「立原道造の夢見た建築」種田元晴著

「今時、立原道造を取り上げて本にした人がいるんだ」という驚きと敬意をもって、この本を読んでみました。

『詩人・立原道造の建築家としての思想を解読。自然豊かに書かれた透視図から「田園」を志向する建築感を始めて浮かび上げさせる』との内容説明がされています。

立原道造についての著作は過去にも多く、全集も出ていますし、その中には図面やスケッチ、透視図の類も収集掲載されています。著者は学部卒論の時から立原道造を調べていて、関係者の本も丁寧に拾われて立原道造の世界を探求されていますが、全体の印象は、過去の著作類からの「よくできたトレース」という感じを受けました。

それでも全集を読んだことがない、詩人・立原道造を知らないという建築分野の方が立原道造に近づくための入門書としての完成度は高いと思います。

私は、中学生の時に立原道造の詩に出会いました。多感で純粋な中学生には衝撃的な詩でした。高校生に入り、すでに勤めていた姉に頼み「新建築」を定期購読し様々な建築や建築家の存在を知りました。その一方「詩作」に励んでいました。

私にとって立原道造は、初恋の人のようなものです。

憧れの人であり、手繰り寄せて思想を分析する事など思いもよりませんでした。立原道造の詩と建築は、一体不可分で分離して考えることは出来ないと思います。

立原道造は、誰よりも先に花開き、誰よりも早く散ってしまった花です。

わずか24歳。

戦争の時代を生き抜いたら、侵略戦争を賛美し国威発揚の戦争詩を書いていただろうか。田園主義を捨て古典主義的建築を設計していただろか。

そんなことは誰もわかりません。

石本建築事務所を休職してからの北から南への旅は、軍国主義が闊歩する時代にあって、きれいなまま死するための旅立ちにも感じているのです。

「雨の建築術」日本建築学会編

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食品衛生を研究しているパートナーの「災害時における生活用水の衛生」という研究テーマについて話を聞いていたら、過去の災害時においてライフラインが停止したときに、風呂、洗濯、トイレといった生活用水は応急給水によって十分な使用量を確保できないという事を聞きました。都市部ほど確保は難しいと過去の災害報告に書かれているそうです。

災害時の生活用水の確保のためには、一番は各自が雨水を貯めておくことが必要で、その他身近な河川や池、堀などから自ら採取して濾過して使用するしかないだろうということになりました。

そこで近くの神田川の水を採取しようと思ったら地面から水面までの高さがあり、一般の人が水を採取するのは難しいことがわかりました。その他は許可を得て公園や外堀の水を採取して実験に使用させていただきましたが、これらも災害時に閉門されたら一般人は使用できません。東京都心部は、生活用水に使用できそうな水場が意外と少ないことに今回気がつきました。

そんな中で思い出したのが、この本「雨の建築術」日本建築学会編、技報堂出版、2005年初版です。

もう十年以上前の本ですが、当時私は、流行のエコロジカルな建築デザインに矮小化して「雨」の建築的活用を考えていました。

この本は、国内外の実例が豊富に紹介されています。再読して「水問題」という視点で雨ときちんと向き合い、改めて建築の作り方が根本的な革新につながる雨水建築が必要だと思った次第です。

「古建築修復に生きる~屋根職人の世界」原田多加司著

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檜皮葺・柿葺師である原田多加司さんの屋根職人としての経験をテーマ別に記述した本ですが、実に多方面な内容にわたっています。目次は以下の通り

[目次]
伝統技術という「方舟」(屋根はいかにして作られてきたか、檜皮葺と柿葺の文化 ほか)
技術は乱世に成熟する(古代技術の探究、伝播は同心円を描く ほか)
語られなかった海外神社の時代(海を渡った神々、海外神社の実態 ほか)
古建築修復の旅(式内社を歩く、「伊勢」と遷宮 ほか)
文化財の森を育てる(国有林開放までの道程、大学演習林の研究 ほか)

歴史的造詣の深さ、国内各地の文化財修復に携わられた屋根葺職人としての経験に裏打ちされた日本古来の技の世界が語られています。

私がこの本に興味を持った最初のテーマは「海を渡った神々」の項でした。

すなわち戦前の日本の侵略地に建立された「植民地神社建築」のあらましです。

原田さんの生家は、江戸時代中期の明和八年(1771年)創業の屋根職人の家で、代々屋根職人を継承され原田多加司さんが10代目とのことです。

その生家が携わった海外の神社建築が、明治34年(1901年)に台湾神社(後の台湾神宮)、明治42年(1909年)に関東州の大連神社・遼寧神社、明治44年(1911年)に樺太神社、大正4年(1915年)に鉄峯神社(満州)等に屋根職人として関わっていると書かれています。

明治から昭和20年の敗戦まで神社の国家体制の中での位置づけは、国家の宗祀(そうし)であり、祭政一致の姿を現出したものと考えられていました。今、再び神社を国家の宗祀にしょうと企てている人達がいますし、またあえて侵略地の神社建築を見ようとしない傾向もありました。

建築デザインとイデオロギーを混同あるいは同一視してはならないと思います。

私も古代史に関心があり、御朱印帳を持って各地の神社を巡っていますが、国家神道は相いれません。

侵略地神社建築は、これまで近代日本建築史の通史では取り上げられることがありませんでした。また戦時体制下の建築として 意匠的に優れていても まるごと否定されてきました。

侵略地神社建築は、ひとつも現存しておらず、わずかな資料しか残っていませんが、ここに一条の光をあてたことは原田多加司さんの優れた業績だと思います。

「建築の保存デザイン~豊かに使い続けるための理念と実践」田原幸夫著

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現在、京都工芸繊維大学大学院特任教授の田原幸夫さんが、2003年に書かれた本・学芸出版社から発行された本です。

田原さんは、日本設計で歴史的建造物の保存活用設計に携わった後、2003年JR東日本建築設計事務所に移籍して丸の内駅舎プロジェクトを担当されました。

この本は、季刊「ディテール」(彰国社)に連載されていた原稿をもとに全面的に書き直したものと書かれています。

歴史的建造物の保存デザインについて「修復の手法」「置換の手法」「付加の手法」「新たな手法」の四つに分類整理し、世界各地の事例をあげ説明を加えています。

出版から10数年経過していますが、全然内容が色あせていない本です。

『「保存」においても「復元」においても、決して歴史をごまかしてはならないのである。そして歴史を正しく表現するなかから、本物の環境が形成されてゆくのだと思う。そこにこそ「保存デザイン」の目指すべき原点があるる』という田原さんの指摘は、今とても重要な指摘だと思います。

この本は、田原さんがベルギーのルーヴァン・カトリック大学コンサーベーションセンターにベルギー政府給費生として留学されたからだと思いますが、ベルギーの保存デザインの事例が多く紹介されており、ベルギーで保存活用の建築物を見る場合の参考になります。

「建築武者修行~放課後のベルリン」光嶋裕介著

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思想家の内田樹さんの家を設計された光嶋裕介さんのザウアブルッフ・ハットン・アーキテクツ勤務時代のベルリンの街の様子、事務所の雰囲気、ドイツを始めとしたヨーロッパの建築について書かれた本です。

私にとってベルリンは見逃している都市のひとつで、グーグルマップに建築の位置をマークをしながら興味深く読みました。

ヨーロッパは保存・再生・病理学の元祖みたいなところです。

私も学生時代、カルロ・スカルパの建築に憧れました。スカルパの仕事は、ほとんど改修計画で新築はわずかでした。リノベーションの場合は 既存の建物があるわけですから新築より格段に制約が増えます。古びた建物を注意深く観察し、調査し、生かせるものは生かしながら死んだ空間は再生します。新築の場合の何倍もの労力と想像力を必要とします。

さてベルリンといえばライヒスターク(旧帝国議事堂)という歴史的建築物を新生ドイツの連邦議会として蘇らせています。フォスターのキューポラのデザインは「置換」のデザインの代表格といえます。

若い人の「建築旅の記録」を読むことはあまりないのですが、光嶋さんのチャレンジ精神、読書や芸術への造詣には多いに刺激を受けました。

「僕の住まい論」内田樹著

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近年著作に触れることが多い、内田樹(たつる)さんの自宅・合気道道場・能楽堂など多様な機能を持っている建物「凱風館」を建てた時のことを建築主としての立場から書かれた本です。

内田さんが命名した建物名「凱風館」の「凱風」(がいふう)は、

詩経の「凱風自南 吹彼棘心」

「凱風南よりして彼の棘心(きょしん)を吹く」から取られたと書かれています。凱風は暖かい南風で、母親や教師の慈愛を表し、棘のある子を温かく見守るという意味です。名は体を表すというか、いい館名だと思います。

「道場が欲しい」から始まって、家を建てようと思った時に、初面識で雀卓を囲んだ若い建築家(まだ住宅を一から設計したことがない)・光島裕介さんに設計を依頼したくだりは感心しました。内田さんは、人を見る目があるというか、無謀というか・・・こんな建築主は、ほとんどいないだろうし。

私が、その仕事に触れたことがある人達が沢山出場します。

岐阜県中津川市加子母に本社がある中島工務店。左官職人の井上良夫さん。瓦師の山田脩ニさん。いい仕事っぷりです。

この本は、「凱風館」の建設の記録、内田さんの住まいに対する考え方の本でもありますが、やはり思想家・内田樹の書く本は違います。「能」「アジール(避難場所)」「逃れの町」「母港」「貨幣」「教育」に対する論が散りばめられています。

読み終わると爽快な気分になりました。

「日本近代建築塗装史」社団法人 日本塗装工業会編著

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歴史的建築物の調査をしているうちに、明治・大正時代の塗装に興味が湧いて読んで見た。

この本では「建築塗装文化史」として塗装の起源から古代、西洋塗料の伝来、明治から昭和までの建築や構造物と塗装、塗装業界、塗装技術について書かれている。

塗装の歴史について、まとまつて本を読んだのは初めてだったので「目からうろこ」の部分も多々あった。

我国では西洋からの輸入塗料を用いた塗装工事が幕末から明治の初めにかけて開始され、塗装工事業が先に確立した。国産塗料製造が本格化するのは大正時代に入ってからだそうだ。

安政6年(1859年)に開港した横浜、長崎、函館、その後開港した神戸、大阪、東京、新潟に進出した外国商社は200社から250社といわれ、なかでも横浜はその60%が進出して活況を呈していた。

明治26年刊「横濱貿易捷径」では塗料を扱っていたと思われる商館は14社、その他「横浜商人録」(神奈川県立金沢文庫蔵)には、4人の邦人ペイント商が記載されているとある。

「明治村における塗装」の章では、塗装資料の検証に役立つ貴重な建物が保存展示されているとあり「三重県庁舎」の油性塗料を用いて高価な木材種の木目を描く「木目塗装」。「鉄道寮新橋工場」の移築前の鋳鉄柱、外壁鉄板、サッシュ等のすべての塗料はイギリスから輸入され、イギリス技術者の指導の下に建設されたとある。もつとも現存建物は近代塗料に塗り替えられている。

歴史的建築物の下地から現れる塗料の被膜。それは輸入品か国内品か、一体どんな塗料で、最初の色は何なのか。ミステリアスな世界が待ち受けている。

「Pen・2016・10/1・№414 いま行くべき美の殿堂 ミュージアム最新案内!!」

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妻が買ってきた「Pen」の最新号。

中々 刺激的な建物が掲載されている。

巻頭写真は、ドレル・ゴットメ・田根/アーキテクツ(DGT.)の「エストニア国立博物館」。場所の記憶。滑走路から未来への飛翔。

パラパラとページをめくっていて見てみたいと思った建物は、

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ひとつは、藤森照信さんの岐阜県「多治見市モザイクタイルミュージアム」

これは、近々 岐阜県に行く予定があるので是非立ち寄ってみたいと思った。

http://www.mosaictile-museum.jp/

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そして フランクゲーリーの「フォンダシオン ルイヴィトン」。

パリ西部ブローニュの森にあるアクリマタシオン公園に2014年に完成した。

写真は、フランク・ゲーリーのオリジナルの外観。

現在は、ガラスの帆に13色のフィルターと白いテープがダニエル・ビュレンによって加えられ「光の観測所」というアート作品になっている。

http://www.fondationlouisvuitton.fr/ja.html

「日本の植民地建築~帝国に築かれたネットワーク」西澤泰彦著

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2009年に日本建築学会論文賞を受賞された、現名古屋大学教授である西澤泰彦さんの本です。戦前、日本帝国の拡大・侵略・統治とともに東アジアに広がった植民地(朝鮮・中国・台湾)には、日本の近代建築から忘れ去られた建築群がありました。

西澤さんは、建築が植民地支配に果たした役割を余すところなく描き出すとともに、近代日本建築史の欠落を埋め、初めて本格的な歴史的評価を示した人です。

この本では、台湾総督府・朝鮮総督府・関東都督府・満鉄・満洲国政府の建築組織とそれぞれのネットワークを明らかにしています。

また植民地建築を支えた建築材料~煉瓦・セメント・鉄に焦点をあて、これら材料の確保の実情を明らかにしています。植民地経済の実態に迫るもので非常に興味深い論考でした。

台湾では、1900年(明治33年)の「台湾家屋建築規則」、「台湾家屋建築規則施行規則」が本土と比べても早く法制化されていますが、それは都市化が急速に進んだという事を示しています。

台湾では、本土より早く普及した鉄筋コンクリート造の建物が普及し、建築後10年程経過して柱、梁の亀裂が入りコンクリートの剥離や脱落が見られるようになり、台湾総督府の栗山技師が調査・研究にあたったと書かれています。その結果を1933年1月刊行の「台湾建築会誌」に「鉄筋コンクリート内の鉄筋の腐食とその実例」という論文にしたと紹介されています。それが日本国内でも注目を集め、台湾で起きた問題は日本国内でも将来起こりえる問題として捉えられ、1936年8月には当時の鉄筋コンクリート造構造の権威であった東京帝国大学教授の濱田稔と日本大学教授の小野薫が台湾を訪問し、被害実態の把握と原因の考究をしたとし、その内容を紹介されていますが、現在につながる鉄筋コンクリートの耐久性の問題は、とても面白かったです。

台湾でいち早く普及した鉄筋コンクリート造は、問題が表出するのも早く、台湾総督府の技師たちは対応策も考えられたにもかかわらず、その蓄積された技術が十分に日本国内の建築技術には生かされなかったようです。

西澤さんは「建築はもっとも雄弁に時代を語る存在である」という村松貞次郎さんの言葉を掲げています。建築を語ることは、その時代を語ることであり、歴史を語ることにつながるという視点はとても大事だと思いました。

「建築再生学~考え方・進め方・実践例」編著:松村秀一

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2016年1月に市ヶ谷出版から発行された本です。

「これからは既存の建物に手をかけることが主役」という時代認識のもと、建築再生という新分野の課題や実務上の展開の方法を体系的に捉えることを全面的に支えようという意図で編まれたものと書かれています。

大学等の教育機関での「建築再生」の教育方法は、未だ手探りであり、全国的みても「建築再生」の講座がある大学はないのではないかと思います。

個人的には大学等を卒業して一定の実務経験を経た人を対象として「建築再生学」を学ぶ場所を提供した方が良いのではないかと考えています。建築再生のカリキュラムを考えたとき、各個別の項目である建物診断、構造、劣化、設備、外装、内装、法的知識等は何れも基礎的知識がありその上で個別の対応が必要になります。すなわち応用が必要となります。

私の場合は、建築基準法等の法的アプローチで「建築再生」に関わってきましたが、例えばコンバージョンの場合、現在の用途と変更後の用途の、独自の法チェックリストを作成して計画段階から問題点を整理したり、検査済み証が無い場合の手続きを担当し、そこから建物診断や耐震診断・耐震補強業務に関わってきました。

ついこないだまでは、黒子の業務が多く「図面を書かない設計事務所」と言っていたのですが、最近はデザイナーとのコラボレーションのケースや実施図面まで全て依頼されるケースも増えてきました。又歴史的建築物の業務比重も増えてきています。

「建築再生学」を進めていくうえで「建築病理学」も体系的に整理していく必要があると思います。

いずれにしても この本は「建築再生学」を体系的にまとめてあり、「建築再生学」の教科書として利用できる わかりやすい本になっています。

「暮しの手帖」初代編集長・花森安治

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連続テレビ小説「とと姉ちゃん」花山伊佐次のモチーフである『「暮しの手帖」初代編集長・花森安治』(暮しの手帖別冊)を読みました。

「もう二度と戦争をおこさないために、『暮らし』を大切にする世の中にしたい」という思いで「暮らしの手帖」を創刊したという花森安治さん。

誌面の美しさと、言論の自由のため、広告をいっさい載せないという唯一無二の雑誌。

衣食住をテーマに数々のヒットを飛ばした「カリスマ編集長」の軌跡を紹介しています。

実は、「暮しの手帖」も「花森安治」さんも「とと姉ちゃん」で初めて知りました。装丁や誌面デザインがとても美しいですね。大胆な余白と書き文字で、ひとめ見ただけでわかる誌面が心に焼き付きます。

「わたしたちの夢の住まい」

終戦後、都市に住む人のほとんどが戦火で家を失い、粗末なバラック等に住んでいました。焼かれた街になにもなかつたように、家の中にも何もありませんでした。

ないなら作ろ。

それが住まいの記事の始まりだったと書かれています。

1952年掲載された「小さいけれどうれしいわが家・三帖ひと間の家」には、住み手の喜びが溢れた写真が掲載されています。終戦の翌年、中国の奥地から引き揚げてきた女性は、兄の家に身を寄せていたが、間借りをしているのが心苦しく、3帖ひと間にベッド・収納・トイレ・流しのついた7帖・2坪あまりの住まいを建てられました。工事費は8万かかったそうです。

1954年に掲載された「たまのお客より家族の暮らし・六角形の家」は、奇をてらって六角形にしたのではなく、外壁の面積が減り、材料や工費、暖房費を減らせ室内を広く使え地震に強いと言う理由からだそうですが、階段を中心に展開する二階建ての住まいは、とても使い易そうで感心しました。

アドバイスをしていたのが大成建設でホテルニューオオタニ等の設計を手掛けられた建築家の清水一さんと知り、あ~そうだったんだと頷きました。若いころ清水一さんの書かれ本を幾つか読んだことがあります。専門家向けの本ではなく一般の方や若い学徒のために書かれたエッセイ集のような本でしたが、人に向けるまなざしが優しい人だという記憶が残っています。

「暮しの手帖」は、こうした家の実例を数多く紹介し、暮らし方を含めて提案したそうですので、是非バックナンバーを読んでみたいと思っています。現在の建築基準法の成立時期の庶民の住まいは、どんなものだったのか興味深々です。

「PEN 2016・8/15・№411」いつの日か訪れたい奇跡のホテル

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妻が美容院でながめていて、よく読みたいとあとから買ってきた雑誌。

「絶景・自然」「建築・デザイン」「ホスピタリティ」「美食」のテーマで「奇跡のホテル」を紹介している。ちょっとやそっとで行けないホテルがほとんどであり、永遠にいけないかもしれないが、ここには至極のホテルが紹介されている。

興味深かったのは、イタリア・バジリカータ州・マテーラの洞窟住居を、現代的にリノベーションした「バジリアーニ・ホテル」

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1993年に世界遺産に登録された「マテーラの洞窟住居と岩窟教会公園」の洞窟住居の一角を宿泊施設にリノベーションしてできた全11室のホテル。

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ホテルのオーナーは、建築家のジュゼッペ・スターニョ。

一人の建築家が遺産を買い取り、ホテルという体験できる場所を伝えてくれたことに敬意を表したい。

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「雪あかり日記/せせらぎ日記」谷口吉郎著

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東北大学教授の五十嵐太郎さんが日経アーキテクチュア誌で推薦していた「今こそ読みたい名著01」「雪あかり日記/せせらぎ日記」(谷口吉郎著)を読みました。

1938年、アドルフ・ヒトラーの指揮の下、第三帝国へと都市計画の進むベルリン。若き日の谷口吉郎さんは、日本大使館の改築監督のため赴任しました。ナチスによって大規模な反ユダヤ攻撃がドイツ各地で起きたいわゆる「水晶の夜」に「うすら寒く、鉛色の空」のベルリンに到着します。それからナチスのポーランド侵攻、独ソ不可侵条約締結の4日後に陸路ノルウェーへ出国、日本へ向かう船で英仏の対独宣戦布告の報を聞くまでの1年弱の激動する政治社会情勢のもとで欧州の建築、人々の暮らしが描かれています。

 このように歴史の転換点の目撃談としても貴重な記録です。谷口吉郎さんの本はあまり読んだことが無かったのですが、谷口吉郎さんの豊かな教養と建築知識に裏付けられた文章は読みやすかつたです。
建築については、19世紀のドイツの建築家・シンケル(カール・フリードリッヒ・シンケル)に関する記述が多く勉強になりました。シンケルの建築は、ギリシア建築を源泉とする新古典主義建築ですが、ベルリン旧博物館・アルテス・ムゼウム(Altes Museum)にも見られる幾何学的、厳格で端正なデザインはモダニズム建築の美学に通じる言われています。
ベルリンは訪れたことがないので、現存しているシンケルの建築に触れてみたいと思っています。

「アメリカ先住民のすまい」L.H.モーガン著

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今、戸建て3階建ての建物に住んでいる。1,2階がほぼ事務所、3階が寝室なのだが夏場は猛烈に暑い。エアコンを1時間後ぐらいに切るようにタイマーを設定して寝ると夜中に汗びっしょりになつて目を覚ましてしまう。それで1階事務所の床で寝るようにしたら、上階の冷気が階段を通じ降りてきて快適に寝れるようになった。

自分が設計した家ではないが、木造3階建ては階段竪穴区画が免除されている為か、あるいは断熱性能が低いせいか冬は1階が寒く、夏は3階が猛烈に暑い。

あれやこれやと木造3階建て住宅の断熱改修について考えているうちに、俺って、なんか季節ごとに住まいを変える遊牧民? と思った。

季節住居の一般的な形態は、周りの気候と共に変化する。

ステップ気候では、冬は猛烈に冷たい風が激しく吹き、夏は長くて暑い日中と短くて涼しい夜がある。冬の住居は熱容量の大きい壁や屋根のしっかりしたものを必要とし、一時的な夏の住まいは、熱容量の小さい壁や屋根で事足りる。冬は寒さや風から最大限守ってくれる土で覆われた半地下の住居が多く、夏の住まいは単なる日除けや風除けが多い。

亜熱帯のサバンナ気候では、季節の変化はほとんどない。一年中日中は暑くて夜は涼しく、湿度は低く雨はほとんど降らない。そこで必要とされる住居は、熱容量の大きい壁と屋根を持つものである。建物の熱容量の大きさのため、日中に蓄えられた熱が夜間に解き放たれ、逆に夜間に冷えた壁は少なくとも昼のある時間帯には住居の内部を涼しくするのである。

昔 アメリカインディアンの住まいの本にも、そんなことが書いてあったぞと思い読み始めたのがこの本「アメリカ先住民のすまい」L.H.モーガン著、古代社会研究会訳、上田篤監修、岩波文庫である。

しかし読み始めて気がついたが、この本は住居建築様式の起源について肉薄する内容となつている。

現代では住居は必ずしも家族の専用の場ではなくっている。家族という血縁的な器だけでなく、様々な人間関係からなる多様な器になってきている。

人間関係も「血縁」「地縁」があり、会社や組織が取りもつ「社縁」、シェアハウスやグループホーム、老人ホームが取りもつ「住縁」もある。そしてネット時代のSNSなどがとりもつ「サイバー空間縁」もある。

多様化する住まいと人間関係の原点となる生活共同体のあり方について今一度考えさせてくれる本である。

「天災から日本史を読みなおす」磯田道史著

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「武士の家計簿」「無私の日本人」の歴史学者・磯田道史氏の「天災から日本史を読みなおす~先人に学ぶ防災」をいっきに読んだ。

地震・津波・火山噴火・異常気象。史料・古文書に残された「災い」の記録を丹念にひも解いている。

著者は若い時から災害に係る史料を収集していたとある。東日本大震災のあと、防災に係る本は沢山だされたが、この本は人間が主人公の防災史の本であり、災害から命を守る先人達の知恵と工夫が満載されている。

建築法も 近代以降に限ってみても国内外の災害に対応して修正されてきた経緯がある。

さて現代の建築基準法では、地上部分の地震力は、当該建築物の各部分の高さに応じ、当該高さの部分が支える部分に作用する全体の地震力として計算される。具体的な数値は、当該部分の固定荷重と積載荷重の和に当該高さにおける地震層せん断力係数を乗じて計算する。(Q=Ci・ΣWi)

地震層せん断力係数は、Ci=Z・Rt・Ai・Coで算出する。

そのうち地域係数Zは、「その地方における過去の地震の記録に基づく震害の程度及び地震係数活動の状況その他地震の性状に応じて1.0から0.7までの範囲内において国土交通大臣が定める数値」である。(令第88条、昭和55年建告第1793号)

熊本市はZ=0.9、八代市・水俣市・宇土市はZ=0.8である。

先般地震があった函館市もZ=0.9で軽減されているが、今後この地域係数は変更されるのだろうか。ちなみに東京はZ=1.0 で沖縄県がZ=0.7

これら軽減地での今後の耐震診断・耐震補強において地域係数Zは軽減したままで良いのだろうか、と ふと考えてしまった。

コア東京6・2016 東京都建築士事務所協会

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先頃届いた東京都建築士事務所協会の機関誌「コア東京6・2016」をながめていた。

記事の中では、「オフィスビルを保育所にコンバージョン・ビルイン型保育所の課題と設計の実際」石嶋寿和氏(株式会社石嶋設計室)が読み応えがあった。

石嶋氏が、ビルイン型保育所を設計する上で直面した用途変更に伴う諸問題が良く整理されている。

1、消防法の既存遡及

保育所がテナントとしてビルインする場合、ビル全体の消防法の用途が「複合用途防火対象物(16項イ)となり、用途変更する保育所部分の問題だけでなく建物全体に現行の消防法の基準が適用される。それらにかかる防災設備の費用をテナントが負担しなければならない場合があり資金的なハードルとなる。これはビルの一部に飲食店が入居する用途変更の場合も同様の問題が生じる。

2、建築基準法の採光

オフィスビルに入居する場合などは、敷地境界線から建物の離隔距離か少ないため有効採光が取れないことがある。弊社でも事務所から入院施設のある診療所への用途変更で病室の有効採光の確保に苦心したことがある。

3.東京都建築物バリアフリー条令

記事では「誰でもトイレ」の設置について取り上げているが、おりから東京都都市整備局市街地建築部長から「高齢者、障害者が利用しやすい建築物の整備に関する条令第14条の適用に係る基本的な考え方について」(28都市建企第252号・平成28年6月2日)という技術的助言が通知されている。これで保育所関係の都バ条令第14条の制限の緩和は、やりやすくなった。

4、東京都児童福祉施設の設備及び運営の基準関する条令

記事では、二方向避難の問題を取り上げている。駅前などの中小ビル等には敷地の余裕がないため外階段等を設置できないという実情はわかるが、こと安全上の問題に関わることであり、避難に関わること、防災上の問題は慎重に考えたいところだ。それにしても建築基準法上は、「直通階段」で良いところを「屋外避難階段」とされている。より安全性を考えて「屋外避難階段」としているのかも知れないが、過剰かなと思うこともある。

5、排水

記事では既存の給排水の位置を現地調査し計画図を作成しているとある。リノベーションでは「調査なくして設計無し」であり、新築とは異なる設計手法が必要となる。

用途変更に伴うオール電化厨房設置による幹線の変更、キュービクルの変更あるいは新設、飲食店等が入居する場合はグリストラップの設置などの問題もある。

これらのように、用途変更には幾つものハードルがある。入居ビルの選定の段階から、構造・設備・法令等の総合的な知識と経験が要求される。

「東京の老舗を食べる」安原真琴著

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この本を買ってみようかと思ったのは、挿絵が富永祥子さんだつたから。

富永さんは、工学院大学建築学部建築デザイン科教授であり建築家、そして時々漫画家という多面的な才能を持つ人で、昨年2015年建築学会賞・作品賞を工学院大学弓道場・ボクシング場で受賞した話題の人。

本全体としては出来は悪くはない。グルメ本というより江戸より継承された食文化を東京の老舗飲食店にかいまみることができるという食文化史的な紹介本と言ったらよいだろうか。

建築の道を歩んでいる人は、こういう老舗飲食店に足を運ぶことで伝統的な建築に触れることができる。ただし、その店その店固有の味付けがあり全ての人の口にあう味かどうかは別物で、色々と食べ歩いて自分好みの店を見つけ出さなければならない。

せっかく東京の老舗飲食店が紹介されているのだが、池波正太郎の本を読んだ時のような食べに行ってみたい。自分で作ってみたいという気持ちにはなれなかった。

それはほとんどのグルメ本、飲食店紹介記事に言えることだが・・。

「建築を保存する本01」工学院大学八王子図書館/武藤章

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わずか35年あまりしか空間を体験することを許さなかった工学院大学八王子図書館。

武藤章先生の代表作とも言える八王子図書館は、工学院大学八王子キャンパスの核となる施設であったが昨年2015年10月解体された。

学生時代1年間ゼミで武藤章先生の教えを受けた。設計演習でも指導を受けたが、先生はとても論理的だけど文学的な一面もあって、私が好きだった立原道造の詩を先生も好きでとても親近感を覚えていた。設計の成績はそれなりに良かったけど、自分は設計はあまり好きではなく、卒論は伊藤ていじ先生のもとでお世話になることとなった。それ以来、先生に会う機会がないまま月日は経過したが、あまりにも早く武藤章先生は他界してしまった。

八王子図書館の完成は、私が大学を卒業した後だったし、当時は東京から離れていたので、残念ながら実物は見ていない。雑誌等で見て記憶に残っていた程度だったが、まぎれもなく武藤章先生の代表作のひとつになるだろうと思っていた。

さて、この本は消えゆく建築の新しい保存方法を提起した「本」である。

惜しむらくは、解体時の変状調査をしておくと良かったように思う。一種の「解剖」なのだが、ストック活用の立ち位置からは有意義な資料が得られたように思う。

とにかく写真72枚、意匠図108枚、武藤章先生の八王子図書館に寄せる思い、関係者の証言、なんと申請図書まであり圧倒される。

端正なプロポーションで緊張感のあるデザイン・武藤章の空間を是非体験あれ

【本の紹介】

「建築を保存する本01」工学院大学八王子図書館/武藤章

「求道学舎再生・集合住宅に甦った武田五一の大正建築」

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2008年日本建築学会賞(業績)を受賞した「求道学舎」の再生の全貌を設計者であり施主であり住人である著書がその全貌を綴っている。

東大正門にほど近い本郷の住宅地にあるこの建物は、大正15年(1926年)に学生寮として建てられた。

求道学舎の建物を生かしつつ、62年間の定期借地権付き分譲マンションとして再生された。元はワンルームだった部屋を複数連結し、小家族向けの住戸に改造している。

こんにちでは文化財ではない戦前の建物の多くは解体されているが、この求道学舎は戦前の建物として改修・再生事例として取り上げられることが多い。求道学舎は耐震診断時のコンクリート圧縮強度は公表されていないが、「コンクリート強度は戦前のものとは思えないほど良かった」とこの本でも書かれている。

この建物は耐震性能を確保するために、コンクリートの打増しや外壁仕上げ下地にポリマーセメントモルタルの吹付け等の工事を行っており2009年の改修・再生時に約100万円/坪の工事費がかかっている。(延べ床面積768.1㎡=232坪、概算改修・再生工事費 約2.3億円として~公表資料による。)

求道学舎は、リノベーションと言ってもほぼ新築するのと変わらない工事費がかかっているので、経済合理性を第一番に考慮する民間における一般的なリノベーションとして適用するのは比較しづらい。

恐らく収益性の高い分譲マンションというビジネスモデルだったから成立したのではないだろうか。

以前、この建物の外部だけ見させてもらった事があるが、都心とは思えない静かな住宅地に大正・昭和の雰囲気をかもしだしていた。

「旅はゲストルーム」浦一也著

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もう10年ぐらい前に出版された本なのだが、仕事で煮詰まったときに、この本で取り上げられているホテルのスケッチをながめ、ネットでホテルを検索して、HPを見ながら海外旅行やそのホテルに泊まった場合を夢想するという、私にとって息抜き、ちょっとした現実逃避のための本である。

1994年に「TOTO通信」に連載されていた時から楽しみにして読んでいた。ここで取り上げられているホテルの多くが五つ星や四つ星の高級ホテルで、いつかは泊まってみたいなぁ~と、あこがれていた。

若い時にイタリア・コモにテラーニのカサ・デル・ファッショを見に行った時は、貧乏旅行だったし、高級ホテルは調べてもみなかったのだが、コモ湖畔の「ヴィラ デステ」は五つ星でも星が足りないとも言われているホテルだし、私が生まれて初めて海外で訪れた地がウィーンだったのだが、そのウイーン中心部にある「ホテル・インペリア・ウイーン」は迎賓館とさえ言われている。

アジアでは、ベトナムの「ホテル コンチネンタル サイゴン」とか、台湾の「ザ・シャーウッド台北」とか、自分でも手の届きそうな宿泊料のホテルもあるのだが、30歳代を最後にすっかり海外旅行とは御無沙汰してしまつた身としては、これら高級ホテルに宿泊するのは今や高嶺の花であり、夢想するにすぎないものになっている。

仕事で国内のホテルに泊まっている方だとは思うが、大概は駅近くのビジネスホテルの無味乾燥な客室ばかりではあるが写真撮影と軽く実測はするようにはしている。こうしておくと、空間のスケール感覚を養うことができる。

さて今夜のホテルはどこにしょうか・・・。

『2025年の建築「七つの予言」』

2025年建築

人口減少、建築・住宅ストックの増大等、急速に変わりつつある今日の日本の社会状況、経済環境に対応する建築業界の将来を考えるための本。
建築・不動産に関わる実務者や研究者、関連メーカー、学生などが参画する一般社団法人「HEAD研究会」が開催した、連続シンポジウム「七つの予言──その先の建築」の再録を中心に構成されている。
全4回の連続シンポジウムでは、松村秀一・東京大学大学院教授による建築講義「七つの予言」(業界予測、技術予測等)を踏まえた上で、それらに関する予見的な活動を始めていると思われる第一線の建築家や不動産事業者、建築・住宅関連の研究者などが講演と議論の内容が記されている。
松村教授による新たな書き下ろしが加えられ、連続シンポジウムの企画・監修者である嶋田洋平氏(建築家、HEAD研究会フロンティアタスクフォース委員長)による各回解説などを加えて編集された本。

松村教授は、いつ神の啓示を受けたのかは知らないが、なにやらちょつといかがわしさも感じる本の題名で、しばらく前に買っておいたが積んだままだった。風邪で休んでいて新しい本も買えなかったので読んでみた。

近年、建築系の大学出身者で設計者×不動産×建築施工と多面的に活動しビジネスにしている若い人達が増えている。「建築家は専業」と教わった我々の時代とは「建築家の職能」も随分と様変わりしているようだ。
ともかくリノベーション(ストック活用)や地域再生・まちづくり、新しい社会状況・経済環境に対応する建築の構法・建築技術に関心を持っている方は、読んでおいた方がよいだろう。

「歴史的遺産の保存・活用とまちづくり(改訂版)」

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2006年で少し古い本だが文化財の法制度や補助事業、関連法規や防災面の取組み、アメリカや日本における実践例、町家や茅葺の再生、NPOの動きなども記載されている。

建物を保存するだけでなく、現在の生活に役立つものとして活用しようとする業務に従事しているものには必読かもしれない。

特に興味深かったのは「近代に建てられた建築の保存・再生の技法」梅津章子氏の論文。以前京都市に行って景観条令に関する資料を貰ってきて読んでいたので その源泉のような内容の論文で感心した。

さらに「歴史的遺産の地域的活用手法」三船康道氏の論文も興味深い。「活用を点から面に進める各種手法」の成功している実例は参考になる。

最近は、事務所の仕事も従来の「調査関係」から「公共施設リノベ」へと変わってきている。公共施設の「点」のリノベーションも都市や地域の文脈の中で見ていかないとならないと常々思っている。

「日本建築思想史」磯崎新・聞き手 横手義洋

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北九州市で久しぶりに磯崎新氏の設計した建築を幾つか見たせいか、若い時のバイブルにも近かった磯崎新氏の本を読んでみたくなった。

この本は、2015年4月4日初版とあるから比較的最近の磯崎新氏のまとまった著作になるだろうか。

磯崎新氏に初めて建築史を語らせるという趣旨のもと、「堀口捨己―丹下健三―磯崎新―妹島和世」という4人の建築家を軸に、1920年から2020年までの日本の建築思想を語らせている。

磯崎氏の建築作品や建築思想がよくわかると同時に、モダン-ポストモダン-ネオモダンの建築の流れも理解出来るものとなっている。

磯崎新氏も年齢のせいか「自分語り」が多くなっている気がするが、こうして振り返ることも若い人達に残す大事な仕事だと思う。

モダンを代表する建築家として堀口捨己を、ネオモダンを妹島和世に代表させているところが磯崎新氏の視点。

この本は下記のアドレスで試し読み出来る

日本建築思想史

 

「サクッとわかるヤマベの木構造の極意」建築知識8月号

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執筆者の一人から案内があり、Amazonから取り寄せて読んでみた。

とても解りやすく、豊富なイラスト・写真で木構造を巡る問題を説明している。

さすが山辺構造設計事務所

けして初心者向けの本ではない。私が興味深く読んだのは「不整形の建物の場合の構造計画」「スラブ状ベタ基礎の問題点」「壁量計算用の床面積の算定」等。

木造の設計・耐震診断・調査・補強方法まで、木造住宅に携わる人にとっては必需品のような本に仕上がっている。

最近、木造2階建て住宅の許容応力度計算の計算書をペアチェツクする機会があったが、小屋裏物置などはH12年国交省告示第1351号で規定されているにも関わらず、まったく指摘がされてなく壁量算定が過小評価されていた。建築確認許可を取得した時点の指摘事項は、不整合箇所の指摘と是正のみで、最近の審査は、どうやら間違い探しに終始しているような傾向が見られる。

かって四号建築物(三号も)の建築確認申請の審査をしていたことがあるが、木造住宅を設計している人達の技術が低下しているなぁと感じたものだ。

意匠設計者が木造伏図も書けずプレカット屋さんに全面依存し、 筋違計算も構造事務所に依頼すると聞いて 、確認申請に筋違計算書も伏図も不必要となり、「書かないから」「書けない」となってしまったのだろうか。

生産現場と乖離して図面だけ書いていると歳をとっても本当の事は何も知らない資格者(一級・二級建築士)ではどうなんだろうか。

久しぶりに「建築知識」を買ってみたが、イラスト・画像満載でリアルにわかった 気がするだけの本に進んでいるのではと思った。

まぁ こんなことを書いても年寄りの冷や水になりつつあるが・・・

「高山市伝統構法木造建築物耐震化マニュアル」

飛騨高山市内の伝統構法建築物を耐震改修する場合は、このマニュアルに沿ってという事で、高山市役所でもらってきた。高山市のサイトでもPDFで公開している。

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労作である。長年にわたる調査研究に基づき限界耐力計算に近い計算方法である近似応答計算で耐震計算を行っている。

高山市から耐震診断・耐震改修費の補助金をもらう場合は、このマニュアルの講習修了者に耐震診断を頼まないとならないらしい。受講者は、ほとんど高山市内の人達。ちょつとクローズ気味の制度。

補助金を貰うかどうかわからないが、高山市内で伝統構法の耐震改修をする場合は、このマニュアルに沿って実施してみたいと読み始めた。

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気がつけば、最近は構造関係の文書ばかり読んでいる。どうも関心事が広がりすぎて自分でも制御しきれない。

爺さん婆さんが二人で営む「拉麺専門店」を指向していたのだが、だんだん「食堂」になりつつある。

ともあれ、木造に関心がある人には読んでもらいたい一冊。