檜皮葺・柿葺師である原田多加司さんの屋根職人としての経験をテーマ別に記述した本ですが、実に多方面な内容にわたっています。目次は以下の通り
[目次]
伝統技術という「方舟」(屋根はいかにして作られてきたか、檜皮葺と柿葺の文化 ほか)
技術は乱世に成熟する(古代技術の探究、伝播は同心円を描く ほか)
語られなかった海外神社の時代(海を渡った神々、海外神社の実態 ほか)
古建築修復の旅(式内社を歩く、「伊勢」と遷宮 ほか)
文化財の森を育てる(国有林開放までの道程、大学演習林の研究 ほか)
歴史的造詣の深さ、国内各地の文化財修復に携わられた屋根葺職人としての経験に裏打ちされた日本古来の技の世界が語られています。
私がこの本に興味を持った最初のテーマは「海を渡った神々」の項でした。
すなわち戦前の日本の侵略地に建立された「植民地神社建築」のあらましです。
原田さんの生家は、江戸時代中期の明和八年(1771年)創業の屋根職人の家で、代々屋根職人を継承され原田多加司さんが10代目とのことです。
その生家が携わった海外の神社建築が、明治34年(1901年)に台湾神社(後の台湾神宮)、明治42年(1909年)に関東州の大連神社・遼寧神社、明治44年(1911年)に樺太神社、大正4年(1915年)に鉄峯神社(満州)等に屋根職人として関わっていると書かれています。
明治から昭和20年の敗戦まで神社の国家体制の中での位置づけは、国家の宗祀(そうし)であり、祭政一致の姿を現出したものと考えられていました。今、再び神社を国家の宗祀にしょうと企てている人達がいますし、またあえて侵略地の神社建築を見ようとしない傾向もありました。
建築デザインとイデオロギーを混同あるいは同一視してはならないと思います。
私も古代史に関心があり、御朱印帳を持って各地の神社を巡っていますが、国家神道は相いれません。
侵略地神社建築は、これまで近代日本建築史の通史では取り上げられることがありませんでした。また戦時体制下の建築として 意匠的に優れていても まるごと否定されてきました。
侵略地神社建築は、ひとつも現存しておらず、わずかな資料しか残っていませんが、ここに一条の光をあてたことは原田多加司さんの優れた業績だと思います。