
岐阜県美濃市の岐阜県立森林文化アカデミーに行ってきた
現在 東京芸大教授の谷川原温氏の設計
もう25年以上前の建物で、以前から一度は見ておきたいと思っていた

ウッドデッキの部分補修中だった。
辻先生が案内してくれた

木工専攻の部屋をのぞいてみた


学生が作成する小規模な建物・部分があちこちにある
この庇、渡り廊下も学生の作品


「森と木。地域と人。文化と技術。すべてをつなぎ、新しい社会をつくる。はじめの一歩は、ここから」学校案内に書かれた言葉が印象的だった。
建築法務/ 建築ストック再生・活用 /長寿命化/ 環境建築 / 建築設計監理 / ㈱寺田建築事務所・一級建築士事務所
岐阜県美濃市の岐阜県立森林文化アカデミーに行ってきた
現在 東京芸大教授の谷川原温氏の設計
もう25年以上前の建物で、以前から一度は見ておきたいと思っていた
ウッドデッキの部分補修中だった。
辻先生が案内してくれた
木工専攻の部屋をのぞいてみた
学生が作成する小規模な建物・部分があちこちにある
この庇、渡り廊下も学生の作品
「森と木。地域と人。文化と技術。すべてをつなぎ、新しい社会をつくる。はじめの一歩は、ここから」学校案内に書かれた言葉が印象的だった。
愛知県清須市で打合せの後
以前から見てみたかった清須城に寄ってもらった
かわいらしい城だった
かっての織田信長の居城であり、清須会議が開かれた城
実際 訪れてみると小牧も清州も
今でも交通の要所であることがわかる
名古屋市内のホテルにチェックインし
翌日からの調査の為に集まった人達との会食に向かった
渋谷の国立オリンピック記念青少年総合センターへ行く
なんだか懐かしいデザインだなと思っていたら
やっぱり坂倉建築研究所の設計だった
カルチャー棟のPLAN
カルチャー棟大ホールの吹き抜け
全体配置図
国立オリンピック記念青少年総合センター
National Olympic Memorial Youth Center
竣工年: 1994~2001年
所在地: 東京都 渋谷区
用途: 宿泊施設 / 研修施設 / スポーツ施設
建築面積: 26,550 m²
延床面積: 84,968 m²
階: 地上2〜9階、地下1階、塔室1階
構造: RC造+S造
設計:坂倉建築研究所
長崎から夜遅く京都に移動、翌日昼
京都洛北の老舗料亭「山ばな 平八茶屋」で会食
威風堂々たる「騎牛門」。
川端通りに面し、店のシンボル的存在。
山口県・萩の禅寺から移築してきたとされ、
築400年~500年と言われているそうです
若狭街道で400年以上の歴史をつなぐ名料亭
16世紀末、天正年間に若狭街道(鯖街道)沿いに立つ
街道茶屋として創業。
以来440年間、
京都・松ヶ崎の現在地で歴史を積み重ねてきた老舗料亭です。
御所から一里(約4㌔)の場所、山端(やまばな)。
旅人にとって、都に入る最初の茶屋であり、
都を出る最後の茶屋でもありました。
魚を運ぶ行商人が、ここで一息ついてかきこんでいったのは、
今なお名物である「麦飯とろろ汁」です。
玄関にそびえる騎牛門をくぐると、そこには木々が生い茂り、
季節の花が彩る庭園が広がります。
徐々に深い自然の中に入っていくような約600坪もの幽玄な空間は時間の経過を忘れさせるほどで、明治以降、夏目漱石や正岡子規、高浜虚子や北大路魯山人らが訪れました。「日常とは異なる非日常の空間、それが料理屋」
高野川のせせらぎ
座敷は全室、高野川(鴨川の上流)に臨み、
せせらぎの音も間近に聞こえる。
対岸の山は京都の夏の風物詩、五山送り火の「法」が灯される松ヶ崎東山
11時の開店と同時に入店・会食
長崎の元丸山遊郭の随一の太夫屋「引田屋」の楼号で
引田屋本家が花月楼と呼ばれていたとある
この花月は、長崎県指定史跡
大広間の床柱の刀痕は、坂本龍馬が残したものと言われているそうです
大広間
長崎は、中華・南蛮の文化・料理を受け入れて変化してきた
今回、長崎に始めて行って軽いカルチャーショックを受けた。
また訪れてみたい。
今回の長崎出張で観光地らしいところに寄ったといえば
「出島和蘭商館跡」
とっても暑い日でした。
真夏の観光は、年寄には負担です
ただ本州に比べて湿度は低く、
長崎は海に接しているために気温もさほど高くならないそうです
「ミニ出島」1976年に制作された15分の1の模型
川原慶賀「長崎出島之図」と案内板
一つ一つの建物をもっとゆっくりと見て回れれば良かった
V溝の排水溝
出島表門橋
福砂屋のカステラを買いに行きました。
福砂屋のカステラが一番好きかな。
文明堂さんは、福砂屋の弟子だと聞きました
「福砂屋に行く長崎の春の風」中村汀女
武雄温泉-長崎間の日本一短い新幹線と言われている西九州新幹線
「かもめ」
2階
浴室
洗面・洗濯室
トイレ
和室
台所
囲炉裏のある居間
小屋組み
台所から居間、デッキを望む
西側の大村湾
東側の大村湾
「邦久庵」(ほうきゅうあん)は、、2001 年に建築家・池田武邦さんが長崎県の大村湾のほとりに結んだ終の住処です。
今回、夏の一般公開に合わせて、初めて長崎市を訪ねました。
日本初の超高層ビルを設計し、オランダ村やハウステンボスの設計も手がけた建築家が、自然と建物の関係を見つめ直した結果辿り着いたのは、茅葺き屋根の小さな庵。
大村湾の「 琵琶ノ首鼻」と呼ばれる小さな岬に建ち、九州の材だけを用いた伝統工法で建てられています。
湾に突き出したデッキからの眺めは素晴らしく、海の音を聞く時間は本当に贅沢でした。
7/4岐阜、7/5名古屋を経て夕方長崎に入りました
7/7午後に長崎を離れ、7/7夜、京都に移動
参議院選挙比例区の全国遊説のような西日本横断です
西九州新幹線の武雄温泉~長崎駅間
全国一短い新幹線の開通に伴い駅前が再開発されたそうです
出島メッセ長崎
露天風呂 河原の湯 早朝
下呂温泉の泉質は、単純温泉(アルカリ性単純温泉)
効能は、リウマチ、運動機能障害、神経症、神経麻痺、病後回復、疲労回復など。
下呂温泉でも場所によって泉質が違い、飛騨川の西と東では微妙に異なるとか
「川上屋花水亭」のお湯は「pH9.1」
アルカリ性特有の石鹸効果によりツルツルした肌ざわりで「美人の湯」とも呼ばれているとか。じんわり後から身体が温かくなる、とても良いお湯でした。
下呂温泉では、5本の源泉井戸から最高79度の温泉が毎分2,300リットル湧き出しているそうで、「川上屋花水亭」は、源泉かけ流し、一部循環ろ過併用方式との事。
昭和7年(1932年)の創業の老舗温泉旅館です。とても料理がおいしかった。
とりわけ、お米が印象に残っている、全国のお米コンクールで数々の賞を受賞している「銀の朏」使用しているとの事。「銀の朏」は岐阜県飛騨地域で、低農薬で科学肥料を一切使用せずに栽培されているお米。
「川上屋花水亭」は、「お湯良し、料理良し、接客良し」の三拍子揃った宿でした。
客室から飛騨川を望む
中庭
露天風呂・河原の湯
露天風呂への階段
玄関ホール
以前 知人から下呂温泉に宿泊するなら、ここと薦められていた
「川上屋花水亭」
フロント・ロビー
以前 高山に仕事で何度か来ていたが、
下呂温泉は素通りで、泊まるのは初めて
廊下
階段の照明器具
下呂温泉から少し高山側の岐阜県下呂市萩原町の
「自家焙煎珈琲の店 緑の館」で一休み
内部の撮影は禁止なので外観だけ
創業50年で、コーヒーに特化し、万人に好かれるより本当にコーヒーが好きな1人に愛してもらえる喫茶店を目指したそうです。
店内にはジャズ、アンティーク時計、アメリカ電子ピアノ等が置かれ、こだわり続けた店づくりをしているそうです。
店内の雰囲気も良く、とても人気のある店だという事がわかります。
各自別な珈琲とリングトースト小倉バターを食べたけど、3人でも多いぐらいのボリュームで、餡子もバターもいっぱいで、とても美味しかった。
珈琲焙煎室と珈琲豆の販売所
中々の豆の種類
エチオピアを買い求めた
愛知県下での打合せ、現場確認を経て岐阜県の下呂に移動
高山本線に沿って国道64号線を下呂に向かう途中、岐阜県加茂郡川辺町にある「そば処 山法師(やまほうし)」で遅い昼食。昼食のオーダーストップ直前の入店だった。
天丼セットを食したが、そばつゆがとても美味しい
こんなところに 良い店を発見
岐阜では、結構人気のある店と聞いたが、最近は地方に美味しい店が多い
古民家にグランドピアノが
駐車場側から
岐阜県中津川市加子母にある「杣人の里 挽屋」(そまびとのさと ひきや)
2025年3月に続き2回目の宿泊
風呂の窓を全開し、露天気分で朝風呂
新緑に囲まれたデッキで、裸のまま風にあたる 気持ちいい
ここの湧き水は美味しい
色々な草花が作く庭・敷地内を散歩する
一晩中 蛙の鳴き声が聞こえた
加子母やこの宿に泊まると 心も身体もリセットされて東京に戻れる
「杣人の宿 挽屋」の魅力を地元の人に話すのだけど
地元のほとんどの人が中に入ったことがない。泊まったことがないと言う
加子母には、二つの「宝」のような宿がある
「ランプの宿 度合温泉」・「杣人の宿 挽屋」
谷間の花は見えないものだし、
灯台下暗しということもあるが、
大事にしていきたい宿
加子母フィールドツアーが終わった翌日、
内木家で
加子母むらづくり協議会・認定NPO法人かしもむら
伊藤事務局長と面談し打合せをしました。
3月に来た時とは、全然違う風景
内木様より沢山の「内木家文書」を頂戴しました
しばらく加子母の森林と生活の本に没頭しそうです
岐阜県中津川市付知にある和食店「上見屋・とこわか」
「とこわか」とは「常若」
「常若(とこわか)」の思想は、日本の伝統的な考え方の一つで、主に以下のような特徴を持っていると言われている。下記は幾つかネットから収集したもの。
1、永遠の若さと新鮮さ
「常若」とは、文字通り「常に若い」という意味。これは単に年齢的な若さだけでなく、精神的な新鮮さや活力を指す
2、継続的な再生と更新
特に伊勢神宮の式年遷宮に見られるように、定期的に物事を新しくすることで、その本質を保ち続けるという考え方。20年ごとに社殿を建て替えることで、常に新しい状態を保ち続けている。
3、伝統の継承と革新の調和
「時代と精神を継承するためには、すべてのものを変えなくてはいけない」という paradoxical な考え方がある。つまり、本質を守るために形を変えるという思想。
4、生命力と持続可能性
長く続くものは常に若いという考え方があり、これは持続可能性や生命力の象徴とも言える。
この「常若」の思想は、日本の伝統文化や宗教観、さらには現代人の生き方にも影響を与えていると言われている。常に新しさを保ちながら本質を守り続けるという、一見矛盾するようでいて深い洞察を含んだ言葉でもある。
店名の「常若(とこわか)」というのが2025年3月に店の前を通った時から気になっていた。
中津川には5つの地歌舞伎保存会があり、日本一地歌舞伎が今も盛んな地域。そういう事から「とこわか」という店名をつけたのか、店主に聞くのを忘れた。
柱・造作材・家具も栗材
トイレは離れに
プリン美味し
良い飲食店を見つけた
設計・施工は、中津川市付知の杣工房 早川泰輔事務所
岐阜県中津川市にある鉄骨造5階建てのホテル
玄関
中廊下の換気が悪い為か、黴臭がする
客室は狭く、天井照明の配置、空調機の位置等に難点がある
良い点は まだ新しいこと
木材は無垢材であっても、ほぼ意匠材として使われている
全体的な印象は、
ホテルのシステムはドーミーイン(共立メンテナンス)のコピー
建築は、見てくれ第一
岐阜県中津川市にある和菓子の老舗「すや」本店
中津川市街には、第63回伊勢神宮式年遷宮のぼり
「裏木曽御用材伐採式」が、2025年6月5日(木曜日)に中津川市加子母地区にて執り行われ、御神木が2025年6月7日(土曜日)まで市内各所に立ち寄り、伊勢神宮へと運ばれます。
「内木家」は、岐阜県中津川市加子母にある江戸時代に尾張藩の「御山守」を代々務めてきた家で、日記をはじめとする三万点におよぶ史料が、今なお同家には残されている。
2025年3月に特別に内部を見せていただいた。
徳川林政史研究所の発行しているブックレット『御山守の仕事と森林コントロール』と題された報告書には、内木家が取り組んできた森林の育成や管理の実践について具体的に解説されている。樹木の成長には長い期間が必要であり、人々によって適切に手入れされることによって健全な森林は育成される。森林管理の最前線にいた内木家をはじめとする先人たちの知恵や努力によって、江戸時代の森林が健全に維持されてきたことが理解できる。
「内木家は美濃国(濃州) 恵那郡加子母村(現・岐阜県中津川市)を開いた、いわゆる〝草分百姓〟の由緒をもち、元和元年(1615)に同村が尾張藩領となってから100年余りの間、歴代にわたって同村の庄屋をつとめた家です。享保一五年(1730)からは、庄屋にかわって「三浦・三ヶ村御山守」という藩の役職を代々つとめるようになりました。
三浦・三ヶ村御山守とは、尾張藩のもとで、信濃国(信州)筑摩郡王滝村の三浦山( 飛驒〈飛州〉・信濃・美濃の国境に位置)と、美濃国恵那郡加子母村・付知村・川上村(いずれも現・岐阜県中津川市)の山々を管理した役職です。一口に山といっても、藩の直轄地や村人の所持地など、さまざまあってややこしいのですが、御山守が主に管理したのは、「御山」「御林」と呼ばれる藩の直轄地でした。後でくわしく述べるように、尾張藩は、江戸時代にあった多くの藩のなかでも、とりわけ森林の保護・育成に力を入れた藩でした。」とある。
また『山村の人・家・つきあい─江戸時代の“かしも生活”①─』と題したブックレットには、「江戸時代中期における加子母村の生活を、当主内木彦七の日記をもとに具体的に見ていく。江戸中期の加子母村では、内木彦七をはじめとする人々がお互いに支え合い、緩やかながらも活き活きとした暮らしを営んでいた。その様子は、現代社会において希薄になりつつある人と人とのつながりを私たちに再認識させ、真に豊かな生活を送るうえでのヒントを提供してくれているように思える。」とある。このブックレットも中々興味深かった。
こうして林業に関わってきた先人たちの残した資料を見ると、苗木から材木となるまで何十年もかかるからか、物の考えた方のスパンが長い。出会った加子母の現代の人々には「志」や「気概」を感じた。