道の駅 いたこ

駐車場が約300台という とても大きな道の駅

観光情報棟・新鮮市場(農産物直売場)・うるおい館(土産物)・レストラン・菓子工房・グラスハウス(休憩場)・グラウンドゴルフとあり、ちょつとした地元スーパー

地方の農産物直売場で新鮮な野菜を仕入れてくるのが常で、この日も新鮮市場を見て回ったが、売れそうな野菜類は豊富な量が並んでいた。比較的小さな道の駅には、意外と珍しい地場の野菜等を見つけるのだが、ここにはそうしたものは見つからなかった。

何でもあるんだけど 欲しいものがない

鹿島神宮

常陸国一宮鹿島神宮・楼門

日本三大楼門の一つに数えられる楼門は、高さ約13m、重要文化財。寛永11年(1634)、水戸徳川初代藩主の頼房卿により奉納されたとある。

御祭神は武甕槌(タケミカヅチ)大神

「夏越の祓(なごしのはらえ)」に行われる神事「茅の輪くぐり」


茅の輪くぐりとは、

茅(かや)で作った大きな輪をくぐることによって心身を清め、

無病息災や厄除け、家内安全を願う行事。

当然ながら正しい手順でくぐってきました

奥参道

蜘蛛の巣が美しく見えた

要石

鹿島神宮の要石は凹型になっている

奥宮は、2026年の大祭に向けて改修工事中

鹿島神宮は、言葉に表せないぐらい良いところです

原初的な力強さ、静謐なんだけど温もりがある、そんな神域です

The sun rises in the east・北浦

7/13 午前4時 

何時ものように早朝に寝覚め、雷雨の後の空を見た

空が白々と明けていた

朝の空気を吸う

北浦

突如 部屋にオレンジ色の光が差し込んだ

陽が登ったのだ

山の上からみれば御来光だが

丁度 鹿島神宮の方角から旭日が差し込んでくる

北浦の湖面に映し出された光の帯が徐々に伸びていく

まるで光の橋だ

この橋を渡って鹿島においでと誘われているようだ

この橋は、日の出から日がある程度高くなるまでの約1時間ぐらいで消えた

思いがけず いいものを見た

神様に導かれたような、そんな気持ちにさせてくれた

香取市佐原伝統的建造物群保存地区

佐原の市街地を南北に流れる小野川を挟んだ街並

人影はまばら

佐原は、利根川の東遷により小野川が利根川と繋がると、その利根川の舟運と香取街道や銚子道といった陸路との接続点であることから、利根川の代表的な河岸として、江戸への荷の集積地として栄えた都市。

右奥が伊能忠敬記念館の入口

学生時代には こういう街並みや蔵造りの町屋や土蔵、洋風建築などの伝統的建築物 を見ると心がときめいたのに、今はあまり興味は湧かなくなった。といいつつ結構若い時に見に行けなかった各地の伝建地区は、機会があればと訪れたいとチェックはしている。

伊能忠敬記念館

千葉県佐原は、伊能忠敬の生地です。

さほど期待もせず、ちょつと寄ってみただけでしたが、

測量図には圧倒された

町並み観光駐車場側

土蔵と思いきや、厠でした

伊能忠敬は「学問を始めるのに遅きはない」を地で行った人です。

江戸で、天文方高橋至時の弟子になり勉強を本格的に始め55歳で北海道南岸の測量を行い、以後計10回に及ぶ日本全国の測量を71歳まで行いました。忠敬は73歳で亡くなりますが、彼の没後3年にして日本全図は完成した。記念館に伊能忠敬の蔵書目録があったが、江戸に行く前から家業の傍ら相当に勉強していた様子が伺える。

ただただ尊敬。


香取神宮

香取神宮・楼門

元禄13年(1700年)造営・重要文化財

本殿・元禄13年(1700年)造営・重要文化財

下総国一之宮 香取神宮

御祭神・経津主大神(ふつぬしのおおかみ)

奥宮

香取神宮の要石は凸型で、丸くて可愛らしい

香取神宮と鹿島神宮は一対の存在とは聞いていましたが

それを実感しました。

大洗海洋博物館

大洗磯前神社境内にある大洗海洋博物館

最初は休憩所かと思ったが、よく見たら海に関する展示物があつた。

平成9年に新築・移転されたと書かれていた。

中々良い雰囲気

設計は、アルキストの豊田利明氏

さあ、東京さカエルべ

大洗磯前神社

大洗磯前神社・鳥居

本当は、海上の神磯の鳥居を見て、一の鳥居、二の鳥居と上がってくるのだろうが

膝が痛いので省略

朝早いので、境内にはほとんど人がいない

拝殿・施されている彫刻が精緻

江戸初期の建築様式を伺い知ることが出来る

狛犬可愛い

アニメ・ガールズ&パンツアーの聖地でもあります。

高松

香川県の高松に来ています。

学生時代以来ですから実に40数年振りの訪問です。

JR高松駅の海側の風景ですが、随分高層ビルが立ち並んでいます

学生時代に高松に来たときは 四国村や瀬戸内海歴史民俗資料館、直島の石井和宏さんの幼稚園・小学校・役場を見に来た記憶があります。

今回は ほとんど業務対象の建物しか見ることができませんが、それらの建物はどうなっているか確認してみたい気持ちもあります。

高松→岡山→京都→東京→帰宅一晩寝るだけ→千葉と一週間連続で出張です。

EAT GOOD PLACE

池袋造幣局跡地のイケ サンパーク内にある「EAT GOOD PLACE」というカフェで打合せ。公園は春休みのせいか子供達が多くにぎやかだった。

内部は鉄骨のインフレーム

カーテンでスペースを区切れる

外のテラスでお茶するのも楽しい

オールプレス エスプレッソ東京ロースタリー&カフェ

木造の建物がひときわ目立ち、いい雰囲気を醸し出している「オールプレス エスプレッソ東京ロースタリー&カフェ」 木造の古い倉庫をリノベーションしたそうです。

エスプレッソは苦手なのですが、たまに飲むと新鮮な感じがします。

ブルーボトルコーヒー清澄白河フラッグショップカフェ

アメリカ・カリフォルニア州・オークランドに本社がある「ブルーボトルコーヒー」の「清澄白河フラッグショップカフェ」に寄ってみた。ブルーボトルコーヒーは、ネスレのグループ企業とのこと。

平日の午後でも客は多かった

今風のお洒落なインテリアだったが、珈琲の味は普通。味の好みは人それぞれだが、クッキーやケーキの甘いお菓子となら相性が良いかもしれないと思った。

横浜市役所・新庁舎

久しぶりに横浜市役所へ。昨年6月に新庁舎がオープンしたと知ったのは数日前。

特徴のない外観の超高層ビルで、周囲にもそうしたビルが多いせいか車で移動していて、どれが新庁舎か認知できなかった。村野藤吾設計の旧庁舎や都庁のように際立つデザインにして欲しかった。デザイン監修者は槇さんだというが、どうなんでしょう。

それにしても横浜市は財力あるなぁ~。昔から神奈川県より横浜市の方が財力あると言われていたが・・・地下駐車場代が1時間以下の駐車で900円は高すぎ。

それでも分散していた庁舎がひとつになったのは、様々な部局に行かなければならないときは大いに助かる。

新市庁舎は、JR・地下鉄「桜木町駅」から徒歩3分、みなとみらい線「馬車道駅」から直結と、観光の合間に立ち寄るにも便利な場所。すぐ隣を大岡川が流れるリバーサイドの景観は、晴れた日に散策したくなるような空間になっているようだ。

令和3年1月8日の新型コロナ感染・緊急事態宣言発出に伴い、現在のところ来庁による建築相談は対応しておらず、横浜市申請予定の建築相談は、投稿フォームを利用することになっているが、建築情報センターは通常通り業務を行っている。

写真は、2階からアトリウムを撮影。

「開かれた市役所」を目指したという新市庁舎は、地上32階、地下2階建て。そのうち1~2階には全国初、市役所内の本格商業施設「ラクシス フロント」が入つている。

横浜創業の書店「丸善」がプロデュースする「ブック&カフェ HAMARU」も覗いてみたかったが、この日予定を詰め込み過ぎて時間に追われていたので新庁舎をあれこれと歩き回る時間がなかった。

BONUS TRACK

2020年4月にオープンした世田谷区代田の「ボーナス トラック」で打合せ。

小田急線が地下にもぐって、下北沢駅から代田駅にかけてのエリアにボーナス的に生まれた線路跡(トラック)ということで「ボーナストラック」という名前がつけられたそうです。また、音盤におけるボーナストラックというのは、本来の作品の外側にあるけれど、実はアーティストたちがやりたいことをやりやすい部分でもあり、そういった余白のような場所として、いろんな人に、本来やりたいことをここで思う存分やってほしい、という思いも込められていると聞きました。

昔の長屋のような小規模な建物をベースに、真ん中にほど良いサイズの屋外スペースがあり、商業施設というよりは、職住遊が渾然一体となった商店街・小さな複合型施設でです。下北沢駅と代田駅の中間にあり、どちらも歩いて5分ぐらいなので、下北沢の商業感と代田の住宅感を合わせ持つような建物群となっています。

建物全体の印象は今風なのかお洒落て、可愛いというか、軽いです。木造2階建てがベースですが、地下に小田急線が走っているので建物の荷重制限があるのかも知れません。

国立歴史民俗博物館

今年は、仕事で東京-成田を何度も行き来したのに、中々 佐倉の国立歴史民俗博物館に行くことができなかったが、ようやく寄ることができた。

「何年ぶりで来ただろうか」と妻(パートナー)に聞いたところ、子供達が幼稚園ぐらいのときだから、かれこれ35年振りということだった。

城跡の公園は、紅葉でとても美しかった。

是非見ておきたかったのは、企画展「性差(ジェンダー)の日本史」

私のような歴史好き、古代史マニアには常識みたいな事なのだが、前方後円墳の時代、女性首長は数多く存在していたことは古墳遺跡の発掘調査で明らかで、当時の女性の地位は、男性とほぼ変わらないと言われている。その代表的存在が邪馬台国女王・卑弥呼。

しかしながら古墳時代中期になると女性の地位が大きく変化して首長は急速に減少する。その背景は韓半島をめぐる軍事的緊張だっただろうと考えられている。ただ地域社会においては女性の地位は高かっただろうと推定されている。

ジェンダー区分は、律令国家の成立とともに確立し、近代化とともに政治の世界から女性は排除され、爺達が支配するようになる。今や現代日本の政治の分野では5爺の時代とさえ言われている。

詳細は自分の目で確認してください。「性差の日本史」企画展は、12月6日まで開催。

ともかく意欲的な企画展で、久しぶりに展示物をよく見た。

それにしても国立歴史民俗博物館は広い。じっくり見ようと思ったら丸一日は必要だ。若い時の記憶では平気だったと思っていたが、今回は途中でへばってしまい、近代と現代は見ないで帰ってきた。6つの展示室の中、4つしか見なかったことになる。

いま、企画展の本「性差の日本史」をじっくり読み直している。とても面白い。