ガララテーゼ集合住宅-1 Aldo Rossi + Calro Aymonino

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ガララテーゼ集合住宅 Gallaratese Housings
アルド・ロッシ + カルロ・アイモニーノ

Aldo Rossi + Calro Aymonino
建設 1970年

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上の二枚がアルド・ロッシの設計によるもので、たぶん一棟だけが無機質な外観。他の部分は彩色豊かな カルロ・アイモニーノ担当の建物。

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ヴィラ・マラパルテ -4 / Adalberto Libera

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カプリ島の港・ナポリからフェリーで小一時間

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この小舟をチャーターして船着場まで

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こんな澄みとおった海は見たことが無いぐらい。

陽にきらめいている水面が印象的だった。

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船着場から急な階段を上り

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ヴィラ・マラパルテが現れる

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山側のアプローチを望む

ヴィラ・マラパルテ -3 / Adalberto Libera

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【地中海を望む】

ゴダールの「軽蔑」のロケ場所となった、この別荘は外部の1階から2階の屋根までが階段になり、その上にこの屋上テラスがある。

「軽蔑」のロケは、このテラスや室内を使った。

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【映画「軽蔑」の一シーン・監督:ゴダール】

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この映画を若い時(多分高校生の頃)に観てから、いつかは実際のロケ場所を見たいと思っていた。大学に進むまでは文学青年で、建築に進むとは自分でも思っていなかった。

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1989年に訪れた時は、まるで恋焦がれた女性と初デートしたような 胸のときめきを覚えた。

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山から連続する階段(屋根)を昇るとこのテラスに進む。

そこは神々しい儀式の場。

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【1963年の映画「軽蔑」のポスター】

ヴィラ・マラパルテ -1 / Adalberto Libera

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作家でありジャーナリストでもあったクルツィオ・マラパルテ(1898-1957)の住宅。

マラパルテは、1922年のローマ進軍に参加したファシストでありながら、その後ファシズムに批判を向けた著作「クーデターの技術」を発表し、その為にバリ島で五年間の流刑を甘んじて受けることになる。

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カプリ島の地中海を臨む高台に作れたこの住宅は、海に向う階段として構想されている。

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カプリ港から小舟をチャーターし島をめぐり、この住宅の船着場からアプローチした。

陸路 この建物を探してたどり着いても門は閉ざされていると聞く。

1989年ナポリからカプリ島へ渡ったときの写真である。

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サンカタルド墓地 -1 / Aldo Rossi

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モデナ郊外のAldo Rossiの設計による墓地・San Cataldo Cemetery

非常に広大な墓地で、道路を挟んで旧館と新館とも言える墓地に分かれており新館がこの建物である。

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この建物の中は、屋根のない納骨堂になっており、周囲の建物とは、異なり無縁仏を弔っているのではないかと思える。

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この外界と隔てる建物の中の墓地は、故人の遺影がそれぞれ飾ってあった。

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静寂というかあまりに悲しげな空間だったと記憶している

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サンテリア幼稚園 / Giuseppe Terragni

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写真に映っているひとの中には故人となった人もおり懐かしい

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ジュゼッペ・テラーニが生きた時代は、ムッソリーニ政権下のイタリアファシズムの時代だった。

その中にあって、テラーニはモダニズム運動の旗手の一人として「<新しい体制>の表現としての建築」にその生涯を託した。

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彼の作品はモダニズムの建築として、近代イタリアという枠を超えている点で高く評価されている。

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インターナショナリズム(ラショナリズム)とナショナリズム。アヴァンギャルディズムとクラシシズム。

「大衆のための建築」と「国家の建築」といったアンヴィヴァレントなジレンマが含まれているという。そこにテラーニの悩み、自殺の要因が秘められているように思う。

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カサ・デル・ファッショ / Giuseppe Terragni

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ジュゼッペ・テラーニの代表作とも言えるカサ・デル・ファッショは1936年の作品である。

邦訳すれば「ファシストの家」つまりイタリアファシスト党の地方事務所である。

訪れた当時は、税務署として使われていると聞いた記憶があったが、今回調べ直してみたら 現在の用途は、国境警備隊本部のようである。コモはスイス国境に近い。

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コモを訪れた時は、「カサ・デル・ファッショはどこにありますか?」などとは聞かないことだ、怪訝な目で見られることは間違いない。自分もそういう目で見られた。

ジュゼッペ・テラーニは、ファシズム下のイタリアにあって建築集団の左翼を形成していたイタリア合理主義(ラショナリスト)達のひとりである。

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「ファシズムとはガラスの家である」と言ったムッソリーニの命題に応えるべく造ったイタリアファシズム建築の代表作といえるだろう。

テラーニ自身がファスト党党員であり、従軍し、後に自ら命を絶った。

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「なんだ 単なるモダニズムじゃないか」と言ってコピーする無かれ、心のこもらないコピーニストに真のモダニズム建築は造れない。

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戦没者慰霊碑 / Giuseppe Terragni

若い時 訪れたヨーロッパの建築と それにまつわる思い出を時々書き綴ってみようと思う。

昔のネガフィルムやビデオを、倉庫の段ボールの中でこのまま寝かし続けておくこともないだろう。今のところスライドやネガからデジタル化して掲載するので、画質や色調があまりよくない。

8mmビデオからデジタルへの変換も依頼してあるので、後ほどそちらの写真に差替えるかもしれない。

ともかく、いまなおそこにある有名建築もあるし、取り壊されてしまった建物もある。

昔の写真を見ると色々なことが思い起こされてくる。

まずは学生時代から好きな建築家 イタリアのジュゼッペ・テラーニから

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これは、イタリア北部のコモ湖岸にある戦没者慰霊碑。

1989年に訪れた時の写真。

もう あれから25年経った。

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アントニオ・サンテリアが死の二年前にスケッチした「灯台のスケッチ」(1914年)を、同じ未来主義者エンリコ・ブランボリーニが戦没者メモリアルとして転用する事を計画し、その後紆余曲折を経て1933年ジュゼッペ・テラーニの手によりサン・テリアの故郷であり、又 テラーニの主たる活躍の場であったコモの湖畔に建造された。(1931年~1933年)

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