佳水園室内・リフォーム後
鉄筋で組まれた下地窓
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佳水園室内・リフォーム後
鉄筋で組まれた下地窓
別館・佳水園
村野藤吾さんは屋根にこだわりがあった。
内樋だから、メンテナンス的には支障もあるようだ
まるで折り紙のように薄く連続する屋根
屋根の形がそのまま廊下の天井に。
左側の下がり壁は、スプリンクラー設備の為にあとから天井をこしらえた。
何故これほど屋根を薄く見せたいと思ったのだろうか
8053号室。この部屋は村野藤吾スペシャルとして、ほぼ改修しないで残した宿泊室と聞いた。希望があれば宿泊可能との事。
他の改修後の宿泊室は「日本を代表する建築家・村野藤吾氏の優美さや曲線美をインテリア等で表現し、エレガントモダンな空間を演出」とHPに記載されているが、写真を見る限りでは、似て非なるもの。
宴会場のひとつ、葵殿
収容人員270名
窓の外は東山の風景
葵の模様カーペット
回遊式庭園
京都モダン建築祭の企画参加にて撮影
西館宴会ロビーの階段
村野藤吾の階段は、軽さを強く意識している。
初段を床から離すようにデザインし
ササラ桁を天井から吊る構造にしている
下から見た時の段裏の見せ方も強く意識している
天井から吊っている
通称 ハートの階段
ウエスティン都ホテル外観(公式HPより借用)
ウエスティン都ホテル京都は、1890年4月、油商の西村仁兵衛がこの華頂山麓に保養遊園地「吉水園」を創業。その園内に1900年「都ホテル」を創業したのが始まり。京都で最も古いホテルの一つ。
1900年に創業し、2020年(令和2年)で創業130周年を迎えたウェスティン都ホテル京都。近鉄グループの運営だが、マリオットと業務提携しているので2018年からの大規模改修には、マリオットの施設基準、デザイナーの意思が強く反映している。
歴史を重ねたこの建物の品格は、日本の近代建築の礎を築いた建築家・故村野藤吾氏の設計で、学生時代から このホテル内にある村野数寄屋の佳水園を見てみたいと思っていた。
10月に続き、再び京都へ
11月から開催されている京都モダン建築祭の企画「ウエスティン都ホテル・村野藤吾の名作ホテル特別案内、アフタヌーンティー付き」の参加に合せてもらうために日程を調整してもらった。
10時、ウェスティン都ホテル京都の東館1階メインロビーに集合
この時間に京都の現地に来るためには、自宅を朝5時に出なければならない。
3階のBAR麓座に移動してホテルの人からガイダンスを受ける。
如何に村野藤吾建築のエッセンスを継承しているかという説明
この後、ホテル内を案内してもらった
よさげなBAR
親戚の集まりがあって「うかい鳥山」で会食
記録によると前回きたのは2018年12月なので約6年ぶり
夕方5時、庭の燈がともると、別世界。
うかい鳥山は、創業60年だという。古民家を移築して小川に沿って離散型集合体で飲食店にした創業者は先見の明があったんだなとつくづく思う。都市計画区域外だから個々の建物に接道義務がないので、こうした客室の離散型集合が展開できる。
ここの空間は、子供達や女性陣の記憶にしっかりと刻まれ、必ず会食先の候補にあがる。
以前は、外国人客はあまり見なかった記憶があるが、この日は何組が欧米人客を見た。
もうすぐ七五三だね
で、この日飲んだ日本酒は、田酒 純米吟醸 百四拾 紅葉(もみじラベル)。2年前に青森で始めて飲んで感動した酒。これを東京で飲めるのは貴重。幸せ、幸せ。
いつもながら料理は美味しかったけど、はじけ栗は始めて
旨し
銀杏も沢山食べてしまった
親戚の集まりがあって、京王線高尾山口駅に行ってきた
この駅舎の設計も「腐る建築」で有名なKUMAさん。
こちらは築9年と聞いたが、木部が浸みて黴が発生している
高尾山口駅は、丁度高尾山から下山してくる人が多い時間帯で混雑していた
「野市」というイベントが駅の屋根の下で開催されていた
夕方になるとライトアップされ「黴る建築」を感じさせない
6、7年ぶりに高尾山口に来たのだけれど、随分と飲食店が増えたように思えた。
高尾までくると、山の空気に包まれて、都心より涼しい。
京都市役所道路向いのホテルオークラ京都で打合せ
格調高いインテリア
欧米外国人の利用が多いように見受けられた
17階から望む東山と鴨川
京都から新幹線に乗った途端 爆睡。
新横浜で目が覚める
睡眠は、新幹線乗車時間は2時間くらいで丁度よい。
名古屋-東京間だと時間が短くて良く寝れない。
明治古都館
明治古都館は、1897年(明治30年)5月1日に「帝国京都博物館」として開館した。大和大路通りに面した表門(西門)から七条通りに面する南門に続く塀も、時を同じくして建てられた。
設計は、宮内省内匠寮の技師であった片山東熊(かたやまとうくま)。
建物の外観はフランス・ルネサンス―バロック様式を取り入れながらも、日本的な抒情性や繊細な感覚が見事に表現されている。
1969年(昭和44年)には、旧帝国京都博物館本館、表門、札売り場及び袖塀は重要文化財に指定。
現在、明治古都館は、免震改修他の基本計画を進めるため原則非公開。
館内・ミュージアムショップ
日本的な空間構成を取り入れた直線を基本とする展示空間。開放的なロビーに降りそそぐやさしい陽光。
京都国立博物館・平成知新館 2013年竣工
上賀茂神社参拝の後、南に移動し京都国立博物館をちらりっと視察
上2枚はミュージアムショップ
設計は、ニューヨーク近代美術館 新館、東京国立博物館 法隆寺宝物館、豊田市美術館などを手がけた谷口吉生氏。
午前中だけ私的な時間がとれたので朝のうちに恒例、上賀茂神社に御参り。
参道の緑がきれいに刈られ、秋の青空に映える
この日 上賀茂神社は、新嘗祭だった
偶然にも お馬さんも出社されていた。去年の7月に逢っているから1年ぶり
八咫烏のおみくじが飾られている
東近江市にある「湖月庵・合気道道場」に寄り道してもらった。
国道421号線という、結構交通量のある道路沿いにある
道場と多分お住まいとの間には林檎の樹
道場の廻りを一回りさせてもらった
湖月庵は芦澤竜一建築設計事務所の建築家・芦澤竜一氏と滋賀県立大学環境建築デザイン学科芦澤竜一研究室の学生さん達の多大な協力によって完成したと聞く。2021年にウッドデザイン賞を受賞している。小規模だけど木造ドーム建築。
近くに行くことがあれば見てみたいと思っていたが、念願がかなって嬉しい。
7年ぶりの近江八幡。JRの近江八幡駅から近江鉄道八日市線に乗り換える。上の写真は近江鉄道のプラットホームのもの。
近江鉄道は2両編成のローカル鉄道。実によく揺れる。車両は西武鉄道のお下がりだと後で聞いた。
【本殿】
帰路、JR近江八幡駅まで送ってもらう途中に寄ってもらった日牟禮八幡宮。
ここも7年ぶり「来ましたよ」と挨拶。
【桜門】
「伝記によると、第十三代 成務天皇が高穴穂の宮に即位された折(西暦一三一年)、武内宿禰(たけうちのすくね)に命じて当地に地主神である大嶋大神を祀られたのが、鎮座の始めとされている」と由緒にあるように、とっても古い神様を祀っている。
【能舞台】
日牟禮八幡宮の道路向いにある「近江つけもの山上(やまじょう)」で赤こんにゃくを買い求める。ここの赤こんにやくは、他のところとはちと違う。味噌漬けだからか、プリプリで旨みがあって美味しい。
店内には、色々な漬物が売っていた。
9月上旬に行った名鉄小牧駅
小牧城は織田信長の居城があったところ
交通の要所なんだろうけど、
随分と平坦な土地に居城を構えたんだなと思った
名鉄小牧ホテル・1階ロビー
2階に結婚式場・宴会場
車窓から眺めていたら、二次産業が集積している街という印象を受けた。市街化区域のみならず、市街化調整区域にも工場・倉庫が建っている事から、戦前から工場・倉庫類があったのだろうと推測。
ホテルフロント
エレベーターホール
植栽を手入れする余裕のあるスペースを確保している
屋上庭園
建設中の新・愛知県体育館
鉄骨のフレームに木のようなものを張りつけているようだ
完成予想パースは、こんな感じらしい
第一印象は、北京国家体育館・鳥の巣の表層的コピペ
駐車場側
鉄骨ALCの構造体に亜鉛メッキしたCチャンを流し、
それに薄板を止めているようだ
名古屋市の名城公園北園にできた公園商業施設。
食・体・緑・集の4つのキーワードで企画されたという。
2024年9月の外観写真
2017年新築時の外観写真
今ネット上で話題になっている那珂川町馬頭広重美術館。築24年で大規模改修の資金集めで一躍「KUMA害」「腐る建築」と言われている。馬頭広重美術館は、新築してから5年程経った時に見に行ったが、すでにその時 杉材は曲がりくねっていた。
隈の影響か建物の表層に細い・薄い木材を使う事が建築界で流行り、この建物も築7年でこの状況。
どんな材料で処理をしたのか知らないが、年月の風合いを醸し出すどころか汚らしいくなっていくことが予想できないのだろうか。
最初から焼杉加工して、真っ黒くろんちょでも良かったろうに。
設計はマウントフジアーキテクツスタジオ
南側
マルチアクセス
西側
プレートだけで構成した直通階段
正面性のない建築
ここまでが朝9時過ぎ頃の写真