投稿者: tera
世界平和記念聖堂 -1
Tamaya BLD
御堂筋界隈
御堂筋の異星人
熱田神宮
大岡山駅
駅に直結する日本初の「駅上病院」である
「東急病院」は、壁面と屋上を大規模に緑化している。
南側と西側の壁面にはワイヤーを張りめぐらせ、
そこに7品種4,200本ものツタを巻きつけたとある。
この緑化で直射日光を緩和でき、室内空調の消費電力を削減し
建物の放熱も抑えられ、地球温暖化の防止にも役立つ。
「東急大岡山駅上東急病院」
統括 東京急行電鉄工務部施設課
デザインアーキテクト 安田幸一研究室+安田アトリエ
設計 大建設計
大岡山と言えば東工大キャンパス。
「東京工業大学百年記念館」 設計 : 篠原一男 竣工 : 1987年
この日は、入学試験でキャンパス内には入れなかった。
「東工大蔵前会館」 設計 : 坂本一成&日建設計 竣工 : 2009年
建築計画概要書・台帳証明@神戸市
【神戸市役所】
神戸市には「神戸市建築確認情報セルフ検索システム」という先進的なシステムがあり、建築計画概要書や建築確認台帳証明を短時間で発行してもらえる。
調査対象を地図上からの検索、情報一覧からの検索、適合通知番号からの検索を行い、建築物・昇降機・工作物の情報を得ることができる。
建築計画概要書の閲覧は昭和46年からで、台帳証明は昭和25年から閲覧できるが、データー化しているのは昭和32年以降。
神戸市建築調整課には、この検索システムのモニターが4台並んでいる。
神戸市のサイトには「周辺住民の協力のもとに違反建築物を未然に防止するとともに、併せて違反建築物の売買をも未然に防止しょうとするものとし、善意の買主を保護するために設けられた制度です。」とある。
営業目的や閲覧目的が不明な閲覧は規制すべきだと思うが、情報を公開することで抑止力が働くことは多い。
「建設業の人不足 公共事業急増のツケだ 」@中日新聞
中日新聞の2月18日付に「建設業の人不足 公共事業急増のツケだ」という社説が掲載されていた。
◆ 建設業の人手不足が深刻化している。縮小傾向にあった建設市場が、震災復興に加え自公政権の公共事業積み増しで急膨張したためだ。経済にも影響が出始めている。抜本的な将来像を描くべきだ。
▼ 何とも皮肉な話である。建設業界はバブル崩壊以降、建設投資がピーク時の八十四兆円(一九九二年)から最近は四十兆円台に落ち込み、それに伴って最大約七百万人いた就業者は五百万人に減った。若い人の就労が進まず、人不足と高齢化が進んだ。
そんな業界事情なのに、東日本大震災の復興需要に加えて景気回復傾向を受けた建設・不動産ラッシュ、東京五輪の開催準備も加わった。さらに大幅な公共事業の追加である。人手不足や資材高騰に拍車がかかるのは当然だ。
▼ 問題が深刻なのは、影響が広く国民生活に及び始めたことだ。公共工事の入札不調が全国でみられ、待機児童問題で急がれる保育所の開園や病院などの整備が遅れている。慌てた政府は、消費税増税後の景気対策となる補正予算の確実な執行を求めたが、安易な公共事業増加のツケは明らかだ。
国土交通省は人手不足対策として、公共工事を発注する際の人件費の基準単価を昨年に続いて引き上げたり、入札で複数工事を一括発注するなどの取り組みを始めている。外国人を労働現場に受け入れる技能実習生の規制を緩和しての活用も検討している。
▼ しかし、こうした付け焼き刃的な対応には大いに疑問だ。他産業に比べて低い建設業労働者の賃金を改善するのは妥当だとしても、建設現場に欠かせない型枠工や鉄筋工などの技能労働者は一朝一夕に穴埋めできるものではない。
そもそも現状は人手不足だが、人口が減る今後も建設需要が続いていくかは不透明だ。中長期的な見通しもないまま、その場しのぎのような対応では若い人らの入職は進まないであろう。外国人の技能実習制度も、本来は途上国の人材育成を目的としている。安価な労働力確保や雇用の調整弁のような扱いは許されないはずだ。
政府には、泥縄的ではなく建設産業の将来像まで描いてほしい。業界にも注文がある。元請けから下請けまでの重層構造の下、賃金の中間搾取や社会保険未加入といった悪弊をまず正す。国による処遇改善に頼るだけでなく、教育訓練や技術伝承といった人材育成、生産性向上につながる技術革新などを自助努力で進めることだ。http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2014021802000099.html
中日新聞の言うとおりだと思う。
バブル崩壊後の失われた20年の間に、度重なるリストラによって、技術者・職人は建設業を離れて、いまや就労人口は最大時に比べて70%程度まで落ち込んでいる。
急に仕事があるから建設業に戻れと言っても土台無理なはなし。建設業・設計業界は相変わらずの「ブラック企業」業界だ。
私が建築の勉強を始めたころは、未来の都市は自分たちがつくるんだという夢と希望があった。田中角栄氏の「日本列島改造論」なんかにも触発されたけど、今や高速道路は整備されたけど、どこに行っても駅前店舗はチェーン店、主要幹線もロードサイドはチェーン店という均一的な街になってしまった。
「里山資本主義」ではないが新しい「日本列島改造論」=都市構築のビジョンが欲しい。
特殊建築物定期報告の徹底が必要
国土交通省のまとめによると、平成24年度における特殊建築物等の定期報告の状況は、特殊建築物等が71.2%、昇降機等が94.7%、排煙設備等の建築設備が68.3%ということです。
未だに特殊建築物の定期報告対象建築物の3割近くが定期報告の届け出をしていない状況なんですね。
既存建物の調査に行ってみると維持管理がきちんとできていない建物が多く、避難経路の確保、防火戸の開閉、非常用照明の点灯、非常用進入口の確保などに抵触事項が見受けられる。
これら火災時の人命にかかる問題が放置されている建物は多い。
報告のない物件での重大な事故は多く、今後適切な建築物ストック管理が求められる中で資格者の資質向上が必要になっていると国交省は指摘する。
特殊建築物定期報告の必要な建物の範囲の見直しとともに報告率の向上が重要な課題となっている。
建築計画概要書・台帳証明@東京都 -2
東京都(都市整備局)で台帳記載事項証明書を発行できる建築物等の各年度は下記のようになっている。
1 建築物
(1) 昭和25年度~昭和39年度 : 全て(ただし、木造住宅の一部は区で建築確認)
(2) 昭和40年度~昭和49年度 : 昇降機(エレベーター又はエスカレーター)の付属する建物
(3) 昭和50年度~平成11年度 : 延床面積5,000平方メートル超で昇降機の付属する建物
(4) 平成12年度~ : 延床面積10,000平方メートル超の建物
※ 昭和25年~昭和40年までは敷地・建築・延床の各面積の記載はありません。
※ 風致地区は規模に関係なく都確認(平成11年度まで)。
2 昇降機
昭和35年~ : 建築物の条件と同じ
3 総合設計許可
昭和58年度~ : 建築物の条件と同じ
4 一団地認定
昭和62年~ : 建築物の条件と同じ
【以下については台帳がないため証明書の発行ができません。】
建築物
昭和25年度~昭和28年度/ 港区
昭和33年度/ 中央区・渋谷区・杉並区
昭和36年度 /千代田区
昭和37年度 /全区
昭和43年度~昭和44年度/ 台東区
昇降機
昭和40年度~昭和45年度 / 中央区・新宿区・文京区・台東区・墨田区・江東区・豊島区・北区・荒川区・足立区・葛飾区・江戸川区
問題は、「赤字」で示す欠落している年度の建物の場合。所有者が変わって確認申請書副本を紛失している場合で役所に行っても台帳がなく、果たして建築確認申請が提出されていたのか、検査済み証を取得しているのか公的な書類が見つからない場合にぶつかると困ってしまう。
それでも建設年度を確定する方法は幾つかあるのだが、確認申請を取得しているかどうかは誰も証明することができない。
下記は、葛飾区の場合だが、台帳そのものが昭和57年(1982年)以前のものは保存されていない。もともと建築確認受付台帳の保存年限は10年だけど、例外的に需要があるから保存されているだけと説明される。他の区でも似たようなもので欠落している年度がある。
建築確認台帳は昭和58年度以降に受付をしたものが保存されています。それ以前は資料がありません。 台帳証明の発行を希望される方は住宅地図など住居表示で場所の分かるものや、登記関係の資料など物件を特定できるものをお持ちください。 また、台帳証明の発行には300円の手数料と15分程度の時間がかかりますので、遅くとも午後4時45分までには申し込みの手続を済ませてください。 なお、電話による該当物件の有無や内容に関するお問い合わせにはお答えできませんのでご了承ください
データーが無い、整備されていない状態でプログラムを作ったところで役には立たない。
「建築ストックの活用」という前に、無確認建築物、未検査建築物の実態を正確に掌握することが必要ではないのだろうか。
赤福本店
伊勢神宮・内宮(皇大神宮)
伊勢神宮・外宮(豊受大神宮)
外宮・新
外宮・旧
外宮は天照大御神の食物をつかさどる神・豊受大神として
豊宇気昆売神(とようけびめのかみ)を祀っている
第21代・雄略天皇の夢枕に天照大御神が現れ
「私はひとりなので、毎日の食事に不自由している。すぐに丹波(京都)にいる御饌の神・豊受大神を自分のそばにつかわすように」に託宣した。
雄略天皇は、この託宣を聞いてあわてて伊勢の山田原に社(かしら)を建て
丹波の真名井というところから豊受大神を勧請遷座した。
これが外宮の始まりとされている。
第21代・雄略天皇は、
曽祖父である第15代・応神天皇に始まるといわれている河内王朝の血脈であるが
史上、最も残虐な天皇として知られている。
平群(へぐり)、大伴(おおとも)、物部(もののべ)の
軍事力をバックに武力と政略結婚によって各地の豪族を従え
専制王権を確立した。
名古屋駅のきしめん
ベルナール・ビュフェ美術館
ヒアシンスハウス@立原道造
さいたま県庁に程近い別所沼公園の一角にある
ヒアシンスハウスを訪れた
この ちいさな建物は
戦前の詩人・建築家である立原道造が残した
1937年(昭和12年)のスケッチを基に
2004年11月この別所沼公園に実現したもの
以来 ヒヤシンスハウスの会によって管理されてきた。
訪れるのは二年ぶり、何故かいつも冬
詩人・建築家 立原道造は、
私の原点のような人である
中学生時代 立原道造の一篇の詩によつて
建築への憧れが生まれた
それ以来 今の歳にいたるまで建築か文学か
ふらふらしながら 歩いてきた
立原道造の世界に 戻ることは
ピュアだつた自分の時間に立ち戻ること
それが 恥ずかしくもあるのだが
それでも思い出しては
ここを訪れる
役場の食堂@日野市役所
海の博物館 -8
展示B棟を出て展示A棟をみる
左側はカフェテラス
展示B棟の出口
竣工時の写真を見ると ここには水が張られていた
水がなくても枯山水的で良いかも
池のアートは小清水漸の作品
カフェテラス内部
午後4時閉店ぎりぎりに入ったが、こころよく注文を受けてくれた
温かい伊勢うどんを食べた。
生まれて初めて食べたが、柔らかい食感がたまらない
伊勢うどんのファンになってしまつた。
博物館の受付の方にタクシーを呼んでもらい
ミュージアムショップをながめてから、外で鳥羽からのタクシーを待っていたら
受付の方が、4時半閉店が近づいていたのに心配して外まで見に来てくれた。
交通の便が悪いが、
展示内容は豊かだし博物館の人達は親切だったし
満ち足りた気持ちになつた。
END