「ユニコーンに乗って」

2022年に放送されたTBS火曜ドラマ。

最近ネットフリックスで一気に観てしまった。

実務に追われていると逃避的になる悪い癖

デジタルとアナログの融合のような、何だかほんわかするドラマ。

このドラマのロケ地には、幾つかの図書館が登場する

その一つが「武蔵野プレイス」(武蔵野市図書館分館)

正式名称は、

武蔵野市立「ひと・まち・情報 創造館 武蔵野プレイス」

図書館をはじめ生涯学習支援、市民活動支援、青少年活動支援の

4つの機能を備えた複合機能施設。

設計は、川原田康子と比嘉武彦によるアトリエ事務所「kwhgアーキテクツ」

雑誌で見て知っていたが、まだ実物は見に行ったことがない。

でも、可愛らしい建物だ

その他に、山梨県立図書館

主人公達の出身大学として登場してくるのが三鷹の国際基督教大学

緑豊かなキャンパスが印象的だった

そしてドリームポニーが入居しているビルとされていたのが、

H1O 神田

見慣れている建物がドラマに出てくると親しみが沸く

【超十夜法要2023】

阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三尊を讃える「三尊礼」。
 このお経を、伝統的な声明の旋律をそのままに、住職が篳篥(ひちりき)、琴、太鼓などの音源を用いて編曲して「和楽器mix」にされている。
 それに合わせて真言宗僧侶にしてダンサーの滝山隆心師とメイドくーたんが供養の踊りを奉納。

 現代の「踊念仏」とも呼ぶべき法座

進化した「ドローン仏」

スメルスケープ

スメルスケープとは匂い(smell)と風景(landscape)を合わせた造語で、失われつつある視覚以外の豊かな体験の復権を目指すものとして地理学者ポーティウスが提唱した概念だそうだ。

2023年北海道小樽市を訪ねた。9月だというのに今年の北海道は暑かった。

【写真は上下共・小樽運河2023夏】

 小樽の街の第一印象は「くっちゃい」だった。下水の臭いが街を支配していた。たぶん小樽運河の臭いなのだろうと思う。小樽運河も長い間浚渫をしていないのだろう。

最近の報道で、道路の標識が「Otaru Poot」(小樽おなら)と30年以上書かれたままだったというのがあった。正式には「Otaru Port」なのだろうけど、確信犯だったのではないかと思った。

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E5%B0%8F%E6%A8%BD%E3%81%8A%E3%81%AA%E3%82%89-%E3%81%AF%E3%81%93%E3%81%A1%E3%82%89-%E5%B0%8F%E6%A8%BD%E5%B8%82%E3%81%AE%E9%81%93%E8%B7%AF%E6%A8%99%E8%AD%98-%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E8%A1%A8%E8%A8%98%E3%83%9F%E3%82%B930%E5%B9%B4/ar-AA1l55og?ocid=msedgdhp&pc=SCOOBE&cvid=09fd348fa20148daba028913aec702b4&ei=61

 
かれこれ50年以上前に小樽市を訪ねたことはあるのだが、その時は冬でもあり、臭いは感じなかった。そして今日も小樽は雪だと聞くので臭いはないだろう。

 夏の皇居の外堀、神楽坂下あたりのカフェで嗅いだ臭いだ。東京駅周辺でも時々、特定の箇所で嗅ぐ臭い。

 そんな小樽の経験から「街を覆う臭い」が気になり始めた。

 視覚も大事だけど聴覚(音)とか嗅覚(匂い)も大事なのだろう。「音のある風景」というのは聞いた事があるが「香りのある風景」というのは、実は聞いたことがなかった。

 環境省は平成8年に「残したい”日本の音風景100選”」を選定し、平成13年には「かおり風景100選」を選定していた。

 どうやら都市計画の風景概念が視覚的なものから聴覚・嗅覚、そして五感全域に向け拡張し捉え直そうと様々な分野で試みられているが、その背景には,視覚に偏り人間の身体から乖離した近代的風景観を是正しようとする動機だけでなく、社会の近代化にともなう環境悪化・荒廃に起因する「風景の危機」がいっそう進んでいるという認識があるのだと思う。

 建築学会の論文等でも「スメルスケープ」について既往の研究が散見される。時々勉強している程度なので、まだこれ以上書けないが、継続して勉強していきたいテーマとなった。

「トビウオが飛ぶとき」桑原亮子著

 この本は、NHK連続テレビ小説「舞い上がれ!」の脚本家であり歌人の桑原亮子さんが、「舞い上がれ!」の中から選んだ短歌集です。

 ほとんどテレビを見ないので「舞い上がれ!」も見ていませんが、短歌集は字が大きく電車で読むには、うってつけなので、最近は色々な歌人の短歌集を集めています。

 さて特に気に入った短歌を書いておきます。

梅津貴司の第一歌集「デラシネの日々」より

「トビウオが飛ぶとき他の魚は知る水の外にも世界があると」

「支えきれなかった。ごめん。落ちていくバラモン凧の糸の悲しみ」

「デラシネ」とは「故郷を喪失した人」「根無し草」という意味であり、懐かしい言葉に出会った。五木寛之の初期の作品に「デラシネの旗」という小説があった。五木寛之自身のパリ滞在時の経験をもとに、フランスの5月革命を描いたもの。昭和44年(1969)刊行の本だが、青年時代に読んだ記憶がある。当時「デラシネ」という言葉は結構流行っていたように思うのだ。

 自分自身の一生を振り返ると、生まれ故郷に帰る事もなく、ひとつの地域にこだわるでもなく根無し草の人生だったようにも思う。

 短歌というのは、不思議なもので他人が詠んだ歌でも、自分の記憶とシンクロすると過去の情景が浮かび上がり、感情が揺さぶられることがある。

 短歌を詠む一人ひとりが違う人間で、何を面白いと思うのか、どんな言葉を使うのかはみな違うので出来上がる短歌も違ってくる。誰とも違う自分が詠んだ短歌は、ときには他の人の力となる事もある。短歌というのは、本当に不思議な力を持っていると思う。

 この本の中から 最近孫娘に贈った短歌

「君が行く新たな道を照らすように千億の星に頼んでおいた」

「本のある空間採集」政木哲也著

 この本は、個人書店・私設図書館・ブックカフエなど、国内の様々な「本のある空間」を訪れ、その空間を「実測」し、立体的な図に起こし1冊にまとめた本。

 かってあつた小さな地域密着型書店は次々と閉店してしまう時代に、新しい形で人と本の出合う拠点をつくり運営している個人書店・私設図書館・ブックカフェがある。それらに身を置くことでどんな空間体験がもたらされのか、著者の探求の旅の成果。

 この10年もっぱらアマゾンで本を購入することが多い者としては、この本で取り上げている「本のある空間」には、大変魅力を感じる。

 最近、見せてもらった仕事関係者の自邸(写真)は、壁面全体が書籍棚で その広い空間の中にベッドが置いてあり、人を羨ましいと思う事はあまりないが、この時はとても羨ましく思った。

 本屋さんになりたいと思ったことはないが、「本に囲まれた空間」は希求してきた。しかし、残された本の行き末を考えると暗澹たる気持ちになる事もある。

 

「変容する聖地 伊勢」ジョン・ブリーン編

 天照大神が祀られている内宮と豊受大神が祀られている外宮に代表される伊勢神宮は、古代から変わることなく受け継がれてきた聖域として語られることが多いが、不変的に聖地として崇(あが)められてきたわけではなかった。

 本書では、「聖地の変容」をキーワードに、伊勢神宮の歴史について、国内外の一線級の研究者16人がまとめた論考を、国際日本文化研究センターのジョン・ブリ-ン教授(現在は名誉教授)が集約している。2016年に初版が発行された本。

 現在の伊勢神宮では、「日本書記」の記載を字義通りに解釈して、神宮は崇神天皇の時代に創建が始まり、垂仁天皇の時代・紀元前4年に完成したとする。

 しかし考古学では天武天皇の時代に創立が位置づけられる。天武・持統天皇は「権力とは儀礼と宗教の是認がなければ正当性を欠くものだと理解し、みずからの起源を太陽神にもとめ、その神に関わる儀礼や神話を創出」されている。8世紀から9世紀にかけては、仏教を包摂し神宮寺も存在した。内宮・外宮そしてその上に大神宮司があり、結構複雑な権力関係が見え隠れする。内宮と外宮は古代から近世を経て明治維新前まで敵対関係にあり、何度も訴訟を起こし、ときには武力で戦う事もあったという。

 中世・鎌倉初期か室町末の時代。神官の神職たちは老いてから出家し伊勢の神々の為に法楽を行い、領地を寺院に寄進する敬虔な仏教徒たらんとする人もあり複雑な関係性が見られるとある。

 そもそも神宮とその祭神である天照大神は、古代より皇室と朝廷のみを守護する皇祖神であり、神宮の維持・管理や遷宮を含めた祭祀は朝廷の財源や力によって行われてきた。もともとは私弊禁断といい庶民の参拝や奉幣を受け入れるものではなかった。しかし中世になると庶民の参宮もみられるようになり、室町殿の参拝や僧尼の参拝や法楽も行われるようになったとある。そして江戸期には庶民参宮も一般的となった。

 中世に120~130年途絶えていた式年造営(内外宮で若干の差)を復活させたのは豊臣秀吉。皇祖神アマテラスを頂点とする神々の住居として唯一神明造の社殿があり、神々の日常を支えるものとして大量の神宝類がある。それらを定期的に更新することで、皇統譜の正統性や反復性が再認識される。その過程が正遷宮だとすると、120年以上正遷宮は必要とされなかったのか。それは朝廷に権力と財力がなかった時代とみるべきで、広義には国家的・社会的に必要とされなかったと考えるべきなのかもしれない。

 天正12年の小牧・長久手の戦いで徳川家康を軍事的に圧倒できなかった秀吉は、天正13年7月に関白となり、朝廷の権威を抱き込みながら覇権を及ぼす方途を選んだ。

 近世社会では、おびただしい数の人々が伊勢神宮に押し寄せたという「おかげ参り」があり、庶民の娯楽として享受された。

 外宮と内宮の間の地に、古市と言われている場所がある。江戸時代ここでは浄瑠璃芝居が演じられ、遊所があり、全盛期の1782年(天明2年)には、人家342軒、妓楼70軒、寺3ヶ所、大芝居2場、遊女約1000人の町だったと「伊勢古市参宮街道資料館」の略年表に書かれている。ところが明治、大正時代に廃れ、1945年の空襲によつて町並みの多くは焼失したとある。十返舎一九の「東海道中膝栗毛」には、弥次さん喜多さんが、古市でドンチャン騒ぎをしたことが描かれている。

 しかし、明治政府が伊勢神宮を聖性の源としたことで、前近代の庶民のなじみのお伊勢さんとはまるで違うものになったとジョン・ブリーン氏は書く。

 このように歴史を振り返ると聖地・伊勢神宮は、各時代の政治的、経済的、社会的状況からの影響を常に受けている。

 神は人々に平等である。政治的に利用したり、初穂料によって御神楽の種類を変えるという格差を作るのは人間の側の操作であり神様に責任があるわけではない。

 丸山真男が神道と古代神話を日本文化やその歴史的言説を貫く「パッソ・オスティナート」つまり文化の「古層」と呼んだことを想起させる。

 時の権力によって様々に利用されようとも、伊勢は私にとって聖地であることに変わりない。

事務所の風景

コロナ禍ということもあり、長く調査用の器材等を置くだけの倉庫のような状態だった事務所に家具等をいれ、打合せや小会議が出来るようにした。10月末に片づけ、先週始めてお客様を迎えた。

壁絵は、ウィーン分離派のオットー・ワグナーのドローイングで統一した。30数年前ウィーンで購入したドローイング集の原画をカラーコピーして額に入れただけだが。

狭いが、神棚もあるしユニットバスやキツチンや小さな冷蔵庫もある。若いころからの慣習で寝袋も完備している。学生時代からではあるが、事務所で寝泊まりするのが好きなまま爺になってしまった。

テレビもラジオも固定電話もないが、Wi-Fiを設置したのでインターネットはできる。

常備しているノートパソコンは、バッテリーを交換しないとならなくなった古いPC。未だにマウス派。

最近は、週1、2回のペースで ここで打合せをしたり、立ち寄って植木に水をやり、神様の水を替え、空気を入替て、簡単な業務もしている。本は、出版社から頂いた建築基準法の法令集1冊のみ。

首都高速の騒音がうるさいが、駅から近く便利。

伊勢神宮 おはらい町・おかげ横丁

おはらい町・おかげ横丁を歩く

平日の夕方近くだというのに参拝帰りの人達で溢れていた

おかげ横丁の人気店・ふくすけで伊勢うどんを食べる

この日、天気は良かったが風が冷たく、

外宮・内宮と歩き、身体が冷え切っていた。

そんな時に食べた伊勢うどんは、最高に美味しかった。

現在の伊勢うどんが誕生したのは江戸時代末期で、お伊勢参りの参拝客にも伊勢うどんが好評だったという記録が残る。旅の疲れを癒す暖かくて胃に優しいうどん。
かつて日本の三大遊郭といわれた古市(外宮と内宮の間に位置した)にあった「豆腐六(どぶろく)」といううどん屋が特に有名で、中里介山が書いた長編小説「大菩薩峠」の中にもこの店が登場している。そこには「豆腐六のうどんは、雪のように白くて玉のように太い、それに墨のように黒い醤油を十滴ほどかけて食う。『このうどんを生きてるうちに食わなけらば、死んで閻魔に叱られる』と土地の人に言い囃されている名物」とある。「ふくすけ」は、そんな「豆腐六」のイメージを再現した店舗だとか。

伊勢醤油本舗でおかげ横丁の新名物と言われている

「伊勢焼きうどん」をお土産に買う

自宅に帰ってから作ってみたが、3分ほど茹で、フライパンにタレを入れ温め茹であがった麺をからめて出来上がり。仕上げに刻んだ葱や紅ショウガを載せてもよし。シンプルなんだけど、これが美味しい。「伊勢うどん」に加えて「伊勢焼きうどん」もファンになった。

赤福本店

今回は赤福は食べなかったし、お土産にもしなかった。

東京でも買えるし。

代わりに買ったのが「太閤出世餅」

中世の時代、百数十年途絶えていた伊勢神宮の式年遷宮の復興をなした太閤秀吉が好んだという伊勢の焼餅を「太閤餅・出世餅」と呼ぶようになったとか。保存料が入っていないとかで、甘みも抑えられていて美味しい餅だった。

また来ます。

「ふらりと歩き ゆるりと食べる京都」柏井壽著

「鴨川食堂」の著者である歯科医で小説家の柏井壽さんの「京都・食べ散歩」の本。観光客の喧騒とは無縁の、歩いて楽しい京都の路地「七つの道」と、地元の人の舌を堪能させる名店が紹介されている。紹介されている「七つの道」は下記。

第一の道 蓮台野を歩く/第ニの道 千本通を北から南へ/第三の道 雨宝院から出水の七不思議へ/第四の道 京都御苑と、その周りを歩く/第五の道 四条通を歩く/第六の道 紅萌ゆる丘から、真の極楽を辿り、熊野の社へ/第七の道 豊国神社から西本願寺まで

京都には、その昔「鳥辺野(とりべの)」「化野(あだしの)」「蓮台野(れんだいや)」という3箇所の風葬地があった。風葬地というのは、亡くなった方々の遺体が捨てられて野ざらしにされていた所。

都市内の北にある大徳寺の近くが蓮台野といい。その船岡山周辺を「紫野(むらさきの)」と言うのだが、この辺りを以前から歩いてみたいと思っていた。「紫野」と聞くと美しい、あるいは高貴なイメージが浮かぶのだが、実は結構おどろおどろしい名称だったりする。

蓮台野に遺体を運ぶ際に、千本通という道を通って運んだそうで、平安時代の千本通は死体を運ぶ道。葬送の地への道であった千本通には卒塔婆(そとば)が千本立てられていたので千本通と言われるようになったとか。遺体を運ぶ際に血が流れ、周囲が遺体の血の色で染まっていたので「紫野」という地名になったという説がある。

平清盛が平家一門の拠点とした六波羅の地。鴨川よりも西側がこの世、鴨川よりも東側があの世とされていた。鴨川は三途の川に見立てられ、それより東があの世と見立てられていたとか。今の六波羅密寺、六道珍皇寺がある。

道の端々にある小さな寺院。お堂にも京都の長い歴史が刻まれている。

歴史好きには たまらない大人の散歩道と食事処が紹介されていて、私より歴史オタクの娘に、「この本面白かったよ」と見せたら持っていかれてしまった。

働き方改革~仕事と遊びはメビウスの輪

宗教学者・哲学者の山折哲夫先生は御年87歳。

その山折先生は、夜は9時頃に寝て夜中に一度起きて湧き上がる突飛な「妄想」と戯れた後に原稿を執筆し、朝食後に朝寝、昼食後に昼寝という「妄想三昧、執筆三昧、昼寝三昧」の生活を送っていると聞いた。

自分も この10年ぐらい夜は9時頃寝て、深夜に起き出し、本を読んだり、ネットサーフィンをしたり、YouTubeやネットフリックスを見たあと仕事をする。そして朝方には一日のディスクワークは終わらせるようにしている。外出する予定がない時は、朝食後に朝寝、昼食後に昼寝という生活になっている。最近はお腹が空いたら食べる事にして一日二食。

まだまだ日中の外出が多いのが難点で、疲れるので毎日は外出しないようにしているのだが、それも段々と減らしたい。しかし外出しないと運動もしない方なので悩ましい。

年寄りは年寄なりの働き方改革をしないとならないが、自分にとって仕事と遊びはメビウスの輪みたいなもので、今後とも変わることはないだろう。

そういう今も午前2時。

来週13日~15日は中部地方に出張。16日は別件で都内でクライアントと打合わせ。それらの準備に追われている。と言いながら古代史の本を読んで逃避中。

「LB 244+1」李鳳宇著

「LB」李鳳宇(リ・ボンウ LEE BONG WOO)さんが配給とプロデュースを手掛けた映画は「244」本あり、「+1」として、2023年「パラサイト 半地下の家族」の世界初舞台化を手掛けている。この「244+1」の全作品について自ら書きおろし振り返った、回想録のようであり、まるで日記のような本。

「シュリ」の大ヒットにより、日本映画界におけるアジア映画の市場を築いた人であり、「JSA」でパク・チャヌクを、「殺人の追憶」でポン・ジュノを日本に紹介し、いまや韓国のトップ俳優になったソン・ガンホの作品を8本も配給している。今日の韓国映画・ドラマのムーブメントの礎をつくったのが李鳳宇さんだった。私が韓国映画を沢山見るようになったのも、これらの映画がきっかけだったので、この本を一気に読んだ。

李さんは、イギリスのケン・ローチ、マイケル・ウィンターボトム、デンマークのスサンネ・ビア、アメリカのトッド・ソロンズ、ドイツのミヒャエル・ハネケと世界中の巨匠たちの初期からの作品を配給してきたことがわかる。これだけの配給を行いながら日本映画の製作も行ってきた。「月はどっちに出ている」「フラガール」「パッチギ!」などの多くの名作を生みだす。さらに是枝裕和、岩井俊二、中島哲也、西川美和らの初期作品にもかかわってきた。李さんの30年を振り返るとつくづくすごい人だと思う。

映画は圧倒的にマンパワーが必要で、意思を同じくする人が集まって、映画を成功させることが大事だと書かれていた。そういえば映画の撮影現場は、例えば「黒澤組」とか呼ばれ、監督の周りに人が集まってくる。建築も大規模のプロジェクトになるとマンパワーが必要で、制作スタイルは似ていると思った。

この本で、見ていない映画がいっぱいあることを知った。この本をガイドにしばらく映画の世界に浸れそうだ。

帝国ホテル・本館

帝国ホテル・本館ロビー

ランデブーラウンジで打合せ

バブルの頃、このラウンジで打合せをするのが好きなクライアントがいた。一杯の珈琲の価格は高いけど、お替りができるので長い時間ここに座り次々と打合わせをこなしていた。あの頃は、全身黒づくめの服を着た人たちが目立っていたという事を思い出した。

ライト館開業100周年記念企画「The Wright IMPERIAL; A Century and Beyond」を覗いてきた。

ライト館の平面図

ライト館の模型

久しぶりに帝国ホテルに来た。

東京駅・有楽町と近くに来ているのに

タワー館は2024年より建て替えの為解体開始し、本館の解体は2030年との事