小笠原伯爵邸 -6

私の学生時代、この建物は廃墟でした。
2002年6月、長い眠りから覚め、よみがえったのです。

礼法の宗家で有名な小笠原家第30代当主、小笠原長幹伯爵(旧小倉藩主)の本邸です。設計は、戦前最大の建築事務所と言われている曾根中條建 築事務所(明治41年~昭和12年)。昭和2年に竣工しました。

161031-041936_r

161031-041959_r

2階VIPルーム

161031-041945_r

2階個室

161031-042023_r

2階個室

161031-042058_r

階段

161031-042200_r

1階ギャラリー・サロン

161031-042217_r

小笠原伯爵邸 -4

161031-040640_r

回廊~ロビー

161031-040815_r

グランドサロン

161031-040841_r

ラウンジ161031-040906_rラウンジの窓

161031-040924_r

シガールーム

この建物の内部の最大の見せ場が、このイスラム風喫煙室の濃密華麗な装飾です。漆喰彫刻に彩色を施した壁面も、大理石の柱や床も、往時のままの美しさを誇っていると言われています。

161031-040945_r

シガールームの天井

161031-040952_r

161031-041003_r

161031-041011_r

腰壁

小笠原伯爵邸 -1

161031-042442_r

月に一度の一般公開日に予約をして行ってきました。

今までも見ておきたい思っていたのですが、二三か月前に予約しないとならないので、中々スケジュールが合わなくて来れませんでした。

この外観は、車中から ちらりと見たりしていました。

161031-042407_r

161031-042504_r

エントランス

葡萄棚がデザインされた青空の透けるキャノピー

美しいですね

161031-042532_r

161031-042630_r

シガールームの外観

161031-042647_r

ガーデンテント・ガゼボ

161031-042703_r

ルーフガーデンテント

九州国立博物館 -3

161025-101509_r

3階

4階展示室に向かうの修学旅行生

161025-104755_r

3階から見た大屋根

木材の化粧材が間隔があり過ぎ効果が薄い。たぶん内装制限の関係

161025-104800_r

エスカレーター・階段部分

上下に展示場を重ねた場合の観客の搬送能力に難点あり

161025-104836_r

161025-104840_r

1階ホールを見る

161025-104849_r

この日、鳥獣戯画展・「京都高山寺と明恵上人-特別公開 鳥獣戯画」を開催していたが平日でもかなりの人出。私は、ほぼ開館時間に行ったのでスムーズだったが、見終わるとこんなにも並んでいた。

s_45title01

九州国立博物館 -1

161025-100423_r

大宰府天満宮からエスカレーターを乗り継いで行く

161025-100706_r

エスカレーターの中の色彩は変化する

161025-100745_r

161025-100850_r

エスカレーターを上がり切ると九州国立博物館。この日朝の内は博多も晴れていたのだが、昼近くになるにつれ雲が多くなってきた。

161025-100841_r

161025-100855_r

161025-100911_r

山の中を切り開いた、狭い平坦部に建物が建っている。

宮沢湖

161016-132421_r

ムーミンのテーマパーク「メッツサ」が計画されている飯能市の宮沢湖に寄ってみました。

161016-132624_r

宮沢湖の手前でバリケードにより閉鎖されていました。

161016-132702_r

少し湖面が見えます。この湖面の周囲に「ムーミンの世界」が展開されるそうです。OPENは2017年と公表されていますが、まだ造成工事も始まっていないようですから年末頃でしょうか。

161016-132711_r

人家や周辺道路から離れていて静かな森です。

メッツサが完成したら また来てみましょう。

あけぼの子どもの森公園 -1

161016-122315_r

飯能市にある、ムーミンの童話の世界をモチーフにした公園「あけぼの子どもの森公園」です。

161016-122338_r

体育館や競技場のある平坦な場所から、ゆるやかな坂を上がっていくと「ムーミンの世界」の建物が見えてきます。

161016-122426_r

161016-122522_r

坂をあがると右手にあるのが うろこ模様の屋根に覆われたこども劇場(多目的ホール)

161016-122445_r

きのこの形をしたムーミン屋敷

161016-122633_r

161016-122702_r

ムーミン屋敷に近づいて見ました。

小さい子供連れの家族が、あちこちに見られます。

161016-124628_r

ヒアシンスハウス・2016 -1

160903-152013_R

夏も終わり近く 涼しげな風と優しくなった光に包まれた別所沼

160903-152137_R

前回から2年半経過しているが、また訪れてみた。写真のような木彫りの看板ができていて、名称も「ヒアシンスハウス・風信子荘」になっていた。

詩人であり建築家であった立原道造のスケッチを基に、立原道造の夢を継承するするために建てられた。

160903-152201_R

夏の別荘らしく窓が全て開かれて、冬とはまた別な表情を見せていた。

160903-152255_R

160903-152314_R

160903-152341_R

 

飛騨高山テディベアエコビレッジ

160428-145032_R

飛騨高山テディベアエコビレッジ

こちらは民家を利用したミュージアム棟

160428-145214_R

こちらはショップ棟

160428-143553_R

160428-143600_R

ミュージアム棟の中には入らなかった

160428-143646_R

ショップ棟の出入口部分・右側はカフェ

160428-143642_R

160428-143709_R

妻側の壁

飛騨高山テディベアエコビレッジのショップには、

既に廃版になった熊さんも置いてあるとか。

上高地帝国ホテル

160429-110119_R

1933年(昭和8年)に、日本初の本格的な山岳リゾートホテルとして誕生した上高地帝国ホテル。深紅の屋根は、上高地の自然の中で一段と映えます。
160429-110202_R 160429-110211_R 160429-110220_R 160429-110412_R

160429-113019_R

 正面玄関側

今回は、上高地に二時間あまりしか滞在できなかった。

途中近くまで来たので上高地の神様に挨拶だけ

また来ます。

160429-113001_R 160429-112956_R 160429-112930_R

160429-112624_R 160429-111341_R 160429-111336_R

開業当初の設計者は、高橋貞太郎

現在の建物は、開業当初の外観を忠実に再現して1977年(昭和52年)

に新築された。

上高地インフォメーションセンター

160429-100645_R

上高地バスターミナルの一画にある上高地インフォメーションセンター

神の郷、神河内と呼ばれ聖域だった上高地

20代前半に後立山連峰の縦走以来、槍、穂高へ足を運ぶうえで上高地を訪れてきた

思い出深いところです。

自然は神秘的までに美しく、清らかな梓川、気高き山々、清浄な空気

何度来ても魅力的な世界が広がっています。

そんな聖域も、外国人観光客に満ち溢れていた。

まあ、バスターミナルと河童橋周辺に限定されてはいるが

160429-100725_R

春の陽ざしがある半面、雪雲に半身覆われ細かな霰が降るといった不思議な天気

160429-101449_R

内部は、木材で覆われた空間です。

160429-101505_R

160429-101509_R

160429-101519_R

160429-101528_R

この上高地インフォメーションセンターは、上高地に関する様々な情報を提供している公共施設。環境省自然保護管事務所があり、繁忙期には上高地臨時警備派出所、登山相談所が開設される。入山届を提出するのもここ

料亭 洲さき

160330-113434_R

高山の老舗料亭・洲さき

高山陣屋から宮川にかかる中橋を渡ると岐阜県・最古の料亭・洲さきがあります。寛政6年(1794年)創業、建物は高山市有形文化財です。

司馬遼太郎の「街道をゆく」(飛騨紀行)に、洲さきを取り上げた章があり、飛騨美学の結晶が込められていると称えられています。

洲さきのために高山に行く価値があると断言する人さえいます。

たぶん大人になつてしか感受できない空間・料理・おもてなしが、ここには凝縮されています。

160330-115148_R

160330-115201_R

入口

160330-133956_R

暖簾を潜ると寛成当時のままの玄関、土間を抜けると右手に囲炉裏があります。

飛騨らしい造りで趣があります。

160330-133738_R

160330-133744_R

160330-133950_R

160330-133117_R

室町時代に始まる本膳料理という日本料理の一つの型式・作法を今に伝える店です。

洲さきの宋和流本膳料理は、茶の湯の心をふまえた料理で、第二代高山藩主・金森可重の長男、茶道宋和流始祖である金森宋和が好んだ本膳の形と味を整えたものとあり、現在は、本来30品ある料理を11品に絞り込んだ宋和流本膳崩を提供しています。献立は毎月変わるそうです。

京都の華美な日本料理とは異なる日本料理が継承・進化されているようです。

高山恐るべし。