神奈川近代文学館

横浜の港が見える丘公園にある神奈川近代文学館に行ってきました。横浜市役所に行った後なので駆け足で回りました。

見てきたのは「中島敦展―魅せられた旅人の短い生涯」

33年の生涯を小説創作に捧げ、『山月記』『名人伝』『李陵』など珠玉の作品を遺した作家・中島敦(1909-1942)の生誕110年を記念した回顧展。池澤夏樹さんの編集。

中島敦の教養の広さに圧倒される。小説を書き、歌を謳い、絵を描き、漢文に精通している。

今年は、仕事で横浜市役所は何度も行っているが中々時間が取れず ようやく見ることができました。中島敦の人となりを知ることができて良かった。

港が見えるが丘公園に来たのは、実に40数年ぶり。大佛次郎記念館が出来た頃に来ているが、緑が一杯の公園になっていた。

霧笛橋

閲覧室

コレド室町テラス

2019年9月にオープンしたCOREDO室町テラスに行ってきた。

日本初出店の台湾「誠品生活日本橋」の視察が目的。

本とセレクト雑貨と飲食との混在・融合は、果たして成功しているのか。

日本×台湾

面白い空間構成だとは思う。

本好きには 間違いなく楽しい空間である。

ただセレクト雑貨の値段が商品のクオリティーに対して高いのではないか

しかしFUJIN TREEの豆花が美味しかったので満足

コレド室町

池袋保健所(仮)

池袋保健所がサンシャインビルの南側・造営局跡地に2019年10月に仮移転された。

以前は、旧豊島区役所(現ハレザタワー)の近くにあった。ハレザ池袋の再開発のために池袋保健所を押し出す形で移転計画が作られた。

池袋保健所(仮)は、大和ハウスとの5年間リース契約で重量鉄骨造2階建て、延べ床面積約3500㎡(約1058坪)で総額15億3千万円(設計料2千万円、リース終了後の解体費2億円含む)

2024年12月には、現豊島区役所(としまエコミューゼタウン)の道路反対側の再開発地区である南池袋二丁目C地区の再開発ビルの一画に本移転する。

ちょつと気になったのは、仮事務所にしてはコストをかけ過ぎではないかと思う。設計料・解体費を除き13億として約123万円/坪。

もうひとつは館名が英語表記に違和感を覚えた事。現在は正面側の館名の下に漢字も表記されているが、サブエントランスは英語のみ。今時わからない事はないかも知れないが もっと日本語大事にしろよと言いたい。

今年、豊島区が配布した池袋の街を紹介したPRペーパー。

この他にも池袋は再開発計画が目白押しで、ジェントリフィケーション(高級化)を指向していて、今まで暮らしていた人たちは追い出される運命にあると言う事か。

『「ジェントリフィケーション」都市において比較的貧困な層が多く住む中下層地域(インナーシティなど都心付近の住宅地区)に、再開発や新産業の発展などの理由で比較的豊かな人々が流入し、地域の経済・社会・住民の構成が変化する都市再編現象である。日本語では、高級化、中産階級化、階級浄化などの訳語があてられる。価値判断を離れれば、「都市再編に基づく地価上昇」と簡単に定義することもできる(そのような研究者もいる)。これにより、貧困地域の家賃・地価の相場が上がり、それまで暮らしていた人々が、立ち退きなどによって住居を失ったり、それまでの地域コミュニティが失われたりすることが問題となる。』ジェントリフィケーション

池袋が第二の武蔵小杉にならない事を祈りつつ。

黄金町アートブックバザール

黄金町アートブックバザール・日の出スタジオⅢ棟

黄金町バザール(こがねちょうばざーる)とは、京急本線の日ノ出町駅と黄金町駅の間に位置する横浜市中区日の出町、初音町、黄金町一帯にかけて行われるアートイベント。京急高架の耐震化工事に伴い高架下に様々な小規模商業施設がつくられている。

 

タイニーズ横浜日ノ出町

今年の春にオープンした京浜急行高架下の複合施設・タイニーズ横浜日ノ出町を見に行ってきました。京浜急行日ノ出町駅から近い所にあります。

「タイニーハウス」直訳では「小さな家」ですね。牽引部分が残っているのでトレーラーハウスのようです。

「タイニーズ横浜日ノ出町」は3つの施設が5つのタイニーハウスによって構成されています。

上の写真部分がホステルです。一棟が男性用。一棟が女性用。そして一棟貸のものがあるそうです。

 

この部分は
Tinys Living Hub(タイニーズリビングハブ)・・・カフェラウンジです。

休憩時間中で中で休むことができませんでした。

鉄道高架下にちょつと面白い空間が出来ていました。

タイニーズ横浜日ノ出町

ゆかしの杜(旧公衆衛生院) -1

台風一過、青空になった

白金台の旧公衆衛生院(港区立郷土歴史館)に行ってみた。

昭和13年(1938年)竣工、設計は内田祥三(よしかず)、施工は大倉土木株式会社(現・大成建設)

鉄骨鉄筋コンクリート造、地下1階地上6階搭屋4階

平成21年(2009年)耐震改修・バリアフリー化等改修工事

善光寺 -2

善光寺・山門

参道は、ゆるい坂道が続く

本堂

本堂は、思っていたより大きかった。

現在の本堂は宝永四年(1707年)の再建で、江戸時代中期を代表する仏教建築として国宝に指定されている。

間口約24メートル、奥行き約54メートル、高さ約29メートルという国内有数の木造建築で、T字型の棟の形が鐘を叩く撞木(しゅもく)に似ていることから「撞木造り」と呼ばれています。

屋根は総檜皮(ひわだ)葺き。

善光寺は、中々商売熱心。御朱印の数が多いし、季節ごとの御朱印というのもある。おみくじはガチャポン。

夜の日本橋を歩く

ようやく晴れ間の日が続き、外に出たくなった。

夜の日本橋を歩く

三越日本橋店

洋服類は 見事にシニア以上向けで客層がはっきりしている

夜、このあたりを歩くのは10数年ぶりかな

マンダリンオリエンタルホテル2F・千疋屋総本店の前

ちょっぴり懐かしい

しかしこの辺を歩く人は、みんなお洒落。

普段、池袋・大塚・新宿を中心に動いているが

 たまに、かしを変えると刺激に満ちている

ワットハウス

【写真は、東孝光建築研究所のサイトから】

パートナーでもある妻は建築の専門教育を受けたわけではないが、もう何十年も一緒に著名な建築を観てきたし、自営になってからは、ほとんどの出張にも同行するので、そんじょそこらの人より多くの新旧の建築を観ている。そして専門家とは異なる感想をいつも発してくれて、とても参考になる。

そんな事をパートナーも同席したクライアントの会議で話したら、相手から「どんな建物が好きですか?」と妻は聞かれた。

妻「ワットハウスです。」

私「東孝光という建築家の集合住宅です」

「ワットハウス」という名前が飛び出すとは予想だにしていなかった。もう30年以上前だが伝手を頼り丁度売りに出ている1住戸があるからと内部を見せてもらう機会があった。

妻「わくわくする空間なんです。いろいろと建築を見たけど、あれほどわくわくしたことはないですね」

私「立体パズルみたいな構成でしたね」

鉄筋コンクリート2階建て4戸の分譲住宅で1977年の竣工。1978年4月の新建築に掲載された。丁度 槙さんの代官山集合住宅第3期が竣工したころだった。あの頃は、都市住宅の可能性に魅了されていた時代だった。

妻「ワットハウスみたいな家に住みたいと思っていたんですが・・・」

確か「ワットハウス」の一般図をコピーしてもらったはずだがと思ったが無くしてしまった。グーグルで検索してみたら、まだ建物は残っていた。築42年になる。「都市住宅7705」は残してあったので計画段階の模型の写真を見つけることができたが、1978年4月号の「新建築」は、どこにしまったか・・・探してみよう。

妻が未だに記憶に残っていると言う空間を思い出してみよう。