近くまで行くのに まだ昇ったことが無い東京スカイツリー
本所吾妻橋まで行ったとき 少し足を伸ばしてスカイツリー近くまで歩いてみた
建築法務/ 建築ストック再生・活用 /長寿命化/ 環境建築 / 建築設計監理 / ㈱寺田建築事務所・一級建築士事務所
京都宇治の西方、木津川・宇治川・桂川の合流点近くの男山山上に岩清水八幡宮はある。
夏の夜のライトアップがあることを知り、車で出かけてみた。(8月末に終了した)
京都市街からは、高速道路で30~40分程度だろうか。
夜の7時からのライトアップ開始なのだが、ケーブルカーを降りてから山道は暗かったのだが本堂周辺の空は、まだ陽が沈みかけというところだった。
豪壮な楼門。
本殿は、この後ろにあるのだが、ともに重要文化財。
朱色の丹塗りと極彩色の彫刻で飾られた絢爛豪華な造り。
建築的には「八幡造り」(前後に社殿が連なる)の形態を今に残す貴重な建物。
前後二棟(内殿・外殿)からなる八幡造りの社殿建築様式は稀少で、桧皮葺屋根の軒が接するところに織田信長公寄進の「黄金の樋」(金箔貼り)が架けられている。
この軒が連なる構造がゆえに、大きな樋が必要なので雨の少ない関西より西しか「八幡造り」は作られなかった。
前が神様のパブリックなスペースで後ろがプライベートなスペースと考えても良さそうだ。
岩清水八幡宮は京の裏鬼門(西南)にあたる。
王城鎮護のため、貞観元年(859年)に豊前国(現在の大分県)の宇佐八幡を勧請して創建されたと書いてある。
「貞観」と聞き 、 かの3.11東日本大震災を想起した。
貞観地震(じょうがんじしん)は、平安時代前期の貞観11年5月26日(ユリウス暦869年7月9日[2]、 グレゴリオ暦7月13日)に、日本の陸奥国東方沖(日本海溝付近)の海底を震源域として発生したと推定されている巨大地震である。
岩清水八幡宮があの時代1000年以上前に創建されたのだと知り、歴史の長さを感じた。
本殿への入口
解説付きの本殿の回覧を終えると、たっぷりと陽は落ちていた。
土塀のライトアップ
岩清水八幡宮は、源氏の氏神、現在の社殿は徳川家光の寄進とある。
時の権力者に庇護されて今ある神社だ。
仕事で吉祥寺に行ったおり、楳図かずお邸の場所を教えてもらい見に行ってきた。
道路から駐車スペース分奥まり、大きな木立がさえぎり 紅白の縞模様は目立たない。
わずかに屋根の上に突き出たトップライトがかわいらしい。
2009年に景観論争で有名になった家だが、この当時も「周囲の目を引くが、景観の調和を乱すとまでは認められない」という東京地裁判決だったが、新築当時より一層目立たなくなった。
今でも 見に訪れる人が絶えず吉祥寺の名所になりつつある。
◆楳図さん宅景観乱さずと東京地裁 赤白ボーダー壁撤去不要(共同通信)
漫画家楳図かずおさんが東京都武蔵野市に新築した自宅をめぐり、周辺住民2人が「景観破壊だ」として、楳図さんのトレードマークの赤と白の横じま(ボーダー)模様になった外壁の撤去などを求めた訴訟の判決で、東京地裁(畠山稔裁判長)は28日、「周囲の目を引くが、景観の調和を乱すとまでは認められない」とし、請求を棄却した。
赤白横じまのネクタイ姿で入廷した楳図さんは判決後、「少し早く春を感じさせてもらった。(今後の近所付き合いは)素直にやっていきたい。多少間を置くのも仲良くする方法で、気を配りながら生活をしていきたい」と笑顔で話した。
外壁の横じまは約50センチ幅。屋根に設置された赤い煙突状の塔にある2つの丸い窓は、作品の人気キャラクター「マッチョメマン」の目をイメージしたという。
住民側は2007年、建築工事の差し止めを求め東京地裁に仮処分を申し立てたが、却下されたため提訴。自宅は昨年3月に完成した。(2009-01-28 16:47:48)
下の写真は 新築当時の楳図かずお邸
女子栄養大学坂戸キャンパスは、都心から高速道路で一時間あまり、関越自動車道の鶴ヶ島で降りる。
写真は、6号館で1階に教務学生部がある。
坂戸キャンパス正門右側にある8号館・入試広報センターが入っている。
右側の建物が1号館、左側が4号館で奥の建物が2号館。
ここの建物は、空中歩廊で連結されている。
右が6号館で左側が4号館
1階にカフェテリアのある5号館
5号館の2階廊下から吹き抜けを介して見えるのはカフェテリア
カフェテリアを2階から
カフェテリアで食べたトンカツ定食。
通常は一般の人は食べれないそうだ。
トンカツ、ジャガイモの冷製スープ、オクラ・ナス・海老の煮浸し、胚芽米ご飯。
さすが女子栄養大学 ! 薄味だが美味い。これで450円。とても学食とは思えない
新木場の木材会館を見に行った。
日曜の為 内部は見れず外部のみ
公開空地
バルコニーによって形成された特徴的な彫りの深いデザイン
このバルコニーはリフレッシュコーナーであり屋外避難階段と一体化した避難経路にもなっている。
バルコニーがあることによって誰もが窓ガラスを清掃でき、メンテナンスコストを低減できる。
メインエントランス部分
コンクリートの型枠材料として未加工の木材を使用している。型枠の木材の角を面取りすることで、横目地がとても綺麗に連続している。
この建物は、耐火性能検証法と避難安全検証法(ルートB)による設計で内外部に木材を使う事を可能にした。
設計者自身が耐火性能検証法と避難安全検証法に熟知していないと、このような建築計画は生まれてこなかったであろう。
龍雲院白山道場は、都内に住んでいるのに中々見に来れなかった建物。
若いかたは、あまり御存知ないかもしれないが「生闘学舎」(1980年竣工・三宅島)で日本建築学会賞を受賞した高須賀晋氏の設計によるもので、もう完成してから30年以上経つのではないだろうか。
*龍雲院本堂・禅道場は1978年竣工
方形屋根の美しい建物
建築資料研究社からこの建物の図面と写真が掲載された特集号があったはずだが、どこにしまったか、確かに本を買って読んだ記憶だけはある。
裏側の墓場からの方が 全体のシルエットがわかりやすいかもしれない。
梅雨の時期だし写真を撮る時間も、腕も悪いが、思い立って妻にわざわざ車を運転して行ってもらって、ようやく龍雲院白山道場に来れた。
今度は 朝早くに内部も見せてもらおうと思う。
この禅院は、臨済宗円覚寺派につながる歴史ある禅寺。
庭には古い石碑が沢山あった。
確かな設計と職人の技術に支えられた本当の木造建築のいのちは長い。
建築は、コンセプトや観念で出来上がっているのではない。
この建物は、今になっても細部にわたってみずみずしい力を蓄えている。