著者の速水融先生は、2019年暮れに90歳で亡くなれたが、日本において歴史人口学を開拓し、宗門改帳を使った人口動態調査という数量資料を取り入れ、統計手法を通じて歴史的研究を行った先駆者です。この本は速水先生の自叙伝で、幼少期からの体験に始まり、戦中、戦後と、どのような時代背景の下で、どのようにして自己が形成されたのかが克明に記されている。最近は、この速水先生の本をまとめて読んでいたので、この本は先生の最後のメッセージとして受け止めた。
さて、歴史の事柄をあまり書いても、このサイトの読者には、あまり関心がないと思うので、「本の中の建築」について記しておく。「映画の中の建築」と別のカテゴリーが出来てしまった。
【現在の港区立高輪台小学校】
速水先生は、1929年(昭和4年)に東京で生まれ、1936年(昭和11年)芝区高輪台尋常小学校に入学された。この年、2.26事件が起こり時代はきな臭くなっていく。
この芝区高輪台尋常小学校は、現在の港区立高輪台小学校であり現存している。
校舎は、昭和10年に建てられた関東大震災の復興小学校で、いざというときの防災拠点として計画されたもののひとつ。東京都選定歴史的建造物に選定されている。築85年、都内で残り少なくなった戦前の建物のひとつです。
鉄筋コンクリート造一部鉄骨造、地下1階地上3階、延べ床面積6688.58㎡、屋内体育館、25mの屋外プールという新式の設備を持つ学校で、完成当時は東洋一の小学校と言われたそうです。当時周囲には高層ビルがなく、白亜の校舎はひときわ目立ち、校舎からは東京湾を間近に臨むことができたとか。
2005年(平成17年)に大規模改修工事が行われて、現在屋外プールの部分に校舎が増築工事中である。
【グーグルより】
1960年(昭和35年)前後には、児童数3000人以上が在籍した超過密校だったのが、増築が計画された2016年(平成28年)には525人、学級数16室。今後の見通しとして児童数が増加するとのことで普通教室4室を既存部分に確保し、増築部分には特別教室を整備すると港区の資料に書かれています。
この本の中で、1938年(昭和13年)10月に、ヒットラー・ユーゲント(1926年に設けられたナチス党内の青少年組織に端を発した学校外の放課後における地域の党青少年教化組織)数十人が高輪台小学校を訪れ、スマートな行進を見せ、素直に感心したと書かれています。作詞・北原白秋、作曲・高階哲夫「万歳ヒットラー・ユーゲント」を全員で歌って迎えたと。
一、 燦たり輝く ハーケン・クロイツ ようこそ遥々西なる盟友 いざ今見えん朝日に迎へて 我等ぞ東亜の青年日本 万歳ヒットラー・ユーゲント 万歳ナチス
二、 聴けわが歓呼を ハーケン・クロイツ 響けよその旗 この風この夏 防共ひとたび 君我誓はば 正大為すあり 世紀の進展 万歳ヒットラー・ユーゲント 万歳ナチス
三、 感謝す朗らに ハーケン・クロイツ 交驩かくあり 固有の伝統 相呼び應へて 文化に盡さん 我等が選士も 幸あれその旅 万歳ヒットラー・ユーゲント 万歳ナチス
四、 燦たり輝く ハーケン・クロイツ 勤労報国 またわが精神 いざ今究めよ 大和の山河を 卿等ぞ栄ある ゲルマン民族 万歳ヒットラー・ユーゲント 万歳ナチス
今思えば、すごい時代を生きてこられたのだなと思います。