田代湿原
カテゴリー: 【08】建物探訪・国内
上高地2019 -1
八幡屋磯五郎本店
善光寺 -2
善光寺 -1
藤屋御本陣
パティオ 大門 -2
パティオ 大門 -1
夜の日本橋を歩く
ワットハウス
【写真は、東孝光建築研究所のサイトから】
パートナーでもある妻は建築の専門教育を受けたわけではないが、もう何十年も一緒に著名な建築を観てきたし、自営になってからは、ほとんどの出張にも同行するので、そんじょそこらの人より多くの新旧の建築を観ている。そして専門家とは異なる感想をいつも発してくれて、とても参考になる。
そんな事をパートナーも同席したクライアントの会議で話したら、相手から「どんな建物が好きですか?」と妻は聞かれた。
妻「ワットハウスです。」
私「東孝光という建築家の集合住宅です」
「ワットハウス」という名前が飛び出すとは予想だにしていなかった。もう30年以上前だが伝手を頼り丁度売りに出ている1住戸があるからと内部を見せてもらう機会があった。
妻「わくわくする空間なんです。いろいろと建築を見たけど、あれほどわくわくしたことはないですね」
私「立体パズルみたいな構成でしたね」
鉄筋コンクリート2階建て4戸の分譲住宅で1977年の竣工。1978年4月の新建築に掲載された。丁度 槙さんの代官山集合住宅第3期が竣工したころだった。あの頃は、都市住宅の可能性に魅了されていた時代だった。
妻「ワットハウスみたいな家に住みたいと思っていたんですが・・・」
確か「ワットハウス」の一般図をコピーしてもらったはずだがと思ったが無くしてしまった。グーグルで検索してみたら、まだ建物は残っていた。築42年になる。「都市住宅7705」は残してあったので計画段階の模型の写真を見つけることができたが、1978年4月号の「新建築」は、どこにしまったか・・・探してみよう。
妻が未だに記憶に残っていると言う空間を思い出してみよう。
川崎・工業地帯 -2
川崎・工業地帯 -1
詩仙堂 -3
詩仙堂 -2
詩仙堂 -1
デリス横浜ビル
横浜駅西北口は、随分と建物が建て替わってきている
軽快ではなく軽薄という意味で
豊島区庁舎のグレーチングは鋳物だったのでそれなりの重量感があった。
ディテールは稚拙だったけど。
割箸建築からジャンク建築への転向か
「ならのきの家」構造見学会
武蔵野クリーンセンター
2017年3月に完成した武蔵野クリーンセンター(清掃工場)。市役所に隣接し周囲は住宅地という稀有な立地の清掃工場。およそ清掃工場には見えないが、そこが設計上の重要なテーマだったようだ。
テラコッタバーと壁面緑化で鉄筋コンクリートの躯体を覆っている
隈さんの割箸工作のようなデザインの安直な流用にはなっていない
何よりもディテールがしっかりしている
見学者ルートが常時開放されているらしい
延床面積:8,871m2(1期工事、工場棟)
階数:地下2階・地上3階
共同設計者:武蔵野市、KAJIMA DEZAIN 、水谷俊博建築設計事務所(デザイン設計監修)
施工 : 鹿島建設
主要技術:臭気漏洩防止技術、炉室温熱環境予測
受賞:グッドデザイン賞2017
武蔵野市役所・事前調整書
武蔵野市役所に行ってきた。
市役所来訪の主な目的は、建築確認申請を提出する前に市役所各課を回って協議し「事前調整書」に各課の押印を貰ってくる事。指定確認検査機関に確認申請を提出する場合でも本受付前に、この「事前調整書」を完了しておかないとならない。
事前調整の協議先の判断は、建築指導課なので、各課協議の前に建築指導課に行った。
この建築確認申請提出前に、行政各課と「事前調整」を行う仕組みを作っているのは、東京都内では武蔵野市と府中市。確か大阪府内は、以前からこのような事前調整が必要だったはず。多くの条例や要綱が行政毎にある現代では、必要不可欠のように思う。
当然、業者の立場で言うと面倒だから無い方が良いが、街づくりの広い視点に立てば、建築確認申請決済の前には「調整」は終わっているのが望ましい。
市役所内10カ所の係を回り押印を貰うのに1時間半。行政照会がいつ戻ってくるかやきもきすることに比べたら、自分で持ち回りした方がよっぽどストレスがたまらない。
東京国際交流館(JASSO)留学生・研究者宿舎
日本科学未来館 -3
地球の雲や大気の状態をリアルタイムで映し出しているそうで見ていて飽きない
日本科学未来館に来た主目的は、孫娘にASIMO(アシモ)を見せるため。すでに理系女子の気配が伺える孫娘にロボットを見せてあげようと思った。
駆け足、蟹歩き、ボール蹴り、手話等 随分とASIMOは進化していてビックリ。
大人も充分楽しめる。
そうそう後ろ歩きもできる。自分は後ろ歩きは出来ないかも・・。
婆ちゃんが、うら若きときにCOBOLプログラマーだった時の知識を発揮して、常設展示のインターネット物理モデルを孫娘に丁寧に説明して体験させていた。
日本科学未来館には、以前にも来たことがある。リーマンショックの前年だったろうか。リーマンショックは2008年9月だったから、もう10年以上前になる。その頃、総工事費500億ぐらいのプロジェクトに関わり始めた時期で近くの計画地を見に来たことがあった。その土地は今も駐車場だ。リーマンショックでプロジェクトは飛んでしまい岐路が変わった。人生いろんなことがあったな。