5月中旬の道庁旧庁舎
明治21年建築、アメリカンネオバロック様式
昭和44年 国指定 重要文化財
前庭のチューリップがきれいでした。
建築法務/ 建築ストック再生・活用 /長寿命化/ 環境建築 / 建築設計監理 / ㈱寺田建築事務所・一級建築士事務所
打合せに出向いた旭川市役所・総合庁舎
今、この建物の存続を巡って市民の中で色々な意見が出て喧々諤々らしい。古くて狭い、分庁舎に分かれているので統合したいが遠い所に庁舎が移るのは困るというような声を聞いた。
下記は、日本建築家協会 北海道支部旭川地区会を中心に作られた「赤レンガ市庁舎を活かしたシビックセンターを考える会」の意見。
「旭川ゆかりの建築家・佐藤武夫が設計した旭川市赤レンガ庁舎(旭川市総合庁舎)は1958(昭33)年に竣工、 翌年の日本建築学会賞を受賞、2003(平15)年には、近代建築の記録と保存を目的とする国際的な学術組織 DOCOMOMOにより「日本におけるモダン・ムーブメントの建築100選」に選定された名建築です。その壁面を彩るコンクリートと赤レンガのチェック模様は今日まで道北・旭川の景観に独特の趣を添え、永く市民 に親しまれてきました。 しかしながら、年を経て施設の老朽化、狭隘化、特に1997(平9)年の診断では耐震性の脆弱さが指摘され、このままではいずれ解体される可能性もないとは言えません。そうした事情を背景に、市は新たな庁舎を建 設する企画をたて、この程、現庁舎周辺を敷地として新庁舎を整備する基本構想案を策定、市民に対し同案 に対するパブリックコメントを募ったところです。構想案の中には、新庁舎を「市民でにぎわい、親しまれ るシビックセンター」として整備、従来からの機能向上を図ると共に、「市民活動の支援」や「旭川らしさ の発信」を軸に新たな機能を付加するという基本理念が記されています。
私たちは旭川の貴重な文化財である赤レンガ市庁舎を改修・保存して何らかの用途に活用しつつ、新しく創 られる庁舎を適切に配置すること、すなわち新・旧施設を一体的に整備することこそ、成熟した都市の核 (シビックセンター)として相応しい方策だと考えます。市は基本構想を確定次第、新年度に基本計画を検 討することにしていますが、私たちは市民的立場から、赤レンガ庁舎の耐震補強や新庁舎の在り方について 多くの方々の知恵を集め、具体的な解決案を見出すべく本会を設立することといたしました。 主旨に賛同される多くの皆様のご理解とご協力をいただければ幸いです 。 (発起人一同)」
とてもプロポーションが良いというか、美しい建物
旭川市内で見る価値がある三ツ星建物は、この旭川市庁舎とJR旭川駅舎
建物も60歳ぐらいで死亡宣告されるなんて やるせない
再生・活用する方法はあるはず
そういえばデパートが旭川に無くなったという事をしきりに気にする地元の人が多かった。かっては三店のデパートがあり、駅前には西武があったが現在はビルごと空いている。人口がかっては36万人台だったのが ここ10年程は減少してて現在は34万人台。若い人は流出し爺婆ばかりの典型的な地方都市。縮小する時代の庁舎のあり方は、これまでとは違うはずだ。
旭川駅の夜景
右側がイオンとJRインというホテル
駅舎のホーム階は、南北をガラスのカーテンウォールで囲われている
屋根を支えるのは白い樹木を彷彿させる柱
夜 街をふらふら歩いて食したのが「山頭火本店」の塩ラーメン
最近は、ラーメンは食べないのだか、
やっぱり本場で旭川ラーメンを食べておこうと思った。
「山頭火」は東京にもあるし、一度食べた事があるので他の店で食べたかったのだが、地元の人に薦められた「天金」という店は、定休日だった。それで駅に近い「山頭火本店」に行ってみた。
しかし「山頭火本店」の塩ラーメンは美味しかった。丼が小さめなのだが、意外とボリュームがある。豚骨スープがとてもマイルドで 全部飲み干してしまった。
旭川空港へ行くバス停から見たJRインと旭川駅舎
青木茂さんが首都大学東京を退官するに際して、青木さんの仕事を支えてくれた10人の方々と対談し、10年間を振り返るという内容の対談集。
中々示唆に富む指摘が散りばめられていた。
私が、建築法規の分野から建築ストックの再生と活用に関わりだし始めたのは、随分と前からなのだが、本格的にはリタイアしてからの この5年。
今でも、建築ストック活用プロジェクトの建築法規の領域だけに関わることが多いが、最近では直接 建築主から依頼され調査・申請・設計監理まですることも多くなった。
久しぶりに設計に直接かかわりだすと、やはり設計というのは法規や施工、構造・設備に目を配らないとうまくできないことを実感する。設計こそが鍛錬の近道なのではないかと 今更ながら思う。
建築ストックの再生と活用には法的調査が必須だが、新築と異なり現代法のみ勉強していれば良いというわけではなく、それに加えて現代法の改正履歴を学ぶこと、さらに明治から昭和25年建築基準法成立までの近代建築法制史(市街地建築物法だけでも)を学んでおく必要があると思っている。
いつまで経っても勉強することは山ほどある。
埼玉県川越市内の軽量鉄骨造2階建ての事務所をディーサービスに用途変更したプロジェクトです。平成30年4月30日に竣工しました。
既存建物の工事完了検査済証が無かったので、弊社が調査・申請・設計を担当しました。外装はほとんど変更していません。
【1階・機能訓練、食事 レクリェーションスペース】
【浴室】
【洗面】
建築基準適合性状況調査及び建築確認申請(用途変更)は、川越市に提出しました。
【事業主】株式会社 アリーフ (株)アリーフ
【内装設計・施工】株式会社フリーデア 一級建築士事務所
【調査・申請・設計】株式会社 寺田建築事務所
【概要】軽量鉄骨造2階建て 延床面積279.05㎡
既存建物 建築確認:有(平成13年2月)、検査済証:無、構造計算概要書:有、既存図面:一部有
毎日コンピューターと向き合って仕事をして目が疲れるので、最近は本を読まなくなった。というか文字を追うのが苦痛になっていた。目薬は以前から必需品だが、最近はついにハズキルーペを買ってしまった。
自分の先祖たちがどんな人だったのか、年齢を重ねるごとに調べておきたいという気持ちが膨らんでいたが、自分の戸籍を追っていくことは結構手間もかかる事なので中々手をつけることが出来ないでいる。
仕事で都内のあるお寺の「家歴書」を作った。建築確認申請の手続きの中で本堂の新築時期を特定する必要があったからなのだが、来歴や郷土史を調べて新築は江戸時代だとわかった。お寺は関東大震災で損傷を受けたが地域の被災者を受け入れ、かの大戦の空襲でも被災せず、家を焼かれた人々を受け入れ、被災者のために庫裡の増築までしていることが判った。創建時の木造の本堂は、昭和42年に鉄筋コンクリートに建て替わったのだが、建築確認申請上は「増築」となっている。
つくづくすごい お寺だなあ~と思った。
途中幾度か大修理がなされてはいるが、創建から約270年木造のまま地域の被災者を受け入れてきている。このお寺は、宗派の中では有名なお寺なのだが、色々な物語が建物にはあるのだと思った。
***
なんだか あっというまに老人になってしまったようにも思う。
歳を重ねると色々なことを振り返る事がある。
今は 自分の御先祖様に思いを寄せている。
社会的には無名であっても、その時代を必死に生き抜いてきた先祖様があるからこそ自分の存在があるのだと思う。
命をつないでくれた御先祖様に感謝したい。
さて、この本は 自分で先祖探しをしたいという人のために、プロの調査のコツが散りばめられた本で、著者の豊富な体験がベースに書かれているので とても面白かった。
荒川区町屋の鉄骨3階建て外壁・屋根ALC版t=100の建物・築27年
外壁劣化・屋上防水に際立つた損傷がなかったので、内部結露であろう。3階天井裏すなわち陸屋根屋上の下の鉄骨部に発錆が見られた。鉄骨造の建物では、鉄骨部の発錆は比較的よくある事象である。
恐らく天井裏に敷き込んだグラスウールt=50に保水し結露したものと思われる。鉄骨部材・材質調査を担当していた調査員が 簡単な温湿度測定を実施してくれたが、外気温と3階室内、3階天井裏では温度はほとんど変化がなかったが、3階天井裏の湿度は外気に比べて15%程高かった。
言われたことだけ自分の担当部分だけ調査するのではなく、常に建物全体を総合的に目を配る調査員になってくれれば調査員としては一流だ。
1階の西側外壁面の内壁の石膏ボードにカビが発生していた。これも壁体内結露だろうと推測できる。
こうした詳細調査を通じて既存建物の問題点が浮かび上がる。既存建物の温熱計算をして、断熱改修を検討する必要がありそうだ。
鉄骨の部材や材質の調査の為に天井点検口を設置し天井裏を覗いたのだが、鉄部の発錆から、その場で総合的に考えるのが大事だと思っている。調査が外注だと温湿度計で測る事などしてくれないだろう。調査員達で事象から意見交換を行い方向性を見出すことができた。