近江八幡の水郷

近江八幡和船観光協同組合の乗場

手漕ぎの和船

葦が勢いよく伸びていました

「近江八幡の水郷」

は重要文化的景観選定第1号に選ばれています

鴨×2

天気に恵まれたせいもあるでしょうが、

船で揺られていると とてもゆったりとした気持ちになりました。

これが「1/fゆらぎ」かな

桜の開花時期が良いと船頭さんは言っていましたが、

葦の勢いがある この6月上旬の時期も

生命の息吹を感じて良いですね

時代劇・剣客商売のロケ地としても有名です

 

八幡堀

八幡堀

八幡堀は天正13年(1585年)に豊臣秀次(秀吉の甥)が八幡山に城を築き開町したことに始まるそうです。秀次は、八幡堀と琵琶湖とを繋ぎ、湖上を往来する船を城下内に寄港させることで、人、物、情報を集め、さらに楽市楽座制を実施することで城下を大いに活気づけたと書かれています。

八幡堀は交通路や生活の場として長く機能してきましたが、生活形態が変わりだした昭和30年代もなると、忘れ去られた存在となり、草が生い茂りハエや蚊が発生しゴミが不法投棄されるなど公害源となったそうです。

一時は、埋め立てしまう計画があったそうですが、地元から反対運動が起き浚渫と復元により現在の状態になったとあります。

今は映画やドラマのロケ地としても活用されています。

かわらミュージアムの一画

今、八幡堀は近江八幡の貴重な観光資源となっていますが、先人達の環境を守る運動のおかげです。西日本でも江戸時代からの風情を残す数少ない場所となっています。

ラ コリーナ近江八幡 -10

オフィス棟展望室を見上げる

草屋根の端部

カステラショップ

このショップの内装は、栗の木がモチーフとなっています。日本人と栗とは縄文時代より関わりがあったようで、青森の三内丸山遺跡からはたくさんの栗の柱と大粒の栗が出土しています。また三内丸山遺跡では、栗の巨木を柱に使った建造物があり、遺跡の周辺の森は大半が栗の林でしかも縄文人が肥料を与え計画的に植林をしていたのではないかとも推測されており栗とともに栄えた定住型都市型社会だったと言われています。

ラ コリーナ近江八幡 -1

たねやグループのフラッグシップ店・ラ コリーナ近江八幡のメインショップ。芝生で覆われた屋根 朝9時の開店前に到着し 少しの間 庭内を散策しました。

設計は、藤森照信さんで完成してから2年半になるそうです。

柿の木の傘

国立新美術館 -3

ミュシャ展の行われていた2E企画室の天井、今回撮影可能エリア

「スラブ叙事詩」後ろ側に撮影可能エリアが設定され

今回5枚の絵画が展示されていました。

「ロシアの農奴制廃止」1914年作

「イヴァンチツェの兄弟団学校」1914年作

「スラブ民族の賛歌」1926年作

左「聖アトス山」1926年作

右「「スラブ菩提樹の下でおこなわれるオムラジナ会の誓い」

1926作(未完成)

国立新美術館 -1

国立新美術館に行ってきました。

開館してから10年経つのに来るのは始めて

お目当ては建物ではなく「ミュシャ展」です。

平日の午前中でしたが国立新美術館は混んでいました。

ミュシャ展と草間彌生展と人気のある企画展が開催されているからでしょうか。春休みですものね。あちこちで卒業式が行われています。

京都なり田・上賀茂本店

上賀茂神社一の鳥居の東側は、室町時代から上賀茂神社の神官が住んだ住居「社家(しゃけ)」がよく保存されています。

賀茂川が上賀茂神社境内を流れ、明神川と名前を変え各社家の前を流れています。

またここは「上賀茂伝統的建造物群保存地区」です。

「社家」で見学できる建物として「西村家庭園」があります。

その社家群の手前にすぐき漬で有名な「京都なり田・上賀茂本店」があります。

ここのすぐき漬けは、過度に発酵が進んでおらず酸っぱくなく、ほどよい酸味で私のすぐき漬けに対して持っていたイメージを修正してくれました。

石畳み

店内の様子

色々な京漬物を売っています。

京都なり田