『家康の誤算・「神君の仕組み」の創造と崩壊』磯田道史著

 二百六十五年の平和な江戸時代をつくりあげた徳川家康。盤石と思われたその体制は、彼の後継者たちによつて徐々に崩され、幕末ついに崩壊する。「神君」家康にとっての誤算を、近世から近代まで俯瞰し、現代まで続く家康がこの国に与えた影響について考察されている。

 私は通常、本の選定は、本の中で紹介されていた他の文献や他の著者の文献を次々とリレー方式で読むことが多い。あるいは新聞等の書評欄から選ぶ。そして稀に本屋で見つける。

 磯田さんの本は、稀に行く本屋さんで見つける事が多いが、視点が面白いのですぐ読めてしまう。だからこうして感想を書いてしまうと本棚に並ぶのが早い。机のまわりには待機している本も多く積んであるし、長期間読み半端な本もあるので、早く読み終わり感想を書いてしまわないと通常の業務に使う机のスペースが狭くなる一方だ。

 そんなことはともかく、この本で特に興味深かったのは、第五章の『家康から考える「日本人というもの」』の中の「幕府が民に信じてほしくない思想とは」の部分。

 徳川政権が民に信じて欲しい思想は朱子学だった。加えて親と主君に対する忠孝というベクトルを作り上げた。「分を守って、分相応に生きろ」と。人間が平等であったり、等しく権利を持っているという考えは天下を獲った人には不都合だった。

 キリスト教では「神の子」は均しく「理性」を共有していると考え、神に授けられた理性の灯(ともしび)をわかちあう存在は均しく「人権」を持つと考える。

 そして『「世直し」一揆と伊勢神宮の「おかげ」』という部分は、不明瞭だった徳川政権の「天照大神と伊勢神宮」について理解が深まった。

 「実は、伊勢神宮は徳川家康の頃から危険な存在だった」とある。

 伊勢踊りは、御託宣によるとして伊勢神宮の神霊を諸国に送る神送りの踊りであるが、晩年の家康が駿府にいた慶長19年(1614年)から翌元和元年にかけて大流行した。これは大阪冬の陣と、夏の陣の間の時期であり、伊勢神宮の神官達は、式年造営を復活させた豊臣よりで反徳川的だったようだ。家康は、この伊勢踊りを反体制的なものとして警戒していたとある。

 幕末、徳川体制が弱ってくると「ええじやないか踊り」が始まり、誰かが仕掛けて伊勢神宮の御札をばらまいて、「天から御札が降った」と狂乱する現象が起きた。こうして天皇と天照大神への信仰が、徳川への反抗に利用され始めた。

 もともと戦国時代から「一生にのうちに一度は伊勢神宮に参りたい」という信仰心が、世間一般に流布していた。どうも徳川は「お伊勢さま」信仰への対策を放置していた兆候がある。

 人々は伊勢神宮に参って、五穀を実らせる太陽神の天照大神のありがたみに感謝し、天皇を「あの天照大君から長く続くありがたい存在」と実感する。伊勢参りを繰り返す中で、日本人の心の中に「徳川から天皇」へと意識の変化が生じていった。だからお伊勢参りは尊王思想に繋がっていく。

 今年、10年振りに伊勢神宮に御参りをして、個人的には外宮(豊受大神宮)に、より聖域性を感じた。「それは何故なのか」という問いかけが自分の中に残った。