「幻の料亭・日本橋『百川』」小泉武夫著 

 江戸日本橋浮世小路にあった料亭「百川(ももかわ)」は江戸時代中期に始まり幕末にかけて繁盛した料亭だが、明治の初めに忽然(こつぜん)と消え去った。その史料を掘り起こし謎に包まれた名店の全容を小泉武夫さんが浮き彫りにしている。

 「百川」は、江戸中期の明和・安永頃(1764~1781年)に創業し、文化・文政(1804~1830年)頃に最盛期を誇ったようだ。

 逢引きの場としての茶屋、卓袱料理屋から始まり当代屈指の一流料亭に変貌している。この本によると幕末の安政6年(1859年)の「即席会席御料理番付」には、山谷「八百善」、山下「がん鍋」、両国「亀清」、両国「万八」、深川「平清」、檜物町「嶋村」といった江戸料理屋とともに浮世小路「百川」の名前があげられているとのこと。

 江戸の町民文化が根付いていくうえで、人々がとても大切にしていたもののひとつが「社交」だったという。それは江戸という街が、様々な地域の出身者の寄せ集めで成り立っていたからかも知れない。

 商売の新規開業や家督相続、跡取りの元服、養子取り、火消しや鳶の頭の就任披露といった様々な機会に、関係者や親戚を招いて饗応し、引出物を配った。それらの舞台が一流料亭であり、料理茶屋であったと記されている。

 興味深い記述が盛沢山の本で、江戸時代の一流料亭では、まず風呂に入ってもらい、次に酒席になるのが習わし。料理は「旬」と「産地」に強くこだわる。茸・ジビエ・川魚など多様な食材を活用していた事。またこの頃既に食用花も料理に彩を添えていた。

 日本文化の凝縮した空間が日本料理店にはあり、建築・料理・器・庭・掛け軸による総合的な空間構成である。敷居が高いようにも感ずるだろうが、高級なフランス・イタリアン・洋食店と、さほど料金は変わらない。

 日本文化の探求と継承のために「日本料理店」に行きましょう。

「建築家・内藤廣 BuiltとUnbuilt 赤鬼と青鬼の果てしなき戦い」内藤廣

2023年島根県立岩見美術館での展覧会に向けて準備され、書籍となった本だと知った。

内藤廣さんの これまでの作品が整理されて、実現した建物。コンペ等の応募作品で実現しなかった建物。現在計画中の建物。約80プロジェクトが掲載されている。

情熱的でロマンティストな赤鬼に対して、冷静なリアリストの青鬼。

この自問自答のような、内藤廣さんの脳内を見ているかのような文章が楽しい。

手書き時代の青焼き図面、CADの断面詳細図、近年竣工物件に納品している寄贈図(断面詳細図にポイントとなる特徴的なディティールをレイアウトした図面)が模型写真等とともに収録されている。

CADの断面詳細図等は、老眼鏡にルーペを併用しないと活字を判読できない文字の大きさで読むのに苦労したが、やっぱり図面が美しい事務所の作品は、愛と情熱がたっぷりと注入されている。

今まで見た内藤廣さんの作品も幾つかあるので、時々見直し、思いだしながら、大いに学ばさせてもらっている。

「坂上に咲く」原田マハ著

「ワぁ、ゴッホになるッ!」
1924年、画家へ道に憧れを抱き裸一貫で青森から上京した棟方志功。
しかし、師もおらず、画材を買うお金もなく、帝展に出品するも落選し続ける日々。
そんな彼が辿り着いたのが木版画だった。全精力を打ち込む創作姿勢から生み出された「板画」は、やがて新しい芸術を生み出す。

棟方志功の生い立ちや妻チヤとのなれそめは知らなかった。

棟方志功の妻チャの視点から世界の「ムナカタ」を描いているが、棟方志功を支え続けるチヤにも引き込まれていく。

純粋すぎて眩しくなる夫婦。

妻や家族などの支えてくれる人。応援してくれる人。そういう人達がいて自分がある。やはり妻の力は偉大。

一気に読んでしまった。

なんとなく「ほんわか」気分。


「浅草かっぱ橋商店街 リアル店舗の奇蹟」飯田結太著

 効率度外視の「売らない」経営が、廃業寸前の老舗を人気店に変えた。多くのメディアでも紹介されている浅草合羽橋の料理道具専門店「飯田屋」の本。

 ノルマなし。売上目標なし。営業方針はまさかの「売るな」──型破りの経営で店舗の売上は急拡大、ECサイトもアマゾンをしのぐ販売数を達成している。


 廃業の危機に瀕していた浅草かっぱ橋の老舗は、なぜ行列の絶えない人気店へと変身できたのか 小売店再生への道、ヒントが詰まっている。

 試行錯誤、七転八倒の時を乗り越えて、自分の会社なりの事業システムを確立したことに敬意を表したい。

 本を読み、サイトを見ると何気に楽しそうな店舗だ。定番アイテムからマニアックな逸品まで楽しい料理道具が所狭しと並びんでいる。「プロのシェフから家庭の主婦まで世界中の料理人のためのお店」と謳う。

https://kappa-iida.com

 何だか昔の東急ハンズを思い出した。行くと新しい発見があり、オタクのような商品に詳しい店員さんがいて、買い物に行くことが楽しかった。

 建築的にも浜野安広さんが関わっていていたのでスキップフロアとか、新しい仕掛けが興味深かった。若い人は、浜野安広さんのこと知らないかも知れないが、私の時代では商業建築界における「あこがれの人」だった。

 東急ハンズも在庫管理、効率、人件費削減でつまらない店になり、東急不動産が撤退し、今や社名も「ハンズ」。

 中々、使ってみて気に入ったフライパンがないので今度 合羽橋に買いに行こうと妻と話していた。

「僕たちはもう帰りたい」さわぐちけいすけ著

 若い世代にとって「働く」ことは、喜びでも生き甲斐でもないと受け止めている人が多いのかも知れない。この漫画を読んでそう思った。

 「全日本もう帰りたい協会」というツイッターアカウントがある。フォロワー数47万人を超えている。

 ここでは働く人々の「もう帰りたい」という気持ちが日々つぶやかれている。こんなにも多くの人が帰りたいと願っているのに、なぜ帰れないのか?

 例えば

・なぜ無意味な残業に付き合わされる?
・「板挟み」状態をどうすればいい?
・上司の無茶振りにどうやって対処する?
・なぜうちの会社は効率が悪いんだ?
・妻でも母でも社員でもない私の時間が欲しい
・何を最優先にすればいいんだろう?
・自分の居場所は本当にここなのだろうか?

「もう帰りたい」と願う理由も、年齢も、性別も、立場によって全く異なる。これから始まるのはそんな人々のお話の漫画。この本も兵庫県明石市の出版社・ライツ社の本だけど、着眼点が面白いと思った。

 確かに私の知る限りでも日本の会社は、生産効率が悪いと思う。無駄な会議も多いし、それに対する資料作りにも相当な時間が費やされる。その時間を費やした資料の分析をするのならともかく、会議は上司の訓話(何度も聞いた昔話)に終始したり。定時で退社するのは、はばかれる環境。建築設計業界なんかブラック×3ぐらいの環境だったけど「帰りたい」と思ったことはあまりなかった。会社に泊まり込むなんて結構あったし、仕事をすればするほど早く技術を習得できると思っていた。私にとって「働くこと」は生活の糧を得る手段であったが、同時に「喜び」であり「生き甲斐」だった。

 時代は変わってきているのだな・・・

 

「売上を減らそう」佰食屋・中村朱美 著

京都の国産牛ステーキ丼専門店・佰食屋。

「働き方を極限まで絞ることで売上を上げているお店」「働き方の形は自分の人生に照らし合わせて決めることができる」つまり、どれだけ儲かったとしても、「これ以上は売らない」「これ以上は働かない」あらかじめ決めた業務量を、時間内でしっかりこなし、最大限の成果を挙げる。そして残りの時間(人生)を自分の好きなように使う。

2019年日経WOMAN「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2019」大賞(最優秀賞)を受賞した中村朱美さんの本。1984年生まれとあるから、まだ30代。男社会にどっぷり浸かり、サラリーマン、零細企業の経営を経験してきた自分にとってコペルニクス的視点。中村さんは、凄い経営者だと思った。

女性目線、子供・家庭を持つお母さん目線での働き方改革、経営システムだと感じた。

「100食という「制約」が生んだ5つのメリット」を挙げている。

メリット1「早く帰れる」退勤時間は夕方17時台

メリット2「フードロスほぼゼロ化」で経費削減

メリット3「経営が究極に簡単になる」カぎは圧倒的な商品力

メリット4「どんな人も即戦力になる」やる気に溢れている人なんていらない

メリット5「売上至上主義からの解放」よりやさしい働き方へ

とても参考になった。自社の商品力を磨き上げる事。8時間働けば暮らせるようにする。固定経費を削減する。プロジェクトの設計チームを編成する時は多様性を基本として考えや感覚が設計に反映できるようにする。self-reflection(内省)する時間を確保して勉強や読書、WEB更新にあてる。 そんなことを自社の経営で考えた。

この本の出版社ライツ社は、兵庫県明石市にある。出版不況が叫ばれる中、快進撃を続け社員は6人と小規模ながら、独創的な企画でヒット本を連発し、重版率は何と7割を記録するという。2016年創業。writes.right.light「書く力で、まっすぐに、照らす」を合言葉に、ジャンルにとらわれないでないで本をつくっている。ヒットを生み出すアイデアはどこにあるのだろうか。

「北辰の門」馳星周著

 天平九年(737年)、藤原不比等の息子である藤原四子が疫病(天然痘)で相次いで死去し、同年橘諸兄政権が成立した。この時藤原氏は、不比等の孫である藤原豊成(武智麻呂の長男)が12月に参議に補充されただけだった。

 開けて天平十年(738年)正月、阿倍内親王が皇太子に立てられた。

 「太上天皇制」は、大宝律令で法制化した措置で、文武天皇が即位した際、若年と経験不足ゆえに、天皇個人にのみに権力を集約させず、天皇に親権を及ぼす太上天皇、天皇生母、天皇生母の近親者(外戚)等から構成され共同統治を行ってきた。持統と文武は祖母と孫であった。太上天皇という制度は、天皇と同格の君主として扱われ、法制化された地位で、日本独自の制度と歴史書では書かれている。この太上天皇制について知らないと、古代歴史小説は、よくわからないだろうと思う。

 藤原仲麻呂(恵美押勝)が聖武天皇の後押しで政権内の地位を高めていく中で、仲麻呂の後見する阿倍皇太子と諸兄の後見する安積親王のいずれを正当な皇位継承者とするか攻防が熾烈になる。ここで天平十六年(744年)、安積親王は17歳で仲麻呂が留守官の恭仁京(くにきょう)で急死する(「続日本記」)。

 日本も又、古代歴史では天皇の皇位継承をめぐって常に策謀が巡らされ、血が流されてきた。この本を読んでいると、まるで韓国や中国の歴史ドラマ、映画を観ているような気持ちになった。

 天平勝宝元年(749年)7月、阿倍皇太子が即位し未婚の女帝・孝謙天皇が誕生した。ここから仲麻呂独裁政権への進撃が始まる。

 孝謙天皇と藤原仲麻呂(恵美押勝)の衝突と分裂は、孝謙天皇と道鏡の関係から始まっている。歴史書では「寵幸」(ちょうこう)(特別にかわいがられること。寵愛をうけること)と書かれるが、この小説の中では、男を知らなかった女と女を知らなかった男(僧)の艶めかしい物語として紡ぎ出されている。

 そして、臣下が王権に組織的な軍事力で対抗した「恵美押勝の乱」に突き進み、藤原仲麻呂(恵美押勝)は古代社会最大の反逆者として歴史に名を残した。

「梅おばあちゃんの贈りもの」乗松祥子著

この本も人に紹介された本。

80歳を超えても、朝から晩まで働いておられる梅おばあちゃん。

梅おばあちゃんの春夏秋冬の梅仕事を追いながら、毎日の食事、梅を使った料理のレシピ、梅の健康効果、幻と言われた杉田梅のことが書かれている。好奇心の持ち方、大切にしていることや白洲正子さん、樹木希林さん(内田家)との交流などについても綴られている。

写真も装丁も綺麗で、とても丁寧に作られた本だ。

「60代~70代は人生の黄金期」と書かれていて、ハッとした。趣味でも仕事でも夢中になれるものがあると幸せだという。80代の人生の先輩が言うのだから間違いがないだろう。

乗松祥子さんは、70歳から杉田梅の専門店「延楽梅花堂」を始めたとある。すごいな。「生きている限りは、ずっと現役でいたいと思っています。」。自分もそうありたいと思った。

梅干しが食べたくなった。

延楽梅花堂 トップページ (engakubaikado.jp)

「アーバン・ワイルド・エコロジー」能勢文徳+常山未央 著

 時々建築について刺激をすると長文のメールが返信されてくる「私の好きな建築ベスト10」を送ってくれた知人が、「若手のいい建築家」として教えてくれた能作文徳+常山未央。

 この知人には、「本来の建築とは何か」と常々刺激をもらっているので、彼のお薦めならと思い、全然名前の知らない若手建築家だったが、この本を買って見た。

 自分の娘、息子より若い40歳代前半の若手建築家は、何を考えているのか興味津々で読み始めた。

「建築を複数種の網目と捉えている。人間と複数種が共存する居住域を築くために、菌(きのこ)のような弱い力で現代都市を分解して再組織化する、それが私たちのヴィジョンである。」とある。

 多分 若い世代は、私の年代よりも気候変動や現代社会が持つ様々な問題に強い危機感を持つているのだろうと感じた。

 地球環境や生態系に配慮した家づくりやまちづくり、太陽エネルギーを生かしたオフグリッドハウス、土壌の健全性を回復する建築やランドスケープ、生産から廃棄までの物質循環に配慮したエコロジカルデザイン等のデザイン思考に取り組んでいる。

  近年は、街並みを構成する建築のさまざまな素材に着目し、築40年の瓦屋根の家屋を解体して修繕、移築した《高岡のゲストハウス》(2013)や、都市のストックである中古住宅にあなを開け、生命がつくるレイアウトにあわせて手を入れ続けていく自邸兼事務所《西大井のあな 都市のワイルド・エコロジー》(2017)などがある。

 土地やその歴史、素材や資源、住宅産業や社会制度、人々の生活のあり方など、より広範囲の設計与件を取り込みながら、新しい生態系としての建築の実現を志向している。

 能作文徳+常山未央。鋭敏な感性と知性でグローバルな活動をする彼らの今後の活動に期待したい。

「四神の旗」馳星周著

 この小説では、長屋王政権と藤原四子を扱っている。藤原不比等の4人の息子とは武智麻呂(南家)、房前(北家)、宇合(式家)、麻呂(京家)である。

 藤原不比等が死去した後に政権首班となった長屋王(ながやおう)。長屋王の権力基盤は、高市(たけち)皇子と御名部(みなべ)親王(元明の同母姉)との間に生まれた子であること。吉備(きび)内親王(草壁皇子と元明との子、元正天皇の同母妹)の夫であるということ。それから藤原不比等二女の長我子(ながこ)の夫であるという、三つの血筋によるもの。

 長屋王は藤原不比等の存命中は、その枠内において能力を発揮していたが、元明天皇が死去して首(おびと)皇子が即位し、聖武(しょうむ)天皇となるにつれ権力が揺らいでくる。

 神亀六年(天平元年、729年)2月10日、長屋王の「謀反」に関する密告が行われ12日窮問の結果、長屋王は自尽(ジジン・自分で自分の命を絶つこと)、その他は自経(縊死)。当時も今もこの長屋王の「謀反」は、誣告(ぶこく)であったと言う可能性が濃厚だ。それは藤原不比等二女の長我子所生の安宿王、黄文王、山背王、教勝などは不問とされていることから、この事件の標的がどこにあったか、この事件を策謀したものが誰であったかを示している。

 長屋王の変は、歴史教科書をさらつと眺めただけではわからない。この小説では長屋王の立場、藤原四子のそれぞれの立場と考え方にまで踏み込んだ創作となつており興味深い。

 それにしても藤原不比等の業績は偉大である。律令国家を完成させ、律令天皇制(および太上天皇制)を確立し、藤原氏の舗政を永続化させる基礎を固めている。

 日本の権力行使の有様、意思決定システムの様相、地位継承に関する構造など「この国のかたち」を作ったのは藤原不比等と持統天皇だったと言える。

「白鍵と黒鍵の間に ジャズピアニスト・エレジー銀座編」南博著

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 2023年秋に、池松壮亮主演で映画化された同名映画の原作本で、ジャズ・ピアニスト・南博が綴る修業時代の青春回想記。

 真面目なクラシックピアノ志望の青年は、ある日ふと聴いたジャズに魅せられ、人生が一変していく。

 学校をスピンアウトして小岩のキャバレー、六本木のバー、そして銀座の超高級クラブでの掛け持ちピアニスト生活。

 1980年代バブルの時代。欲望と札束が飛び交う夜の銀座で、青年は人生を学んでゆく。のだが肝心の部分は「モニャモニャ」と書かれている。そして銀座に別れを告げて、あこがれのアメリカへのジャズ留学を決意するまでが回想されている。

 私は、東京では東京駅から浜松町の間の会社に勤めていたので、銀座の街の雰囲気にはなじみがあるが、今の銀座には、あの頃の大人の世界は無くなったようにも感じる。

 仕事に追われていると こんな郷愁を誘う本が読みたくなる。

 尚、私は、南博のジャズピアノはあまり好きではない。

ラカトン&ヴァッサル

 知人と「好きな建築ベスト10」で被った2つ目は、2021年のプリツカー賞を受賞したフランスの建築家ラカトン&ヴァッサル。ラカトン&ヴァッサルは、アン・ラカトンとジャン・フィリップ・バッサルによる設計事務所で1987年にパリで設立された。

 2003年の建築文化で特集を組まれている。わずかに所蔵している「建築文化」の中の一冊。こうしてみるとラカトン&ヴァッサルは随分以前から注目はされていたけど、日本ではあまり人気がなく、作品集も邦訳されたものはないのではないかと思う。

 初期の作品は、一見してチープだからか人気がないのかも知れないけど、私は結構参考にしてきた。

下記は、2021年にプリッカー賞を受賞した時のarchitecturephotoの記事

『1960年代初頭に建設された17階建て96戸の市営住宅「La Tour Bois le Prêtre(2011年、フランス・パリ)」を、ラカトン&ヴァッサルがフレデリック・ドルオと共同で、より大きなスケールで改修しました。建築家は、元々あったコンクリートのファサードを取り除くことで、各ユニットの室内面積を増やし、建物の占有面積を拡張して、生物気候学のバルコニーを形成しました。かつては制限されていたリビングルームは、フレキシブルな空間として新しいテラスに広がり、大きな窓からは街の景色が一望できます。このようにして、ソーシャルハウジングの美的感覚だけでなく、都市の地理的状況の中でのそのようなコミュニティの意図と可能性を再考しました。

このフレームワークは、Druot and Christophe Hutinと共に、Grand Parc(フランス・ボルドー、2017年)にある530戸のアパートメントからなる3つの建物(G、H、I)の変革にも同様に適用されました。この変革により、ソーシャルハウジングを劇的に視覚的に再構築し、エレベーターや配管を近代化し、すべての住戸を寛大に拡張し、一部の住戸は約2倍の広さになりました。それは、住人を追い出すことなく、解体して新たに建設する場合の3分の1のコストで実現しました。

「私たちの仕事は、制約や問題を解決し、用途や感情、感覚を生み出すことができる空間を見つけることです。これまでのすべてが複雑であったときには、このプロセスと努力の最後には、軽さとシンプルさがなければなりません。」とヴァッサルは説明します。』

 ラカトン&ヴァッサルは、これらの操作を「トランスフォーメーション(変換)」と称していたような記憶がある。私は、リノベーションとかリファイン建築(青木茂)とかより「トランスフォーメーション」の方が概念的にしっくりくるように思っている。

「熱帯建築家 ジェフリー・バウの冒険」

 知人と建築についてメールでやりとりしていて、何故か「好きな建築ベスト10」というのが送られてきた。年代差があるので好みの建築も自ずと違うが、私の好きな建築と被ったのは3件だった。私は「好きな建築ベスト10」というように整理したことがなく、すぐ思いつくのは5件ぐらいだが、後は絞り切れない。

 私と好みが被ったひとつがジェフリー・バワだった。

 そこで、もう10年近く前の本だが、「熱帯建築家 ジェフリー・バウの冒険」を取り出してきた。昔の本を探し出すのが一手間。全ての本を開架式で見れるようにしたい。

 この本の隈研吾の解説では「建築の時代から、庭の時代へと転換している」と冒頭に書くが、今振り返ると「建築という制度、建築という時代」から抜け出せていないのは彼自身なのではないかと思った。

 ジェフリー・バウといえば、アジアンリゾートに強い影響を与えた。基本的にスリランカの建築家であり、アジア全般で活躍したわけではないが、バリ島の高級別荘地、パトラジンパを通じてバリ島に紹介されアジアンリゾートに影響を与えたと言われている。

 バウは、理論には懐疑的だったと言う。

 「俺の作品を見に来て感じろよ。」

 そんなメッセージがスリランカから聞こえてくる。

「比ぶ者なき」馳星周著

 このところ仕事の合間に読んでいたのは「藤原氏」に関する本。「大化改新」から律令国家、摂関時代、そして中世以降と。日本史の「真の主役」は「藤原氏」という人もいる。そのくらい日本の権力中枢に位置していた一族だ。

 この「比ぶ者なき」は、皇極4年(645年)の乙巳の変(いつしのへん)で功業をなしたと言われている中臣鎌子(後の藤原鎌足)の次子である史(ふみひと)・(後の藤原不比等)が主人公である。

 馳星周は、この「比ぶ者なき」で藤原不比等を主人公に据え、「四神の旗」で藤原不比等の4人の息子である武智麻呂、房前、宇合、麻呂を、「北辰の門」で藤原仲麻呂(恵美押勝)を取り上げている。

 さて藤原不比等。日本史上、最強のフィクサーとも言われている。何しろ天皇を神にし、律令国家を完成させた男と称される。

 不比等は、百済系渡来人のフミヒトである田辺氏の許で幼少期を過ごしたといわれており、官人となってからも渡来人を配下に置くことによって最新統治技術を独占した。又斉明朝から天智朝初年にかけての大臣(オホマヘツキミ)蘇我連子(むらじこ)の女である娼子(しょうこ)と結婚した。

 八世紀の天皇家は藤原氏と幾重もの婚姻関係を築いたが、それは藤原氏の基本的攻略として受け継がれることとなった。

 馳星周さん、小説とは言え、時代的背景・感情を良くとらえていると思う。馳星周がこんな古代歴史小説を書くとは思っていなかった。

 まあ皇国史観に凝り固まった連中からしたら焚書ものの小説だが、歴史を学んだものからすれば至極まっとうな小説である。

「深夜食堂の料理帖」飯島奈美著

 映画「かもめ食堂」「南極料理人」「深夜食堂シリーズ」のフードスタイリスト・飯島奈美さんのレシピ本。

 誰しもお腹が満たされれば、心も癒される。

 この本で紹介されている家庭料理は、ごくごく普通の料理だが、母が作ってくれた料理が思いうかぶ。

 決して高級ではない材料に手間をかけたお袋の味。思い起こすと懐かしい。

 お袋の味も中食・外食の時代で、時短料理とか、なんちゃつて料理を散見するけれど、家庭料理は大事。それを子供達、孫に伝えるのは、やっぱり女性の仕事。日本文化の伝道師は、日本女性だと思う。

 お袋の味を伝えようと、妻は今 「我家の家庭料理レシピ」を作り始めている。写真撮影者は私。 

「世界はラテン語でできている」ラテン語さん著

 先に挙げた陣内秀信先生の著書を基軸本にすると、当然イタリアに関係する本を読んで理解を深めようとする。

 そうした関連で、この「世界はラテン語でできている」を読んだ。

 「ラテン語」は、イタリア半島中西部の古代ローマで産声をあげ、古代ローマの勢力拡大に伴って通用する地域を広げた。その後もヨーロッパの書き言葉として使われ、現代のフランス語、スペイン語、ポルタル語、イタリア語、ルーマニア語等の元になった。また英語の語彙にも影響を与えている。と書かれている。

 実際、現代でもラテン語は身近な存在であり、世界史、政治、科学、現代、日本という領域でラテン語が、どう関わっているか解説されている。

 イタリアでは、現在でも高校ではラテン語が必須教科と聞いた。イタリア人はラテン語知識に自負があり、ラテン語に対するこだわりは強いようだ。

 多分、ラテン語は世界を席捲した偉大な言語、ヨーロッパを築きあげたという文化的な誇りという意識がイタリア人には根強いのだと思う。

 古代ローマと日本に共通するメンタリティは、多神教がベースの社会組織だということ。

「ラテン語を通じて世界の解像度が上がる」と書かれていたが、この本を読むとそれがよく理解できる。

「日本の近現代建築家たち」文化庁国立現代建築資料館

 2023年7月から2024年2月まで開催されていた文化庁国立近現代建築資料館【NAMA】10周年記念アーカイブズ特別展の図録。PDFでも提供されているが、手元に置いておきたいと思い購入。

 アーカイブズ特別展が開催されていたのは知っていたが見に行けなかった。

 この人達から学び、背中を見ながら私は建築人生の半世紀を歩んできた。

 安藤忠雄さんの講演会に行ったのは学生時代。それまで安藤忠雄の名前さえ知らかったが「住吉の長屋」のスライドを見た時は衝撃的だった。これ以上単純化できないコンクリートの箱という建築表現。その図面はとても美しかった。

 個人的には第一工房の高橋靗一さんの作品が好きで村野藤吾賞を受賞した「群馬県立舘林美術館」を見に行った時は感動した。これほど自然との調和がある美術館は見たことがなかった。

 この図録で取り上げられている先人たる建築家の日本建築界に与えた影響は計り知れない。

「建築史への挑戦 住居から都市、そしてテリトーリオへ」陣内秀信・高村雅彦編著

陣内秀信先生の法政大学教授最終講義集。

 2019年出版当時に一度読んでから、いつも机の上にあり何度も読み返している。自分にとって基軸となる本。だから書いておくことは多いし、中々読後感を記することができなかった。

 この本を「幹」にして参考となる「枝」となる本を読んでいると、何年経っても読み終わらない、読み返す「基軸」本となる。それほど陣内秀信先生の本に青春時代から影響を受けていると、今更ながら実感する。

 陣内秀信先生に直接お会いしたこともないし、陣内研究室で学びたいと思ったことはなかったが、その本から受けた影響は計り知れないのではないか。と半世紀を振り返えってみると思い起こす事は多い。

 同時代を生きてきた、ちょっとお兄さんの陣内秀信先生は、建物単体よりも都市空間の間の物語を紡いできた。研究領域の視点も住居から都市に移り、最近ではテリトーリオに広がっている。他の研究領域の人を巻き込んで とても学際的な研究を続けておられる。

 陣内秀信先生の口癖は「一点突破 全面展開」だと聞いて笑ってしまった。懐かしい1970年代初頭の言葉に触れ、ああ間違いなく同時代人だなと思った。

 あの時代の同時代人で「一点突破 全面展開」できた人は どれだけいるだろうか。そういう私も出来なかった。

 「一点突破 全面展開」できた稀有の存在である陣内秀信先生の本は、建築界のみならず現代社会人の必読書である。

「颶風の王」河崎秋子著

 2014年に三浦綾子文学賞を受賞した河崎秋子氏の「颶風の王」(ぐふうのおう)を読んだ。とはいっても読み終わったのは、かれこれ1ケ月前になる。感想を書く時間が取れなかった。

 一応このブログに感想を書いた後、書棚に移動することにしているので、ディスク廻り、ベッドの廻りが本で一杯になってきたので書いておこうと思う。

 この本は、河崎秋子氏の長編第1作らしいが、6世代にわたる馬と人との交感を描いたまるで「ルーツ」のような本。

 「颶風」(ぐふう)とは「強く激しく吹く風」との意味らしく、四方から吹きまわしてくる風を、昔 中国では台風等の熱帯低気圧の風を「颶風」と言っていたとの事だが、現代では用いられていない。

 この本に登場する主人公達の描き方がとても魅力的だ。馬に命を救われたミネ。馬によつて命を与えられた捨造。自分が救い出せなかった馬に心を残し続ける和子。最後の一頭となった馬との遭遇により新な視野を得るひかり。

 北海道は豊かで美しいだけではない。厳しく残酷な顔の自然という面も持っている。

 河崎秋子氏の本を読むと、自然と野生というものを失ってしまった人間へその本分を問いかけてくる。

 河崎秋子氏のまだ読んでない本が3冊机に置いてあるままだ。並行して読んでいる歴史書もあるのだが、仕事が混んできたので・・・

 本中毒だからな。本をくれ、本を

「未来へつなぐリファイニング建築」青木茂著

 建築界のブラックジャック、はたまたドクターXと私が勝手に命名している青木茂さんの本。青木茂さんは随分と本を出されているので、何冊目の著作になるのかわからないが、2019年3月初版とあるし、過去の主だったプロジェクトが掲載されているので、これが近著なのかな。久しぶり青木さんの本を買ったので詳しくはわからない。

 さて青木茂さんを知ったのは、かれこれ20年程前。まだ孤軍奮闘で既存建築物の再生活用に取り組んでいられるように思えた頃だった。

 私は現在の事務所を始めた10年程前に、青木茂さんと同じように「既存建築物の再生と活用」をテーマにしようと思ったが、その前に指定確認検査機関に勤務していたので、設計というより主として法規面からのアプローチになった。ゆえに青木茂さんが外科医・整形外科医なら、私は街場の内科医、かかりつけ医で行こうと思って事務所を始めた。

 それと基礎的な現場での調査を人任せにしない、業者任せにしない事を決めた。中間管理職になると段々と現場から、実務から離れている寂しさを味わっていたからかもしれない。これは、かろうじて現在も継続している。

 昔から「外科医は切るのが好き」だそうだが、青木さんは戦国武将のような容姿で建築界を席捲し、大学教授を経て、(一社)リファインニング建築・都市再生協会の理事長になられている。営業もお上手で、プロジェクト見学会の開催通知も頻繁に送られてくる。

 この本の事に戻そう。既存建築物の再生と活用のエッセンスは、かなり網羅されている。

 ただし本を読んだだけで、ブラックジャックになれると思ったら大間違い。大変な努力と試練が待ち受けている。しかし街場の外科医・整形外科医には努力すればなれるだろう。

「堀部安嗣作品集Ⅱ・2012年~2019年全建築と設計図集」

なんと美しい本なのだ。そう思った。

久しぶりに建築家の作品集を買った。

自分より若い年代の建築家では、以前から堀部さんに注目していた。

堀部さんの設計したものに最初に触れたのは外観と本だけだが「阿佐ヶ谷の書庫」

残念ながら まだ堀部さんの作品を体験したことがない

高知の竹林寺納骨堂と一連の施設を見に行きたいと以前から思っているのだが

中々機会がない

堀部さんの建築には「無理」がないのだ

この本の中で中島岳志さんが「堀部安嗣論」を書いている。

その中で

「堀部にとって『美しさ』は創作するものではない。美しさはやってくる来るものであり、宿るものである。美しいものを作ろうとすると、美しさは逃げていく。大切なのは、必然性に促されること。建築家の重要な仕事は、この必然性の風に乗ることである。だから、堀部の目指す建築は必然と『”すわり”がいい』建築へ回帰する。」

重要なのは「自己の表現」ではなく「場所の価値」

また住宅を設計したくなっている今日この頃

「めざせ!ムショラン三ツ星」黒柳桂子著

 新しいもの、変わったものをお店の中から狩猟する臭覚が優れている妻が面白かったと、背後に来て渡して行った本。1時間ぐらいで読めると言っていたが、半日ぐらいかかった。私は本を読むのが遅いのだろうか。

 刑務所には看守などの役割を担う刑務官だけでなく、教育専門官や福祉専門官(社会福祉士)、医師や看護師などの医療スタッフ。作業療法士や管理栄養士が在籍しているそうだ。

 病院や学校だって給食があるのだから、ムショだって当然 集団調理があり管理栄養士が配置されているのは何となく予想できた。

 ただ女性の刑務所管理栄養士は少ないらしい。

 この本は何も知らずに刑務所の炊場(調理場)に飛び込んだ女性管理栄養士と、料理初心者の男子受刑者たちの給食作り奮闘記。

 滅茶苦茶面白かった。

 知らなかった事を知ることは興奮する

 食生活と犯罪には因果関係があるらしい。岩手大学名誉教授の故大沢博さんの研究が紹介されている。低血糖症と犯罪の関連性やジャンクフード症候群について、それらが暴力や無気力、感情コントロールができないことにつながる可能性を指摘されている。

 ヒトの身体が食べ物で出来ている以上、思考や行動を司る脳を作るのも食べ物。そのことを意識しなければならない。

 空腹を満たせばよい、簡単で安ければそれでよいという「エサ」的な考え方では、「心身ともに」健康ではいられない。

 妻が年老いてから食と食品衛生について学び直した関係で、随分と感化されている。

 

「南海トラフ巨大地震-1」原作biki、漫画よしづきくみち

出来れば目を背けていたいこと、でもいつかは現実となる巨大地震による被害

生きているうちには巨大地震は来てほしくないと、最近 爺婆連中と話している。

東日本大震災の時から、水や食料等の防災用品は整えている

こうした地震がテーマの本は、避けるんだけど つい買ってしまう

この本は、2023年に初版で、私が購入した本は2024年2月の第5刷

重版出来のベストセラー

皆 同じような気持ちなんだろうな

地震と向き合い乗り越えてきた民族

「土に贖う」河崎秋子著

 2020年第39回新田次郎文学賞を受賞した河崎秋子氏の「土に贖う」(つちにあがなう)を読んだ。今、河崎秋子氏の小説を続けて読んでいる。

この本を読んで、つくづく生まれ故郷の北海道の事を知らなかったなぁ~と思った。

 北海道の厳しい自然環境の下で近代に栄えた産業や職業。具体的には養蚕、ミンクの飼育と毛皮、海鳥の羽根、馬、ハッカ草、煉瓦等を題材に、それらの消長を通して、人が今日生存する意味を問いかける短編集となっている。

 表題作の「土に贖う」は、戦後急速に需要が伸びた煉瓦の生産現場を舞台にしている。便利さと効率を追求し続けた近代以降の社会は、人間を豊かにした反面、生産にノルマが課され、労働者は徹底的に管理されてゆく。本当に「豊かに」なったのかということは疑問に思っているが、それは又別の機会があれば書いておきたいと思う。

 「皆が皆、同じ動きを繰り返して綺麗な直方体になるよう」土から成型されるレンガを近代労働者のメタファーにして「少しの歪みや割れが生じれば、正規品からいとも簡単に外される。不要とされ、捨てられ、顧みられることはない」レンガ同様に、それを作る人間も容易に使いつぶされる。

 先日、集まりの中で、現代は職人技術が急速に失われて行っていると言う事が話題になった。建築、印刷、自動車等。異業種の集まりだったので盛り上がった。ちゃんと食べていけて家族を養っていける職種ならば、息子や娘に継がせることはできるだろうが、食べていけないと予測できるから、職人は自分たちとは違った将来を自分の子供達に望むのではないのかと・・・。

 それにしても河崎秋子氏のリアリティある描写は圧巻であり、現実の厳しさを再現しながら、それらに打ち勝つ力のようなものを読者に蘇(よみがえ)させる。

ワンオブゼムの神から天皇の氏神へ・・・伊勢神宮

 

 ずっとよくわからない事があった。八百万の神々がいる中で何故、伊勢神宮が天皇の氏神となったのか。

 歴史を遡ること壬申の乱(672年)。天皇家内部の争いがあった。

 関ヶ原のあたりで大友皇子軍と大海人皇子軍が衝突した。

 戦いの中、突然疾風が大海人皇子軍の後ろから吹き、矢は長く勢いよく飛び、逆に大友皇子軍のほうの矢は風に押されて途中でバタバタ落ちてしまう。大友皇子軍は一気に押しまくられて負けた。

 以来、大海人皇子軍を助けたその風は、伊勢の方から吹いた風であるというので「神風」と呼ばれるようになる。

 そこで伊勢神宮が浮上する。

 伊勢神宮が天皇家の氏神になるのは壬申の乱が契機。

 大海人皇子はこのあと天武天皇となって皇位につく。美濃と伊勢の豪族を連れて勝利したこともあり、それから恐らく日本で始めて集権的な政府をつくっていく。

 そしてワンオブゼム、八百万の神々のひとつでしかなかつた伊勢神宮が、天武・持統という夫婦の天皇の時代に氏神化されていった。

 各地に元伊勢(もといせ)がある。現在の三重県伊勢市に鎮座する伊勢神宮が、現在地へ遷る以前に一時的にせよ祀られたという伝承を持つ神社・場所で伝承地の真偽のほどについては不明であるが、20社から60社ぐらいある。

 「伊勢神宮内宮の祭神・天照大御神は皇祖神であり、第10代崇神天皇の時代までは天皇と「同床共殿」であったと伝えられる。すなわちそれまでは皇居内に祀られていたが、その状態を畏怖した天皇が皇女・豊鋤入姫命にその神霊を託して倭国笠縫邑磯城の厳橿の本に「磯堅城の神籬」を立てたことに始まり、さらに理想的な鎮座地を求めて各地を転々とし、第11代垂仁天皇の第四皇女・倭姫命がこれを引き継いで、およそ90年をかけて現在地に遷座したとされる」

 元伊勢を巡ってみたいという衝動が・・・