「RENOVATION CASE STUDY BOOK 2」

リノベーションは建物単体の再生にとどまらず、街の活性化、コミュニティーの再生にも大きな役割を担っている。

「リノベーション ケーススタディブック 2」は、全国各地の店舗、文化施設、オフィス、宿泊施設、住宅の38の事例を紹介している。

巻頭特集は、リノベーションによる街の活性化に取り組む北九州市小倉、尾道市旧市街地、長野市善光寺門前を取り上げコミュニティ再生におけるリノベーションの役割、成功の秘訣を探っている。

既に見に行ったものも多く紹介されているが、遠方の為 中々行く機会がない兵庫県の豊岡・城崎温泉・出石に出向きたいと思った。

久しぶりに新宿三丁目

ずっと仕事に追われていて映画を見に行く時間が取れなかった。絶対これだけは映画館で観ておきたいと思ったものがこのところ少なかったのが理由でもあるが。

巡り巡って依頼される「検査済証の無い建物」の増築や用途変更。

建物は小規模だけど次から次と相談が舞い込む。

相談、現場下見、役所打合せ、詳細調査、報告書まとめ、申請とスケジュール管理が慌ただしい。

今日は朝まで仕事をして昼まで寝て、気晴らしに映画を見に行った。

新宿三丁目のシネマート新宿でしか上映されていない2016年韓国でヒットした「密偵」を観に行った。ソン・ガンホ、コン・ユ、イ・ビョンホン、ハン・ジミン、鶴見慎吾と豪華配役。監督はキム・ジウン。

朝鮮総督府・日本警察 対 義烈団を描いた韓国民族主義的映画あるいは反日映画。

密偵オフィシャルサイト

私はソン・ガンホが好きで彼の主演映画は外さないで観ている。この映画でも流石の演技力を見せてくれている。

映画を見た後は、何だか韓国料理を食べたくなりチゲ鍋を「辛い」「旨い」と言いながら汗かきかき食べて、伊勢丹地下の食品売り場を覗いて歩いた。

映画館と伊勢丹しか行かないけど、新宿三丁目に行った気になる。

そいでもって また朝まで仕事。

今 4時半。

 

羽田新ルート

【画像は国交省サイトより、好天時の飛行ルート】

あまりメディアでは取り上げないせいか、羽田空港への新飛行ルートによって豊島区上空も新ルートに入ることを最近知った。

新宿・渋谷上空での飛行高度は3000ft(915m)、それよりも飛行高度が低くなる目黒・品川・大田区では瞬間騒音・落下物による安全性・不動産価値の下落等に対する不安が住民の中で起きているようだ。

羽田空港の機能強化という名目に依る増便よって、住戸の防音対策はどうするか。今関わっている飛行ルートに近いマンション計画で問題になった。

国交省が発表している騒音予測マップでは、大田区の一部のみ住宅防音対策が必要になる「W値75以上」との予測だが、実際にはどうなるだろうか。

飛行頻度も増加するし既存住宅・マンションやこれから建てる建物も防音対策を考慮しなければならないのではないだろうか。

羽田新ルート(国交省)

羽田新ルート・グーグルマップ

七五三

今日は孫の七五三でした。

長女夫妻が結婚式を挙げた東京大神宮で御祈祷をしてもらいました。

 あっという間にもう三歳

乳児から幼児になりました

つまみ簪は、爺と婆からの贈り物

来年4月から行く幼稚園が決まりましたが、子育て環境は質の面で悪化するばかりだと思います。国交省が保育園の採光緩和のパブコメ募集をしていますが、何だか事業者の視点で、子供達の視点に立っていないように感じます。やがて地下室でも保育室が良いことになりそうです。現にそう要望している自治体はあるようですが・・

カンファレンス(研究会議)

5年ほど前になりますが私が手術の為に入院した時。大学病院ではチーム診療ということで多くのドクターが診てくれましたが、その中の主治医以外のドクターから、2回の手術後集中治療室から一般病棟に戻ってしばらくしてからですが、手術前に医局のカンファレンスで私の手術方法等を色々と検討したと聞いたことがありました。

そういえば、毎週のように病棟の狭い会議室にドクター達が集まってカンファレンスをしていたような記憶がありました。医療の世界では、集団的に症例研究や手術方法を検討する会議=カンファレンスをするんだなあ~とその時は、そんなに気に留めてもいませんでした。

実際のカンファレンスは「ドクターX」のような、形式的で仰々しいものではなく、色々な意見が飛び交い若い医者には実践的な勉強の機会だと聞きました。

最近お付き合いがある弁護士事務所は、老若男女三十人弱の弁護士が所属している事務所ですが、やはり定期的にカンファレンス(研究会議)を持ち、最新の事案解決事例や裁判事例を共有し、各弁護士が常にスキルアップする機会を作っていると聞きました。

建築の世界では、仕事の忙しさにかまけてカンファレンスがあまりできていません。一般的な組織ではどうしても対等な関係でなくヒエラルキーが強すぎて議論が成立しづらいのかも知れません。

以前勤めていた設計事務所でも月に1回、設計(意匠・構造・設備)や工事監理を含めた係長職以上三十数人が集まる会議がありました。会議の本来の目的は、個々のプロジェクトの進捗状況や問題点を議論するカンファレンスでしたが、実際は半日ぐらい社長の独演会でした。しかも毎回同じ話を聞かされていました。社長がヒートアップするとプロジェクト担当者に向かってペットボトルが飛ぶような会議でしたが、今になれば昔の同僚達との酒のつまみになる程度の思い出しかありません。

近年は、他の専門家と連携を取りながらする業務が増えてきています。

実際、弁護士から依頼や紹介による建物調査や建築トラブルに関してのオピニオン等も増えてきていいます。

現在は、ほとんどの業務で他の一人事務所や少人数事務所との連携が増えてきているのですが、それらの人達とカンファレンス(事例研究)を、定期的に開催していく必要があると強く思っているところです。

「ゴールデン カムイ」野田サトル

仕事に煮詰まってくると昔から漫画をよく読んだが、最近読み終えたのは「ゴールデン カムイ」第11巻まで一気に読み通した。仕事では、徹夜は出来ない年齢になったが、面白い漫画だと まだ徹夜が出来るようだ。

実によくアイヌ文化について書かれていると思う。猟、食事、言葉など アイヌ文化を紹介する一級の資料になるのではないだろうか。

大学の卒業設計の背景としてアイヌ文化や北方民族の文化、住居(チセ)について調べた事があった。

ゴールデンカムイの中でもアムール民族が北海道に流れてきてアイヌに成りすましていると描かれているところがあったが、北海道には環オホーツク文化圏のような広い枠組みでの文化的・経済的交流があったように思っていた。

卒業設計は「環オホーツク文化圏に位置する芸術家コロニー」という立原道造の卒業設計「軽井沢の芸術家コロニー」をパクった。

もう40年以上も前だ。

デザインは拙かったが、文化的背景が良く書かれていたせいかメダルを貰った。

ゴールデンカムイを読んで昔のことを思い出した。

ゴールデンカムイをアニメ化すると発表されたが、原作に忠実だと映倫R15指定かな。

ゴールデンカムイ

 

「小学8年生」第4号

娘が買ったけど読むかと言われたので貰って来た「小学8年生」。新感覚全学年対応雑誌とある。孫の為に買ったと言うが さすがに早いだろう まだ3歳だもの。

しかし この雑誌、大人が読んでも面白いのだ。

「大昔の日本大調査」という特集では、縄文遺跡全国マップ、縄文食の作り方、縄文時代の土偶と古墳時代のはにわが対比されている等盛りだくさん。読んで楽しい為になる本。

手作り土器セットとして粘土が付録でついていた。さて何を作ってみようか

株式会社 協立建築設計事務所 破産手続開始決定

今日は 午前中から衝撃のメールが飛び回った。

一般社団法人 日本建築士事務所協会連合会の会長・大内達史氏が代表取締役をされている株式会社 協立建築設計事務所が本日(平成29年10月25日午前10時)東京地方裁判所において破産手続き開始決定がなされ倒産したと言うニュース。

日事連会長の事務所が倒産するとは前代未聞。

知人が勤務しているが、以前から幾度なく給与が遅配になっていたと聞いていた。今日も給料日だったのに・・・。

かっては200人を超える設計事務所だったが近年は段々と小さくなり1/10以下の所員数になっていた。歴史がありマンション関係が得意な事務所。

累積した借財が多かったのだろうか、残務整理が大変だ。ホームページはすでに閉鎖されている。

破産管財人弁護士 梶谷総合法律事務所・岡正昌弁護士

台風一過

台風一過 久しぶりの青空が広がった東京

港区役所の前の公園

ベンチに座ってしばしの休憩

プリンスホテルと東京タワーを眺めるのが好きです

日比谷通りと港区役所前の道路との間のこの公園には

芝公園8号地という名前があるらしい

そういえば台風のよう衆議院選挙が終わりましたね。

「街場の天皇論」内田樹著

「ぼくはいかにして天皇主義者になつたのか・立憲デモクラシシィーとの共生を考える待望のウチダ流天皇論」と表帯に「今の天皇制システムは政権の暴走を抑止し、国民を統合する貴重な機能を果たしている。」「国家には、宗教や文化を歴史的に継承する超越的で霊的な「中心」がある。日本の場合、それは天皇である。」「今上天皇は選択された血縁者のみではなく、すべての死者を背負っている。」「日本のリベラル・左派勢力は未来=生者を重視するが、過去=死者を軽視するがゆえに負け続けている。」と裏帯にあります。

日本では、古代から統治システムとしてヒメ・ヒコ制をとっていました。

「ヤマト王権が成立する前後の古代日本では祭祀的農耕従事的女性集団の長(ヒメやミコ、トベを称号とした)と軍事的戦闘従事的男子集団の長(ヒコ、タケル、ワケあるいはネを称号とした)が共立的あるいは分業的に一定地域を統治していた。『古事記』、『日本書紀』、『風土記』などの文献には宇佐地方(豊国)にウサツヒコとウサツヒメ、阿蘇地方にアソツヒコとアソツヒメ、加佐地方(丹後国)にカサヒコとカサヒメ、伊賀国にイガツヒメとイガツヒコ、芸都(きつ)地方(常陸国)にキツビコとキツビメがいたことを伝えている。また『播磨国風土記』では各地でヒメ神とヒコ神が一対で統治したことを伝えている。そのような女性・男性の首長はその地の神社の由来となっていることが多い」(ウィキペディア)

それから中世の摂関政治、征夷大将軍による幕府政治にいたるまで祭祀に関わる天皇と軍事に関わる世俗権力者という「二つの焦点」を持つ楕円形の統治システムが続いてきました。この二つの原理が拮抗しあっている間は、システムは比較的に安定していましたが、その拮抗が崩れるとシステムが硬直化し崩壊して来たことを歴史は教えています。

この「二つの焦点」は政治の統治システムだけでなく経営システムにも有効であると考えて弊社もヒメヒコ制を採用しています。

戦前の大日本帝国の最大の失敗は「統帥権」という本来は天皇に属している世俗政治とは隔離されているはずの力を、帷幄上奏権(いあくじょうそうけん)を持つ一握りの軍人が占有したこと。つまり拮抗した祭祀的な原理と軍事的原理をひとつにまとめてしまうとことで日本の伝統的政治文化における最大のタブーを犯し敗戦という巨大な災厄を呼び込んでしまいました。

内田樹氏は「立憲民主制と天皇制」という「両立しがたい二つの原理が併存している国の方が政体として安定しており、暮らしやすいのだ」と説明しています。私も昭和天皇・今上天皇が「象徴天皇」として「霊的権力」「道徳的中心」としてあられた戦後70年が平和的で安定していたと思っています。この「二つの焦点」を単一的な焦点にして大日本帝国に戻したいと言う力が強く働いている現在に抗するには、象徴天皇制についてきちんと考え直さないといけないと思いますが、この「街場の天皇論」は大いに手助けしてくれます。

「排除」ではなく「包摂」と「多様性」こそが日本人のDNAです。

松崎町 -4

松崎港

この日の駿河の海は、とても穏やかでした

この松崎の港から那珂川に沿って街に点在するなまこ壁の商家は、かってこの町が漁業で栄えたことを物語っています。現在は、なまこ壁の民家を町が買い取って保存しているようですが、西伊豆は交通の便が悪いし際立つた観光資源があるわけでもないので地方創生と言っても観光を基幹にするのは難しいと思います。

地方を歩いて思うのは、やっぱりその地域の基幹産業である一次産業(漁業・農業)の再生に力を入れるのが一番の近道だと思います。

自称「建築家」達のインフォームド・コンセントの欠如

インフォームド・コンセントとは「正しい情報を得た(伝えられた)上での合意」を意味する概念です。

特に、医療行為(投薬・手術・検査など)や治験などの対象者(患者や被験者)が、治療や臨床試験・治験の内容についてよく説明を受け十分理解した上で(英: informed)、対象者が自らの自由意志に基づいて医療従事者と方針において合意する(英: consent)ことです(単なる「同意」だけでなく、説明を受けた上で治療を拒否することもインフォームド・コンセントに含まれます)。

説明の内容としては、対象となる行為の名称・内容・期待されている結果のみではなく、代替治療、副作用や成功率、費用、予後までも含んだ正確な情報が与えられることが望まれています。また、患者・被験者側も納得するまで質問し、説明を求めなければならないとされています。

手術を経験した人ならわかるでしょうが、術前に医師から色々と説明を受け大量の書面に患者の署名が求められます。

医療行為の中では一般化しているように昨今は積極的にインフォームドコンセント(説明と同意)やアカウンタビリティ(説明義務)を果たすべきという意識が一般化してきており、建築士の世界も例外ではありません。

住宅業界などでは、仕事のフェーズ毎に建築主に説明し署名・押印が求めていますが、自称「建築家」達は、建築主への説明が不十分で建築主への説明をせず 又了解を得ず施工者に指示し工事をしてしまい、後にトラブルになっているという事を弁護士からよく聞きます。

デザイン志向の強い、自称「建築家」のインフォームドコンセントの欠如は、やがて社会的信用を無くし身を滅ぼします。

浄感寺・長八記念館

仕事で三嶋に行ったついでに修善寺で一晩泊まることにしていましたが、まさか西伊豆まで行くとは本人も思っていませんでした。

修善寺に着いたら旅館のチェックインには時間があるし無計画だったのでどこに行くというあてもなく駅前でうろうろしていたら路線バスで松崎行というのが止まっていました。運転手さんに聞いたら修善寺から松崎まで100分。帰りは一時間に一本はバスがあると聞いて、自販機でお茶を一本買い飛び乗りました。

まったくの思いつきの路線バスの旅でした。

伊豆の山道を走る路線バスの中では爆睡。堂ヶ島あたりでようやく目が覚めました。

以前から機会があったら訪れたいと思っていた長八記念館・長八美術館を訪ねることができました。

フラッシュを発光させなければ写真はOKと許可を取り、飛天の図を撮影

対となっている もう一つの欄間にある飛天の図

天井に描かれた雲竜の図は、見る位置によつて表情が違うと言われましたが・・

こちらが山門側・表玄関です

彫も素晴らしいです

「建築ストックの活用・再生テクニカルセミナー」実地セミナー

9/27に行ったセミナーの受講者から参加希望者を募ったところ4人の方が手を挙げてくれたので正調査員の補助員という形で詳細調査に参加してもらいました。

丁度この「建築ストックの活用・再生テクニカルセミナー」の開催時期に、検査済証の無い建物の用途変更に係る建築基準適合状況調査を行うことになり、座学ではわからないことを実地調査に参加してもらう事で理解を深めてもらうという趣旨でした。

人数が通常より倍になったので、いつもは劣化・現況実測・部材採寸・高低差、傾斜等の調査パートを各自黙々と行っているのですが、今回は色々と相談したり、他のパートの調査を確認したりと余裕を持って行うことができました。

私も調査の趣旨や法的な問題等、調査にあたって注意しなければならないことを説明することができました。

補助員としてついてもらつた方々は、全員一級建築士だつたので さすがに理解力は高かったです。

今後も 関係者の理解と協力が得られるならセミナー受講生を中心に希望者を募り補助員についてもらおうと思っています。

「建築ストックの活用・再生テクニカルセミナー」講師

久しぶりに人前で喋ってきました。木造住宅のストック再生に取り組んでいる住宅医協会の関東住宅医ネットワーク・スキルアップ講習会のひとつとして企画されたセミナーです。私の題目は、非木造の建物の「建築ストックの活用・再生テクニカルセミナー」とあるように、建築ストックの活用・再生について建築法規・設備・構造等の建築技術面から語るといった内容です。

昨今のリノベーションブームでソフトからアプローチしたセミナーは多く開催されているようですが、ハード面から総合的にアプローチしたセミナーはあまりないと思います。

セミナーの内容は下記のようなものです。

*****

1. はじめに : 事務所紹介、お願い
2. 現状とこれから
3. 基礎調査編
3-1. 資料調査
3-2. 既存不適格建築の場合
3-3. 工事完了検査済証が無い場合
(建築基準適合性状況調査、国交省ガイドライン調査と法第12条第5項報告等)
4. 詳細調査編
5. 事例編
5-1. 増築
: 平面増築 / エレベーター増築 / 入れ子増築 / 減築 /
5-2. 用途変更
: 事務所→有床診療所 / 物販→飲食店 /事務所→簡易宿舎/ 工場→物販店 /
5-3. テクニカル調査
: 遵法性調査 / 変状(劣化)調査 / 有害物質調査
5-4. 耐震診断・補強設計
5-5. 実現しなったプロジェクト  : 違反是正/用途変更工事費/耐震性
6. 留意事項 : 幾つかの法的事項の再確認/内部階段設置/内部ELV設置/その他
7. 小規模建物のテクニカル・デュ-デリジェンス
7-1. 概要
7-2. 劣化度合による修繕費の算出(事例 : アパート)
8. まとめ

*****

参加者は35名ほどでした。休憩を入れて3時間。ちょつと内容が総論的だつたかも知れません。

現役時代は終わった仕事を振り返る余裕がありませんでしたが、今回のような機会をいただき概ね過去5年程の仕事について整理することができました。自分でも結構面白いことやってきたんだなと~と思っています。

実は今、現役時代よりはるかに労働時間が長いのですが、それでも過去の仕事を振り返れるのは、現役時代は中間管理職としての業務がとても多かったことを物語っています。

何時ぽっくりいくかわからないから、最初で最後のセミナーだと言っていますが、機会があれば 次世代に継承していける場をまた持ちたいものです。

懇親会・二次会と行き若い人達と色々と話す機会を得て楽しい一日でした。

 

「キズカイのケンチク」

木造建築にこだわってきた東海大学・杉本祥文教授の活動の集大成ともいえる本。氏の生い立ちから木材を巡る諸問題についてふれ木造建築復権にかける熱い思いが語られてる。杉本先生とは年に数回会う機会があるのだが、生い立ちは始めて知った。祖父が伊豆修善寺で製材業を営まれていたということから木との関わりは幼少時代にあったものらしい。

「木」という一つの材料にこだわりを持って設計をしている人をうらやましく思うことがある。私などのように実現したい空間を構成するストラクチャは何でもいいと思っている輩からは なんでそんなに「木」にこだわるのか理解しがたいところである。

杉本先生が前社長・現会長職にある㈱計画・環境建築は、かって日本の建築界をリードした鬼才・木島安史さんと橋本文隆さんが設立した事務所である。

若い時に木島安史さんの作品が新建築に発表されるたびに、そのデザイン力・ダイナミックな構想力には圧倒され脱帽した。

木島安史さんの日本建築学会建築会館コンペ案が実施に採用されていたら、どんな空間を我々に提供してくれたのだろうかと建築会館を訪れるたびに思ったものだ。

この本の中には、杉本先生が関わった私の好きな建物が幾つかある。周辺環境に共鳴するかのごとく柔らかな稜線をもつ「道の駅 みかも」。木質ハイブリッドな構造の「道の駅安達・智恵子の里」等だ。

以前の作品には木島安史・橋本文隆のDNAを色濃く継承したデザイン・構想力に秀でていた作品が多かったのだが、最近はおとなしいというか拙い作品も散見する。

今時の大学で子供達と戯れているのも良いけど、デザインの現場に復帰して指導力を発揮してもらいたいものだと影ながら思っている。