思索空間棟
床机は一脚90cm×90cm
組み合わせを変えることができる
思索空間棟から水鏡の庭
心落ち着く空間でした
侵入防止の手摺は16mm×16mm SUSビーズブラスト加工
建築法務/ 建築ストック再生・活用 /長寿命化/ 環境建築 / 建築設計監理 / ㈱寺田建築事務所・一級建築士事務所
台風一過で青天が広がる金沢21世紀美術館
青葉がきれいだつた。
検査済み証の無い建物を用途変更するにあたり、建築基準法適合状況調査、耐震診断(二次)、耐震補強案等を添付して法第12条5項報告書を金沢市役所建築指導課に提出し受理された。昨年来の仕事に一区切り。
金沢は暑かったですね。関東も30度を超えたところもあったようですが。
それにしても北陸新幹線が開通した効果でしようか平日でも観光客が目立ちます。外国人は欧米人が多いように感じました。行きも帰りも北陸新幹線を利用しましたがほぼ満席でした。
昨年末に金沢を訪れた時は、猛吹雪にあったのにまるで別世界。
金沢市街は緑が豊かなので、爽やかな風が吹くこの新緑の時期が一番見頃かもしれない。これで金沢には春夏秋冬の時期すべて訪れた。
金沢は用水の保全にも力を注いでいる。
メトロ東西線・神楽坂駅(矢来町側)を出た、交差点に「la kagu」はある。昨年の秋にオープンした商業施設
建物は、昭和40年代に建てられた新潮社の倉庫で波型スレートの外壁はそのまま。ずっと前から神楽坂のにぎわいにはそぐわない一画だったけど、隈さんが言う波型スレートの外観が神楽坂の街に根付いた景観要素だとは思えない。
隈研吾さんは神楽坂に住んでいるから、そう思ってしまうのだろうか。
古いということと、汚いというのは異なる。
人も建物も、老いたるものの身だしなみには 気を使いたいものだ。
駐車場側からの写真だが、1階店舗への入り口もある
エレベーターホール
波型スレートの内側は、木毛セメント版が下張りされていた。
2階店舗・品揃えは少ない、良さそうなものはおいてあるが値段は高い。
この建物を特徴づけているウッドデッキと2階にあがる大階段
キュレーターショップというのだが、商業的に成り立っているのかなぁ~
3月23日に落成式を終え、5月7日より利用開始される豊島区新庁舎(1階~10階)、建物全体では「としまエコミューゼタウン」と名付けられたらしい。
「エコヴェール」と名付けられた低層部のファサードを覆う装置
よくみると透明なガラス、太陽電池モジュール、植樹壁(手摺)、木製のような格子と色々と組み合わされている。
今のところなんだか仮設部材が取り付けてあるような、チープな感じも受けるけど、「樹木のような建物」と隈研吾さんが説明していたようになるのかどうか、しばらく見守りたい。
有楽町線東池袋駅(池袋側)から地下道が直結される。この近くに副都心線の新駅(雑司ヶ谷と池袋の間)ができるという噂もある。
商売柄もっとも関係深い都市整備部は、6階南側テラスに面して執務スペースが配置されるようだ。
新庁舎は近所なので、そのうち散歩がてら行き 内部写真も紹介する予定。
タワー部分の東京建物の分譲マンションは、すでに完売。坪330万円(正確ではない)と聞くから、一般庶民には高嶺の花のマンション。
12/17の猛吹雪の中、金沢市民芸術村に足を伸ばした
金沢市役所に掲示されていた「谷口吉郎・谷口吉生の建築」展ポスターを見て、どうしても見ておきたいと思った。
この日は、調査の為の準備で足場を設置したり、大梁調査の為に大工さんが天井を撤去している。明日からのコア採取や鉄筋探査箇所の確認で10人ぐらい現場には人が入っているが、18日は建築基準法適合状況調査+耐震診断、19日は別建物の建築基準法遵法性調査+耐震診断補助調査で二日間現場に張り付き、かつ調査をしないといけないので、行くなら金沢市役所から現場に戻るこの時間しかないと思い、タクシーに飛び乗った。
【職人大学校の一群】
1919年に金沢紡績(後に錦華紡績に改称)が開業し1923年から1927年にかけて、現在の各工房の元になった倉庫群が建設された。
その後、1941年に大和紡績株式会社金沢工場となり、最盛期には約2千人の工員を有した工場も、産業構造の変化と共に規模縮小を余儀なくされ、1993年に操業停止。
そこで1993年12月に金沢市がこの敷地を買い取り、公園として整備を進めた「建築再生プロジェクト」
東大(本郷)にある伊藤国際学術研究センター
香山壽夫氏(東大名誉教授)の設計
「桜広場」を中心に展開する
街に向かって開かれた知的な出会いの場
この広場の下には約500人収容の講堂が配され、広場へ突き出した2つのトップライトは講堂に自然光を取り込むとともに広場を照らす光の筒となる
地下2階の伊藤謝恩ホール
http://www.u-tokyo.ac.jp/ext01/iirc/index.html
MEALS
朝食の風景
フレッシュでボリュームもあり
レベルが高い
1Fプランは、こんな感じ
中央上部がMEALS
BAR
リーズナブルな料金設定
ウイスキーも30種類以上用意されているらしい
前日のチェックインが遅く疲れていたので利用せず
旅人、住む人、ギャラリーに来た人
様々な出会いの可能性が生まれる空間
箱物建築家では作るのは難しかったリノベ
空間プロデューサーの果たす役割は大きい
1F廊下・エントランス方向を見る
基準階のプラン
左側が学生寮、中央がホテル、右側がシェアハウス
基準階廊下
エレベーターホールの前にあった
貸し出し用の備品
客室は、今時のビジネスホテルよりゆったりしたシングルルーム
ドアの鍵がオートロックではない
というぐらいが違いで設備・アイテム共に遜色なし
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2012年に改修され開館した
「金沢学生のまち市民交流館」
Kanazawa Student Community Civic Center
「佐野家住宅は、木倉町から中央通りにぬける通りに面して建っています。建物は戦前に金沢近郊で多くの農地を所有していた佐野家が本宅として大正5年に建築したものです。敷地は北西側が道路に面する土地で、建物は主屋と土蔵のほか、表門と築地塀を構えています。
主屋は切妻造桟瓦葺き、妻入りの木造2階建てで、大きな妻面は束、貫を表したアズマダチの意匠とし、壁には黒漆喰を塗っております。外壁は下見板張りとし、正面2階部分に間口5間をはかる出窓を設けてキムシコを付けています。
1階の特徴的部分として、表玄関を上がり廊下を挟んで広さ2畳ほどの明かり取りを設けています。また、その横から奥にある12畳半の座敷と5畳の通り間を挟んで洋室を設けており、建築当時、洋室は座敷から見る芸伎などの踊りの舞台として使用されていたと言われています。ダイドコロの板の間部分にはイロリが残り、その床下にはハシゴで降りる深いムロがあります。また土間部分には流しと井戸が残っています。
2階は、部屋のほとんどが座敷の構えですが、特に広縁に面する10畳座敷は8畳座敷との間に雪景色の松を大胆に描いた襖を入れています。広縁の幅は1間で、現在駐車場となっている隣地に設けられていた庭園を見下ろす絶好の位置に廻っています。
佐野家住宅は近代における資産家が本宅として自分の嗜好に合わせて建築した点が特徴的で、金沢において大正、昭和の激動の時代を過ごした一資産家の生活を垣間見ることができます。また、現在の飲食店ビルや路外駐車場の多い商業地域のまちなみの中で、大正期からその姿をほとんど変えず現在地に建つ規模の大きな近代和風建築であり、表門と築地塀を構え、土蔵を備えた建ちの高いアズマダチの外観は、周辺が藩政期に武士居住地であったことを想像させます。」(金沢市指定保存建造物)
金沢学生のまち市民交流館
Kanazawa Student Community Civic Center
http://www4.city.kanazawa.lg.jp/22050/shiminkouryukan/
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