東近江市にある「湖月庵・合気道道場」に寄り道してもらった。
国道421号線という、結構交通量のある道路沿いにある
道場と多分お住まいとの間には林檎の樹
道場の廻りを一回りさせてもらった
湖月庵は芦澤竜一建築設計事務所の建築家・芦澤竜一氏と滋賀県立大学環境建築デザイン学科芦澤竜一研究室の学生さん達の多大な協力によって完成したと聞く。2021年にウッドデザイン賞を受賞している。小規模だけど木造ドーム建築。
近くに行くことがあれば見てみたいと思っていたが、念願がかなって嬉しい。
建築法務/ 建築ストック再生・活用 /長寿命化/ 環境建築 / 建築設計監理 / ㈱寺田建築事務所・一級建築士事務所
東近江市にある「湖月庵・合気道道場」に寄り道してもらった。
国道421号線という、結構交通量のある道路沿いにある
道場と多分お住まいとの間には林檎の樹
道場の廻りを一回りさせてもらった
湖月庵は芦澤竜一建築設計事務所の建築家・芦澤竜一氏と滋賀県立大学環境建築デザイン学科芦澤竜一研究室の学生さん達の多大な協力によって完成したと聞く。2021年にウッドデザイン賞を受賞している。小規模だけど木造ドーム建築。
近くに行くことがあれば見てみたいと思っていたが、念願がかなって嬉しい。
7年ぶりの近江八幡。JRの近江八幡駅から近江鉄道八日市線に乗り換える。上の写真は近江鉄道のプラットホームのもの。
近江鉄道は2両編成のローカル鉄道。実によく揺れる。車両は西武鉄道のお下がりだと後で聞いた。
【本殿】
帰路、JR近江八幡駅まで送ってもらう途中に寄ってもらった日牟禮八幡宮。
ここも7年ぶり「来ましたよ」と挨拶。
【桜門】
「伝記によると、第十三代 成務天皇が高穴穂の宮に即位された折(西暦一三一年)、武内宿禰(たけうちのすくね)に命じて当地に地主神である大嶋大神を祀られたのが、鎮座の始めとされている」と由緒にあるように、とっても古い神様を祀っている。
【能舞台】
日牟禮八幡宮の道路向いにある「近江つけもの山上(やまじょう)」で赤こんにゃくを買い求める。ここの赤こんにやくは、他のところとはちと違う。味噌漬けだからか、プリプリで旨みがあって美味しい。
店内には、色々な漬物が売っていた。
近江八幡市立八幡小学校
1873年に創立された143年の歴史がある小学校
ネオルネッサンス調とのこと
校舎脇の駐車場から撮影
話は変わるがミュージシャンの岡林信康は近江八幡の出身。
お父さんは、ヴォーリスの薫陶を受け近江八幡で教会の牧師していた。
岡林信康は牧師の息子で高校卒業まで近江八幡にいて、同志社大学神学部に進学したがドロップアウトしてミュージシャンに。「フォークの神様」と言われたのは彼の生い立ちに関係している。
織田信長のルーツは近江八幡市南津田町の津田親眞だとする研究成果の結果「近江国 津田・織田一族始祖 津田親眞顕彰之碑」が建てられている。
平安末期、平資盛(すけもり)の子として近江国津田郷で誕生した親眞は、越前国(現在の福井県)織田荘の劔神社に養子に行き、その子孫が尾張守護職となり織田に改名し、親眞から十四代目の子孫として信長が誕生した書かれている。
色々な人のルーツがここにあると知り、近江は面白いと思いました。
八幡堀
八幡堀は天正13年(1585年)に豊臣秀次(秀吉の甥)が八幡山に城を築き開町したことに始まるそうです。秀次は、八幡堀と琵琶湖とを繋ぎ、湖上を往来する船を城下内に寄港させることで、人、物、情報を集め、さらに楽市楽座制を実施することで城下を大いに活気づけたと書かれています。
八幡堀は交通路や生活の場として長く機能してきましたが、生活形態が変わりだした昭和30年代もなると、忘れ去られた存在となり、草が生い茂りハエや蚊が発生しゴミが不法投棄されるなど公害源となったそうです。
一時は、埋め立てしまう計画があったそうですが、地元から反対運動が起き浚渫と復元により現在の状態になったとあります。
今は映画やドラマのロケ地としても活用されています。
かわらミュージアムの一画
今、八幡堀は近江八幡の貴重な観光資源となっていますが、先人達の環境を守る運動のおかげです。西日本でも江戸時代からの風情を残す数少ない場所となっています。