「できそこないの男たち」福岡伸一著

この6月、段ボールにしまっていた本を全て出し、壁面いっぱいに並べた。

パートナーとは専門が違うので、それぞれの専門書は互いの部屋におき、それ以外の本はリビングの壁面に並べた書棚に展開された。大きくなってきた孫達が、本好きに育ってもらいたい、少しでも本に関心を持ってもらいたいと思ったから。

これまで随分と本を買い、処分し、概ね50年間に取捨選択され残った本。

 その中で私の目に留まった一冊の本が「できそこないの男たち」である。パートナーの本であり、今まで存在も知らなかった。

何しろ書名が刺激的だ。

 私の生物学の知識は、中高生レベルである。しかも分子生物学については、基礎的知識もない分野である。ゆえに読み終えるのに随分と時間が経つた。

 教科書は、事後的に知識や知見を整理し、そこに定義や意味を付与しているので、読み終わっても何の感慨も、興味も湧いてこない。福岡さんの本は、何故、其の時、そのような知識が求められたのかという切実さが科学史という時間軸の中で活き活きと記述されている。顕微鏡で精子を見たアントニー・ファン・レーウェンフック。Y染色体を発見したネッティー・マリア・スティーブンズ。性決定遺伝子をめぐるデイビド・ペイジ (David C. Page) とピーター・N・グッドフェロー (Peter Goodfellow) の研究の競争が記される。

 メスは太くて強い縦糸であり、オスはそのメスの系譜を時々橋渡しし、細い横糸を役割を果たす「使い走り」に過ぎない。男性は生命の基本仕様である女性を作り変えたものだから、ところどころに急場しのぎの不細工な仕上がり具合になっているところがある。胎児は、受精後7週目にあるスイッチがオンになり変態がはじまる(SRY遺伝子スイッチ)

 生命誕生から10億年経過した頃、大気に酸素が徐々に増え、気候と気温の変化がよりダイナミックになり、新しい形質を生み出すことができない種は全滅の危機にさらされた。メスたちはこのとき初めてオスを必要とすることになった。ママの遺伝子を他の誰かの娘のところへ運ぶ「使い走り」。現在全ての男が行っていることはこういうことなのである。アダムがイヴを作ったのではない、イヴがアダムを作り出したのである。自分たちのために。

 統計的に男より女のほうが長く生きる。いつの時代のどんな地域でも、あらゆる年齢層で常に男のほうが短命である。男を男たらしめるテストステロンは、全年齢において放出され続け、免疫系を傷つけ続ける。Y染色体という貧乏くじを引いたばかりに、生物の基本仕様である女の路線から外れ、使い走りにされた男たちはこのプロセスで負荷がかかり、男性の生物学的仕様に不整合を生じされられた。

 Y染色体からみて、日本人は単一民族ではない。出アフリカを果たした「C、D、F」系という三つのY染色体の系統が流れ流れて様々に分岐したあと、もう一度落ち合った特別な場所が日本列島である。日本列島は「人種のるつぼ」なのだ。

 社会経済構成体の運営をイブ達に返す時代が来たのかもしれない。少なくてもフィフティーフィフティーに。

目から鱗の本だった。