金沢からサンダーバードで京都に移動
ホテルにチェックインしたのは夜10時半頃
宿泊したのは九条のHOTEL ANTEROOM
四年ほど前に 学生寮からシェアハウス+ホテル+学生寮
へコンバージョンした建物
写真に写っている部分は、シェアハウスとのこと
ギャラリー
右側はMEALS(カフェ)
建築法務/ 建築ストック再生・活用 /長寿命化/ 環境建築 / 建築設計監理 / ㈱寺田建築事務所・一級建築士事務所
2012年に改修され開館した
「金沢学生のまち市民交流館」
Kanazawa Student Community Civic Center
「佐野家住宅は、木倉町から中央通りにぬける通りに面して建っています。建物は戦前に金沢近郊で多くの農地を所有していた佐野家が本宅として大正5年に建築したものです。敷地は北西側が道路に面する土地で、建物は主屋と土蔵のほか、表門と築地塀を構えています。
主屋は切妻造桟瓦葺き、妻入りの木造2階建てで、大きな妻面は束、貫を表したアズマダチの意匠とし、壁には黒漆喰を塗っております。外壁は下見板張りとし、正面2階部分に間口5間をはかる出窓を設けてキムシコを付けています。
1階の特徴的部分として、表玄関を上がり廊下を挟んで広さ2畳ほどの明かり取りを設けています。また、その横から奥にある12畳半の座敷と5畳の通り間を挟んで洋室を設けており、建築当時、洋室は座敷から見る芸伎などの踊りの舞台として使用されていたと言われています。ダイドコロの板の間部分にはイロリが残り、その床下にはハシゴで降りる深いムロがあります。また土間部分には流しと井戸が残っています。
2階は、部屋のほとんどが座敷の構えですが、特に広縁に面する10畳座敷は8畳座敷との間に雪景色の松を大胆に描いた襖を入れています。広縁の幅は1間で、現在駐車場となっている隣地に設けられていた庭園を見下ろす絶好の位置に廻っています。
佐野家住宅は近代における資産家が本宅として自分の嗜好に合わせて建築した点が特徴的で、金沢において大正、昭和の激動の時代を過ごした一資産家の生活を垣間見ることができます。また、現在の飲食店ビルや路外駐車場の多い商業地域のまちなみの中で、大正期からその姿をほとんど変えず現在地に建つ規模の大きな近代和風建築であり、表門と築地塀を構え、土蔵を備えた建ちの高いアズマダチの外観は、周辺が藩政期に武士居住地であったことを想像させます。」(金沢市指定保存建造物)
金沢学生のまち市民交流館
Kanazawa Student Community Civic Center
http://www4.city.kanazawa.lg.jp/22050/shiminkouryukan/
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今年H26年3月に改装オープンしたPasar守谷(上り線)SA
力強く構える木造大断面の構造柱によって
「恵みの森」の木立を表現しているとの事
土曜日の夜
柱列
『「守谷」の地名の由来と言われている「古来より広がる緑豊かな森」をイメージさせる「恵みの森」をコンセプトとし、木立の中に優しい木漏れ日がふりそそぐ情景を表現すること。』と丹青社のサイトには書いてあるのだけど、柱と木質系のインテリアには覆われているのだが、表層的。
樹木は、「根・樹幹・葉」によって構成されているが、
強調されているのは樹幹のみで、天井に「葉」のような緑色の三角形を散りばめているだけ。
これでは冬枯の森
屋根も木質大断面で「葉」を表現すればより一層「恵の森」というコンセプトが強調されたように思う。
とても惜しい気がする
大正15年に建てられた学生寮を美しく個性的な歴史的建物として後世まで残していくため、コーポラティブ方式により住宅として再生(リノベーション)をはかった2004年竣工のプロジェト。
元設計は、求道会館と同じ武田伍一
求道会館2階から撮影
求道会館左手の路地の奥にある
ここから奥には無断では入れません
別世界へのアプローチという感じ
共同住宅で人が住んでいるので建物の中は見れなかったが、目の保養になった。
土地の権利は現在の土地所有者である宗教法人(単立法人で求道会)が持ち、 参加者は定期借地権にて共同(「準共有」)で62年間借り受ける。その土地にある「歴史的な建物」を通常 のマンションと同様区分所有し、参加者で結成する建設組合にてリノベーション(修復)した。「借りた土地」の上に「今ある建物」を ディベロッパーが介在することなく「参加者で再利用する」から、余計な経費がかからず、魅力的な価格が実現された。
定期借地権設定+コーポラティプ方式という建築再生プロジェクト
http://www.abrain.jp/hongoh6/index.html
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2階
天井 左官鏝絵模様
コードだけで吊るされた照明器具
天井裏との空気流通を図る開口
5個という数字には、
宗教的な意味が込められているとのこと
暖炉のデザインは、武田伍一が
英国で見たマッキントッシュの「キモノ型」デザインに
刺激されたものと近角氏が説明してくれた。
【建物データー】
設計 : 武田五一
延床面積施工 : 149.141坪(492.93m)
階数 : 地上2階
構造 : 煉瓦造 一部鉄筋コンクリート
原設計設計期間 : 1903年頃~1915年
原設計施工期間 : 1915年5月~1915年11月
施工 : 初代戸田利兵衛(戸田組)
復原工事設計監理 文化財工学研究所
復原工事設計期間 : 1996年9月~2002年3月
復原工事施工 : 戸田建設
屋根は二重野地(木造+センチュリーボード)ガムロンシート防水 石綿スレート菱葺一部銅板葺
外壁はモルタル塗一部煉瓦
正面ファサード・玄関ポーチはタイル貼(備前伊部) 一部洗い出しモルタル
笠石は特殊コンクリート(フェロコンクリート)
2階から
屋根2×6トラス
祭壇
「近角常観(ちかずみじょうかん)は明治3年滋賀県に生まれた浄土真宗大谷派の僧侶で、親鸞聖人の信仰を伝える歎異抄を原点に据え、悩み煩悶する人間が絶対他力によって救済されることを自らの入信体験を基に繰返し説き、 仏教界のみならず幅広く同時代の知識人に大きな影響を与えた。
近角は若き日の欧州留学の体験をふまえ、青年学生と起居を共にして自らの信仰体験を語り継ぐ場として求道学舎を本郷のこの地に開き、明治35年から昭和16年に没するまでその経営に心血を注いだ。
また、広く公衆に向けて信仰を説く場として、大正 4年にこの求道会館を建立。
その壇上から有縁のものへ語りかけると共に、広く社会に対して仏教の有るべき姿を訴えた。その主張は政教分離の立場から国家による宗教管理とともに教団の政治参画にも強く反対し、宗教界の自立性の喪失に警鐘を鳴らし近代仏教の確立に大きく貢献した。」(求道会館サイトより)
奈良県庁
1965年に竣工して 49年
途中1997~1999年にリニューアルして元気な建物
設計は片山光生氏。
そう、壊されるはずの東京国立競技場の設計も片山光生氏
という事で思い出して掲載。
「書くことが無いのだろう」
いえいえ
「ありすぎるが、ちょつと所要が重なり時間がとれない」
これでも記事の更新には結構時間がとられるのですよ
【写真は2014年初春のものです】
登小路に沿って低層部があり、そのピロティ
打放しコンクリートの木目のテクスチャは健在
【奈良県庁舎・建物データー】
設計:片山光生
リニューアル共同設計監理:奈良県総務部管財課本庁舎整備室
所在地:奈良県奈良市登大路町
用途:庁舎
構造:鉄骨鉄筋コンクリート造
規模:地上6階、地下2階
竣工:1965年2月
リニューアル:
主棟・議会棟-1999年12月
東棟-1997年5月
北関東自動車道・宇都宮上三川ICで降り、宇都宮市郊外のインターパークというショッピングエリアのロードサイドにある産科クリニック
幹線道路からアプローチ
中庭に面して産科クリニック・アクア&フィットネススタジオ・ブック&カフェが配置されていて、複合施設となっている。
駐車場から
設計・施工 : 竹中工務店
【アルテミス宇都宮クリニック】
住所 : 栃木県宇都宮市インターパーク5丁目1−9
http://www.auc.med-apple.co.jp/index.html
【設計データー】
セイホクギャラリー1階
屋根面
2階から
屋根
セイホクギャラリー2階
【設計データー】
設計 河野泰治アトリエ
構造 東京大学大学院農学生命科学研究科/木質材料学研究室
施行 (株)エンゼルハウス
建築面積 359.21m2
延床面積 497.48m2 (1階 327.51m2 / 2階 151.97m2)
階数 地上2階
構造 木質構造
竣工 2008年8月
http://www.a.u-tokyo.ac.jp/yayoi/plan_annex.html