日本における建築に関する最初の総合的・体系的法制度は、大正8年4月4日に公布された「市街地建築物法」(物法)である。それ以前にも明治19年の滋賀県の「家屋建築規則」等の地方令があり、明治42年に大阪府は「建築取締規則」を制定している。また首都東京では建築に対する布告・布達や特定用途の建築物に対する取締規則は数多く見られる。東京市では総合的な建築条令の草案を2度にわたり準備したが制定に至らなかった。それら市街地建築物法制定以前の建築法制史については、別の機会に紹介することにする。
実は、昭和25年の建築基準法制定時には、実体規定の多くの部分が「市街地建築物法」から継承されている。
この「市街地建築物法」に目を向けると、法の理念から逸脱した文理主義に陥ることなく現代の建築基準法をより深く解釈することができると思っている。
さて、この本は大正15年に内務大臣官房都市計画課から発行された「市街地建築物法の話」である。国会図書館の近代デジタルライブラリーで読むことができる。
明治後期から大正にかけての東京・大阪を始めとした六大都市の都市の膨張、人口の集積により混乱する市街建築物が背景にあったことが良くわかる。
佐野利器は「改訂・解説市街地建築物法」(第14版・蔵前工務所編纂・国立国会図書館近代デジタルライブラリー)の序で、「都市計画法及び市街地建築物法は都市生活を悲惨より救済して之を幸福ならしめんが為の指針として出来たものである」と書く。
この本で説明が加えられているのは、地域、建築線、高さ及び空地、構造設備、防火地区、特殊建築物、美観地区、工事執行、既成市街地は如何に、所謂緩和規定とは何か、である。
斜線制限は出てくるは、防火地区(甲乙二種)は出てくるはで、現在の建築基準法の骨格は市街地建築物法に現れている。