


京都北区にある曹洞宗の寺院・源光庵

ここは「悟りの窓」「迷いの窓」というのが有名なお寺です




また伏見城遺構の血天井というのも有名で、慶⻑5年7⽉(1600年)徳川家康の忠⾂・⿃ 居彦右衛⾨元忠⼀党1800⼈が⽯⽥三成の軍 勢と交戦し討死、残る380余⼈が⾃刃して相 果てたときの恨跡が天井板に使われています。

左が「悟りの窓」右が「迷いの窓」

まあこんなものかと



建築法務/ 建築ストック再生・活用 /長寿命化/ 環境建築 / 建築設計監理 / ㈱寺田建築事務所・一級建築士事務所
京都北区にある曹洞宗の寺院・源光庵
ここは「悟りの窓」「迷いの窓」というのが有名なお寺です
また伏見城遺構の血天井というのも有名で、慶⻑5年7⽉(1600年)徳川家康の忠⾂・⿃ 居彦右衛⾨元忠⼀党1800⼈が⽯⽥三成の軍 勢と交戦し討死、残る380余⼈が⾃刃して相 果てたときの恨跡が天井板に使われています。
左が「悟りの窓」右が「迷いの窓」
まあこんなものかと
京都・嵐山高尾パークウェイから保津峡を臨む
桂川
保津峡展望台より
嵯峨野観光鉄道の橋が見える。
いつかはトロッコ列車に乗りたい
京都上賀茂神社社務所脇に開設された「神山湧水珈琲」店
珈琲は中炒りで風味豊か 美味しい珈琲だった
上賀茂神社の参拝の後でひと時の休息
休憩所の設計は、若手建築家の長谷川豪氏
ガラス風鈴の音が気持ちよかった
4/19 朝一番で上賀茂神社にお参り
昨年は京都に来れなかった
いつもながら上賀茂の清浄な空気に包まれると精気が湧いてくる
焼餅の陣馬堂が開店していたので 購入し移動
上賀茂神社一の鳥居の東側は、室町時代から上賀茂神社の神官が住んだ住居「社家(しゃけ)」がよく保存されています。
賀茂川が上賀茂神社境内を流れ、明神川と名前を変え各社家の前を流れています。
またここは「上賀茂伝統的建造物群保存地区」です。
「社家」で見学できる建物として「西村家庭園」があります。
その社家群の手前にすぐき漬で有名な「京都なり田・上賀茂本店」があります。
ここのすぐき漬けは、過度に発酵が進んでおらず酸っぱくなく、ほどよい酸味で私のすぐき漬けに対して持っていたイメージを修正してくれました。
石畳み
店内の様子
色々な京漬物を売っています。
京都東山区東大路五条にある京都陶磁器会館
明るくて開放的ですが、なにか清水焼のイメージには似つかわしくないように思えてしかたありませんでした。
内部は、意外と狭く 商品・作品の展示も少ないように思いました。
昨年2015年8月8日に公開された「日本のいちばん長い日」には、多数の戦前の建物がロケ地にされている。
その中のひとつで記憶に残っていたのがこのシーンに使われていた建物
映画の中では、陸軍軍事課・軍務課・情報局オフィスのシーンで使われた。
徹底抗戦を叫ぶ青年将校達が作戦を立案したり、東条英機に徹底抗戦を促されるシーンのロケ地。映画の中では、わりあい重要なシーンの背景になつている。
そのシーンのロケ地が、「旧京都市立清水(きよみず)小学校」。「きよみず」と言われるとピンとくるでしょ。そう「清水寺」の近くにあった小学校。
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この建物は、昭和8年に竣工し平成23年3月に閉校した御年83歳の老建築。
しかし、この建物なかなか風格がある建物で、メンテナンスが行き届いていたのか状態が良い。京都市から耐震診断の報告書が公表されているがIs値もそんなに悪くない。
映画の中で一番多く登場する講堂
階段
実は、この建物 2004年「京都市資産有効活用基本方針」に基づき、2016年にプロポーザルが行われ事業者が選定される予定だ。立地的にホテルやブライダル施設への転用が計画されている。一方、民間事業者に賃貸することに対して地元の人たちの反対意見も多いようだ。
京都文化博物館・別館(旧日本銀行京都支店)
東側
建物は煉瓦造り
設計は辰野金吾とその弟子長野宇平治による。
1906年(明治39年)に竣工し、
1965年(昭和40年)まで日本銀行京都支店として使用された。
1969年(昭和44年)国の重要文化財に指定。
建築面積884.4m2(別館本体)・181.0m2(旧金庫棟)
別館内部は見る時間がなかつた。
格式あり
別館西側
この辺りは地下鉄烏丸御池駅から歩いた方が近い
ところで、この三条通りに面する一帯は、
商業地域・防火地域・容積率400%・建ぺい率80%
職住共存特別用途地域・三条通界わい景観整備地区(歴史遺産美観)
屋外広告物第三種地区に指定されている
これから西側の烏丸通りに面する新風館は以前見たことがあるので
烏丸通りから西側も今度ブラブラしてみようと思う。
それにしても京都の「田の字地区」は中々面白い
京都のお寺や神社もいいけど、
「田の字地区」は魅力がいっぱい詰まってる。
家邊徳時計店(登録有形文化財)
1890年(明治23年)に建てられた木骨レンガ造り2階建。
1階の三連アーチ。
二階は少し奥まっている。
全体に赤煉瓦が黒く変色していて、歴史を感じる佇まい
三条通から少し横道に
2009年にできた安藤忠雄建築研究所設計の「NIWAKA(俄)ビル」
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旧不動貯金銀行三条支店〔現SACRAビル〕
関根要太郎・日本建築株式会社の設計
1915年(大正4年)12月
煉瓦造り3階建て
正面のこの雰囲気は、大正初期に流行した
ウイーン・セセッションの影響を受け
直線幾何学的なデザイン
当時の銀行は、ずいぶんモダンな建物を作ったものだ。
京都市役所から寺町商店街を抜け、三条通りをブラブラしてみた。
そこにはガイドブックには、あまり載っていない、
大人の空間が展開されていた
レトロな建物と現代的な建物が織りなす景観
上質な店舗
にぎわいのある界隈があった。
1928ビル(旧京都大毎会館)は、
武田五一の設計により1928年(昭和3年)に建築された。
アール・デコ風の鉄筋コンクリ-ト造3階建で、
毎日新聞の社章に由来するバルコニーの形状や
玄関左右のランプカバ-の意匠に特徴がある。
1998年までは毎日新聞社京都支局として利用され、
現在はギャラリー・レストラン・多目的スペースとして活用されている
タリーズのカフェテラスの正面がこの外壁
住所:京都府京都市中京区三条通御幸町海老屋町、
同区三条通御幸町東入弁慶石町
役所調査の為に京都市役所を訪れました。
午前10時半に市役所の担当者のアポを取っていたので
朝6時に自宅を出て東海道新幹線で移動
京都市役所は、武田五一が意匠設計を監修した建物で、
東半分は1927年(昭和2年)に、
西半分は1931年(昭和6年)に完成しました。
東西に長くシンメトリーの外観、
縦に長いアーチ状の連続窓など、
横のラインと縦のラインを組合わせた変化に富んだ庁舎。
現役の市役所であり京都の顔でもあります。
中央に時計塔を持つ鉄筋コンクリート造り4階建て。
東側・ ホテルオークラ側
正面玄関
それにしても京都は暑かったですね。
午後には30度を超えていたようですが、
市役所職員によると、まだ序の口で
あと一か月もすると本格的な「京都の夏」を迎えるとか
1階正面ロビー
京都市役所本館 東半分1927(昭和2年)/西半分1931(昭和6)年
設計 : 武田五一、中野進一、京都市営繕課
施工 : 松村組・松井組・山虎組
京都府京都市中京区御池通河原町角
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MEALS
朝食の風景
フレッシュでボリュームもあり
レベルが高い
1Fプランは、こんな感じ
中央上部がMEALS
BAR
リーズナブルな料金設定
ウイスキーも30種類以上用意されているらしい
前日のチェックインが遅く疲れていたので利用せず
旅人、住む人、ギャラリーに来た人
様々な出会いの可能性が生まれる空間
箱物建築家では作るのは難しかったリノベ
空間プロデューサーの果たす役割は大きい
1F廊下・エントランス方向を見る
基準階のプラン
左側が学生寮、中央がホテル、右側がシェアハウス
基準階廊下
エレベーターホールの前にあった
貸し出し用の備品
客室は、今時のビジネスホテルよりゆったりしたシングルルーム
ドアの鍵がオートロックではない
というぐらいが違いで設備・アイテム共に遜色なし
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