VISON -7,

HOTEL VISON

 地元の人に聞いたところ、子育て世代が家族連れで行くには、飲食代も含めて少し高額で、開業から2回行ったことがあるだけと言っていた。それと駐車料金を取られることに抵抗があると言っていた。田舎だからほとんど駐車料金というものを普段は意識していないそうだ。もっともVISONも内部店舗の購入額に応じて駐車料金は何時間か無料となるそうだ。

 利用者から見ると、一般的に高速道を利用する人のサービスエリア的な位置づけという気がしないでもないが、VISON側からだと「VISONは洗練されたお店と三重の自然が集まる「1つの集落」のようで、VISONの由来である「美村=美しい村」を連想させます。」と書いてあるように、結構こだわった商品が並んでいるので、少し料金が高めなのは致し方ないのかも知れない。

「VISONは三重県の自然を味わえるオープンエアな場所と考え、 天候や季節を選んで遊びに行くのがおすすめです。」とあるが、屋外型の食べ歩き商業施設なので、確かに天候や季節を選択していくことが望ましいと思う。あまりに冷たい風のある日に行ったので充分に施設内を見て回れなかった。

「マルシェには地元でとれた新鮮な魚やお肉、野菜や果物にあふれ、本草湯に入れば三重の大地が育ててくれた薬草の香りに癒やされる。そんな自然とのつながりを感じられるのがVISONなのです。」とあるが、さほどオリジナリティーを感じなかった。

 総合的な印象として「見てくれ第一」。

 翌朝、伊勢市に向かう途中にある地元の人に人気があるという産直市場に寄った。「ふるさと味工房アグリ」というところ。備忘録としててリンクを貼っておく

 https://aguri-tamaki.jp/tamakipork/

ここは、地元の畜産農家の人たちが中心になって作った産直市場で、とりわけ玉城豚のハム、ソーセージ、ウインナーが美味しいというので購入したが、実に美味しかった。野菜類も新鮮で惚れ惚れしたし、弁当や総菜類はお昼ごろには売り切りれてしまうらしい。店内は人で一杯だった。

 日本の農家は、まだまだ頑張っているんだな。消費者として応援したい。

VISON -5, NOUNIYELL(ノウニェール)

夕食をとったのは、農園イタリアンのNOUNIYELL(ノウニェール)

農園エリアはホテルから遠いエリアなのでベネッセのようにマイクロバスで送り迎えしてくれた。

夕食は、和食や洋食 いろいろなVISON内の店から選択できる。この店を選んだのだが大正解。実に野菜が新鮮で、料理法が斬新で、なおかつ美味しかった。

例えば、この「かまないマルゲリータ」

トマトのスープにモッアレアチーズが浮かんでいる。皿の周りに小麦の粉

スープ自体も美味しいが、小麦粉を混ぜると更にうまい

伊勢海老とルッコラのトマトパスタも美味しかった

この日の客は、私たちの他にもう一組だけで少し寂しかったが、ここのクォリティーが知られていないんだなと思った。勿体ないことだ。

VISON -4 , 本草湯

本草湯の休憩室

林立する竹のモニュメントが印象的

廊下の先は、笠庵 賛否両論

HOTEL VISONと本草湯は、屋根だけの廊下でつながっているが

ホテル室内着のまま本草湯に来たので とても寒かった

そのことを知っている人は、コートをまとっていた

それと浴室内の照明が、とても暗くて難儀した

ホテルと本草湯をつなぐ外廊下

VISON -3, HOTEL VISON

HOTEL VISONは10階がレセプション。すなわちフロント

9階から2階が客室なので、廊下を移動しエレベーターホールに向かう

 4階から2階の客室は5階でエレベターを乗り継がなければならない

5階エレベーターホールに飾られた御雛様

エレベーターホールから両サイドに客室が配置されており、

その客室前の廊下

コンクリート打ち放しと砂利と木の開口枠。見た目は美しいが

客室を出てエレベーターホールへ行くまでの、この廊下は空調がないのでヒートショックを起こすかと思うほど寒かった。

VISON -2 ,マルシェ ヴイソン

橋を渡って右側に猿田彦珈琲。中央がスイーツ。左側にマルシェ

翌日の朝、HOTEL VISONから撮影

日本最大級の産直市場と言われている「マルシェ ヴィソン」

木造集成材の架構です

海女小屋 なかがわ

 この日、天気は晴れていたが風がとても冷たく、時折雪が吹っ掛けてくる一日で、視察も早々に切り上げてホテルに戻りました。屋外の商業施設だから、客入りも天候に左右されやすいだろうなと見ていました。

VISON -1

名古屋での打ち合わせを午前中で済まし、クライアントと三重県多気町の商業施設「VISON」の視察に行ってきた。

2021年7月にオープンした民間初認可のスマートIC直結施設でもあり、敷地面積119ha(東京ドーム24個分 )の広大な商業施設。

主要な商業施設は、個あるいはグループの木造建築。それらがテーマ別に分散的に配置されている。

HOTEL VISONから外部エスカレーターを乗り継ぎ下りていく途中での写真

横浜市役所

年の瀬に横浜市役所に行ってきた。

明日は御用納め。役所は空いていた。

なんとも目立たない建物

遅い昼食を取りたいと思ったが

3時を回っていたので飲食店の多くは休憩時間。

丸善の早矢仕ライスを食べた

最近はハヤシライスを提供する飲食店が減った

この店のレモンスカッシュは、

レモンを凍らせたものが入っているので水っぽくならない。

ちょつとした工夫が光る

往復の湘南新宿ラインでは爆睡

ウェスティン都ホテル京都 -9

 今回、京都モダン建築祭の企画で、学生時代から見てみたいと思っていたウエスティン都ホテル京都・佳水園を見る事が出来た。

 ガイドをしてくれた施設課の人の村野藤吾愛には感銘した。例え一部分しか残せなくても、何とか村野建築を継承しょうと外資(マリオット)とも闘っているのだろうという事が推察できた。

 確かにウェスティン都ホテル京都の原設計者は、村野藤吾である。しかしその後の改修、とりわけ2018年以降の大規模改修工事には、幾多の建築家・設計者・デザイナーが関わっている。佳水園の改修設計は、中村拓志&NAP建築設計事務所が手掛けたように。

https://www.nakam.info/jp/works/kasuien

ウェスティン都ホテル京都を観て、正直なところ村野藤吾が降下してこなかった。中村拓志さんの改修設計が拙いと言うわけではない。細部にわたりに目が行き届いた素晴らしい仕事をされていると思う。でも村野藤吾建築の持っている「柔らかさ」「芳醇さ」が失われた、村野藤吾のいない村野藤吾建築という感じを受けた。

 佳水園に限らず、外形や照明や階段、家具の一部は保存・修景し必死に残そうとしている、でも所詮部分の継承では限界があるのではないか。そんな事をずっと考えていた。

 建築ストックに関係するものとして、原設計者が著名な建築家であれ、そうでないであれ、他の建築家・設計者が改修を手掛ける場合。それは「再生」ということではなく「変容」(トランスフォーメーション)となり、別なものとなるのではないかと強く思った。安易に「建築再生」という言葉を使うべきでないのかもしれない。

ウェスティン都ホテル京都 -5

村野藤吾さんは屋根にこだわりがあった。

内樋だから、メンテナンス的には支障もあるようだ

まるで折り紙のように薄く連続する屋根

屋根の形がそのまま廊下の天井に。

左側の下がり壁は、スプリンクラー設備の為にあとから天井をこしらえた。

何故これほど屋根を薄く見せたいと思ったのだろうか

ウエスティン都ホテル京都 -4

8053号室。この部屋は村野藤吾スペシャルとして、ほぼ改修しないで残した宿泊室と聞いた。希望があれば宿泊可能との事。

他の改修後の宿泊室は「日本を代表する建築家・村野藤吾氏の優美さや曲線美をインテリア等で表現し、エレガントモダンな空間を演出」とHPに記載されているが、写真を見る限りでは、似て非なるもの。

ウェスティン都ホテル京都 -2

京都モダン建築祭の企画参加にて撮影

西館宴会ロビーの階段

村野藤吾の階段は、軽さを強く意識している。

初段を床から離すようにデザインし

ササラ桁を天井から吊る構造にしている

下から見た時の段裏の見せ方も強く意識している

天井から吊っている

通称 ハートの階段

ウエスティン都ホテル京都 -1

ウエスティン都ホテル外観(公式HPより借用)

ウエスティン都ホテル京都は、1890年4月、油商の西村仁兵衛がこの華頂山麓に保養遊園地「吉水園」を創業。その園内に1900年「都ホテル」を創業したのが始まり。京都で最も古いホテルの一つ。

1900年に創業し、2020年(令和2年)で創業130周年を迎えたウェスティン都ホテル京都。近鉄グループの運営だが、マリオットと業務提携しているので2018年からの大規模改修には、マリオットの施設基準、デザイナーの意思が強く反映している。

歴史を重ねたこの建物の品格は、日本の近代建築の礎を築いた建築家・故村野藤吾氏の設計で、学生時代から このホテル内にある村野数寄屋の佳水園を見てみたいと思っていた。

10月に続き、再び京都へ

11月から開催されている京都モダン建築祭の企画「ウエスティン都ホテル・村野藤吾の名作ホテル特別案内、アフタヌーンティー付き」の参加に合せてもらうために日程を調整してもらった。

10時、ウェスティン都ホテル京都の東館1階メインロビーに集合

この時間に京都の現地に来るためには、自宅を朝5時に出なければならない。

3階のBAR麓座に移動してホテルの人からガイダンスを受ける。

如何に村野藤吾建築のエッセンスを継承しているかという説明

この後、ホテル内を案内してもらった

よさげなBAR

うかい鳥山 2024

親戚の集まりがあって「うかい鳥山」で会食

記録によると前回きたのは2018年12月なので約6年ぶり

夕方5時、庭の燈がともると、別世界。

うかい鳥山は、創業60年だという。古民家を移築して小川に沿って離散型集合体で飲食店にした創業者は先見の明があったんだなとつくづく思う。都市計画区域外だから個々の建物に接道義務がないので、こうした客室の離散型集合が展開できる。

ここの空間は、子供達や女性陣の記憶にしっかりと刻まれ、必ず会食先の候補にあがる。

以前は、外国人客はあまり見なかった記憶があるが、この日は何組が欧米人客を見た。

もうすぐ七五三だね

で、この日飲んだ日本酒は、田酒 純米吟醸 百四拾 紅葉(もみじラベル)。2年前に青森で始めて飲んで感動した酒。これを東京で飲めるのは貴重。幸せ、幸せ。

いつもながら料理は美味しかったけど、はじけ栗は始めて

旨し

銀杏も沢山食べてしまった

黴(かび)る建築

親戚の集まりがあって、京王線高尾山口駅に行ってきた

この駅舎の設計も「腐る建築」で有名なKUMAさん。

こちらは築9年と聞いたが、木部が浸みて黴が発生している

高尾山口駅は、丁度高尾山から下山してくる人が多い時間帯で混雑していた

「野市」というイベントが駅の屋根の下で開催されていた

夕方になるとライトアップされ「黴る建築」を感じさせない

6、7年ぶりに高尾山口に来たのだけれど、随分と飲食店が増えたように思えた。

高尾までくると、山の空気に包まれて、都心より涼しい。

ホテルオークラ京都

京都市役所道路向いのホテルオークラ京都で打合せ

格調高いインテリア

欧米外国人の利用が多いように見受けられた

17階から望む東山と鴨川

京都から新幹線に乗った途端 爆睡。

新横浜で目が覚める

睡眠は、新幹線乗車時間は2時間くらいで丁度よい。

名古屋-東京間だと時間が短くて良く寝れない。

京都国立博物館 -3

明治古都館

明治古都館は、1897年(明治30年)5月1日に「帝国京都博物館」として開館した。大和大路通りに面した表門(西門)から七条通りに面する南門に続く塀も、時を同じくして建てられた。

設計は、宮内省内匠寮の技師であった片山東熊(かたやまとうくま)。

建物の外観はフランス・ルネサンス―バロック様式を取り入れながらも、日本的な抒情性や繊細な感覚が見事に表現されている。


1969年(昭和44年)には、旧帝国京都博物館本館、表門、札売り場及び袖塀は重要文化財に指定。

現在、明治古都館は、免震改修他の基本計画を進めるため原則非公開。

京都国立博物館 -1

京都国立博物館・平成知新館 2013年竣工

上賀茂神社参拝の後、南に移動し京都国立博物館をちらりっと視察

上2枚はミュージアムショップ

設計は、ニューヨーク近代美術館 新館、東京国立博物館 法隆寺宝物館、豊田市美術館などを手がけた谷口吉生氏。

上賀茂神社 2024秋

午前中だけ私的な時間がとれたので朝のうちに恒例、上賀茂神社に御参り。

参道の緑がきれいに刈られ、秋の青空に映える

この日 上賀茂神社は、新嘗祭だった

偶然にも お馬さんも出社されていた。去年の7月に逢っているから1年ぶり

八咫烏のおみくじが飾られている