先駆的な建築法令「家作建方条目」

外国人居留地は、政府が外国人の居留及び交易区域として特に定めた一定地域だが、近代日本では、1858年の日米修好通商条約など欧米5ヶ国との条約により、開港場に居留地を設置することが決められ、条約改正により1899年に廃止されるまで存続した。
横浜港は1859年7月4日に正式開港し、まず山下町を中心とする山下居留地が造られ、1867年には南側に山手居留地が増設された。
横浜居留地
医師でアメリカ・オランダ改革派教会の宣教師デュアン・シモンズ(1834年~1889年)は、1859年11月に開港まもない横浜に上陸した。翌年宣教師を辞しているが、辞任後も日本に留まり、医療と医学教育に力を注いだ。
シモンズは、横浜には船が来るから海上防疫をやれとか、便所は井戸の近くにあってはいけないとか、いろいろ提案している。日本政府はもちろん横浜でも衛生局というのをつくって予防をしなくてはいけないと建言している。いわゆる公衆衛生を推奨した。
シモンズの提言等を受けて、明治5年7月神奈川県県令になっていた大江卓(1847年~1921年)は、「家作建方条目」を作る。
シモンズや近代的ヒューマニズムの先駆者であった大江卓無しには、この「家作建方条目」制定はありえません。
先駆的な建築法令であった「家作建方条目」
明治6年に制定された、この「家作建方条目」の冒頭に適用範囲として「当港内外」とあるので、横浜港付近にだけ施行したもので神奈川県全体に適用されたものではない。又明治19年以降他の地方都市で制令化されたものが「長屋」に限定されたものだったが、全ての建物に適用している。
第1条は、外壁を耐火性能又は防火性能にしなさいという趣旨。
第2条は、屋根の不燃化。板屋根・杉皮葺・藁葺の禁止。発見した場合は除去・罰金刑
第3条は、場所により、表の道路に面しない裏に借家を建てることを禁止。
第4条は、便所と井戸は近くに作ることを禁止。
第5条は、工事中の検査の規定(中間検査)。
第6条は、「カマド」は石造・煉瓦造・塗屋にする。
第7条は、床高は2尺以上・貸長屋を含む。
第8条は、流しから下水の途中に金網をつけ塵芥を下水に流さない。
第9条は、下水は土中に埋込、往来の下水に取り付ける。
第10条は、地面内に不浄水の溜場を作ることを禁止。
第11条は、軒先は道路・敷地境界線より先に出さない。
文末尾に、竣工後の届出見分が規定されている。
制定時には、着工時のチェックがなく、第5条の中間検査と、末尾に竣工後の届出見分が規定されていた。
条目不達一か月後の8月19日に追加的不達が出て、「往来道路」に面する建物については着工前に図面を添えて許可を願い出ると規定されている。
さらに同年10月9日には、二回目の追加的不達が出て、第3条の裏貸家禁止を緩和している。
以上のように「家作建方条目」は、防火と衛生(下水)に関する規定が主で、当時の横浜の社会的状況を反映したものであったが、近代日本では先駆的な建築法規制であった。