奈良県庁

DSCF8614_R

奈良県庁

DSCF8613_R

 1965年に竣工して 49年

途中1997~1999年にリニューアルして元気な建物

設計は片山光生氏。

そう、壊されるはずの東京国立競技場の設計も片山光生氏

という事で思い出して掲載。

「書くことが無いのだろう」

いえいえ

「ありすぎるが、ちょつと所要が重なり時間がとれない」

これでも記事の更新には結構時間がとられるのですよ

【写真は2014年初春のものです】

DSCF8612_R

DSCF8607_R

DSCF8615_R

登小路に沿って低層部があり、そのピロティ

打放しコンクリートの木目のテクスチャは健在

DSCF8616_R

【奈良県庁舎・建物データー】

設計:片山光生
リニューアル共同設計監理:奈良県総務部管財課本庁舎整備室
所在地:奈良県奈良市登大路町
用途:庁舎
構造:鉄骨鉄筋コンクリート造
規模:地上6階、地下2階
竣工:1965年2月
リニューアル:
主棟・議会棟-1999年12月
東棟-1997年5月

 

名勝大乗院庭園文化館の土塀

DSCF8662_R

名勝大乗院庭園文化館の入口の塀は、楽人長屋の土塀のデザイン

塀の雰囲気が素敵だった

古い朝鮮の民家のような・・・

DSCF8663_R

DSCF8661_R

名勝大乗院庭園文化館は、元興寺を中心とする「ならまち」と高畑界隈の中間に位置し、市民・観光客が名勝旧大乗院庭園や大乗院の資料展示を見ながら気軽に休憩し、また展示室、茶室、和室、会議室などを利用できる施設。

だけど、中には入らなかった。

DSCF8664_R

聖ラファエル教会

DSCF8652_R 奈良ホテル近くにある教会。

軽井沢の聖パウロカトリック教会に似ているなと思っていたら、A・レーモンドゆかりのレーモンド設計事務所の設計だった。 奈良ホテルの附属教会として、結婚式などが行われている。

DSCF8653_R DSCF8654_R DSCF8655_R DSCF8656_R DSCF8657_RDSCF8659_RDSCF8658_R

DSCF8660_R 【建物データー】

聖ラファエル教会 1997(平成9)年

設計 : レーモンド設計事務所

施工 : 不明

住所  :        奈良市高畑町1096

奈良県立・万葉文化館 -4

DSCF8986_R

万葉文化館内にあるパンカフェ・Sizin

水出し珈琲の香りに誘われて入った

DSCF8984_R

シンプルな内装

DSCF8982_RDSCF8981_R

室生天然酵母パンと、
飛鳥で採れた新鮮なお野菜を合わせたランチメニュー(Aランチ)

これに水出し珈琲がつく

とてもレベルの高い食事に出会えた。

DSCF8983_R

「室生天然酵母パン」

http://sizin.jp/

奈良県立・万葉文化館 -3

DSCF8973_R

この万葉文化館建設にあたり約9500m2の調査区域を設定して平成10年(1998)に調査を開始すると、7世紀後半の石組み方形池遺構や石敷き井戸跡のほか、金・銀・銅・鉄・ガラス工房と思われる遺構やるつぼ、金属製品などの遺物、7500点以上の木簡、大量の土器類が出土した。と資料に書かれている。

この万葉文化館の中庭は工房遺跡の復元レプリカで本当の遺跡は、この下に眠っているらしい。

33枚の富本銭が出土している。

今で言うと大蔵省造幣局+職人・芸術家コロニー的な工房遺跡があったようだが、その遺跡は ほんの少ししか残っていないようだ。

「文化財保護」か「開発」か難しいところ

飛鳥は、どこを掘っても遺跡があると言われているし

DSCF8975_R

内部

DSCF8976_R

展望ロビー

DSCF8978_R

展望ロビーからの飛鳥の風景

DSCF8979_R

DSCF8980_R

 この万葉文化会館の展示は、中々面白い。

万葉集の世界が堪能できることは間違いない。

それと、資料室やミュージアムショップが充実していた。

【奈良県立・万葉文化館】

http://www.manyo.jp/

 

奈良県立・万葉文化館 -2

DSCF8965_R

ポーチ屋根の下

DSCF8966_R

飛鳥寺へも歩いて行ける。

飛鳥寺は、蘇我馬子が596年に建立した日本初の本格的寺院

法興寺、元興寺とも呼ばれる

DSCF8941_R

今は、江戸時代に再建された小さな伽藍がある

DSCF8967_R

再び、万葉文化館のポーチ

朝10時開館の前に駐車場に着いていたので、うろうろしていた。

DSCF8968_R

陽がさし 風にたなびく竹林

万葉文化館の駐車場周辺の風景

DSCF8970_R

飛鳥にも桜咲く頃(この写真は4月上旬)

DSCF8971_R

今井町・今西家

DSCF9036_R

今西家住宅・昭和32年重要文化財指定

DSCF9037_R

今井町の惣年寄の筆頭をつとめていた家で

今井町を代表する建物

城郭のような構造で別名「八つ棟造り」と呼ばれている

DSCF9038_R

DSCF9039_R

DSCF9040_R

ところで、ここ今井町はNHK連続ドラマ「ごちそうさん」(朝ドラ)の大阪天満周辺の街並みとしてロケが行われた。

この今西家の前もドラマの中でヒロインが季節の挨拶回りをするシーンの背景になっている。

DSCF9042_R

DSCF9041_R

今井町 – 称念寺

DSCF9012_R

山門と明治天皇駐蹕之処の碑

DSCF9018_R

太鼓楼

DSCF9020_R

今井町の成立は、戦後時代、天文年間(1532~1555年)に、この地に一向宗本願寺坊主の今井兵部卿豊寿によって寺内町が建設されていたことに発し。一向宗の門徒が御坊(称念寺)を開き、濠をめぐらせ、自衛上武力を養ったとパンフに記載されている。

DSCF9021_R

今井町の500軒もの町家は、大半が江戸時代初期の民家の伝統様式を保持している

 

今井町 – 今井まちなみ交流センター「華甍」

DSCF8990_R

学生時代に今井町を訪れて以来だから、

もう何十年経っただろうか

今井町まちなみ交流センター「華甍」

(旧高市郡教育博物館)

DSCF8992_R

この建物は明治36年(1903年)に高市郡教育博物館として建てられ

昭和4年より今井町役場として使用されていた。

DSCF8989_R

DSCF8988_R

現在は、今井町の歴史を解説する資料館

DSCF8991_R

雨が降っていたので 資料館には長居せず今井町の街を歩いた

DSCF9081_R

裏側の駐車場から

今井町を歩いている途中で晴れてきた

DSCF8987_R

この写真は到着したころ

DSCF9080_R

学生時代に今井町を訪れたのは、研究室で見聞きしたのがきっかけだったと思う。当時は電車とヒッチハイク(今では中々難しいだろうけど)で全国の建物や街並みを見て回った。

食べるものも食べず、駅や公園で寝泊まりし、ひたすら建築を見て回った頃が懐かしい。それが身についたかは別だが。

恩師・伊藤ていじ先生が、東京大学助手時代に関野克先生とともに調査に来られ

それが契機のひとつとなり

今西家(昭和32年指定)が重要文化財になり

平成5年に重要伝統的建造物群保存地区に指定され

現在の今井町の街並がある。

「成功」「造国」「知識結」

DSCF9088_R

【東大寺大仏殿に至る塀】

律令制度における造営・修理事業は、内裏は造宮省・修理職・木工寮が、寺院は造寺司が管轄して、諸国からの庸・調を財源として事業を行った。一方、神社の場合には造宮使が管轄して、神税を財源として事業を行っていた。

国家的規模の寺院や神社の建造・再建・修復には、たいていは「成功」(じょうごう)あるいは「造国」(ぞうこく)という制度がとられていた。

「成功」(じょうごう)とは朝廷の公事・行事及び殿舎の営繕、寺社の堂塔修造費用など本来、朝廷の公費で負担すべきところを、任官希望者を募って任料を納めさせるか、または自己負担でそれぞれの事業の功を成らせて、見返りに官職に叙任するという売官制度の一種である。

「造国」(ぞうこく)とは、平安時代中期から南北朝時代にかけて、内裏や寺社などの造営・修理の負担を割り当てられた国のこと。その責任者となった造国の国司(受領)を造国司(ぞうこくし)という。受領国司に財源をまかなわせ、国司は任国内の税物を加徴できるようになっている。これはうまくすれば収入の一部を私物化できるので、希望者も多かったようだ。

東大寺で思い出したことだが、重源は東大寺再建の時 国家予算で建築を主導したわけではない。

「知識結」(ちしきゆい)という方法である。

各所に「知識」(ちしき・智識とは、仏教の信者が善業を積み重ねるために寺院や仏像の建立や維持、写経や福祉などの事業のために金品などを寄進すること。また、寄進者や寄進物を指す場合もある。)を結び、これをネットワークする「勧進聖」を募り、これらを組みあげながらプロジェクトを進めるという方法である。そのリーダーを「大勧進」といった。大勧進は事業計画のすべてをまかされ、立案と予算の執行権をふるうことができ、知識物(これらは進退・進止とよばれた)を自由に差配することができるが、無報酬となる。

重源は東大寺再建を成した後「大和尚」の称号を与えられているから名誉と報酬は、後からついてきている。

「知識結」は、現代的に言うとNPOと言えるかもしれない。

DSCF9082_R

東大寺大仏殿 -3

DSCF9133_R

東大寺というと私は恩師・伊藤ていじが晩年に書いた小説・評伝「重源」を思い出す

先生が論文でなく小説を書いたと驚き、急ぎ買い求め

「重源」(新潮社刊)を読んだ記憶がある。

治承4年(1181年)、平家の南都焼き打ちで東大寺が燃えた。

その再建に法然が駆り出されようとしていたが、法然はたくみにこれをすりぬけた。
そこで無名の重源が造東大寺大勧進に抜擢されることになる

重源61歳のときである。

DSCF9134_R

DSCF9106_R

国宝・金銅八角燈籠

DSCF9138_R

現在の大仏殿は江戸時代(元禄4年、1691年)に再建されたもので

正面の幅57.5m、奥行き50.5m、棟までの高さ49.1m

「東大寺要録」の「大仏殿碑文」によると創建時の大仏殿の規模は、

幅29丈(約85.8m)、奥行き17丈(約50.3m)、

高さ12丈6尺(約37m)、柱数84という

奥行きと高さは創建当時とほぼ同じだが、

幅は創建当時(約86m)の約3分の2になっている

DSCF9137_R

仁王門

奈良県庁に車を止めていたので、仁王門には行かず

美術館 の脇を歩いて帰った

DSCF9139_R

桜の花弁が舞い落ちて

もう一度「重源」を読み直してみよう。

東大寺大仏殿 -1

DSCF9090_R

中門

DSCF9094_R

東大寺大仏殿に来たのは三度目

修学旅行のとき

大学生の時、このときは昭和の大修理中だった

そして今回

まだ桜の花が残っていた

DSCF9092_R

DSCF9099_R

DSCF9103_R

東楽門

DSCF9102_R

やっぱりデカいわ

それでも、これは1709年に再建された時のもので、

創建時の2/3に正面幅を縮小したものというから驚きだ

8世紀にこれだけのものを造れる技術があること自体スゴイ