モデナ郊外のAldo Rossiの設計による墓地・San Cataldo Cemetery
非常に広大な墓地で、道路を挟んで旧館と新館とも言える墓地に分かれており新館がこの建物である。
この建物の中は、屋根のない納骨堂になっており、周囲の建物とは、異なり無縁仏を弔っているのではないかと思える。
この外界と隔てる建物の中の墓地は、故人の遺影がそれぞれ飾ってあった。
静寂というかあまりに悲しげな空間だったと記憶している
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建築法務/ 建築ストック再生・活用 /長寿命化/ 環境建築 / 建築設計監理 / ㈱寺田建築事務所・一級建築士事務所
写真に映っているひとの中には故人となった人もおり懐かしい
ジュゼッペ・テラーニが生きた時代は、ムッソリーニ政権下のイタリアファシズムの時代だった。
その中にあって、テラーニはモダニズム運動の旗手の一人として「<新しい体制>の表現としての建築」にその生涯を託した。
彼の作品はモダニズムの建築として、近代イタリアという枠を超えている点で高く評価されている。
インターナショナリズム(ラショナリズム)とナショナリズム。アヴァンギャルディズムとクラシシズム。
「大衆のための建築」と「国家の建築」といったアンヴィヴァレントなジレンマが含まれているという。そこにテラーニの悩み、自殺の要因が秘められているように思う。
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ジュゼッペ・テラーニの代表作とも言えるカサ・デル・ファッショは1936年の作品である。
邦訳すれば「ファシストの家」つまりイタリアファシスト党の地方事務所である。
訪れた当時は、税務署として使われていると聞いた記憶があったが、今回調べ直してみたら 現在の用途は、国境警備隊本部のようである。コモはスイス国境に近い。
コモを訪れた時は、「カサ・デル・ファッショはどこにありますか?」などとは聞かないことだ、怪訝な目で見られることは間違いない。自分もそういう目で見られた。
ジュゼッペ・テラーニは、ファシズム下のイタリアにあって建築集団の左翼を形成していたイタリア合理主義(ラショナリスト)達のひとりである。
「ファシズムとはガラスの家である」と言ったムッソリーニの命題に応えるべく造ったイタリアファシズム建築の代表作といえるだろう。
テラーニ自身がファスト党党員であり、従軍し、後に自ら命を絶った。
「なんだ 単なるモダニズムじゃないか」と言ってコピーする無かれ、心のこもらないコピーニストに真のモダニズム建築は造れない。
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若い時 訪れたヨーロッパの建築と それにまつわる思い出を時々書き綴ってみようと思う。
昔のネガフィルムやビデオを、倉庫の段ボールの中でこのまま寝かし続けておくこともないだろう。今のところスライドやネガからデジタル化して掲載するので、画質や色調があまりよくない。
8mmビデオからデジタルへの変換も依頼してあるので、後ほどそちらの写真に差替えるかもしれない。
ともかく、いまなおそこにある有名建築もあるし、取り壊されてしまった建物もある。
昔の写真を見ると色々なことが思い起こされてくる。
まずは学生時代から好きな建築家 イタリアのジュゼッペ・テラーニから
これは、イタリア北部のコモ湖岸にある戦没者慰霊碑。
1989年に訪れた時の写真。
もう あれから25年経った。
アントニオ・サンテリアが死の二年前にスケッチした「灯台のスケッチ」(1914年)を、同じ未来主義者エンリコ・ブランボリーニが戦没者メモリアルとして転用する事を計画し、その後紆余曲折を経て1933年ジュゼッペ・テラーニの手によりサン・テリアの故郷であり、又 テラーニの主たる活躍の場であったコモの湖畔に建造された。(1931年~1933年)
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知人にブログでノウハウを知らせすぎではないかと言われた。
例えばレシピがあれば料理を再現できるわけでなく、再現するにはレシピの読解力、すなわち感性と経験が必要である。
楽譜があれば音楽を再現できるわけなく、再現するには楽譜の読解力、すなわち感性と経験が必要である。
文献、論文、データに焦点をあてた研究も危ういところがある。
逆にいえばブレークスルー(進歩・前進・突破)は、ここににある
「老い先短い人生、知識と経験を墓場にゃ持っていけない」
と答えた。
梅の花も咲き始めていますが
あっという間に2月
大学は学期末テスト、入試とあわただしい日々が続きます
江戸時代の入学テストというと
寛政年間(1789~1801年)に「学問吟味」とよばれる学力試験が始まり、この試験でよい成績をおさめれば、低い身分の者でも高い役職に抜擢される例が相次ぎ、数多くの幕臣やその子弟が受験するようになったそうです。
「学問吟味」は、湯島聖堂に開かれた昌平坂学問所で3~5年ごとに実施され、小学、四書、五経、歴史書、詩、文章の試験が行なわれていた。
成績は甲、乙、丙、落第で評価され、合格者には身分に応じて褒美の銀や服、布などが与えられた。1回につき2000~3000人が受験するが、最高の成績である甲科合格は数人しかいないのが常だったと本にあります。
上位合格者でないと上位の役職にはつけなかったとか
藩校の入学試験のありようは、以前NHKのタイムスクープハンターで見たような記憶があります。
何時の時代の入学試験も親子ともども大変です。
住宅医スクール2014で岐阜県立森林文化アカデミーの辻先生から出されていた宿題「自宅の環境家計簿」の為に、過去の電気、上下水道、都市ガスのそれぞれの使用量と代金を調べていた。
領収書から概略把握できたのだが、東京電力と東京都水道局は、過去二年分の使用量と使用代金を知ることができるというので申込みをしていた。
今日、東京電力の「でんき家計簿」の登録が完了したということで早速過去二年分の使用量と代金を見てみたら、やはり8月と12月、1月、2月は群を抜いて高かった。
1階と2階半分が事務所、2階半分と3階を住まいとして使っているので統計上の標準家庭とは比較にはならないが、エネルギー消費は多い。
辻先生の宿題を提出するとそれぞれのエネルギーを用途分解するソフトを無料でいただけるとのこと。
そのソフトは、電気代なら照明と冷暖房、都市ガスなら給湯と調理というように分解して算出するものだそうだ。
住宅だけでなく改修設計をする場合「環境家計簿」を作成しておくと その建物のエネルギー上の問題点を把握できそうだ。
「環境家計簿」は、血液検査のようなものかな。
住宅医スクール2014(東京)の最後に行われた「住宅医検定会」
3人の方が発表され、それに対して温熱、構造の各専門分野の方、住宅医理事等の検定委員が質疑をするという方式。
各自プレゼン15分、質疑10分というのは、あまりにも短かった。それぞれが改修事例でありもっと時間をかけてもよかったと思う。聞きたいこともあったが、検定委員からの質疑だけに終始してしまった。
意外と技術者同士の意見交換の場は少ない。住宅に限らず既存建物の調査・検査方法は段々収斂され定まってきた感があるが、その調査結果に対する評価・診断は判断に迷うことが多い。
建物診断・耐震診断・インスペクション等個々の専門調査は深まりつつあるが、それらを統合化するところの総合診療医(ドクターG)のようなプロフェッサーが求められてきているように思うし、学問的には建築病理学の構築が求められている。
「住宅医」も必要だが「建築医」も必要では
と私は思っている。
ところで検定会の話しに戻そう
1番目の発表者は、鹿児島から来られた2013年住宅医スクール終了の住宅会社の方。
長期優良住宅リフォームの補助金を受けた住宅で、南側採光を阻害していた車庫を減築し、太陽光パネルを設置するために2階部分の屋根を切妻から片流れにして住宅の雰囲気をモダンなものに一新させた。
温熱は仕様規定を採用していた。調査は、協力会社10社の参加で行ったというところは住宅会社の強み
2番目の発表者は、2013年住宅医スクール終了の都内の設計事務所の方。
建蔽率ぎりぎりで増築の余地はなく、予算上、主に1階部分の改修の為、住宅医的性能(6指標)はあまり向上していない。1階のバリアフリー化が改修目的だったので、階段の位置を変え温熱のゾーニング改修を図っている。
3番目の発表者も、2013年住宅医スクール終了の都内の設計事務所の方。
非常に限られた予算(600万円程度)の中での改修事例で、きっかけは耐震診断調査からとの事で、耐震性能の向上が主眼だが、温熱のゾーニング改修等に取り組んでいた。
みんな色々と苦労・苦闘しているのが発表からわかった。
私も木造3階建ての温熱改修の相談を受けているところだが、都内の木密地区なので隣地建物との離隔距離がなく外側断熱改修は難しい。建蔽率ぎりぎり、屋根は高度斜線ぎりぎりのため、とにかく内側だけで断熱改修を考えるしかない。
木造3階建て・階段竪穴区画免除の建物なので1階と3階の縦の温度差が激しい。縦の温度差が激しいのを何とかならないかというのが温熱改修の動機なのだが、階段を扉で閉ざすのは生活上支障が多い。吹抜け状態を確保したままの断熱改修は中々難しい。
1月22日に「住宅医スクール2014(東京)」の全講義を受講して修了書をいただいた。
2014年6月から、ほぼ毎月1回の全8回×3コマ=24講座と特別講義8講座という、今時珍しい長期間の講座を受講しなければならない。そして検定会で事例発表をして「資格あり」と認められないと「住宅医」という称号は与えられない「住宅医スクール」。
これは、半日講習で資格を授与するという粗製濫造の民間資格が多い中で異彩を放っているといえる。
修了会の後のパーティーで「骨のある講習会」と評してきた。
岐阜県立森林文化アカデミーと同様に、木造建築病理学を体系化して改修調査・設計の人材育成を図っている。
住宅医協会の皆さんの熱意には頭が下がる。
木造・住宅には、業務として関わりが薄いが、木造は中々奥が深い。
■建築病理学
ヨーロッパやアメリカでは、古くから歴史的建築物の補修が盛んであり、経験的・個別的にノウハウが蓄えられてきた。
日本でも補修に関する技術は、経験的・個別的に蓄えられてきたといえる。
建築病理学は、改修理論や技術を体系的に学び、全ての建築物に生じる欠陥、不具合の技術的側面を考究すること、建築設計や施工、使用過程における重大な欠陥・不具合を診断し予防するための情報を提供することが目的である。
今、ストック活用を進めていくためには、全構造・構法にわたる建築病理学の構築が必要となっている。
イギリスでは、建築病理学を用いて、
1)既存建築物の劣化診断、補修設計、
2)建物の担保価値の評価、
3)建物の適法性評価、
4)過去の修繕効果の検証、
5)維持管理・補修工事の根拠提供、
6)建物の用途変更時の根拠提供
7)修繕義務違反建物に関する法的措置の根拠提供などに応用的利用がなされている
■岐阜県立森林文化アカデミーの木造建築病理学課程について
欧米に比べ日本では住宅の診断業務がビジネスとして、まだまだ十分に広がってはいないが、今後の建物の高寿命化と性能の確保の必要性から、必要不可欠な技術体系であると考えられている。
岐阜県立森林文化アカデミーでは、英国での建築病理学とその関連資格を紹介している中島正夫先生(関東学院大学)監修のもと、2006年度に授業科目として「木造建築病理学課程」を設置した。これが教育機関では日本初の設置となる。
木造建築病理学課程は、「木造建築病理学」(講義・実習、60時間)及び「木造建築病理学実習」(実習、60時間)の計120時間からなっている。この課程の開講期間は、2年間に渡る内容となっていて、実物件での調査を3回以上参加し、診断レポートを作成することで実践力を身につけます。さらに、これらの講義及び実習を受講した後、中間試験及び最終試験という2回の試験がある。
「木造建築病理学課程」では、以下のような授業構成となっている。
1)建物の長寿命化の必要性
2)建築病理学とは
3)耐震調査の目的・内容とその手順
4)各種検査機器と使用法
5)構造的不具合の原因と対応策
6)木材の腐朽と防腐
7)現場における検査手順
8)報告書作成法
9)床・壁・屋根、その他の不具合とその対応
10)建築病理学の必要性
11)床下環境について~防蟻対策
12)温熱環境の改善と対策
13)法規・制度関連
14)室内空気質の改善と対策
15)契約依頼者との契約上の注意 など。
この正月に建築基準法の改正履歴を自分なりに整理してみた。
もともと一枚に年次別(施行順)になっていたのだが、全般総則・集団規定・一般構造規定・設備関係規定・防火避難規定・構造・エレベーター・エスカレーター等に分割して、少し改正内容を詳しく記載したものにした。
建築基準法の改正履歴などは、増改修設計、用途変更、遵法性調査等の業務に関わらないと必要ない事かもしれないが、建築基準法65年の歴史を振り返ると中々面白い。
その中で、最近遭遇した事をひとつ紹介する。
上図は、自然排煙口の排煙上有効な開口部についての取扱いで、「建築物の防火避難規定の解説(2012)」79頁に説明されている事項だが、もともとは昭和46年12月4日住指発第905号で大阪府建築士会からの照会に対する回答「建築基準法の疑点について」がもとになっている。
排煙設備が新設されたのは昭和46年1月1日施行の建築基準法改正によるが、最近調査した建物は昭和46年7月確認許可なのだが、回転窓の開閉角度が15度ぐらいしか開かない。現在では常識的な上図の取扱いから有効開口面積を計算すると面積が足りなくなり不適合となる。
しかし取扱いが示されたのが昭和46年12月4日住指発第905号の時期で建築確認許可日の後なので適合・不適合・既存不適格についてのジャッジは既存不適格とした。
この回転角度の少ない窓をそのまま利用するとなると自然排煙設備が足りなくなるので、例の告示第1436号というのが活躍することになるだろう。
古い建物は、工事完了検査済証があっても、階段竪穴区画が完結していない。令第128条の敷地内避難通路が確保されていない。自動車車庫との異種用途区画が成立していない等、何で?、何で?という事に遭遇したりする。当時の確認・完了検査は当然、特定行政庁だから充分な打合せが必要となる。
知人は、私がやっているストック活用に関する業務は「妖怪ウオッチ」のようだねと評していたが、建築ストックの活用に関する業務には、可愛いのから悪いのまで様々な「妖怪」が潜んでいる。
久しぶりに池袋ジュンク堂に行ったら見つけた
学生時代に読んだし、
確か段ボールに入れ倉庫で寝ているはずだ
持っているのは、1963年美術出版刊の本だが
この復刊をもう一度読み直してみよう。
先日、校友会の新春の集いが新宿校舎であり参加して来た。
参加者平均年齢60歳以上は間違いないかもしれないが
皆さん元気だ
大学の都市型校舎の先駆けとなった工学院大学新宿校舎
伊藤先生が理事長の頃、この新宿校舎再開発を構想された
民家とか伝統建築物とかの道を私は進まなかったけれど
「建築ストックの再生と活用」という現在の業務は
あながち外れてもいないだろう。
恩師の主要な本を、もう一度読み直そうと思うこの頃である。
「TAF通信2015」~2014年下期の業務と現在進行形のプロジェクトの紹介
を主として名刺交換したことがある人を中心にMAILにて発行しました。
このサイトでは「TAF倶楽部会員」のみがPDFをダウンロードすることができます。
尚、現在「TAF倶楽部会員(有料)」は登録を中止しており、ログインしても認証しておりませんので御了解ください。
【雪の金沢市民芸術村】
あっという間に今年もあと二日になりました。
12月中旬の金沢出張から帰ってきてから体調を崩してしまい
気力が湧かない日々が続いてました。
それでも何とか年賀状を出し、
新年発行の弊社の2014年下期の業務と
現在進行形のプロジェクトを紹介する
「TAF通信・2015」
をまとめながら2014年を振り返っていました。
2014年は、様々なプロジェクトに関わる中で、
色々な方とお会いし、お世話になりました。
これらの方々に、この場を借りて改めてお礼申し上げます。
今年の更新はこれで終了とさせていただきます。
今年、1年間のご愛読に感謝いたします。
ありがとうございました。
来年も引き続きご愛読のほど、お願い申し上げます。
来るべき新たな年が、皆様にとって良い年でありますよう
それでは、良いお年を!!
12/17の猛吹雪の中、金沢市民芸術村に足を伸ばした
金沢市役所に掲示されていた「谷口吉郎・谷口吉生の建築」展ポスターを見て、どうしても見ておきたいと思った。
この日は、調査の為の準備で足場を設置したり、大梁調査の為に大工さんが天井を撤去している。明日からのコア採取や鉄筋探査箇所の確認で10人ぐらい現場には人が入っているが、18日は建築基準法適合状況調査+耐震診断、19日は別建物の建築基準法遵法性調査+耐震診断補助調査で二日間現場に張り付き、かつ調査をしないといけないので、行くなら金沢市役所から現場に戻るこの時間しかないと思い、タクシーに飛び乗った。
【職人大学校の一群】
1919年に金沢紡績(後に錦華紡績に改称)が開業し1923年から1927年にかけて、現在の各工房の元になった倉庫群が建設された。
その後、1941年に大和紡績株式会社金沢工場となり、最盛期には約2千人の工員を有した工場も、産業構造の変化と共に規模縮小を余儀なくされ、1993年に操業停止。
そこで1993年12月に金沢市がこの敷地を買い取り、公園として整備を進めた「建築再生プロジェクト」
「違反建築物」とは、建築基準法等の関係法規に適合していない(違反している)建築物のことで、建物自体が法に適合していない場合(実体違反)と、法で定められている手続き(確認申請や完了検査など)を行っていない場合(手続き違反)がある。
工事完了検査済み証の無い建物は、「手続き違反」の建物と捉え、「実態違反」かどうかは、建物が使用開始した当時に工事完了検査をしていないので「そもそも実態違反か否か」わからないのだから、その建物が建築された時点の法令に適合していたかどうか「建築基準法適合状況調査」をすることによって判断される。
とはいっても、工事完了検査済み証の無い建物のほとんどが建築確認済を取得した図面とは異なっていたり、違反箇所があり、無届出で用途変更や増築、変更が行われている。
新たに増築や用途変更をする場合、それらも直して法適合させるのだが、違反箇所は直して確認申請を取得した状態に一旦戻して、それらを確認してから 新たな増築なり用途変更確認申請を受付するという「手続き」論が障害になり、結局 新たに増築や用途変更をして法適合させるのはしないでおこう=確認申請出すのは止めた! という建築主もいる。
まあ この「手続き論」の話しは、又の機会にすることにして
建築された時点で法令に適合していたが、法改正等により現行の法令に適合しなくなった状態の建物は「既存不適格建築物」と呼び、違反建築物とは区別される。
例えば、竪穴区画の規定は昭和44年5月1日施行だが、昭和44年5月1日より前に建築確認済証が交付された建物は、竪穴区画の規定を満たしていなくても違反ではなく、既存不適格扱いとなる。
ただし、既存不適格建築物の増築や用途変更などを行う場合は、一定の規模・範囲内である場合を除き、既存不適格扱いになっていた規定についても法令に適合させなければ違反建築物となる(遡及適用)
「違反建築物と既存不適格建築物」意外とわかっていない設計者が多い。
築50年近い平屋の木造住宅の現況調査に参加した
外壁板張り、内部は漆喰の築50年近い部分と築40年ほど経過した増築部分とからなり、増築した部分あたりからの雨漏りが起きている住宅で、解体して建て直すと聞いた。
古い建物は下地が良くわからないことが多く、現在では当たり前のようにクロス下地は石膏ボードだが、塗り壁やらが混在しているとわかりづらい。
電気のスイッチプレートを外して下地の石膏ボートを確認しているのが上の写真。
土台には檜が使用されていて、現況調査の段階では土台、基礎は 意外にも健全なようだった。
この後内装材等を撤去した後の劣化調査をしてみないとわからないが、残念ながら劣化調査に参加できない
増築部分からと思われる雨漏りに悩まされなかったら、この建物は もう少し長生きさせてあげられたのではないかと、帰路の電車の中で思った。
壁、天井、床と断熱材が入っておらず、これではさすがに東京でも冬は寒かったはずだ。
床下は土で 温度12度、湿度39%だった。
平均地盤の定義は、建築基準法施行令第2条第1 項第6号で「建築物の高さは地盤面からの高さによる」と定義されており,同条第2 項で「地盤面」とは、建築物が周囲の地面と接する位置の平均の高さにおける水平面をいい、その接する位置の高低差が3mを越える場合においては、その高低差3m以内ごとの平均の高さにおける水平面をいう。と規定されており、建築物における高さの基準となる地盤面を「平均地盤面」と呼んでいる。
(高さの基準のひとつである,道路斜線制限における地盤面については別の扱いで「道路中心の高さ」)
平均地盤面の算定方法は、建物が地盤に接する部分のいずれかの位置における高さを基準として、建物が接する外周の各辺ごとに基準の高さとの高低差によって生ずる面積を算出し、その面積の合計を各辺の合計の長さで割ることによって基準からの平均地盤面の高さが算出される。(平均GL=土に接している面積/外周長さ)
ここまでは法文のおさらい=教科書どおり
しかしその算定において法等の中に周囲の地面と接する位置を、どの位置でどの高さを用いるのか等の規定がなく設計者等の判断により異なっているのが現状。
特定行政庁は、からぼり等の取扱いなどの基準を定めて指導をしているが、それでも細部については、設計者等が判断をして計画をしている。
平均地盤面の算定にあたって、建物の接する位置をどこで見るのか、からぼり(ドライエリア)の扱いをどうするのか、接する地盤面が盛り土している等の扱いについてはケースバイケース。
設計者なら平均地盤高の算定は自由自在に操れるだろう。わずかな高さの調整を盛土、犬走、階段等で行えば良いのだから。
地下室マンションにするのもしないのも、平均地盤の調整で充分可能だ。
それ故か、地下室マンションと平均地盤高にまつわる係争・建築審査請求は多い。設計者が住民説明、調停、確認申請と幾度も計画を変更し平均地盤高を調整し、しかも住民側等に図面を見せている場合は、尚更だ。
指定確認検査機関は、建築確認申請に出された平均地盤高しかみてないが、実際は紆余曲折のすえ申請図ができることの方が多い。条例で定めている場合以外は、盛土に対する法的な制限はないから、平均地盤は自由自在に調整できる。
平均地盤高を調整する為に、盛土・犬走・階段等を設定して平均地盤高を操作している事が事実関係を示す図書から推察できるなら、それらを制限させなければならないのではないかと最近思う。