
にしん漁場建築・北海道指定有形文化財

小樽市街から車で15分ぐらいの祝津港にある


梁間7間強、桁行16間強


内玄関吹抜け部の架構

1階茶の間・居間

1階縁側

2階客間

2階客間妻側




積丹半島・泊村にあった鰊魚舎で鰊親方の田中福松氏が1981年(明治24年)から7年かけて1987年(明治30年)に竣工した建物。この地に1958年(昭和33年)に解体移築されたと記されている。

長大な材木を豊富に使った豪放な建物だった。
建築法務/ 建築ストック再生・活用 /長寿命化/ 環境建築 / 建築設計監理 / ㈱寺田建築事務所・一級建築士事務所
にしん漁場建築・北海道指定有形文化財
小樽市街から車で15分ぐらいの祝津港にある
梁間7間強、桁行16間強
内玄関吹抜け部の架構
1階茶の間・居間
1階縁側
2階客間
2階客間妻側
積丹半島・泊村にあった鰊魚舎で鰊親方の田中福松氏が1981年(明治24年)から7年かけて1987年(明治30年)に竣工した建物。この地に1958年(昭和33年)に解体移築されたと記されている。
長大な材木を豊富に使った豪放な建物だった。
さっぽろテレビ塔(電波塔)
1957年(昭和32年)に完成し、同年8月24日に開業した。高さ147.2m。設計者は、東京タワーの内藤多仲。
展望台にあがり大通公園を見た
札幌駅
先週、北海道はどこも暑かった。それでも東京より何度かは低く、湿度も低めだったのだが。
観光客は多いが、それでも中国本土の観光客があまりきていないので少な目で、目につく中華系の観光客は、台湾、香港、シンガポール等の人達と聞いた。
それにしても札幌は活気がある。まるで北海道中の富と人とエネルギーを吸収しているように思えた。
札幌市は、東京23区の約2倍の面積があり、北海道の人口の6割強が住んでいる
大成建設の施工不良(鉄骨建方の精度不良など)にともなう建て直し現場を見てきた。「(仮称)札幌北1西5計画(発注者:エヌ・ティ・ティ都市開発(株))」
延床面積約61000㎡、地上26階、地下2階の大規模プロジェクト
北1条・宮の沢道路に面する側の敷地右が中央警察署
左が旧北海道立図書館
解体工事は進んでいるようだが、
鍛冶屋、鳶等限られた職種のみ出入りしているようで静かな現場に見受けられた。
すぐ北側には道庁があり、札幌、北海道のビジネスの中心地
ハイアットセントリック札幌が敷地の道庁側17階から26階に入居予定だった
道庁赤れんが庁舎は、工事中で工事養生シートに絵が描いてある
門柱
外灯
5年ぶりの札幌市役所
ちょっと寄ってみた札幌時計台
相変わらず観光客で賑わっていた
2階
以前から展示されていたのかも知れないが、
今回目についたのは時計台の外部塗装の変遷
新潟から船で小樽に向かいました
写真は新日本海フェリー・アゼリア丸の4階から6階の吹抜け
新潟12時出港、小樽着翌日の朝4時半
船旅は快適でした。
夏の日本海は波が穏やか。
大浴場や露天風呂もあり、寝ている間に運ばれていました
以外と沖合を走行するのか、携帯電話も時々しかつながらず、インターネットもできず、テレビも時々中断します。
朝4時頃の小樽港沖合
フェリーが着岸するところです
何故 船で北海道に行くことになったか
私「札幌行かなくちゃならなくなったんだけど」
姫「飛行機なら行かないよ」
私「日本では御巣鷹山の墜落以来、墜落死亡事故はないんだけど」
姫「あんなものが空を飛ぶことが信じられない」
私「12時間空を飛んだことあるじゃない」
姫「あれはあれ。とにかく飛行機は乗らない」
私「姫様 新潟から船で小樽経由、札幌ではいかがでしょうか」
姫「それなら考えてもよいわ」
私「新潟から小樽って月曜日は出航しない。前日の日曜日に行くしかない」
姫「しかたないんじゃない」
私「小樽は、高校生の時に一度行ったことがあるだけだから、近代建築のリノベーション案件でも見てきますか」
ということで、この記事は小樽で書いています。
新潟に来ました
駅ビルは工事中なのか、あまり店がありません
新潟らしいと言えば新潟らしいのですが、酒推しが前面に出ています
昼食をとろうと思ったのですが、適当なところがなく御握りを買いました
鮭とタラコの爆弾おにぎりを半分ずつ
昭和25年、愛知国体の際に昭和天皇皇后両陛下の御宿泊所として、堀口捨巳により設計された。昭和26年日本建築学会賞受賞。平成11年DOCOMOCO Japan最初の近代建築二十選に認定された。
恩師・伊藤ていじは「和風建築では時間はいつも停止しているし、そこにあるのは時間軸が停止している空間があるばかりである。時代という時間は空間に結び付けられていない。」と書いていた。(「和風建築論」新建築1979年6月臨時増刊・和風建築⁻手法とコスト分析)
学生時代から見たいと思っていた八勝館・御幸の間に ようやくたどり着くことができた。確かに そこは時間が停止していた。
眼福・眼福
昭和33年築、堀口捨巳の集大成の作品と言われている
隅々まで良く手入れされた庭に見えた
背景は御幸の間
四百年前ほどに建てられた滋賀県甲賀郡の建築物を移築
この囲炉裏を用いて板場さんが料理をしてくれるそうです
人気のある部屋だと聞きました
昭和25年築、堀口捨巳の作品
表千家の残月亭の写しとして名高い部屋
明治半ばに建てられた材木商時代の代表的な部屋
腰部分が無双になっている
照明器具は現代のもの
名古屋市昭和区にある八勝館の見学会があり参加してきました
明治十年代に材木商が別荘として建てた屋敷を購入され大正14年に旅館業を始め、時代の移り変わりの中で、現在の料亭になったそうです。
玄関へのアプローチ部分
2020年(令和2年)、堀口捨巳さんが設計された御幸の間棟ほか8棟と庭を含むほぼ全域が国の重要文化財に登録されています。
名古屋市東区橦木(しゅもく)町にある「文化のみち橦木館」
陶磁器商・井元為三郎が大正末期から昭和初期に建てた邸宅
現在、名古屋市有形文化財、景観重要建造物
名古屋にも戦災で焼けなかった近代建築が残っているのを始めた知った
2階展示室
「青木茂リファインニング建築展」が7/26~8/6まで開催されているのを知ったので、ここに寄ってみた。模型と説明パネルの静かな建築展。
庭園
玄関
道路(西)側のバルコニー
パルコニーもこのぐらい奥行きがあると日影が出来る
この時期、暑くてバルコニーにも出たくないけど
2階ロビーの家具
端材を組み合わせたようなテーブル
廃材を利用した丸テーブルの天板
ドアを開けるなり、木の豊潤な香りに包まれました。
空間が良い香りに包まれると何とも幸せな気持ちになります
聞くところによると吉野杉を天井に使っているそうです
エントランスは2層吹抜けとなっています
エントランス正面の階段
2階から1階エントランス
1階エントランス
2021年9月に改修工事が終わった浅沼組名古屋支店を見てきました。
築30年のガラスカーテンウォールの道路面(西側)のファサードを2.5mセットバックしてベランダ空間を作っています。木の柱列は、構造材ではないようで取り外しが出来るそうです。
案の定、西側の植栽は一部枯れているように見えました。植栽の維持管理は中々難しそうです。
この淺沼組名古屋支店改修PJは、第1回 SDGs建築賞の大規模建築部門において「一般財団法人住宅・建築 SDGs 推進センター理事長賞」を受賞しています。
デザインは新古典主義を彷彿させます。
「懐石 近又」は、京都の典型的な町屋造りで2001年に国の登録有形文化財に指定されています。建物自体は明治20年代と聞きました。
庭
階段
座敷は七室、そして坪庭と、裏庭があります。京のど真ん中に残った町家で、和の世界満載の建物です。和の心、「わび」「さび」の世界を楽しめる空間です。
錦小路に近い、京のど真ん中にありますが思いのほか静かです。そしてとても便利な立地にあります。
トイレ脇の照明
コロナ前までは宿泊も出来る「京町屋オーベルジュ」でしたが、現在は宿泊は休止しているそうです。コロナ禍で宿泊者がなかったことで槙の浴槽が使えなくなった事と、人手不足もあるとの事でした。
建物を見せていただいたあと、御主人とおかみさんが見送ってくれました。
「祇園祭の宵山見ていかれないんですか」
「混むから早々に帰ります」
と観光客で混雑してきていた京を後にして東京に戻りました。
高松での打合せ・調査を経て、翌日岡山で打合せ。帰路京都に途中下車して上賀茂神社に御参りしました。
この日、ラッキーだったのは神馬の出社日だった事。毎月1日が出社日だが7月だけは15日ということで、毎年上賀茂神社に御参りしているが、始めて神馬にあうことが出来た。
神馬に人参をあげてきました
本殿
四国村をさらつと見て、四国村カフェでお茶。
石畳みの坂道は、年寄りには結構きつかった。学生時代に来たときには辛いとは思わなかったが、今回は結構膝に来た。安藤忠雄さんの美術館は閉鎖していたし、おやねさんの2階ギャラリーは見忘れた。この後高松市街に戻り仕事の関係者との打合せ、夜は関係者との会食、翌日は終日調査。
四国村カフェ
店内
染が滝
彫刻家・流政之(ながれまさゆき) が設計した、幅12mの石と水による芸術作品
丸亀藩御用蔵
主に米を貯蔵していた御用蔵
現在は、インフォメーションセンター
壁は漆喰塗りの仕上げで、腰部分はなまこ壁。
かずら橋
徳島県祖谷地方のものを再現(4年に一度架け替え)という
私は重量級なので橋を渡るのはためらった
小豆島農村歌舞伎舞台
野外劇場