「軍師たちの日本史」半藤一利×磯田道史

時代が不安なときこそ、歴史に学べ

「組織のリーダーになる人は数限られているけれど、リーダーを補佐し策を練り実行する役割は、多くの人が担わざるを得ない」

 歴史を振り返るとリーダーだけが時代をつくるのではない。豊臣秀吉も東郷平八郎も、黒田官兵衛とか秋山真之という軍師・参謀がいなければ勝ち残れなかった。

 組織を生き抜いた軍師・参謀から、組織の中で生きざるを得ない多くの人が学ぶべきことは多い。

 この半藤一利さんと磯田道史さんの対談本は、2014年5月初版で、私が書店で購入したのは2023年12月の第5刷とある。10年前の対談だが全然色あせていない。私なりに参考になった語句を下記に書いてみた。

 「軍師・参謀に備えたい智力のひとつは、願望と現実を見極められる能力なのです。これは単なる願望か、現実化し得るものなのかを。」

 「参謀にあっては困る能力・・・カリスマ性、自己顕示欲が強い人」

 「反実仮想力・・・将来予測。将来の「iF」を考えて予測し対策を施す能力」まずは起き得る事態を並べて思いつくことが重要で、思いついたとしたら、つぎにそうなったらどうするか、その対策案をだせること。さらにそれを実行できるかどうか。

 「実事求是・・・相手がどんなものの考え方をするか、相手の脳内や心のなかまで見尽くして、知り尽くして上で立ち向かう。」リアリズムの感覚を研ぎ澄ますことがいかに大事か、期待可能性にかけるのではなく、常にリアリスティックに考え、正しい判断をくだす。

 「査定力・・・誰がキーマンなのか見抜けないで失敗することがあるが、すぐれた軍師には正しい査定力がある。」ラベルを信じない事。過去の発信なり書き物に遡るという方法

 「アネックス方式・・・成功率の高い改革法・舞台骨はそのままに別館を建てよ」日本人は経路依存性がとりわけ強い。

 「度胸と胆力・・・人間社会には、自然の法則のように必ずしも正しい答えがあるわけではない。しかも「理外の理」が起きてくる。だから度胸で判断を下すしかないことが、どうしたってあるが、そのとき少ない情報で判断しない事

 「参謀に必要な能力・・・時代に流されぬ知識・発想力・洞察力」

とても勉強になった

「落語がつくる〈江戸東京〉」田中優子編

 「江戸」当時世界最大の都市でありながら循環型で、持続可能な内発的発展を実現したとして都市として再評価されている。

 この本の問題意識の発端は、「落語における長屋や様々な場所と人間関係が『事実そのまま』ではなく、江戸自体の現実を要素としながらも、その後の時代に物語としてつくり上げられてきたのではないか」というところにある。

 田中優子氏は『長屋という思想』の中で、長屋は「厄介者や粗忽者や文字の読み書きができない人や無職やその日暮らしの職人が堂々と生きている社会」であり、そういう場所は近代の勝ち負けと立身出世と高度経済成長を価値とする社会から否定されたが長屋は「社会とは異なる価値の物語が生まれる場所」として生き延びた。それこそが落語の長屋であると書いている。

 陣内秀信氏は『都市空間の中の長屋⁻江戸東京とヴェネツィア』の中で、とりわけ「路地」と「共同井戸」に注目し「コモンズとしての集合的な空間」を描き出し、「家に住むより、むしろ街に住む」という感覚を指摘している。

 日本でアパートメント・ハウスが登場するのは、大正から昭和の始めにかけてで、その頃、上下に異なる家族が重なって住む欧米式の住み方が定着したと言われている。

 実際、上下に異なる家族が住む集合住宅に暮らしてみるとコミュニティ-が中々とれない。挨拶程度はするが、自治会もない。

 戸建ての時と違って町会もないし、神社のお祭り、火の用心の巡回もない。戸建てで薔薇を育てていた時は手入れをしていると近所の人に声をかけられて色々な話題に発展した。単身者になると集合住宅は孤独だろうなと思う。それゆえに「落語の長屋」に憧れるのかもしれない。

 

 法政大学江戸東京研究センターなるものがあることを、この本で始めて知った。又、初代センター長が陣内秀信先生であったことも知った。

 江戸東京研究センターが目指しているのは「さまざまな対象を人間(社会)と空間の両方から解き明かす、いわば文系と理系が協同するための研究」とある。

 総合大学のメリットを生かしている。

 バブル経済以降の再開発の事例にはパターン化した画一性を強く感じる。というか、ただの「寄せ集め」(「都市を癒す術」ピエル・ルイジ・チェルヴェッラーティ著)

イタリアの都市計画家ピエル・ルイジ・チェルヴェッラーティ氏は、その著書「都市を癒す術」で「私たちのいる場所は、すでに都市と呼べるものではなくなり、ただの『寄せ集め』となっている。土地の記憶を呼び覚まし、その姿を回復する術(すべ)を取り戻す。都市は、そのとき癒される・・・」と書いている。

 その画一性、寄せ集めと感じる理由の一つに、地域独自の社会と空間におけるディテールの読み込みの欠落があるのは明らかだが、近年、社会と空間のディテールを充実させる都市再生の新たな動きが目を引く。その場で働き暮らす人々が身の回りの空間形成へ主体的に関与しうる空間デザインの手法が磨かれつつある。また、空間を使いこなしそこを自分たちの居場所として再生していく活動も広まりつつある。

「小さな声からはじまる建築思想」神田順著 

 東京大学名誉教授であり、建築基本法制定準備会会長の神田順先生が2021年2月に出版された本。

 神田先生の「20年くらいの自分思いを、行動にすべく生きてきた記録を、自分の言葉でまとめてみました。果たして「小さな声」を生かすことになっているのか、行動できているのか、これからお話しします。」とある。

 神田先生の生い立ちから学業の変遷を振り返りつつ、影響を受けた図書のことなどを織り交ぜて書かれている。神田順先生は1947年生まれとのことなので、ほぼ同時代を生きた兄貴分といって良いだろう。70年安保の東大闘争の頃、神田先生は現役の学生であり闘いの中にあった。私は北海道の田舎の中学生で毎日東大闘争のテレビに釘付けになっていた。

 このところ建築基本法制定準備会の神田先生の書いた文章を読んでいて、何だかとてもシンパシイーを感じていたが、この本を読んで神田先生が影響を受けた本、参考にしていた図書が、ばっちり自分と重なっている事を知った。

 その中でも神田先生が宇沢弘文先生の「社会的共通資本」の考え方に共鳴されていたことを知ったことは大きい。私は若い時は哲学書が好きで読みふけっていたが、シニアになると経済学や経営学を勉強するようになり、その中でもっとも共鳴したのが宇沢弘文先生の本だった。そして見果てぬ夢となった「三里塚農社」構想があったことを知りショックを受けた。まあその事は長くなるので別の投稿にしょう。

 神田先生の名前は、2003年の建築基本法制定準備会設立の頃から知っていたが、驚きだったのは2019年の大田区長選挙に立候補された事だった。立候補に至る経緯もこの本の中で書かれていて腑に落ちた。

 神田先生は工学・建築構造の研究者として、建築法制を俯瞰し「建築基準法に細かい規定がいっぱいあつて、それを全部クリアすることが本当の設計といえるのだろうか」というのが問題意識の通底にあると書かれているが、それは私も全く同意見。

 私は確認審査機関に勤務して建築基準法・施行令・規則・告示という建築法制の審査する側に身を置き、事務所開設後には、設計者として図書を作成して審査受ける側になるという両方の立場を経験した。その中で建築基準法の規定をクリアすることが本当の設計といえるのか。遵法性と安全性は別物となっていないか。現行法が正しくて改正前の規定が間違ってると言えるのか。ということを常々考えている。

 法律は時代の社会、経済、政治に強く影響を受けている。

1998年の建築基準法の改正は、アメリカからの外圧により性能規定という考え方が取り入れられた。2000年には建築確認業務を民間に開放し、指定確認検査機関が次々と開設され、今や9割ぐらいの確認審査を指定確認検査機関が行っている。この30年近くを振り返ってみると新自由主義に基づく規制緩和の連続だったのではないかと思う。

 昨年から関わっている建物が大型化し、自ずとまちづくりとか広義の環境に関心が向いている。

 建築は人々の生活と一体不可分の関係にあり、広義の環境という枠の中でエンジニアリングも芸術も融合したものでなければならないのだと思う。勿論 事業利益がきちんと出ないと 後々の修繕費も捻出できないので、経済的合理性が重要だということは前提にある。

 この本を読んで、色々な事を考える契機になりました。

「太田和彦のふらり旅 新・居酒屋百選」太田和彦著

 旅と酒と肴の番組は沢山あるけれど、太田和彦さんのが私は一番好き。

 「太田和彦のふらり旅 新・居酒屋百選」は、BS11の人気番組だが私はもっぱらYouTubeで見ている。その番組の中から厳選した居酒屋を紹介して2020年9月に出版された本。

 私も全国に出張しているので、時間が取れるときは居酒屋で晩御飯という事が多い。知らない街の知らない居酒屋を訪ねるのは、ちょっとした冒険。

 太田さんの本などを参考にして店を選んだりするが、急に決まった出張のときは店の予約が出来ない事もあるし、連泊になってホテルで調査の準備をしたり、整理をするときなどは余裕があまりなく、適当な食事で済ますことも多く居酒屋には行けない事もある。

 太田和彦さんはアートディレクターだけあって、美的感覚が研ぎ澄まされている。この本では、昼は古き良き街並みや古刹を散策し、夜は地域に根付いた上質な居酒屋を選んで その店のこだわりの料理や銘酒を味わい紹介している。

 私も全国各地に思い出深い居酒屋がある。古いだけではなく居心地が良く、酒と肴が美味しかったところ。

 鳥取の知り合いに紹介され、予約まで入れてもらった米子市の「伊在」。高松市の「食工房 DOII」。渋いところで大垣市の「居酒屋とん平」。始めて田酒に出会った青森市の「UGUISU(うぐいす)」。ホテルで紹介された松本市の「しずか」等々。自分好みの居酒屋に出会終えた時は、ラッキーな気分になる。

 ある調査では中高年になってしたい事の第1位は「国内旅行」とある。海外旅行は、言葉も通じないし、お金の計算は面倒だし、治安は悪いし、一人二人で街歩きもままならない。その点 国内旅行なら心配はいらない。

 旅番組の影響か、中高年夫婦に居酒屋を巡る旅が人気だそうだ。太田和彦さんの紹介してくれる店なら間違いはないが、自分なりに居酒屋を探してみるのも楽しいものです。

 冒険の旅への準備は怠りなくしておこう。

  

「ともぐい」河崎秋子著

第170回直木賞を受賞した河崎秋子さんの「ともぐい」を読んだ。

一言でいうと「すごい」小説だ。

この本を買ったのは、まだ直木賞候補作だったときで、知らない作者だったが内容が面白そうなので購入した。

しばし積読状態だった。

専門書以外で読む本が無くなったので、横浜に移動する電車の中で読もうと読み始めたら引き込まれ、ほぼ一晩で読んだ。

「新たな熊文学の誕生」と帯に書かれているが、動物と自然と人間の「生」の強烈な描写に圧倒される。

熊を狩る猟師 「熊爪」は、獣の如く生き抜き、まぐわい、死を受け入れる。

今日的な「幸せ」なんて、もはや小さい事ではないかと思ってしまう。

身体の芯をえぐられるような連続する死闘と荘厳な命の滴りを描き尽くした傑作。

「方言漢字事典」笹原宏之編著

日本各地を訪れると何と呼んだら良いのわからない地名に出くわす事がある。

話し言葉に方言があるように、漢字にも特定の地域でしか用いられない「方言漢字」があり、多くは地名に見られるのだという。

その土地の人にしか読めないような漢字地名。例えば北海道には、アイヌ語に漢字を当てた地名が各地にある。私は北海道出身なので結構読める方だが、それでも読めない漢字はそれなりにある。

全国を見渡すと方言漢字というのはかなりあるようだ。こうした方言漢字の成り立ちや変遷、使用分布や使用状況について丁寧に解説した事典であり、方言漢字から地域の歴史や文化を知るのにも役に立つ。

例えば東京世田谷区にある「砧」(きぬた)。

この「砧」という地域文字は、地名としてはこの世田谷区にしかないそうである。

「「砧」は、洗濯した布を石などでできた台に載せて、棒で打って柔らかくしたり光沢をだしたりし、またアイロンのように皺(しわ)を伸ばす道具の名である。」「布だけでなく草などを打つこともあり、またそうした行為を指すこともある。」と書かれている。語源はキヌイタ「布板」に由来すると言われているとの事だ。

「砧」が何故 世田谷で地名となったのかはっきりしていない。近隣の調布市に「布田」(ふだ)、「染地」(そめち)など、布の産地を思わせる地名もあるから布の生産に関連性があるのではないかととも言われている。

そもそも「調布」というのも「布」に関係した地名だ。

律令国家の税には、いわゆる現物として租(そ)、庸(よう)、調(ちょう)、出挙(せいこ)があり、力役として雑徭(ざつよう)や兵役(へいえき)があった。「調布」という地名は調のもつとも一般的な品目である麻布の集積地だったのかも知れない。

万葉集巻14、東歌、3373に「多摩川に さらす手作り さらさらに なにそこの子の  ここだかなしき」とある。多摩川に手作り布を晒す情景が、労働歌に詠み込められている。(「坂東の成立 飛鳥・奈良時代」川尻秋生著 205頁)

埼玉県の「埼」(さい、さき)も用例と使用範囲が限定的な地域文字とある。「埼」は陸地が海や湖などに突き出した地形を意味し、神亀三年(726年)の正倉院文書に和同2年(709年)の条で「武蔵国前玉郡(さきたまのこおり)」と確認できるそうだ。歴史好きには、行田市の前玉神社(さきたまじんじゃ)が由来だろうと想起できる。

時々、読み直す事典なのだが、歴史好きには面白くて、たまらない本だ。

R6基本建築関係法令集

予約していた2024年(R6年)版の基本建築関係法令集が届いた。

頭の中を上書きする作業を始めなくちゃ

法令編と告示編の2分冊。

随分と長い間、この井上書院のブルー本にはお世話になっている

 過去の法令集は捨てるのが忍び難く溜まっていく

今年は合わせて建築設備関係法令集を購入した

自分の中では、今年は設備関係知識のバージョンアップ・イヤー

設備設計一級建築士の更新講習を受ける年でもあり、

並行して、空調や電気のセミナーへ参加する予定

技術者は 怠けていると頑張っている人に追い抜かれてしまう

「持続可能社会と地域創生のための・建築基本法制定」建築基本法制定準備会編

『なぜ二十一世紀になってから姉歯事件に象徴される社会を揺るがすような建築の諸問題が起きているのか。そこには制定後七十年経つ「建築基準法の制度疲労」という根本的な問題がある』と本書は指摘する。

 建築基準法は改正するたびに複雑怪奇で糸が絡んだ蜘蛛の巣のような法令となっていく。確かに制度疲労なのかも知れない。

 形式的で形骸化。書類上整っていれば良い。間違い探しの確認申請審査。最低基準のはずだったのに最高基準とはき違えている人。建築基準法の世界にいると何だか精神的に疲れてしまう。 

 「建築基本法は、建築の理念と関係者の責務をうたうものであり、それに対する具体的な規制や制限、罰則などは自治体が条例で具体化する必要がある」と本書は書く。

 地方自治分権が前提となつているので中々大変な作業ではある。

また『「建築基本法」が目ざすもの(案)・2012年3月 建築基本法制定準備会(会長 神田 順) <120327版>』では次のように書かれている。


『1.建築基本法の理念
「 豊かで美しい成熟社会を築くために、安全で質の高い建築と地域環境をつくる 」
-建築と地域環境を価値ある社会資産として蓄積し、世代をこえて引き継いでゆくこと-①建築と地域環境の質を高めて、安全と安心、健康と環境をまもり、豊かな成熟社会を創っていきましょう
②建築と地域環境が本来持っている価値を守り、社会的・文化的資産として次世代に継承していきましょう
③建築と地域環境作りに対する役割と責任を確認しあい、協力して美しい都市のたたずまいを作り出していきましょう
⇒「質の高い建築づくりで、豊かで美しい成熟社会をめざす」ために、建築基本法が必要なのです

 極めて正論である。であるからこそ、こうした方向に舵をとらなければならないのだと思う。

ということで、この度「建築基本法制定準備会」正会員としての入会が認められたので、今後はこれらの理念に沿って活動したい。

『「美食地質学」入門・和食と日本列島の素敵な関係』巽好幸著

「美食地質学」聞きなれない言葉だなと思いながら本屋さんで眺め面白そうと思い購入。

 著者は「マグマ学者」と自称するが、つまり地球の進化や火山・地震のメカニズムの研究者。日本各地の食文化と地形・地質との深い関わりに注目して本書を著したとある。

 酒や食べる事が好きな学者さんというイメージだが、食文化に対する造詣は、蘊蓄(うんちく)等というものではなく。その知識の深さに圧倒される。

 具体的には 出汁、豆腐、醤油、蕎麦、江戸東京野菜など多彩な食材を取り上げて食文化について書いている。

 和食の特徴を支えている「出汁(だし)」は、出汁そのものは濃厚ではないが、他の食材の魅力を究極までに引き出す。その出汁の奥深さは昆布と鰹の旨味の相乗効果によるものだと言われているが、ここで重要なのは「水の硬度」なのだという。

 日本列島の水は圧倒的に「軟水」で、これが昆布の旨味成分であるグルタミン酸を効果的に抽出することができるのだという。京都の地下水は「軟水」で、これが京都で和食文化が花開いた一要因なのかもしれない。

 一方、フランス料理のブイヨン・フォンの主役は、獣肉や鶏肉に含まれる旨味成分で、主にイノシン酸。それにはカルシウムを多く含んだ硬水を使った方が、より清浄なブイヨンがとれる。ドイツ、フランス、イタリア等のヨーロッパの水は「硬水」。

 このように「水の硬度」と「食文化」との関わりに目が開かれた思いだ。

 又、日本酒と水との関係も興味深かった。

 2023年の年の暮れに神田淡路町(旧連雀町)あんこう鍋「いせ源」に行ったが、主力の日本酒は「灘の五郷」の「菊正宗」で、それも熱燗だった。この旧連雀町界隈では、菊正宗の看板がよく目に入る。辛口で力強い「灘の本醸造酒」は「男酒」とも称されるが、居酒屋が登場するまで蕎麦屋は庶民の酒場だったそうで、そこでこだわり続けているのが「男酒」らしい。そういえば淡路町(旧連雀町)の蕎麦屋「まつや本店」でも、昼間っから酒を飲んでいる人が多かった。

 「灘五郷」の日本酒というと、「沢の鶴」「白鶴」「剣菱」「福寿」「松竹梅」「日本盛」「白鷹」「白鹿」と全国に知られた酒蔵が目白押しで、この灘の男酒を支えているのが「宮水」(西宮の水の略)。

 花崗岩からなる六甲山系の伏流水が湧き出るこの水は、国内で最も鉄分が少なく、最高の酒蔵好適水で、中硬水に分類されるとのことだ。
 「日本酒を育む花崗岩の成因」というように、著者の専門分野に繋がっていくのだが、専門的で頭に入りづらいところもある。

 瀬戸内海地方の記述で、好天乾燥の気候がうどんの材料である小麦と塩と製造に最適なことや、瀬戸内海の潮流の速さと海峡の間にある灘の存在に明石鯛を始めとした魚介のおいしさの秘密があるなどの箇所も興味深い。

 他にも山梨のワイン、富山のホタルイカ、宍道湖のしじみなどを、土壌の性質、軟水と硬水、発酵と麹菌、旨味の成分と絡めて説いている。

 地震や地球の成り立ち、地形の解説は結構専門的で難解だが、食べ物がおいしい理由と一緒に説明されると比較的理解しやすい。山地と盆地、灘と瀬戸のように隆起域と沈降域が繰り返して分布する境界には断層があるため直下型地震のリスクが高いというのも理解できる。

 日本人は豊かな食材の恩恵を受ける代わりに地震という厳しい試練もあるが、縄文の時代から営々と築きあげられてきた日本の歴史と文化には尊敬の念しかない。

 八百万の神々に感謝する。

「鎌倉の名建築をめぐる旅」内田青蔵+中島京子著

 本屋で見つけて「しばらく鎌倉行っていないなぁ~」と思いながら立ち読みしたので本屋さんに悪いなと思い買ってしまった。

 鎌倉は車も混むし、何しろ人が多くて疲れてしまうので、近くに用事も無いので敬遠している。

 この本を見ると、公開しているが見ていない歴史的な建築物が幾つかある。

 ドイツ式の洋館で現在は「石窯ガーデンテラス」というレストランは、ユーゲントシュティール風の装飾に彩られており、機会があれば見てみたい。

 「吉屋信子記念館」も見てみたいと思った。吉田五十八先生の設計で一般公開日がある。

 何しろ小説家の吉屋信子氏は、1936年(昭和13年)に東京に建てた住宅。戦災で焼けた後の住宅。晩年の鎌倉の住宅(吉屋信子記念館)の3回とも、吉田五十八先生に設計を依頼している。よほど相性が良かったのか、吉田五十八先生のモダン数寄屋に惚れ込んだのか。

 若い時には見る事がかなわなかった数寄屋建築を見ておきたいと、昨年は堀口捨巳先生の「八勝館」を見学することができた。丁度 並行して吉田五十八先生に関する本を読んでいたので「吉屋信子記念館」も見学候補にあげておこう。

 そしてもう一人、村野藤吾先生の数寄屋建築は、中々予約のタイミングが合わないのだが、そのうち見に行くことになりそうだ。

 ともかく、今度鎌倉に行く機会があったら、この本をガイドに幾つかの歴史的建築物を訪れてみようと思う。

「建築転生から都市更新へ・海外諸都市における既存建築物の利活用戦略」角野・木下・三田村・讃岐・小林編著

 この本は、2019年6月から2021年8月まで日本建築センターの機関紙「ビルディングレター」で連載されていた「海外諸都市における既存建築物の利活用による都市更新の広がり」の原稿を元に編集され2022年6月に出版された。

 建築単体だけでなく都市的視点と重ねて見る事で、都市の更新技術としてのコンバージョン建築のあり方を論じている。

 世界の諸都市は、その成り立ちそのものに様々な背景を持っている。それがどのような更新を遂げているのかを西欧、東欧、北欧、北米、オセアニア、アジアという広大な地域を取り上げており知見は豊富で有意義だ。

 私も2023年より「まちづくり」の中の大規模な既存建築物活用プロジェクトに関わり、自ずと都市的視点の必要性を感じた。プロジェクトに合せて読み返していたのが「人間の街・公共建築のデザイン」ヤン・ゲール著や「ソフトシテイ」ディビッド・シム著だった。

 そのプロジェクトに於いては、その地域のランドマークとなるような建物は、新築建替え(着工済)であるが、その地域がこれから変化する方向性を指し示めすメッセージ性を持っている。と他の設計者の担当だが、私はそう感じている。

 私が関与しているのは、そのランドマーク的な建物の街区に連続する2棟の既存建築物のリノベーションだが、街区は異なるが連続性を強く意識した。

 建築コンバージョン・リノベーションの価値は

  • 1、実用的価値 : 使われていない建物を有効に使う。新築よりも工事期間が短い。投資金額が少ない等
  • 2、文化的価値 : 建物の歴史や都市の記憶の一部を残すことができる価値
  • 3、美学的価値 : 新築ではできないコンバージョン・リノベーションならではの空間や外観が出来るという価値

があると言われている。

 民間の商業的なプロジェクトでは、実用性が最も重視される。投資対効果、事業収支の実質利回り、既存建築物の多角的視点による潜在能力(ポテンシャル)の確認等である。

 私は、学者でもなく、評論家でもなく、単なるデザイナーでもない。実践者の一人なので「実用性」を最も重視していている。

 この本には、登場する建物の建築名リストと所在地がリンクされている。地図を見ていると その建物の都市の中の配置、景観的位置づけ等を読み取ることができ、ペーパーとデジタルの連携的な本の作り方は参考になった。

八田利也

 「八田利也」というのは私の恩師である建築史家・伊藤ていじ と建築家・磯崎新、都市計画家・川上秀光が架空の人物を装って使用していたペンネームです。

 『現代建築愚作論』(八田利也、彰国社、1961年)は、学生時代に大学の図書館で読みふけった記憶がありますが、自分では所有してなかった本です。2011年に復刻されたのでようやく蔵書にしましたが、しばらく書棚に並んだままだったものを最近読み直しました。

「建築家諸君! せっせと愚作をつくりたまえ。愚作こそ傑作の裏返しであり、あるいは傑作へのもっとも確かな道である。愚作を意識してこそ建築家は主体性を確保し、現代の悪条件に抵抗する賢明な手段となる」

 この本に掲載された「近代愚作論」のなかの一節で、「近代愚作論」は当時の建築家へのエールとして書かれたものですが、現代でも生きている「檄(げき)」だと思います。

 八田は歴史的に傑作とされる姫路城や法隆寺、また数々の近代建築家の名作を引き合いに出しつつ実はそれらの建築には致命的な欠陥が含まれていること、しかしだからこそ傑作になり得たと指摘しています。そして建築家に向けて、失敗を恐れず愚作をつくり続けることが、傑作への道なのだと説いています。

 創意に満ちた挑戦がその時代においては愚作となる建築を生み出してしまったものの、後世から振り返ると傑作と呼べるものになり得ているのだと。

 しかし現代では こうした高邁な思想に基づく「八田利也」ではなく、失敗を恐れるばかりの者や自信過剰の「ハツタリヤ」も散見されます。

 設計者と建築主の訴訟に登場するのは、正真正銘の「ハツタリヤ」設計者です。学校教育の影響でしょうか、自信過剰の「表現建築家」が多いのは哀しい事です。

「ディテール 2024.1 季刊⁻冬季号 №239」

ディテールの№239は、「緑化と防水・水仕舞」の特集

 2023年のプロジェクトで壁面緑化と屋上緑化についての事例をリサーチしていた。プロジェクトにおけるリサーチは、主として設計をサポートしてもらう人達にお願いしている。その中で特に気になる事例については、実際現物を見に行ってもらい写真を撮影してきてもらっているので、事例は多く集まっている。

 ということで「植物とつながる建築」というのは、自分の中でもテーマだったので、興味深く読んだ。

 川島範久さんの淺沼組名古屋支店改修PJは、2023年に名古屋に出張した際、見てきた。実際見た建物のディテールは貴重だ。

 以前見たアクロス福岡のような建築自身が森のような地形になると圧倒される。

 特集とは別に坂茂建築設計の下瀬美術館(広島県大竹市)のディテールも紹介されている。機会があれば見に行きたいと思っていたので予習になった。

 こちらは、雑誌で見て現代美術のミニマル・アートの影響が色濃いのかと第一印象で持っていたのだが、その印象は払拭された。

 水面に浮かぶ可動展示場の色彩が、ドナルド・ジャッドの作品を彷彿させたからだが、そんな単純なミニマル・アートな作品ではなく自然環境と応答しあっている。

【ドナルド・ジャッドの作品】

【ドナルド・ジャッドのファーレタチカワの作品】

「工場・倉庫建設は契約までが9割」森本尚孝著

 この本「工場・倉庫建設は契約までが9割・完璧な事前準備と最適なパートナー選びでつくる理想の工場・倉庫」は、建設会社の現役社長が書いた本です。

 著者は、三和建設株式会社・代表取締役社長 森本尚孝氏で、本社・本店を大阪に置いているが、東京本店もあるようだ。

 「工場・倉庫」と言っても、三和建設(株)は、食品工場(HACCP対応)、危険物取扱工場、自動化倉庫のような分野での実績と技術的知見が集約されている会社のように思える。

 興味深く読んだのは、第3章の「工場・倉庫建設に最適な建設スキーム」。「設計と施工は、分離方式より一貫方式のほうがいい」と7つのメリットを強調するが、それは三和建設さんが得意とする分野での自社の話ではないかと感じた。私の知る限りは、中小建設会社では、設計・積算・施工に経験豊富な人員が揃っている会社は多くないのではないかと思う。

 又、建設スキームは 建物の用途、規模等にもより、一概にどれが良いと言えない。

 昨今の建築資材等の供給状況、例えばエレベーターは工事1年前に発注とか、キューピクルは半年以上とか、電線ケーブルの供給停止とか聞くと、相当な工事準備期間が必要になっている。

 そういう現状を踏まえて、弊社では改修工事の場合にはECI方式(アーリー・コントラクター・インボルフメント)を採用し、設計段階から施工会社を巻き込み、コスト管理や工期等で技術提案をしてもらっている。

 第5章の設計施工一貫方式だからこそできた成功事例は興味深かった。「事例1」の温度管理倉庫は、冷凍・冷蔵庫の経験がないと提案は簡単ではない。通常、建設会社は躯体だけで、内部の冷蔵・冷凍庫は分離発注で断熱パネルや設備工事は、専門業者が行う事が多いので、建設会社にノウハウは集約されづらい。

 随分と昔に冷凍冷蔵庫や食品工場を設計監理したことがあるが、断熱パネルと躯体の間に発生する結露。空隙スペースの換気。食品工場の床や排水溝の仕様。食品をボイルする部屋の給気と換気等。難しい課題は沢山あった。 

 第6章の「工場・倉庫の改修もパートナー選びが9割」の部分は、特に興味深く読み、同意見のところも多かった。

 昨今は工場の改修工事やローリング計画において、法的課題の整理の為にプロジェクトに参加することが多いのだが、既存工場ほど法適合していないものはないのではないだろうか。工場は外部から隔離され内部の変化はわかりづらい事、専門知識や遵法意識に乏しい業者が工事に関わる事も多い。確信犯もいるが無意識のうちに違法建築に陥る事が多い。敷地内に多くの建屋がある工場や長い年月操業している工場は、違法建築の宝の山となっているところもある。

 こうした状態を整理するための調査と検証をし、必要な提案や場合によっては建築基準法適合状況調査を行ったうえで建築確認申請をするのが弊社の仕事。

 この本の中でも書かれているが、「大手建設会社は、改修工事を積極的にやりたがらない傾向がある」は、それはゼネコンは、完成工事高至上主義のところがあり、工事額10億以上は振り向いてもくれないときがある。

 改修工事は「現場判断」が特に必要であり、施工要員(現場監督)の人員を配置するのは、ゼネコン側に限界がある事。経験豊かな施工要員が少なくなっている事。派遣の現場監督には決定権が限られている為に改修工事には配置しずらい事情もある。

 また大手企業は多岐にわたる部署を持ち、担当が細分化しているために改修工事のようなゼネラルな知識と経験が必要となる担当者(設計者も施工要員も)が育ちづらい。これはゼネコンに限らず、大手「組織設計事務所」にもあてはまることである。

 この三和建設(株)の企業理念は「つくるひとをつくる」とあり、「SANWAアカデミー」という企業内教育を行っていることに共感を覚えた。

三和建設株式会社オフィシャルWEBサイト – (sgc-web.co.jp)

サイトには、次のように書かれている。

「社員一人ひとりの成長を経営上の最重点事項として位置付けています。下の図に、当社の人財育成による成長過程を示しました。図の縦軸は「専門技術力」を表します。「Ability」=「一人でできる能力」です。言い換えるならば、「Specialistとしての能力」であり、「専門知識」・「専門技能」などが該当します。施工図が描ける、工程表が描ける、建築の納まりを知っている、などの能力が当てはまります。
これに対して横軸は「統合力」を表します。「Competence」=「他者と一緒になって、あるいは周りの力を借りて事を成す能力」です。「Integratorとしての能力」であり、「マネジメント力」・「リーダーシップ」・「人間力」が含まれます。具体的には、部下や業者を使って施工図を描かせることができる、協力会社に工程を守らせることができる、社内外の専門家の力を借りることができる、などの能力が例として挙げられます。縦の力、横の力ともに当社のメンバーには欠かせない能力であると言えます。」

 一度 会って話を聞いてみたいと思った。

「長崎遊学11・五島列島の全教会とグルメ旅」長崎文献社編

 今度九州で仕事があった時に、脚を延ばしてみたいところに五島列島がある。

 実は、今年九州でのプロジェクトがひとつあったのだが、諸般の事象で中止となった。九州は設備投資が盛んのようだから、又機会はあるだろう。

 この「長崎遊学11」は、五島列島を訪れるときのガイドブックにしようと購入していたもの。夜な夜な、こうしたガイドブックを眺めているのが、至福のひと時。

 この本は、カトリック長崎大司教区・下口勲神父が監修して長崎文献社編集したと書かれている。 

 その内容は、世界遺産候補を含む全51教会を網羅。拝観記録スタンプ帳が付録でついてる。五島ゆかりの有名50人の履歴書付。旅ガイドは宿、温泉、グルメ、おみやげまで掲載されており、これ1冊で五島を旅できそうな本。

 その昔、江戸時代に「長崎遊学」という言葉があった。

 江戸時代、徳川幕府は鎖国政策をしたが、例外として、オランダと中国に対し、日本で貿易することを許し、貿易の窓口を長崎に限定したので、海外の文化や学問は長崎を通して日本全国へ伝えられた。

 また、キリスト教以外の書籍の輸入も認められていた。しかし、書籍の知識に満足せず、蘭学や医学、科学、美術などの技術や知識を習得するため、長崎へ游学する者は跡を絶たなかった。

 幕末期の長崎には、後に近代日本を背負って立つこととなる人たちが大勢游学している。彼らが日本の近代化を後押ししていった。長崎は、彼らにとって、新しい情報にあふれた刺激的なまちだったのだろうと想像できる。

 今の長崎が、遊学の地に相応しい所かどうかはわからないが。

「游学」という言葉には、ふるさとを離れ、他の土地や外国で勉強するという意味がある。爺になってもなお「遊学」の志は治まらない。

『「しあわせな空間」をつくろう。-乃村工藝社の一所懸命な人たち』能勢剛著

 人々の「しあわせ」を呼び起こす空間とは、本当にできるのだろうか。

「働く、遊ぶ、食べる、買う、学ぶ、旅する、泊まる、観る、集まる。暮らしのあらゆるシーンにある「しあわせ」な空間。このうえなく、しあわせな体験ができる空間は、いかにして生まれたのか。」と本書は書く。

 この本は、乃村工藝社を取材対象に、そうした空間を訪れ、関係者へのインタビューを重ねて空間を解き明かそうとしている。

 どんな背景、どんな問題意識から発想されたのか。つくり手である乃村工藝社の担当者達は、その発想をどう受け止め、どんなアイデアと工夫とで、具体的なカタチにしていったのか。その経緯は良くわかる本。

 空間価値と、それを創造する仕事の進め方を、関係者の話を聞きながら、詳細かつ具体的なストーリーとして元日経トレンディ編集長の能勢剛さんが追いかけている。

 実際に見ていない建物も幾つかある。例えば、福井県の若狭にある福井県年縞博物館は、行ってみたいと思ったが、建築的魅力というより7万年前の時空を感じてみたいと思ったから。

 京都清水の「ザ・ホテル青龍」は、昭和8年に作られた清水小学校というヘリテージ建築をホテルにリノベーションしたもので、元の小学校は、映画のロケにも使われた有名な建物だけど、「地域の思い出をつなぐ」建築となっているのだろうか。

 「しあわせな空間」とは、そもそも何か。自分への問いかけが残った。

 

「熱く生きた医人たち」鈴木昶著

 日本で医師という職業が生まれてから現代まで、医療の流れも変化しながら進化している。

 漢方学や解剖学、細菌学、産科医学、栄養学など。

 その変化と発展には、どんな時代にも、ひたむきに人々の命と健康に向きあい信念を貫いた人や、地道な基礎研究に生涯をを捧げた人。又為政者や学会の評価など関係なしに、自らの信念を貫き通した人もいる。

 著者は、そんな人を畏敬を込めて「熱血の医人」呼ぶ。

 熱く生きた50人の医者の足跡を辿りながら。その生きざまに注目し、今の医療のあり方を問いかける。

 この本で取り上げられている医者は、医療ジャーナリストの鈴木昶さんが、個性が際立ち、人間的に魅力的だと思う医者達だそうだ。医学の分野は門外漢なので、知っていた医学者は数えるほどだったが、その生きざまには魅了される人が多かったので一気に読めた。

 250頁程の本に50人の医療に尽くした人を取り上げているので、多少物足りなさもあるが、私のような門外漢の入門編だと思えば良いのかもしれない。 

 研究と臨床は両輪のごとく。

「70歳が老化の分かれ道」和田秀樹著

 周囲を見渡すと最前線で仕事をしている高齢者も散見するし、片方で仕事をしなくなって一気に衰えた高齢者もいる。

 著者は「現在の70代の日本人は、かつての70代とはまったく違う。各段に若々しく、健康になった70代の10年間は、人生における「最後の活動期」となった。」と書き、「この時期の過ごし方が、その後、その人がいかに老いていくかを決めるようになった。」と。つまり70代はターニングポイントと言えるだろう。

  • 気持ちが若く、いろいろなことを続けている人は、長い間若くいられる。
  • 栄養状態のよしあしが、健康長寿でいられるかどうかを決める。
  • 人々を長生きさせる医療と、健康でいさせてくれる医療は違う。

 一気に老け込まないために、一番必要なものは「意欲の低下」だと記する。それを防ぐには、日々の生活のなかで、「前頭葉の機能と、男性ホルモンを活性化させること」がとても重要だと。

 意欲レベルが低下してくる理由の一つとして、脳内の神経伝達物質であるセロトニンの減少があり、セロトニンの材料となるのがトリプトファンというアミノ酸。それが多く含まれているのが「肉」で、高齢者に「肉」の摂取を推奨している。

 よく普通の内科医からは、コレステロールは動脈硬化を促進し心筋梗塞のリスクを高めると聞くが、コレストロールは男性ホルモンの材料にもなる。男性ホルモンの中でテストステロンは「意欲」と関係しているから、「肉」を食べることは、セロトニンと男性ホルモンの生成を促進し、人の「意欲」を高め、活動レベルを維持することに効果的だと書く。 

 聖路加国際病院名誉院長であった日野原重明先生は 満105歳で亡くなられたが、以前その食事風景の動画を見たことがあった。その食事は、夕食をメインにしたものであった。朝食はジュースにオリーブオイルをかけて飲み、昼食は牛乳、胚芽クッキー、林檎だけで済ませた。夕食は週2回は肉、他は魚と少し多めに食べていた。その日の体調に合わせて食べ物を変えていたようだった。

 食・食品衛生は妻の分野であり、任せておいて心配ない。朝から出かける予定がない日は1時間ぐらいかけて朝食を作ってくれる。朝昼食兼用ということもあるが、夕食はどちらかと言うと少な目にしているようだ。

 人の意欲と密接な関係のある脳内物質・セロトニンは、光を浴びると沢山作られる。うつ病の人はセロトニンが不足しているとされ、その治療法に光療法というのがあり、人工的な光を一定時間浴びせせると改善効果があるそうだ。だから光を浴びる習慣が人々を若々しくする。

 さらに陽を浴びて作られるセロトニンによって、夜には脳にはメラトニンというホルモンがつくられる。このメラトニンは、睡眠ホルモンともよばれ、人の睡眠に深くかかわっている。

 指定確認検査機関に勤務していた頃、建築基準法の採光規定を巡って議論をした事があったことを思いだした。「照明器具が設置されていれば自然光の窓は不要ではないか」という意見だっと思う。「人工照明と自然光は全く別次元の問題で、代替えすることは出来ない」と言ったような記憶がある。その後の建築基準法の改訂を振り返ると人工照明派が多数派となっているようだ。

 しかし自然光によるセロトニンの生成を聞くと、建物の自然光を取り入れる建築基準法の採光規定は、今でも重要だと感じる。

 和田秀樹先生は、日本の医師は、自分が担当する臓器のスペシャリストにしか過ぎず、長生きの専門家ではないと指摘する。色々な医者とこれまで接してきたが、本当にそう思う。

 自分も「建物を長生きさせる専門家」になろうと思った。

『家康の誤算・「神君の仕組み」の創造と崩壊』磯田道史著

 二百六十五年の平和な江戸時代をつくりあげた徳川家康。盤石と思われたその体制は、彼の後継者たちによつて徐々に崩され、幕末ついに崩壊する。「神君」家康にとっての誤算を、近世から近代まで俯瞰し、現代まで続く家康がこの国に与えた影響について考察されている。

 私は通常、本の選定は、本の中で紹介されていた他の文献や他の著者の文献を次々とリレー方式で読むことが多い。あるいは新聞等の書評欄から選ぶ。そして稀に本屋で見つける。

 磯田さんの本は、稀に行く本屋さんで見つける事が多いが、視点が面白いのですぐ読めてしまう。だからこうして感想を書いてしまうと本棚に並ぶのが早い。机のまわりには待機している本も多く積んであるし、長期間読み半端な本もあるので、早く読み終わり感想を書いてしまわないと通常の業務に使う机のスペースが狭くなる一方だ。

 そんなことはともかく、この本で特に興味深かったのは、第五章の『家康から考える「日本人というもの」』の中の「幕府が民に信じてほしくない思想とは」の部分。

 徳川政権が民に信じて欲しい思想は朱子学だった。加えて親と主君に対する忠孝というベクトルを作り上げた。「分を守って、分相応に生きろ」と。人間が平等であったり、等しく権利を持っているという考えは天下を獲った人には不都合だった。

 キリスト教では「神の子」は均しく「理性」を共有していると考え、神に授けられた理性の灯(ともしび)をわかちあう存在は均しく「人権」を持つと考える。

 そして『「世直し」一揆と伊勢神宮の「おかげ」』という部分は、不明瞭だった徳川政権の「天照大神と伊勢神宮」について理解が深まった。

 「実は、伊勢神宮は徳川家康の頃から危険な存在だった」とある。

 伊勢踊りは、御託宣によるとして伊勢神宮の神霊を諸国に送る神送りの踊りであるが、晩年の家康が駿府にいた慶長19年(1614年)から翌元和元年にかけて大流行した。これは大阪冬の陣と、夏の陣の間の時期であり、伊勢神宮の神官達は、式年造営を復活させた豊臣よりで反徳川的だったようだ。家康は、この伊勢踊りを反体制的なものとして警戒していたとある。

 幕末、徳川体制が弱ってくると「ええじやないか踊り」が始まり、誰かが仕掛けて伊勢神宮の御札をばらまいて、「天から御札が降った」と狂乱する現象が起きた。こうして天皇と天照大神への信仰が、徳川への反抗に利用され始めた。

 もともと戦国時代から「一生にのうちに一度は伊勢神宮に参りたい」という信仰心が、世間一般に流布していた。どうも徳川は「お伊勢さま」信仰への対策を放置していた兆候がある。

 人々は伊勢神宮に参って、五穀を実らせる太陽神の天照大神のありがたみに感謝し、天皇を「あの天照大君から長く続くありがたい存在」と実感する。伊勢参りを繰り返す中で、日本人の心の中に「徳川から天皇」へと意識の変化が生じていった。だからお伊勢参りは尊王思想に繋がっていく。

 今年、10年振りに伊勢神宮に御参りをして、個人的には外宮(豊受大神宮)に、より聖域性を感じた。「それは何故なのか」という問いかけが自分の中に残った。

「動物たちは何をしゃべつているのか?」山極寿一×鈴木俊貫著

書名に魅入られて購入した本

 近年、動物の認知やコミュニケーションに関する研究が進み、動物たちが何を考え、どんなおしゃべりをしているのかがわかってきたらしい。シジュウカラになりたくて年の半分以上を森で暮らす研究者と、ゴリラになりたくて群れの中で過ごした研究者が、最新の知見をもとに語り合った本。

 動物たちも言葉を使う。従来思われていたよりもずっと高度な会話をしていることがわかってきた。動物たちは環境への適応、生存や繁殖のために進化したので住む環境によって言葉も違う。動物たちのコミュニケーション手段は言葉だけではない。踊りや歌も重要なコミュニケーション手段。

 動物にあってヒトにない認知能力があり、ヒトとは異なる認知世界に生きている。

 ヒトにとっての社会的グルーミング(集団的接着剤)は、一緒に食事をする事(共食)。音楽。火(一緒に焚火を囲むこと)

 人間のコミュニケーションは「形式知」である言葉に依存しているが。動物のコミュニケーションは「暗黙知」を多用している。

 現代社会が言語に依存することで、人は非言語的な情報を認識できなくなる可能性があるが、テクノロジーをうまく使う事が出来れば、言語から切り捨てられる情報と現代社会の利便性を両立させることは可能だと言う。デジタルも大事だがアナログも大事だということに尽きるのかも知れない。

 言語とは何か、人間とはどのような動物なのか、そして真の豊かさとはどのような事なのか考えさせられる本。

「トビウオが飛ぶとき」桑原亮子著

 この本は、NHK連続テレビ小説「舞い上がれ!」の脚本家であり歌人の桑原亮子さんが、「舞い上がれ!」の中から選んだ短歌集です。

 ほとんどテレビを見ないので「舞い上がれ!」も見ていませんが、短歌集は字が大きく電車で読むには、うってつけなので、最近は色々な歌人の短歌集を集めています。

 さて特に気に入った短歌を書いておきます。

梅津貴司の第一歌集「デラシネの日々」より

「トビウオが飛ぶとき他の魚は知る水の外にも世界があると」

「支えきれなかった。ごめん。落ちていくバラモン凧の糸の悲しみ」

「デラシネ」とは「故郷を喪失した人」「根無し草」という意味であり、懐かしい言葉に出会った。五木寛之の初期の作品に「デラシネの旗」という小説があった。五木寛之自身のパリ滞在時の経験をもとに、フランスの5月革命を描いたもの。昭和44年(1969)刊行の本だが、青年時代に読んだ記憶がある。当時「デラシネ」という言葉は結構流行っていたように思うのだ。

 自分自身の一生を振り返ると、生まれ故郷に帰る事もなく、ひとつの地域にこだわるでもなく根無し草の人生だったようにも思う。

 短歌というのは、不思議なもので他人が詠んだ歌でも、自分の記憶とシンクロすると過去の情景が浮かび上がり、感情が揺さぶられることがある。

 短歌を詠む一人ひとりが違う人間で、何を面白いと思うのか、どんな言葉を使うのかはみな違うので出来上がる短歌も違ってくる。誰とも違う自分が詠んだ短歌は、ときには他の人の力となる事もある。短歌というのは、本当に不思議な力を持っていると思う。

 この本の中から 最近孫娘に贈った短歌

「君が行く新たな道を照らすように千億の星に頼んでおいた」

「本のある空間採集」政木哲也著

 この本は、個人書店・私設図書館・ブックカフエなど、国内の様々な「本のある空間」を訪れ、その空間を「実測」し、立体的な図に起こし1冊にまとめた本。

 かってあつた小さな地域密着型書店は次々と閉店してしまう時代に、新しい形で人と本の出合う拠点をつくり運営している個人書店・私設図書館・ブックカフェがある。それらに身を置くことでどんな空間体験がもたらされのか、著者の探求の旅の成果。

 この10年もっぱらアマゾンで本を購入することが多い者としては、この本で取り上げている「本のある空間」には、大変魅力を感じる。

 最近、見せてもらった仕事関係者の自邸(写真)は、壁面全体が書籍棚で その広い空間の中にベッドが置いてあり、人を羨ましいと思う事はあまりないが、この時はとても羨ましく思った。

 本屋さんになりたいと思ったことはないが、「本に囲まれた空間」は希求してきた。しかし、残された本の行き末を考えると暗澹たる気持ちになる事もある。

 

「変容する聖地 伊勢」ジョン・ブリーン編

 天照大神が祀られている内宮と豊受大神が祀られている外宮に代表される伊勢神宮は、古代から変わることなく受け継がれてきた聖域として語られることが多いが、不変的に聖地として崇(あが)められてきたわけではなかった。

 本書では、「聖地の変容」をキーワードに、伊勢神宮の歴史について、国内外の一線級の研究者16人がまとめた論考を、国際日本文化研究センターのジョン・ブリ-ン教授(現在は名誉教授)が集約している。2016年に初版が発行された本。

 現在の伊勢神宮では、「日本書記」の記載を字義通りに解釈して、神宮は崇神天皇の時代に創建が始まり、垂仁天皇の時代・紀元前4年に完成したとする。

 しかし考古学では天武天皇の時代に創立が位置づけられる。天武・持統天皇は「権力とは儀礼と宗教の是認がなければ正当性を欠くものだと理解し、みずからの起源を太陽神にもとめ、その神に関わる儀礼や神話を創出」されている。8世紀から9世紀にかけては、仏教を包摂し神宮寺も存在した。内宮・外宮そしてその上に大神宮司があり、結構複雑な権力関係が見え隠れする。内宮と外宮は古代から近世を経て明治維新前まで敵対関係にあり、何度も訴訟を起こし、ときには武力で戦う事もあったという。

 中世・鎌倉初期か室町末の時代。神官の神職たちは老いてから出家し伊勢の神々の為に法楽を行い、領地を寺院に寄進する敬虔な仏教徒たらんとする人もあり複雑な関係性が見られるとある。

 そもそも神宮とその祭神である天照大神は、古代より皇室と朝廷のみを守護する皇祖神であり、神宮の維持・管理や遷宮を含めた祭祀は朝廷の財源や力によって行われてきた。もともとは私弊禁断といい庶民の参拝や奉幣を受け入れるものではなかった。しかし中世になると庶民の参宮もみられるようになり、室町殿の参拝や僧尼の参拝や法楽も行われるようになったとある。そして江戸期には庶民参宮も一般的となった。

 中世に120~130年途絶えていた式年造営(内外宮で若干の差)を復活させたのは豊臣秀吉。皇祖神アマテラスを頂点とする神々の住居として唯一神明造の社殿があり、神々の日常を支えるものとして大量の神宝類がある。それらを定期的に更新することで、皇統譜の正統性や反復性が再認識される。その過程が正遷宮だとすると、120年以上正遷宮は必要とされなかったのか。それは朝廷に権力と財力がなかった時代とみるべきで、広義には国家的・社会的に必要とされなかったと考えるべきなのかもしれない。

 天正12年の小牧・長久手の戦いで徳川家康を軍事的に圧倒できなかった秀吉は、天正13年7月に関白となり、朝廷の権威を抱き込みながら覇権を及ぼす方途を選んだ。

 近世社会では、おびただしい数の人々が伊勢神宮に押し寄せたという「おかげ参り」があり、庶民の娯楽として享受された。

 外宮と内宮の間の地に、古市と言われている場所がある。江戸時代ここでは浄瑠璃芝居が演じられ、遊所があり、全盛期の1782年(天明2年)には、人家342軒、妓楼70軒、寺3ヶ所、大芝居2場、遊女約1000人の町だったと「伊勢古市参宮街道資料館」の略年表に書かれている。ところが明治、大正時代に廃れ、1945年の空襲によつて町並みの多くは焼失したとある。十返舎一九の「東海道中膝栗毛」には、弥次さん喜多さんが、古市でドンチャン騒ぎをしたことが描かれている。

 しかし、明治政府が伊勢神宮を聖性の源としたことで、前近代の庶民のなじみのお伊勢さんとはまるで違うものになったとジョン・ブリーン氏は書く。

 このように歴史を振り返ると聖地・伊勢神宮は、各時代の政治的、経済的、社会的状況からの影響を常に受けている。

 神は人々に平等である。政治的に利用したり、初穂料によって御神楽の種類を変えるという格差を作るのは人間の側の操作であり神様に責任があるわけではない。

 丸山真男が神道と古代神話を日本文化やその歴史的言説を貫く「パッソ・オスティナート」つまり文化の「古層」と呼んだことを想起させる。

 時の権力によって様々に利用されようとも、伊勢は私にとって聖地であることに変わりない。

「ふらりと歩き ゆるりと食べる京都」柏井壽著

「鴨川食堂」の著者である歯科医で小説家の柏井壽さんの「京都・食べ散歩」の本。観光客の喧騒とは無縁の、歩いて楽しい京都の路地「七つの道」と、地元の人の舌を堪能させる名店が紹介されている。紹介されている「七つの道」は下記。

第一の道 蓮台野を歩く/第ニの道 千本通を北から南へ/第三の道 雨宝院から出水の七不思議へ/第四の道 京都御苑と、その周りを歩く/第五の道 四条通を歩く/第六の道 紅萌ゆる丘から、真の極楽を辿り、熊野の社へ/第七の道 豊国神社から西本願寺まで

京都には、その昔「鳥辺野(とりべの)」「化野(あだしの)」「蓮台野(れんだいや)」という3箇所の風葬地があった。風葬地というのは、亡くなった方々の遺体が捨てられて野ざらしにされていた所。

都市内の北にある大徳寺の近くが蓮台野といい。その船岡山周辺を「紫野(むらさきの)」と言うのだが、この辺りを以前から歩いてみたいと思っていた。「紫野」と聞くと美しい、あるいは高貴なイメージが浮かぶのだが、実は結構おどろおどろしい名称だったりする。

蓮台野に遺体を運ぶ際に、千本通という道を通って運んだそうで、平安時代の千本通は死体を運ぶ道。葬送の地への道であった千本通には卒塔婆(そとば)が千本立てられていたので千本通と言われるようになったとか。遺体を運ぶ際に血が流れ、周囲が遺体の血の色で染まっていたので「紫野」という地名になったという説がある。

平清盛が平家一門の拠点とした六波羅の地。鴨川よりも西側がこの世、鴨川よりも東側があの世とされていた。鴨川は三途の川に見立てられ、それより東があの世と見立てられていたとか。今の六波羅密寺、六道珍皇寺がある。

道の端々にある小さな寺院。お堂にも京都の長い歴史が刻まれている。

歴史好きには たまらない大人の散歩道と食事処が紹介されていて、私より歴史オタクの娘に、「この本面白かったよ」と見せたら持っていかれてしまった。

「利休を超える戦国の茶人・織田有楽斎」丘真也著

堀口捨巳が晩年移築に関わった茶室「如庵」から、織田有楽斎の人となりをしりたくなり読んだ本。

織田 長益(おだ ながます)は、 織田信秀の十一男で、織田信長の13歳離れた異母弟。

変転きわまりない戦国の世に生まれ、織田・豊臣・徳川と交代激しい権力下を生き抜けたのはどうしてか。処世術にたけていただけなのか。あるいは茶の湯を通じて多くの東西の武将、禁裏、寺僧、数寄者と親交を持ち穏やかではあるが意思は強く、ときの権力に従う事はあつても、おもねる事がなかった。

この本は、当然ながらフィクションだが、織田有楽斎を通して戦国時代を俯瞰することができる。

また俗に「利休七哲」とも言われるが、利休だけが師ではなく利休の流れに根差しながらも少し距離を置いて、利休よりも寛ぎのある茶席を求めていたように思われる。

「如庵」「自ずから、然るべく、生きるが如し」

「如庵」は、織田有楽斎の最晩年の茶室である。

「それ茶の湯は客をもてなす道理を本意とする也」(織田有楽斎「茶道織有伝」)