「鎌倉の名建築をめぐる旅」内田青蔵+中島京子著

 本屋で見つけて「しばらく鎌倉行っていないなぁ~」と思いながら立ち読みしたので本屋さんに悪いなと思い買ってしまった。

 鎌倉は車も混むし、何しろ人が多くて疲れてしまうので、近くに用事も無いので敬遠している。

 この本を見ると、公開しているが見ていない歴史的な建築物が幾つかある。

 ドイツ式の洋館で現在は「石窯ガーデンテラス」というレストランは、ユーゲントシュティール風の装飾に彩られており、機会があれば見てみたい。

 「吉屋信子記念館」も見てみたいと思った。吉田五十八先生の設計で一般公開日がある。

 何しろ小説家の吉屋信子氏は、1936年(昭和13年)に東京に建てた住宅。戦災で焼けた後の住宅。晩年の鎌倉の住宅(吉屋信子記念館)の3回とも、吉田五十八先生に設計を依頼している。よほど相性が良かったのか、吉田五十八先生のモダン数寄屋に惚れ込んだのか。

 若い時には見る事がかなわなかった数寄屋建築を見ておきたいと、昨年は堀口捨巳先生の「八勝館」を見学することができた。丁度 並行して吉田五十八先生に関する本を読んでいたので「吉屋信子記念館」も見学候補にあげておこう。

 そしてもう一人、村野藤吾先生の数寄屋建築は、中々予約のタイミングが合わないのだが、そのうち見に行くことになりそうだ。

 ともかく、今度鎌倉に行く機会があったら、この本をガイドに幾つかの歴史的建築物を訪れてみようと思う。

「建築転生から都市更新へ・海外諸都市における既存建築物の利活用戦略」角野・木下・三田村・讃岐・小林編著

 この本は、2019年6月から2021年8月まで日本建築センターの機関紙「ビルディングレター」で連載されていた「海外諸都市における既存建築物の利活用による都市更新の広がり」の原稿を元に編集され2022年6月に出版された。

 建築単体だけでなく都市的視点と重ねて見る事で、都市の更新技術としてのコンバージョン建築のあり方を論じている。

 世界の諸都市は、その成り立ちそのものに様々な背景を持っている。それがどのような更新を遂げているのかを西欧、東欧、北欧、北米、オセアニア、アジアという広大な地域を取り上げており知見は豊富で有意義だ。

 私も2023年より「まちづくり」の中の大規模な既存建築物活用プロジェクトに関わり、自ずと都市的視点の必要性を感じた。プロジェクトに合せて読み返していたのが「人間の街・公共建築のデザイン」ヤン・ゲール著や「ソフトシテイ」ディビッド・シム著だった。

 そのプロジェクトに於いては、その地域のランドマークとなるような建物は、新築建替え(着工済)であるが、その地域がこれから変化する方向性を指し示めすメッセージ性を持っている。と他の設計者の担当だが、私はそう感じている。

 私が関与しているのは、そのランドマーク的な建物の街区に連続する2棟の既存建築物のリノベーションだが、街区は異なるが連続性を強く意識した。

 建築コンバージョン・リノベーションの価値は

  • 1、実用的価値 : 使われていない建物を有効に使う。新築よりも工事期間が短い。投資金額が少ない等
  • 2、文化的価値 : 建物の歴史や都市の記憶の一部を残すことができる価値
  • 3、美学的価値 : 新築ではできないコンバージョン・リノベーションならではの空間や外観が出来るという価値

があると言われている。

 民間の商業的なプロジェクトでは、実用性が最も重視される。投資対効果、事業収支の実質利回り、既存建築物の多角的視点による潜在能力(ポテンシャル)の確認等である。

 私は、学者でもなく、評論家でもなく、単なるデザイナーでもない。実践者の一人なので「実用性」を最も重視していている。

 この本には、登場する建物の建築名リストと所在地がリンクされている。地図を見ていると その建物の都市の中の配置、景観的位置づけ等を読み取ることができ、ペーパーとデジタルの連携的な本の作り方は参考になった。

八田利也

 「八田利也」というのは私の恩師である建築史家・伊藤ていじ と建築家・磯崎新、都市計画家・川上秀光が架空の人物を装って使用していたペンネームです。

 『現代建築愚作論』(八田利也、彰国社、1961年)は、学生時代に大学の図書館で読みふけった記憶がありますが、自分では所有してなかった本です。2011年に復刻されたのでようやく蔵書にしましたが、しばらく書棚に並んだままだったものを最近読み直しました。

「建築家諸君! せっせと愚作をつくりたまえ。愚作こそ傑作の裏返しであり、あるいは傑作へのもっとも確かな道である。愚作を意識してこそ建築家は主体性を確保し、現代の悪条件に抵抗する賢明な手段となる」

 この本に掲載された「近代愚作論」のなかの一節で、「近代愚作論」は当時の建築家へのエールとして書かれたものですが、現代でも生きている「檄(げき)」だと思います。

 八田は歴史的に傑作とされる姫路城や法隆寺、また数々の近代建築家の名作を引き合いに出しつつ実はそれらの建築には致命的な欠陥が含まれていること、しかしだからこそ傑作になり得たと指摘しています。そして建築家に向けて、失敗を恐れず愚作をつくり続けることが、傑作への道なのだと説いています。

 創意に満ちた挑戦がその時代においては愚作となる建築を生み出してしまったものの、後世から振り返ると傑作と呼べるものになり得ているのだと。

 しかし現代では こうした高邁な思想に基づく「八田利也」ではなく、失敗を恐れるばかりの者や自信過剰の「ハツタリヤ」も散見されます。

 設計者と建築主の訴訟に登場するのは、正真正銘の「ハツタリヤ」設計者です。学校教育の影響でしょうか、自信過剰の「表現建築家」が多いのは哀しい事です。

「ディテール 2024.1 季刊⁻冬季号 №239」

ディテールの№239は、「緑化と防水・水仕舞」の特集

 2023年のプロジェクトで壁面緑化と屋上緑化についての事例をリサーチしていた。プロジェクトにおけるリサーチは、主として設計をサポートしてもらう人達にお願いしている。その中で特に気になる事例については、実際現物を見に行ってもらい写真を撮影してきてもらっているので、事例は多く集まっている。

 ということで「植物とつながる建築」というのは、自分の中でもテーマだったので、興味深く読んだ。

 川島範久さんの淺沼組名古屋支店改修PJは、2023年に名古屋に出張した際、見てきた。実際見た建物のディテールは貴重だ。

 以前見たアクロス福岡のような建築自身が森のような地形になると圧倒される。

 特集とは別に坂茂建築設計の下瀬美術館(広島県大竹市)のディテールも紹介されている。機会があれば見に行きたいと思っていたので予習になった。

 こちらは、雑誌で見て現代美術のミニマル・アートの影響が色濃いのかと第一印象で持っていたのだが、その印象は払拭された。

 水面に浮かぶ可動展示場の色彩が、ドナルド・ジャッドの作品を彷彿させたからだが、そんな単純なミニマル・アートな作品ではなく自然環境と応答しあっている。

【ドナルド・ジャッドの作品】

【ドナルド・ジャッドのファーレタチカワの作品】

「工場・倉庫建設は契約までが9割」森本尚孝著

 この本「工場・倉庫建設は契約までが9割・完璧な事前準備と最適なパートナー選びでつくる理想の工場・倉庫」は、建設会社の現役社長が書いた本です。

 著者は、三和建設株式会社・代表取締役社長 森本尚孝氏で、本社・本店を大阪に置いているが、東京本店もあるようだ。

 「工場・倉庫」と言っても、三和建設(株)は、食品工場(HACCP対応)、危険物取扱工場、自動化倉庫のような分野での実績と技術的知見が集約されている会社のように思える。

 興味深く読んだのは、第3章の「工場・倉庫建設に最適な建設スキーム」。「設計と施工は、分離方式より一貫方式のほうがいい」と7つのメリットを強調するが、それは三和建設さんが得意とする分野での自社の話ではないかと感じた。私の知る限りは、中小建設会社では、設計・積算・施工に経験豊富な人員が揃っている会社は多くないのではないかと思う。

 又、建設スキームは 建物の用途、規模等にもより、一概にどれが良いと言えない。

 昨今の建築資材等の供給状況、例えばエレベーターは工事1年前に発注とか、キューピクルは半年以上とか、電線ケーブルの供給停止とか聞くと、相当な工事準備期間が必要になっている。

 そういう現状を踏まえて、弊社では改修工事の場合にはECI方式(アーリー・コントラクター・インボルフメント)を採用し、設計段階から施工会社を巻き込み、コスト管理や工期等で技術提案をしてもらっている。

 第5章の設計施工一貫方式だからこそできた成功事例は興味深かった。「事例1」の温度管理倉庫は、冷凍・冷蔵庫の経験がないと提案は簡単ではない。通常、建設会社は躯体だけで、内部の冷蔵・冷凍庫は分離発注で断熱パネルや設備工事は、専門業者が行う事が多いので、建設会社にノウハウは集約されづらい。

 随分と昔に冷凍冷蔵庫や食品工場を設計監理したことがあるが、断熱パネルと躯体の間に発生する結露。空隙スペースの換気。食品工場の床や排水溝の仕様。食品をボイルする部屋の給気と換気等。難しい課題は沢山あった。 

 第6章の「工場・倉庫の改修もパートナー選びが9割」の部分は、特に興味深く読み、同意見のところも多かった。

 昨今は工場の改修工事やローリング計画において、法的課題の整理の為にプロジェクトに参加することが多いのだが、既存工場ほど法適合していないものはないのではないだろうか。工場は外部から隔離され内部の変化はわかりづらい事、専門知識や遵法意識に乏しい業者が工事に関わる事も多い。確信犯もいるが無意識のうちに違法建築に陥る事が多い。敷地内に多くの建屋がある工場や長い年月操業している工場は、違法建築の宝の山となっているところもある。

 こうした状態を整理するための調査と検証をし、必要な提案や場合によっては建築基準法適合状況調査を行ったうえで建築確認申請をするのが弊社の仕事。

 この本の中でも書かれているが、「大手建設会社は、改修工事を積極的にやりたがらない傾向がある」は、それはゼネコンは、完成工事高至上主義のところがあり、工事額10億以上は振り向いてもくれないときがある。

 改修工事は「現場判断」が特に必要であり、施工要員(現場監督)の人員を配置するのは、ゼネコン側に限界がある事。経験豊かな施工要員が少なくなっている事。派遣の現場監督には決定権が限られている為に改修工事には配置しずらい事情もある。

 また大手企業は多岐にわたる部署を持ち、担当が細分化しているために改修工事のようなゼネラルな知識と経験が必要となる担当者(設計者も施工要員も)が育ちづらい。これはゼネコンに限らず、大手「組織設計事務所」にもあてはまることである。

 この三和建設(株)の企業理念は「つくるひとをつくる」とあり、「SANWAアカデミー」という企業内教育を行っていることに共感を覚えた。

三和建設株式会社オフィシャルWEBサイト – (sgc-web.co.jp)

サイトには、次のように書かれている。

「社員一人ひとりの成長を経営上の最重点事項として位置付けています。下の図に、当社の人財育成による成長過程を示しました。図の縦軸は「専門技術力」を表します。「Ability」=「一人でできる能力」です。言い換えるならば、「Specialistとしての能力」であり、「専門知識」・「専門技能」などが該当します。施工図が描ける、工程表が描ける、建築の納まりを知っている、などの能力が当てはまります。
これに対して横軸は「統合力」を表します。「Competence」=「他者と一緒になって、あるいは周りの力を借りて事を成す能力」です。「Integratorとしての能力」であり、「マネジメント力」・「リーダーシップ」・「人間力」が含まれます。具体的には、部下や業者を使って施工図を描かせることができる、協力会社に工程を守らせることができる、社内外の専門家の力を借りることができる、などの能力が例として挙げられます。縦の力、横の力ともに当社のメンバーには欠かせない能力であると言えます。」

 一度 会って話を聞いてみたいと思った。

「長崎遊学11・五島列島の全教会とグルメ旅」長崎文献社編

 今度九州で仕事があった時に、脚を延ばしてみたいところに五島列島がある。

 実は、今年九州でのプロジェクトがひとつあったのだが、諸般の事象で中止となった。九州は設備投資が盛んのようだから、又機会はあるだろう。

 この「長崎遊学11」は、五島列島を訪れるときのガイドブックにしようと購入していたもの。夜な夜な、こうしたガイドブックを眺めているのが、至福のひと時。

 この本は、カトリック長崎大司教区・下口勲神父が監修して長崎文献社編集したと書かれている。 

 その内容は、世界遺産候補を含む全51教会を網羅。拝観記録スタンプ帳が付録でついてる。五島ゆかりの有名50人の履歴書付。旅ガイドは宿、温泉、グルメ、おみやげまで掲載されており、これ1冊で五島を旅できそうな本。

 その昔、江戸時代に「長崎遊学」という言葉があった。

 江戸時代、徳川幕府は鎖国政策をしたが、例外として、オランダと中国に対し、日本で貿易することを許し、貿易の窓口を長崎に限定したので、海外の文化や学問は長崎を通して日本全国へ伝えられた。

 また、キリスト教以外の書籍の輸入も認められていた。しかし、書籍の知識に満足せず、蘭学や医学、科学、美術などの技術や知識を習得するため、長崎へ游学する者は跡を絶たなかった。

 幕末期の長崎には、後に近代日本を背負って立つこととなる人たちが大勢游学している。彼らが日本の近代化を後押ししていった。長崎は、彼らにとって、新しい情報にあふれた刺激的なまちだったのだろうと想像できる。

 今の長崎が、遊学の地に相応しい所かどうかはわからないが。

「游学」という言葉には、ふるさとを離れ、他の土地や外国で勉強するという意味がある。爺になってもなお「遊学」の志は治まらない。

『「しあわせな空間」をつくろう。-乃村工藝社の一所懸命な人たち』能勢剛著

 人々の「しあわせ」を呼び起こす空間とは、本当にできるのだろうか。

「働く、遊ぶ、食べる、買う、学ぶ、旅する、泊まる、観る、集まる。暮らしのあらゆるシーンにある「しあわせ」な空間。このうえなく、しあわせな体験ができる空間は、いかにして生まれたのか。」と本書は書く。

 この本は、乃村工藝社を取材対象に、そうした空間を訪れ、関係者へのインタビューを重ねて空間を解き明かそうとしている。

 どんな背景、どんな問題意識から発想されたのか。つくり手である乃村工藝社の担当者達は、その発想をどう受け止め、どんなアイデアと工夫とで、具体的なカタチにしていったのか。その経緯は良くわかる本。

 空間価値と、それを創造する仕事の進め方を、関係者の話を聞きながら、詳細かつ具体的なストーリーとして元日経トレンディ編集長の能勢剛さんが追いかけている。

 実際に見ていない建物も幾つかある。例えば、福井県の若狭にある福井県年縞博物館は、行ってみたいと思ったが、建築的魅力というより7万年前の時空を感じてみたいと思ったから。

 京都清水の「ザ・ホテル青龍」は、昭和8年に作られた清水小学校というヘリテージ建築をホテルにリノベーションしたもので、元の小学校は、映画のロケにも使われた有名な建物だけど、「地域の思い出をつなぐ」建築となっているのだろうか。

 「しあわせな空間」とは、そもそも何か。自分への問いかけが残った。

 

「熱く生きた医人たち」鈴木昶著

 日本で医師という職業が生まれてから現代まで、医療の流れも変化しながら進化している。

 漢方学や解剖学、細菌学、産科医学、栄養学など。

 その変化と発展には、どんな時代にも、ひたむきに人々の命と健康に向きあい信念を貫いた人や、地道な基礎研究に生涯をを捧げた人。又為政者や学会の評価など関係なしに、自らの信念を貫き通した人もいる。

 著者は、そんな人を畏敬を込めて「熱血の医人」呼ぶ。

 熱く生きた50人の医者の足跡を辿りながら。その生きざまに注目し、今の医療のあり方を問いかける。

 この本で取り上げられている医者は、医療ジャーナリストの鈴木昶さんが、個性が際立ち、人間的に魅力的だと思う医者達だそうだ。医学の分野は門外漢なので、知っていた医学者は数えるほどだったが、その生きざまには魅了される人が多かったので一気に読めた。

 250頁程の本に50人の医療に尽くした人を取り上げているので、多少物足りなさもあるが、私のような門外漢の入門編だと思えば良いのかもしれない。 

 研究と臨床は両輪のごとく。

「70歳が老化の分かれ道」和田秀樹著

 周囲を見渡すと最前線で仕事をしている高齢者も散見するし、片方で仕事をしなくなって一気に衰えた高齢者もいる。

 著者は「現在の70代の日本人は、かつての70代とはまったく違う。各段に若々しく、健康になった70代の10年間は、人生における「最後の活動期」となった。」と書き、「この時期の過ごし方が、その後、その人がいかに老いていくかを決めるようになった。」と。つまり70代はターニングポイントと言えるだろう。

  • 気持ちが若く、いろいろなことを続けている人は、長い間若くいられる。
  • 栄養状態のよしあしが、健康長寿でいられるかどうかを決める。
  • 人々を長生きさせる医療と、健康でいさせてくれる医療は違う。

 一気に老け込まないために、一番必要なものは「意欲の低下」だと記する。それを防ぐには、日々の生活のなかで、「前頭葉の機能と、男性ホルモンを活性化させること」がとても重要だと。

 意欲レベルが低下してくる理由の一つとして、脳内の神経伝達物質であるセロトニンの減少があり、セロトニンの材料となるのがトリプトファンというアミノ酸。それが多く含まれているのが「肉」で、高齢者に「肉」の摂取を推奨している。

 よく普通の内科医からは、コレステロールは動脈硬化を促進し心筋梗塞のリスクを高めると聞くが、コレストロールは男性ホルモンの材料にもなる。男性ホルモンの中でテストステロンは「意欲」と関係しているから、「肉」を食べることは、セロトニンと男性ホルモンの生成を促進し、人の「意欲」を高め、活動レベルを維持することに効果的だと書く。 

 聖路加国際病院名誉院長であった日野原重明先生は 満105歳で亡くなられたが、以前その食事風景の動画を見たことがあった。その食事は、夕食をメインにしたものであった。朝食はジュースにオリーブオイルをかけて飲み、昼食は牛乳、胚芽クッキー、林檎だけで済ませた。夕食は週2回は肉、他は魚と少し多めに食べていた。その日の体調に合わせて食べ物を変えていたようだった。

 食・食品衛生は妻の分野であり、任せておいて心配ない。朝から出かける予定がない日は1時間ぐらいかけて朝食を作ってくれる。朝昼食兼用ということもあるが、夕食はどちらかと言うと少な目にしているようだ。

 人の意欲と密接な関係のある脳内物質・セロトニンは、光を浴びると沢山作られる。うつ病の人はセロトニンが不足しているとされ、その治療法に光療法というのがあり、人工的な光を一定時間浴びせせると改善効果があるそうだ。だから光を浴びる習慣が人々を若々しくする。

 さらに陽を浴びて作られるセロトニンによって、夜には脳にはメラトニンというホルモンがつくられる。このメラトニンは、睡眠ホルモンともよばれ、人の睡眠に深くかかわっている。

 指定確認検査機関に勤務していた頃、建築基準法の採光規定を巡って議論をした事があったことを思いだした。「照明器具が設置されていれば自然光の窓は不要ではないか」という意見だっと思う。「人工照明と自然光は全く別次元の問題で、代替えすることは出来ない」と言ったような記憶がある。その後の建築基準法の改訂を振り返ると人工照明派が多数派となっているようだ。

 しかし自然光によるセロトニンの生成を聞くと、建物の自然光を取り入れる建築基準法の採光規定は、今でも重要だと感じる。

 和田秀樹先生は、日本の医師は、自分が担当する臓器のスペシャリストにしか過ぎず、長生きの専門家ではないと指摘する。色々な医者とこれまで接してきたが、本当にそう思う。

 自分も「建物を長生きさせる専門家」になろうと思った。

『家康の誤算・「神君の仕組み」の創造と崩壊』磯田道史著

 二百六十五年の平和な江戸時代をつくりあげた徳川家康。盤石と思われたその体制は、彼の後継者たちによつて徐々に崩され、幕末ついに崩壊する。「神君」家康にとっての誤算を、近世から近代まで俯瞰し、現代まで続く家康がこの国に与えた影響について考察されている。

 私は通常、本の選定は、本の中で紹介されていた他の文献や他の著者の文献を次々とリレー方式で読むことが多い。あるいは新聞等の書評欄から選ぶ。そして稀に本屋で見つける。

 磯田さんの本は、稀に行く本屋さんで見つける事が多いが、視点が面白いのですぐ読めてしまう。だからこうして感想を書いてしまうと本棚に並ぶのが早い。机のまわりには待機している本も多く積んであるし、長期間読み半端な本もあるので、早く読み終わり感想を書いてしまわないと通常の業務に使う机のスペースが狭くなる一方だ。

 そんなことはともかく、この本で特に興味深かったのは、第五章の『家康から考える「日本人というもの」』の中の「幕府が民に信じてほしくない思想とは」の部分。

 徳川政権が民に信じて欲しい思想は朱子学だった。加えて親と主君に対する忠孝というベクトルを作り上げた。「分を守って、分相応に生きろ」と。人間が平等であったり、等しく権利を持っているという考えは天下を獲った人には不都合だった。

 キリスト教では「神の子」は均しく「理性」を共有していると考え、神に授けられた理性の灯(ともしび)をわかちあう存在は均しく「人権」を持つと考える。

 そして『「世直し」一揆と伊勢神宮の「おかげ」』という部分は、不明瞭だった徳川政権の「天照大神と伊勢神宮」について理解が深まった。

 「実は、伊勢神宮は徳川家康の頃から危険な存在だった」とある。

 伊勢踊りは、御託宣によるとして伊勢神宮の神霊を諸国に送る神送りの踊りであるが、晩年の家康が駿府にいた慶長19年(1614年)から翌元和元年にかけて大流行した。これは大阪冬の陣と、夏の陣の間の時期であり、伊勢神宮の神官達は、式年造営を復活させた豊臣よりで反徳川的だったようだ。家康は、この伊勢踊りを反体制的なものとして警戒していたとある。

 幕末、徳川体制が弱ってくると「ええじやないか踊り」が始まり、誰かが仕掛けて伊勢神宮の御札をばらまいて、「天から御札が降った」と狂乱する現象が起きた。こうして天皇と天照大神への信仰が、徳川への反抗に利用され始めた。

 もともと戦国時代から「一生にのうちに一度は伊勢神宮に参りたい」という信仰心が、世間一般に流布していた。どうも徳川は「お伊勢さま」信仰への対策を放置していた兆候がある。

 人々は伊勢神宮に参って、五穀を実らせる太陽神の天照大神のありがたみに感謝し、天皇を「あの天照大君から長く続くありがたい存在」と実感する。伊勢参りを繰り返す中で、日本人の心の中に「徳川から天皇」へと意識の変化が生じていった。だからお伊勢参りは尊王思想に繋がっていく。

 今年、10年振りに伊勢神宮に御参りをして、個人的には外宮(豊受大神宮)に、より聖域性を感じた。「それは何故なのか」という問いかけが自分の中に残った。

「動物たちは何をしゃべつているのか?」山極寿一×鈴木俊貫著

書名に魅入られて購入した本

 近年、動物の認知やコミュニケーションに関する研究が進み、動物たちが何を考え、どんなおしゃべりをしているのかがわかってきたらしい。シジュウカラになりたくて年の半分以上を森で暮らす研究者と、ゴリラになりたくて群れの中で過ごした研究者が、最新の知見をもとに語り合った本。

 動物たちも言葉を使う。従来思われていたよりもずっと高度な会話をしていることがわかってきた。動物たちは環境への適応、生存や繁殖のために進化したので住む環境によって言葉も違う。動物たちのコミュニケーション手段は言葉だけではない。踊りや歌も重要なコミュニケーション手段。

 動物にあってヒトにない認知能力があり、ヒトとは異なる認知世界に生きている。

 ヒトにとっての社会的グルーミング(集団的接着剤)は、一緒に食事をする事(共食)。音楽。火(一緒に焚火を囲むこと)

 人間のコミュニケーションは「形式知」である言葉に依存しているが。動物のコミュニケーションは「暗黙知」を多用している。

 現代社会が言語に依存することで、人は非言語的な情報を認識できなくなる可能性があるが、テクノロジーをうまく使う事が出来れば、言語から切り捨てられる情報と現代社会の利便性を両立させることは可能だと言う。デジタルも大事だがアナログも大事だということに尽きるのかも知れない。

 言語とは何か、人間とはどのような動物なのか、そして真の豊かさとはどのような事なのか考えさせられる本。

「トビウオが飛ぶとき」桑原亮子著

 この本は、NHK連続テレビ小説「舞い上がれ!」の脚本家であり歌人の桑原亮子さんが、「舞い上がれ!」の中から選んだ短歌集です。

 ほとんどテレビを見ないので「舞い上がれ!」も見ていませんが、短歌集は字が大きく電車で読むには、うってつけなので、最近は色々な歌人の短歌集を集めています。

 さて特に気に入った短歌を書いておきます。

梅津貴司の第一歌集「デラシネの日々」より

「トビウオが飛ぶとき他の魚は知る水の外にも世界があると」

「支えきれなかった。ごめん。落ちていくバラモン凧の糸の悲しみ」

「デラシネ」とは「故郷を喪失した人」「根無し草」という意味であり、懐かしい言葉に出会った。五木寛之の初期の作品に「デラシネの旗」という小説があった。五木寛之自身のパリ滞在時の経験をもとに、フランスの5月革命を描いたもの。昭和44年(1969)刊行の本だが、青年時代に読んだ記憶がある。当時「デラシネ」という言葉は結構流行っていたように思うのだ。

 自分自身の一生を振り返ると、生まれ故郷に帰る事もなく、ひとつの地域にこだわるでもなく根無し草の人生だったようにも思う。

 短歌というのは、不思議なもので他人が詠んだ歌でも、自分の記憶とシンクロすると過去の情景が浮かび上がり、感情が揺さぶられることがある。

 短歌を詠む一人ひとりが違う人間で、何を面白いと思うのか、どんな言葉を使うのかはみな違うので出来上がる短歌も違ってくる。誰とも違う自分が詠んだ短歌は、ときには他の人の力となる事もある。短歌というのは、本当に不思議な力を持っていると思う。

 この本の中から 最近孫娘に贈った短歌

「君が行く新たな道を照らすように千億の星に頼んでおいた」

「本のある空間採集」政木哲也著

 この本は、個人書店・私設図書館・ブックカフエなど、国内の様々な「本のある空間」を訪れ、その空間を「実測」し、立体的な図に起こし1冊にまとめた本。

 かってあつた小さな地域密着型書店は次々と閉店してしまう時代に、新しい形で人と本の出合う拠点をつくり運営している個人書店・私設図書館・ブックカフェがある。それらに身を置くことでどんな空間体験がもたらされのか、著者の探求の旅の成果。

 この10年もっぱらアマゾンで本を購入することが多い者としては、この本で取り上げている「本のある空間」には、大変魅力を感じる。

 最近、見せてもらった仕事関係者の自邸(写真)は、壁面全体が書籍棚で その広い空間の中にベッドが置いてあり、人を羨ましいと思う事はあまりないが、この時はとても羨ましく思った。

 本屋さんになりたいと思ったことはないが、「本に囲まれた空間」は希求してきた。しかし、残された本の行き末を考えると暗澹たる気持ちになる事もある。

 

「変容する聖地 伊勢」ジョン・ブリーン編

 天照大神が祀られている内宮と豊受大神が祀られている外宮に代表される伊勢神宮は、古代から変わることなく受け継がれてきた聖域として語られることが多いが、不変的に聖地として崇(あが)められてきたわけではなかった。

 本書では、「聖地の変容」をキーワードに、伊勢神宮の歴史について、国内外の一線級の研究者16人がまとめた論考を、国際日本文化研究センターのジョン・ブリ-ン教授(現在は名誉教授)が集約している。2016年に初版が発行された本。

 現在の伊勢神宮では、「日本書記」の記載を字義通りに解釈して、神宮は崇神天皇の時代に創建が始まり、垂仁天皇の時代・紀元前4年に完成したとする。

 しかし考古学では天武天皇の時代に創立が位置づけられる。天武・持統天皇は「権力とは儀礼と宗教の是認がなければ正当性を欠くものだと理解し、みずからの起源を太陽神にもとめ、その神に関わる儀礼や神話を創出」されている。8世紀から9世紀にかけては、仏教を包摂し神宮寺も存在した。内宮・外宮そしてその上に大神宮司があり、結構複雑な権力関係が見え隠れする。内宮と外宮は古代から近世を経て明治維新前まで敵対関係にあり、何度も訴訟を起こし、ときには武力で戦う事もあったという。

 中世・鎌倉初期か室町末の時代。神官の神職たちは老いてから出家し伊勢の神々の為に法楽を行い、領地を寺院に寄進する敬虔な仏教徒たらんとする人もあり複雑な関係性が見られるとある。

 そもそも神宮とその祭神である天照大神は、古代より皇室と朝廷のみを守護する皇祖神であり、神宮の維持・管理や遷宮を含めた祭祀は朝廷の財源や力によって行われてきた。もともとは私弊禁断といい庶民の参拝や奉幣を受け入れるものではなかった。しかし中世になると庶民の参宮もみられるようになり、室町殿の参拝や僧尼の参拝や法楽も行われるようになったとある。そして江戸期には庶民参宮も一般的となった。

 中世に120~130年途絶えていた式年造営(内外宮で若干の差)を復活させたのは豊臣秀吉。皇祖神アマテラスを頂点とする神々の住居として唯一神明造の社殿があり、神々の日常を支えるものとして大量の神宝類がある。それらを定期的に更新することで、皇統譜の正統性や反復性が再認識される。その過程が正遷宮だとすると、120年以上正遷宮は必要とされなかったのか。それは朝廷に権力と財力がなかった時代とみるべきで、広義には国家的・社会的に必要とされなかったと考えるべきなのかもしれない。

 天正12年の小牧・長久手の戦いで徳川家康を軍事的に圧倒できなかった秀吉は、天正13年7月に関白となり、朝廷の権威を抱き込みながら覇権を及ぼす方途を選んだ。

 近世社会では、おびただしい数の人々が伊勢神宮に押し寄せたという「おかげ参り」があり、庶民の娯楽として享受された。

 外宮と内宮の間の地に、古市と言われている場所がある。江戸時代ここでは浄瑠璃芝居が演じられ、遊所があり、全盛期の1782年(天明2年)には、人家342軒、妓楼70軒、寺3ヶ所、大芝居2場、遊女約1000人の町だったと「伊勢古市参宮街道資料館」の略年表に書かれている。ところが明治、大正時代に廃れ、1945年の空襲によつて町並みの多くは焼失したとある。十返舎一九の「東海道中膝栗毛」には、弥次さん喜多さんが、古市でドンチャン騒ぎをしたことが描かれている。

 しかし、明治政府が伊勢神宮を聖性の源としたことで、前近代の庶民のなじみのお伊勢さんとはまるで違うものになったとジョン・ブリーン氏は書く。

 このように歴史を振り返ると聖地・伊勢神宮は、各時代の政治的、経済的、社会的状況からの影響を常に受けている。

 神は人々に平等である。政治的に利用したり、初穂料によって御神楽の種類を変えるという格差を作るのは人間の側の操作であり神様に責任があるわけではない。

 丸山真男が神道と古代神話を日本文化やその歴史的言説を貫く「パッソ・オスティナート」つまり文化の「古層」と呼んだことを想起させる。

 時の権力によって様々に利用されようとも、伊勢は私にとって聖地であることに変わりない。

「ふらりと歩き ゆるりと食べる京都」柏井壽著

「鴨川食堂」の著者である歯科医で小説家の柏井壽さんの「京都・食べ散歩」の本。観光客の喧騒とは無縁の、歩いて楽しい京都の路地「七つの道」と、地元の人の舌を堪能させる名店が紹介されている。紹介されている「七つの道」は下記。

第一の道 蓮台野を歩く/第ニの道 千本通を北から南へ/第三の道 雨宝院から出水の七不思議へ/第四の道 京都御苑と、その周りを歩く/第五の道 四条通を歩く/第六の道 紅萌ゆる丘から、真の極楽を辿り、熊野の社へ/第七の道 豊国神社から西本願寺まで

京都には、その昔「鳥辺野(とりべの)」「化野(あだしの)」「蓮台野(れんだいや)」という3箇所の風葬地があった。風葬地というのは、亡くなった方々の遺体が捨てられて野ざらしにされていた所。

都市内の北にある大徳寺の近くが蓮台野といい。その船岡山周辺を「紫野(むらさきの)」と言うのだが、この辺りを以前から歩いてみたいと思っていた。「紫野」と聞くと美しい、あるいは高貴なイメージが浮かぶのだが、実は結構おどろおどろしい名称だったりする。

蓮台野に遺体を運ぶ際に、千本通という道を通って運んだそうで、平安時代の千本通は死体を運ぶ道。葬送の地への道であった千本通には卒塔婆(そとば)が千本立てられていたので千本通と言われるようになったとか。遺体を運ぶ際に血が流れ、周囲が遺体の血の色で染まっていたので「紫野」という地名になったという説がある。

平清盛が平家一門の拠点とした六波羅の地。鴨川よりも西側がこの世、鴨川よりも東側があの世とされていた。鴨川は三途の川に見立てられ、それより東があの世と見立てられていたとか。今の六波羅密寺、六道珍皇寺がある。

道の端々にある小さな寺院。お堂にも京都の長い歴史が刻まれている。

歴史好きには たまらない大人の散歩道と食事処が紹介されていて、私より歴史オタクの娘に、「この本面白かったよ」と見せたら持っていかれてしまった。

「利休を超える戦国の茶人・織田有楽斎」丘真也著

堀口捨巳が晩年移築に関わった茶室「如庵」から、織田有楽斎の人となりをしりたくなり読んだ本。

織田 長益(おだ ながます)は、 織田信秀の十一男で、織田信長の13歳離れた異母弟。

変転きわまりない戦国の世に生まれ、織田・豊臣・徳川と交代激しい権力下を生き抜けたのはどうしてか。処世術にたけていただけなのか。あるいは茶の湯を通じて多くの東西の武将、禁裏、寺僧、数寄者と親交を持ち穏やかではあるが意思は強く、ときの権力に従う事はあつても、おもねる事がなかった。

この本は、当然ながらフィクションだが、織田有楽斎を通して戦国時代を俯瞰することができる。

また俗に「利休七哲」とも言われるが、利休だけが師ではなく利休の流れに根差しながらも少し距離を置いて、利休よりも寛ぎのある茶席を求めていたように思われる。

「如庵」「自ずから、然るべく、生きるが如し」

「如庵」は、織田有楽斎の最晩年の茶室である。

「それ茶の湯は客をもてなす道理を本意とする也」(織田有楽斎「茶道織有伝」) 

「うたわない女はいない・働く三十六歌仙」

最近のマイブームは短歌

短歌集は、総じて文字が大きく見やすい。短い時間で少しづつ味わえる

「女性だけの短歌集」「働くことがテーマ」と言う視点が興味深かった

様々な仕事の現場から生まれる女性たちの歌から、この社会の現実が浮かび上がり、いろんな感情移入ができる歌集でした。

歌人の俵万智さんとシンガーソングライターの吉澤嘉代子さんが選考委員を務めた「おしごと小町短歌大賞(2022年度)の多彩な受賞作と選考会の様子が、とりわけ楽しく読めた。

大賞受賞作・遠藤翠さんの「子の熱で休んだ人を助けあうときだけ我らきっとプリキュア」が良かった。仕事を持ちながら子育てしているお母さんが助け合うという高揚感が歌われていた。

昔、中間管理職だつたとき、職場に補充されてくるのは子育て中の人とか、妊婦さんだったりして、保育所から電話が来て子供が熱出したから早退とか。通勤途中で気持ちがが悪くなったからと遅く出社する人とか。その度に人員ギリギリの職場はてんてこ舞いしていたことを思い出した。「プリキュア」になる連帯感はなかったな。「女性ばかり補充するなと」と会議で発言して「男が欲しけりゃ、売上げ上げろと」と役員に言われ、喧嘩になりそうになった事を思い出した。ジェンダー平等なんて言われない時代の思い出。

俵万智賞の田中楓人さんの「顔見れば欲しいタバコがわかるほど会っているのに他は知らない」も共感できた。

作者はコンビニでアルバイトしているそうだが、私もコンビニで深夜アルバイトをした事がある経験から、よくわかる感情。でも普通の職場でもそういう傾向あるよね。意外と同僚のプライベートなことは知らなかったり・・・

とにかく色々な情景が浮かぶ歌集でした。

「渋谷ではたらく社長の告白」藤田晋著

サイバーエージェント社長の藤田晋さんの創業時の、もがき苦しみながら成長した軌跡と経験を書いたノンフィクション・ドキュメンタリー。

最近、こうした20年ぐらい前の本を何故か手に取ってしまう。同時代を生きていたが、まったく異なるレイヤーで生きてきた人たちの事がとても気になる。

大体自分は、事業計画を立案し投資家を募り起業するなんてことは考えたこともなかった。目標は「21世紀を代表する会社」「みんなで一緒に会社をおおきくしょう」という発想も自分にはなかった。まあ起業した年齢にもよるのかも知れない。

藤田さんがこの本を書いたのが31歳で現在でも50歳。だけど この人のハングリーさは凄い。爺婆よりハングリーさがない若い人達を見たりするとガッカリする事も多いけど、知力と体力に満ちた若い人達もいたし、現在もいることを知って安心する。

日本は「嫉妬社会」であること。

メディアへの露出を重視したこと。

創業時 週110時間労働を目標にしていたこと。(平日朝9時に出社、深夜2時まで仕事。土日は12時間)・・・尚 最近の私の労働時間は週90時間程度だが、20年前は週110時間以上働いていた時期もあった。

インターネットビジネスの社会も苛烈だ。

「愛するよりも愛されたい/令和言葉・奈良弁で訳した万葉集①」佐々木良著

1300年前、万葉集が作れた時代の日本の首都は奈良で標準語は「奈良弁」だったはずということで、現代的な意訳を試みた本。今年、香川県高松市出張の際に本屋さんで目に留まった。

万葉集の約半数は恋歌だそうで、その中から幾つかセレクトして現代的な意訳を試みている。

万葉集の1番目の歌は、雄略天皇が、その辺のねぇちゃんをナンパする歌から始まる。昔は天皇もとっても身近な存在だったのかもしれない。

万葉集の編纂に関わったと人と言われている大伴家持の歌が多い。随分ともてた人のようではあるが、伯母である大伴坂上郎女が大伴家持に贈ったという歌が普通の恋歌として意訳されているが、ちょっと違うんじゃないかなぁと思ったりした。

巻18 4086番歌 原歌

「常人の 恋ふというよりは あまりにて 我は死ぬべく なりにたらずや」

本書意訳

「そこらへんの人の恋 そんなもんちゃう! うちの恋は 死のレベルや!」

大伴坂上郎女は、妻を亡くした兄の大伴旅人の子息である大友家持を養育したと言われているし、後には娘婿になっているのだから、男女の仲の恋歌というよりは、母のような無償の愛歌としてとらえるべきではないかと思った。専門家でもないので単なる違和感程度の感想。

最近はPCで目が疲れているせいか、一般的な文庫本の文字の大きさには閉口するが、この本は見やすかった。

1300年前の奈良弁は、現代の奈良弁と同じなのかな?とか 突っ込みどころもあるのだけれど、若い人達が万葉集に親しみを覚えてくれたらよいと思う。

発行所の(株)万葉社は、香川県高松市の著者・佐々木良氏の出版社。地方の小さな出版社から こういうベストセラー本がでるのは喜ばしい。

「キリンビール高知支店の奇跡・勝利の法則は現場で拾え!」田村潤著

 1980年代後半、それまで国内シェアトップだったにも関わらず、ライバル会社の登場により業績不振に陥ったキリンビール。そんな中、高知支店に移動となった著者は、試行錯誤を重ねて業績を回復させた。

 2016年に出版され2023年3月の時点で第33刷、累計22万部の隠れたベストセラー。

 私は営業マンではないが「現場に本質がある」というのは同感。「すべてそこからスタートさせる。現場のリアリティを大事にし、机上論、美辞麗句を排する」。「人間の能力は無限大である」、職種は違っても普遍的な考え方や物事の捉え方は共通していると感じた。アサヒビールのスーパードライが発売された時代の事を思いかえしながら一気に読めた。


 1954年、キリンビールは国内シェア1位を獲得するが、1987年にアサヒビールが「スーパードライ」を発売したことにより、徐々にシェアを奪われる形となった。

 そのような状況下で、著者は全国でも苦戦していた高知支店へ異動(左遷)となる。

 著者は試行錯誤しながらも、赴任から2年半後に高知支店の業績を回復させた。現実と向き合う中で、負けから勝ちに転じさせるには、なぜ負けているのか、その原因を見つけそれに応じた施策を絞る必要があると著者は書く。

 業績が苦しいときほど、営業担当者にはこなすべき指示が増えていく。そして上意下達の流れの中で、自分の頭で物事を考えることができなくなってしまう。そのような状況下に陥ってしまっているとき、「自分で考えることの重要性」が、現状を打開するヒントとなる。

 キリンビール高知支店の逆転劇も、個々の営業マンによる愚直な営業活動の上に成り立っている。「商品は誰のためにあるのか」「なぜ働くのか」を見直すきっかけとなる。

 高知に行って鰹の塩タタキが食べたくなった。

【ポイント】

  • 現場に本質はある
  • 負けている組織の風土
  • 「結果のコミュニケーション」とは
  • 営業と広告のシナジー効果
  • リスクより理念
  • 「市場にうねりを起こす」作戦
  • 高知の井戸を掘ると世界につながる
  • 会議廃止の効果
  • 上司を見るな!ビジョンを見ろ!
  • 経営は実行力

「Soft City 人間の街をつくる」ディビッド・シム著

住宅等をずっとやっていると、設計者としての意識が利己的に陥りやすく周辺環境や街との関係性を無視する傾向がある。

少し大きな建物のプロジェクトに関わると「街」を意識するようになる。

この本は高密度の都市のなかで人間的スケールを維持し、人々が快適に交流し暮らせるソフトな街づくりの実践書である。

ヤン・ゲールの「人間の街」の理念をどのように実現すればよいのか、世界中の実践例をあげて整理している。

日本でも一般的となった大型ショッピングセンター。しかし2000年以降、アメリカではほとんど造られていないと聞く。

では、どのようなフォーマットのショッピングセンターを造っているのか。その名の通り「街の中心」となる「タウンセンター」である。ショッピングセンターが単にモノを買う場所から、人々の生活に多様にかかわる「街の中心機能」としてとらえ直すリポジショニングが進行している。
地域の中心となり、街に活気と未来をもたらす「タウンセンター」を作ろうと。

図らずも 今関わっている既存建物のプロジェクトで、この本に書かれていた「連接」と「重層化」を意識して基本構想をまとめていた。

「人間の街」の細部を注入するのは、これからだが 良き指南書に巡り合えた。

「歩いて、食べる東京のおいしい名建築さんぽ」「歩いて食べる京都のおいしい名建築さんぽ」甲斐みのり著

上の2冊の本は、我が家の姫が買ってきた本

姫は、行った事がない本屋さんに行くと解き放たれ野獣(失礼)のように、本屋の中をくまなく見て回り、立ち読みし、そして沢山収穫してくる。

この日は、目黒の有隣堂で物色してきたらしく建築関係の本だと「こんなの買って来た」と見せに来る。この日もこのほかにcasaとか 、ホテル・旅館の図面集を収穫してきたようだ。

姫「こんな本買ってきたよ」

私「以前立ち読みした。買うほどの本ではない」

姫「あっ そ」

姫がいなくなってからパラパラとめくる私

私「もう本棚満杯なんだから買い集めるなよ。ぶつぶつ」

本棚に余裕があったり、ヘリテージ建築が好きで、これから建物を見てみたいという人にはお薦めです。


追記:書棚をよくよく見てみたら購入してあつた。志向が異なるので重なることが少ないのだが、時々書棚に二冊並ぶことがある。

「有楽苑築造記・国宝茶室『如庵』移築と堀口捨巳」金子暁男著

 愛知県犬山市の犬山城東にある「日本庭園 有楽苑」は、昭和を代表する建築家、堀口捨己氏(ほりぐちすてみ)の監修によって築造された日本庭園。
 苑内には、国宝茶室「如庵」、重要文化財「旧正伝院書院」、古図により復元された「元庵」、茶会のために建てられた「弘庵」などがある。

 如庵は織田信長の弟である織田有楽斎(うらくさい)が京都の建仁寺に創建した茶室で、昭和11年(1936)に国宝の指定をうけた茶道文化史上貴重な遺構です。京都山崎妙喜庵内の待庵、大徳寺龍光院内の密庵とともに、現存する国宝茶席三名席の1つ。 

学生時代に明治村を訪れた時に犬山城に行っているのだが、その時は有楽苑の存在を知らなかったのか、茶室・庭園の類はあまり眼中になかったのか、ニアミスをしている。

さて この本の事。

大磯から犬山への移築を指揮した堀口捨巳に直接指導を受けた著者が、移築の舞台裏や、堀口捨巳の緻密な仕事ぶりと人間性を描き出した回想録である。

この移築指導の際に堀口捨巳が定宿としていたのが名古屋の八勝館である。

茶室如庵は京都→東京麻布→大磯→現在地犬山と3度の移築している。昭和47年(1972)に名古屋鉄道により犬山城の東へ移築され、如庵が京都にあった時代の庭園を可能な限り再現した「日本庭園 有楽苑」として整備された。

「如庵」は、柿葺(こけらぶき)の端正な外観を示し内部は二畳半台目で床脇にウロコ板を入れ斜めの壁を作っているところから「筋違いの囲」といわれている。
 古暦を腰貼りにした暦貼り、竹を詰め打ちにした有楽窓、躙口の位置等随所に独創的な工夫がこらされている。

「如庵」は月に一度ぐらいの頻度で特別見学会を開催しているのだが、中々スケジュールがあわずに未だ見る事が叶わぬ建物である。

今、織田有楽齋にちょっと関心があり、別な本も読み始めている。有楽齋は信長の実弟として天文16年(1547)に生まれ、波瀾に富んだ人生を送った人。

「10年後に食える仕事 食えない仕事」渡邊正祐著

「2030~3人に1人は失業する」「10年後にAIロボット化で変わる職のカタチ」と刺激的な言葉が並んでいるこの本。

 まあ10年後に まだ現役で働いていられるかどうかわからないが、まわりを見渡せば健康である限り高齢者が働かなければ、この国は回っていかないのではないかと思う。

 あるビルの深夜の調査に行ったら警備員の人は、自分より高齢だったし、電気関係では電気保安技術者が足りなくて最高齢で87歳の人もいると聞いた。

終電に乗る人は若い人が多いが、始発電車や早朝の電車に乗る人は意外と高齢者が多い。

さて この本のこと

仕事の未来を5カテゴリに分類して解説しているのだが、それらについては多く紹介されているので書くのは省く。

著者は「ひとりひとりの仕事の成果と賃金を増やすには、まず自動化できることはひとつ残らずすべて自動化し、機械と人間が強みを生かすこと形で役割分担を徹底する必要がある。それでも足りない分だけ外国人に頼るべきだが順序が逆なのだ。」と記す。

AIとかIT化を過大視しすぎているのではと思いながら読み進めていたが、そうでもなく「AIが得意なのは3つの要件を満たす業務だけ」と指摘しているし、学者の書いたものと違って現実のビジネスシーンをよく踏まえている。

例えばコンビニに関する事。かつて私もコンビニの深夜アルバイト(23時から翌朝7時)を半年間ぐらいした事がある。この本でも書くようにオペレーション全体に占めるレジ業務はせいぜい3割程度でマルチタスクなのだ。この時の経験が現在の私のマルチタスク型業務スタイルにつながっているし、その時教えてもらって体験した情報システムには魅了された。セブンイレブンの初期の情報システムである。

客のレジ精算と同時に販売データを収集するPOSレジスター、検品や陳列状況の把握を支援する ST(スキャナー・ターミナル)、発注を行うGOT(グラフィック・オーダー・ターミナル)と バックルームのSC(ストア・コンピュータ)を結んだ店舗システムを構築。単品ごとの販売状況、商品のキャンペーンやTV・ラジオCMなどの情報、イベント情報、 天気予報などを確認して仮説を立て、発注を行い、検証するという一連の単品管理が 円滑かつ効率よく行えるよう、この情報システムが支援しているのだが、このシステムについて色々と教えてもらったことが、あとあと役に立っている。

随分と付箋紙を貼った本になり、書いておくことは尽きないのだが、「人間ならではの創造・感情・信用ワークへシフトし、アナログを競争力の源泉とせよ」に強く同感する。

終章で、デジタルAI経済は労働者に還元されず二極分化が進むと指摘する。GAFAのような「デジタル・ケンタロウス」は潤い、中間層は低位におちて「GAFAの手先ワーカー」「サイバー小作人」となると指摘する。

サイバー小作人とはユーチューバーみたいな人を指しているのだが、この「現代の小作人」というのは言い得て妙だ。巨大フランチャンザーによって支配されるFCオーナー。ネットモール出展者なども指している。FCオーナーや個人事業主は、現代の法規制では「労働者」ではないから契約で縛られリスクばかり負わされ権利は認められていない。行き着く先は「ディストピア」である。

そのためには「新しい労働者の再定義と監督権限の強化」「再分配による格差是正」「積極的なテクノロジー導入で人材を捻出」と指摘するが納得できる。

建築設計者も、うかうかしているとAIに置き換えられて飯食えなくなりまっせ。

「敷地形状入力」「法規制入力」「世代構成」「デザインの好み」等入力したら幾つも住宅のプランを作成し、同時に見積もりも出来上がり。あっ。もう大夫出来上がってきているね。

頑張ろうね。建築設計者の皆さん。

「大本営参謀の情報戦記」堀栄三著

北海道出張に持つていった文庫。

太平洋戦争中に参謀を務め、戦後も情報戦の最前線にいた著者が書き残した至言の数々。1996年に出版され私が読んだ文庫で第30刷。累計23万部という隠れたロングセラー。

相手から教えたい情報、商品として売られるべく氾濫している情報の中で溺れそうになる日々。本当に必要な情報は何か。SNSやインターネットに頼りすぎていないか。

著者は本文に出てくる軍隊用語を、企業の人が読む場合は「戦略」は企業の経営方針。「戦術」は職場や営業の活動。「戦場」は市場(マーケット)。「戦場の考察」は市場調査(マーケッティング・リサーチ)と置き換えて読むことを勧めている。

昭和20年の敗戦まで、軍は日本最大の組織であり、しかも最も情報を必要とする組織であった。その組織がいかなる情報の収集・分析処理・管理のノウハウを備えていたのか、その実態が体験的に述べられている。

文中の孫子の言葉が記憶に残った「爵禄百金を惜しんで、敵の情を知らざるは不仁の至なり、人の将にあらざるなり、主の佐にあらざるなり、勝の主にあらざるなり」

大要は、敵情を知るには人材や金銭を惜しんではならない、これを惜しむような人間は、将師でもなく、幕僚でもなく、勝利の主になることはできないという意味。

多面的な情報の収集とともに、情報には解析・審査が必要で、それを生かすことの重要性を学んだ。

「兎の戦力は、あの速い脚であるのか、あの大きな耳であるのか」というドイツで読んだ本の中の設問を紹介して終わっている。

「長くて大きな『兎の耳』こそ、欠くべからざる最高の”権力”である。」

この本は、堀さんの回想録だけど、日本人への警告を含んだ貴重な本だ。こういう本を次の世代の人にも読み継いでいくことが必要なんだと思う。