「安藤忠雄展・挑戦」国立新美術館

ちょつくら時間を取って国立新美術館に行ってきました。「安藤忠雄展・挑戦」を見に。

とりわけ 野外展示場に作ってしまったこの実物大の光の教会は見ておきたいと思っていました。

今日は冬空だったせいか、カラーで撮影してもモノクロの世界なんだけど、かえって良い写真が撮れたように思います。

安藤忠雄の生涯を回顧するような作品展になっています。学生時代に安藤忠雄の講演会に行ってから40年近く経ちますが、安藤忠雄は、ずっと挑戦し続けてきたということに感心しました。

パートナーは、安藤忠雄の作品の持つスパンとか比率が私の設計した建物と似ていると言います。今は設計をしていませんが昔は少ししていた事があるので。私はどんなものでも日本的な表現になってしまうのですが、安藤作品も要素をそぎ落としていくところとかが近似しているとか。コンクリート打放しの建物は1件しかやっていないのですが知らず知らずのうちに安藤忠雄に影響をうけていたのかなぁ~。学生時代は磯崎新一辺倒だったのに。

久しぶりに設計してみても良いかなぁと思うことがあります。

冥土への土産に。

あっ冥土には行けないかもしれないけど・・・

松崎町 -4

松崎港

この日の駿河の海は、とても穏やかでした

この松崎の港から那珂川に沿って街に点在するなまこ壁の商家は、かってこの町が漁業で栄えたことを物語っています。現在は、なまこ壁の民家を町が買い取って保存しているようですが、西伊豆は交通の便が悪いし際立つた観光資源があるわけでもないので地方創生と言っても観光を基幹にするのは難しいと思います。

地方を歩いて思うのは、やっぱりその地域の基幹産業である一次産業(漁業・農業)の再生に力を入れるのが一番の近道だと思います。

浄感寺・長八記念館

仕事で三嶋に行ったついでに修善寺で一晩泊まることにしていましたが、まさか西伊豆まで行くとは本人も思っていませんでした。

修善寺に着いたら旅館のチェックインには時間があるし無計画だったのでどこに行くというあてもなく駅前でうろうろしていたら路線バスで松崎行というのが止まっていました。運転手さんに聞いたら修善寺から松崎まで100分。帰りは一時間に一本はバスがあると聞いて、自販機でお茶を一本買い飛び乗りました。

まったくの思いつきの路線バスの旅でした。

伊豆の山道を走る路線バスの中では爆睡。堂ヶ島あたりでようやく目が覚めました。

以前から機会があったら訪れたいと思っていた長八記念館・長八美術館を訪ねることができました。

フラッシュを発光させなければ写真はOKと許可を取り、飛天の図を撮影

対となっている もう一つの欄間にある飛天の図

天井に描かれた雲竜の図は、見る位置によつて表情が違うと言われましたが・・

こちらが山門側・表玄関です

彫も素晴らしいです

近江八幡市立八幡小学校

近江八幡市立八幡小学校

1873年に創立された143年の歴史がある小学校

ネオルネッサンス調とのこと

校舎脇の駐車場から撮影

話は変わるがミュージシャンの岡林信康は近江八幡の出身。

お父さんは、ヴォーリスの薫陶を受け近江八幡で教会の牧師していた。

岡林信康は牧師の息子で高校卒業まで近江八幡にいて、同志社大学神学部に進学したがドロップアウトしてミュージシャンに。「フォークの神様」と言われたのは彼の生い立ちに関係している。

織田信長のルーツは近江八幡市南津田町の津田親眞だとする研究成果の結果「近江国 津田・織田一族始祖 津田親眞顕彰之碑」が建てられている。

平安末期、平資盛(すけもり)の子として近江国津田郷で誕生した親眞は、越前国(現在の福井県)織田荘の劔神社に養子に行き、その子孫が尾張守護職となり織田に改名し、親眞から十四代目の子孫として信長が誕生した書かれている。

色々な人のルーツがここにあると知り、近江は面白いと思いました。

本願寺八幡別院

浄土真宗本願寺派八幡別院

現在の本堂は1716(享保元)年、表門は1767(明和4)年、裏門は1782(天明2)年、鐘楼は1825(文政8)年にそれぞれ建立され、いずれも滋賀県有形文化財の指定を受けています。

別院周囲には堀が廻らされ、城郭のような風情を残しています。

 

クラブハリエ・日牟禮カフェ -3

キッシュが美味しかつたです

ケーキは色々種類があって目移りするぐらい

旧忠田邸を改装しカフェにしたと書かれています

店内から眺める庭

近江八幡、昔ヴォーリス 今たねや

というくらい「たねや」グループの建物が目立ちます