、スプリンクラー設備の為にあとから天井をこしらえた。
何故これほど屋根を薄く見せたいと思ったのだろうか
8053号室。この部屋は村野藤吾スペシャルとして、ほぼ改修しないで残した宿泊室と聞いた。希望があれば宿泊可能との事。
他の改修後の宿泊室は「日本を代表する建築家・村野藤吾氏の優美さや曲線美をインテリア等で表現し、エレガントモダンな空間を演出」とHPに記載されているが、写真を見る限りでは、似て非なるもの。
宴会場のひとつ、葵殿
収容人員270名
窓の外は東山の風景
葵の模様カーペット
回遊式庭園
京都モダン建築祭の企画参加にて撮影
西館宴会ロビーの階段
村野藤吾の階段は、軽さを強く意識している。
初段を床から離すようにデザインし
ササラ桁を天井から吊る構造にしている
下から見た時の段裏の見せ方も強く意識している
天井から吊っている
通称 ハートの階段
ウエスティン都ホテル外観(公式HPより借用)
ウエスティン都ホテル京都は、1890年4月、油商の西村仁兵衛がこの華頂山麓に保養遊園地「吉水園」を創業。その園内に1900年「都ホテル」を創業したのが始まり。京都で最も古いホテルの一つ。
1900年に創業し、2020年(令和2年)で創業130周年を迎えたウェスティン都ホテル京都。近鉄グループの運営だが、マリオットと業務提携しているので2018年からの大規模改修には、マリオットの施設基準、デザイナーの意思が強く反映している。
歴史を重ねたこの建物の品格は、日本の近代建築の礎を築いた建築家・故村野藤吾氏の設計で、学生時代から このホテル内にある村野数寄屋の佳水園を見てみたいと思っていた。
10月に続き、再び京都へ
11月から開催されている京都モダン建築祭の企画「ウエスティン都ホテル・村野藤吾の名作ホテル特別案内、アフタヌーンティー付き」の参加に合せてもらうために日程を調整してもらった。
10時、ウェスティン都ホテル京都の東館1階メインロビーに集合
この時間に京都の現地に来るためには、自宅を朝5時に出なければならない。
3階のBAR麓座に移動してホテルの人からガイダンスを受ける。
如何に村野藤吾建築のエッセンスを継承しているかという説明
この後、ホテル内を案内してもらった
よさげなBAR
京都市役所道路向いのホテルオークラ京都で打合せ
格調高いインテリア
欧米外国人の利用が多いように見受けられた
17階から望む東山と鴨川
京都から新幹線に乗った途端 爆睡。
新横浜で目が覚める
睡眠は、新幹線乗車時間は2時間くらいで丁度よい。
名古屋-東京間だと時間が短くて良く寝れない。
明治古都館
明治古都館は、1897年(明治30年)5月1日に「帝国京都博物館」として開館した。大和大路通りに面した表門(西門)から七条通りに面する南門に続く塀も、時を同じくして建てられた。
設計は、宮内省内匠寮の技師であった片山東熊(かたやまとうくま)。
建物の外観はフランス・ルネサンス―バロック様式を取り入れながらも、日本的な抒情性や繊細な感覚が見事に表現されている。
1969年(昭和44年)には、旧帝国京都博物館本館、表門、札売り場及び袖塀は重要文化財に指定。
現在、明治古都館は、免震改修他の基本計画を進めるため原則非公開。
館内・ミュージアムショップ
日本的な空間構成を取り入れた直線を基本とする展示空間。開放的なロビーに降りそそぐやさしい陽光。
京都国立博物館・平成知新館 2013年竣工
上賀茂神社参拝の後、南に移動し京都国立博物館をちらりっと視察
上2枚はミュージアムショップ
設計は、ニューヨーク近代美術館 新館、東京国立博物館 法隆寺宝物館、豊田市美術館などを手がけた谷口吉生氏。
午前中だけ私的な時間がとれたので朝のうちに恒例、上賀茂神社に御参り。
参道の緑がきれいに刈られ、秋の青空に映える
この日 上賀茂神社は、新嘗祭だった
偶然にも お馬さんも出社されていた。去年の7月に逢っているから1年ぶり
八咫烏のおみくじが飾られている
5月13日 葵祭の準備が進む上賀茂神社に今年もお参りすることができた。
朝、京都駅から真っ直ぐ上賀茂神社へ
小雨模様だった
洛北の上賀茂神社までくると、随分と空気が清浄なことがわかる
毎年来ているのに、何かしら発見がある
加茂祭(葵祭)に寄せれたお酒
雨の中設営などの準備が進められていたが、この日の夕方には晴れ上がった
社務所に寄った
寺町通り反対側にある2号館・別館
背後は鳩居堂の倉庫・配送センターと社員寮
こちらは本館の外観
張弦梁
工房
天井材は杉小幅板
石塀
中庭で中国人グループが記念撮影していたので石塀部分のみ
トップライトを設けた切妻屋根を極細のトラスで補剛
16φぐらい
防犯建具のレール。スチールにリン酸処理
軒天は杉材
軒庇のリブ。スチール リン酸処理
防犯用の木製建具
寺町通りの京都鳩居堂本店を見てきた
ここも車に待つてもらっていたので駆け足で
石塀、腰壁は黄竜山石 ビシャン下見貼り
竜山石は兵庫県産の凝灰岩
外壁は、焼杉だが、
下地(基材)はALC版でCチャンの上に焼杉を貼っているようだ
設計は内藤廣建築設計事務所
京都出張。京都駅への帰り路に送ってくれた車に頼み「虎屋菓寮 京都一條店」に寄ってもらった。
車を道に停めてもらい、かけあしで写真を撮ってきたので、お茶して内部や庭をゆっくり見る時間がなかった。
設計は内藤廣建築設計事務所
5月13日夕刻近くに折からの雨も上がった。
「懐石 近又」は、京都の典型的な町屋造りで2001年に国の登録有形文化財に指定されています。建物自体は明治20年代と聞きました。
庭
階段
座敷は七室、そして坪庭と、裏庭があります。京のど真ん中に残った町家で、和の世界満載の建物です。和の心、「わび」「さび」の世界を楽しめる空間です。
錦小路に近い、京のど真ん中にありますが思いのほか静かです。そしてとても便利な立地にあります。
トイレ脇の照明
コロナ前までは宿泊も出来る「京町屋オーベルジュ」でしたが、現在は宿泊は休止しているそうです。コロナ禍で宿泊者がなかったことで槙の浴槽が使えなくなった事と、人手不足もあるとの事でした。
建物を見せていただいたあと、御主人とおかみさんが見送ってくれました。
「祇園祭の宵山見ていかれないんですか」
「混むから早々に帰ります」
と観光客で混雑してきていた京を後にして東京に戻りました。
高松での打合せ・調査を経て、翌日岡山で打合せ。帰路京都に途中下車して上賀茂神社に御参りしました。
この日、ラッキーだったのは神馬の出社日だった事。毎月1日が出社日だが7月だけは15日ということで、毎年上賀茂神社に御参りしているが、始めて神馬にあうことが出来た。
神馬に人参をあげてきました
本殿
京都に行くたびに上賀茂神社に御参りするようになって10年ぐらい経つ。
毎年行くことはできないけど、訪れるたびに上賀茂神社から受ける印象は変わる。と今年は感じた。
参拝のあとに神馬堂のやきもちを買ってきて食べる。これも恒例