ウェスティン都ホテル京都 -9

 今回、京都モダン建築祭の企画で、学生時代から見てみたいと思っていたウエスティン都ホテル京都・佳水園を見る事が出来た。

 ガイドをしてくれた施設課の人の村野藤吾愛には感銘した。例え一部分しか残せなくても、何とか村野建築を継承しょうと外資(マリオット)とも闘っているのだろうという事が推察できた。

 確かにウェスティン都ホテル京都の原設計者は、村野藤吾である。しかしその後の改修、とりわけ2018年以降の大規模改修工事には、幾多の建築家・設計者・デザイナーが関わっている。佳水園の改修設計は、中村拓志&NAP建築設計事務所が手掛けたように。

https://www.nakam.info/jp/works/kasuien

ウェスティン都ホテル京都を観て、正直なところ村野藤吾が降下してこなかった。中村拓志さんの改修設計が拙いと言うわけではない。細部にわたりに目が行き届いた素晴らしい仕事をされていると思う。でも村野藤吾建築の持っている「柔らかさ」「芳醇さ」が失われた、村野藤吾のいない村野藤吾建築という感じを受けた。

 佳水園に限らず、外形や照明や階段、家具の一部は保存・修景し必死に残そうとしている、でも所詮部分の継承では限界があるのではないか。そんな事をずっと考えていた。

 建築ストックに関係するものとして、原設計者が著名な建築家であれ、そうでないであれ、他の建築家・設計者が改修を手掛ける場合。それは「再生」ということではなく「変容」(トランスフォーメーション)となり、別なものとなるのではないかと強く思った。安易に「建築再生」という言葉を使うべきでないのかもしれない。

ウェスティン都ホテル京都 -5

村野藤吾さんは屋根にこだわりがあった。

内樋だから、メンテナンス的には支障もあるようだ

まるで折り紙のように薄く連続する屋根

屋根の形がそのまま廊下の天井に。

左側の下がり壁は、スプリンクラー設備の為にあとから天井をこしらえた。

何故これほど屋根を薄く見せたいと思ったのだろうか

ウエスティン都ホテル京都 -4

8053号室。この部屋は村野藤吾スペシャルとして、ほぼ改修しないで残した宿泊室と聞いた。希望があれば宿泊可能との事。

他の改修後の宿泊室は「日本を代表する建築家・村野藤吾氏の優美さや曲線美をインテリア等で表現し、エレガントモダンな空間を演出」とHPに記載されているが、写真を見る限りでは、似て非なるもの。

ウェスティン都ホテル京都 -2

京都モダン建築祭の企画参加にて撮影

西館宴会ロビーの階段

村野藤吾の階段は、軽さを強く意識している。

初段を床から離すようにデザインし

ササラ桁を天井から吊る構造にしている

下から見た時の段裏の見せ方も強く意識している

天井から吊っている

通称 ハートの階段

ウエスティン都ホテル京都 -1

ウエスティン都ホテル外観(公式HPより借用)

ウエスティン都ホテル京都は、1890年4月、油商の西村仁兵衛がこの華頂山麓に保養遊園地「吉水園」を創業。その園内に1900年「都ホテル」を創業したのが始まり。京都で最も古いホテルの一つ。

1900年に創業し、2020年(令和2年)で創業130周年を迎えたウェスティン都ホテル京都。近鉄グループの運営だが、マリオットと業務提携しているので2018年からの大規模改修には、マリオットの施設基準、デザイナーの意思が強く反映している。

歴史を重ねたこの建物の品格は、日本の近代建築の礎を築いた建築家・故村野藤吾氏の設計で、学生時代から このホテル内にある村野数寄屋の佳水園を見てみたいと思っていた。

10月に続き、再び京都へ

11月から開催されている京都モダン建築祭の企画「ウエスティン都ホテル・村野藤吾の名作ホテル特別案内、アフタヌーンティー付き」の参加に合せてもらうために日程を調整してもらった。

10時、ウェスティン都ホテル京都の東館1階メインロビーに集合

この時間に京都の現地に来るためには、自宅を朝5時に出なければならない。

3階のBAR麓座に移動してホテルの人からガイダンスを受ける。

如何に村野藤吾建築のエッセンスを継承しているかという説明

この後、ホテル内を案内してもらった

よさげなBAR