あまり薄いものは測れませんが、安価だったので買ってみました
取説が英語版のみ
息子に訳してもらい操作方法を教えてもらいました
たぶん測定器の価格よりアルバイト代の方が高くつきそう
錆止め塗装を落としカップリング材を塗っているところ
鉄骨埋込柱脚部からコラムの板厚を計測してみました
作業をしているのは、今年21歳になるインターンシップのI君
板厚は、12mmというところでしょうか
建築法務/ 建築ストック再生・活用 /長寿命化/ 環境建築 / 建築設計監理 / ㈱寺田建築事務所・一級建築士事務所
最近 BGMとして聞いている東京大衆歌謡楽団の「東京ラプソディ」
1936年(昭和11年)に藤山一郎によつて歌われた。
昭和モダン末期の東京を描いている。
昭和11年という年は、2.26事件もあり戦時色が一層強くなってきた時期と言われています。
権力によって昭和モダンが抑圧され消えゆく中で
この歌は「モダニズムの残響」とも言われているそうです。
こんなに 心がわくわくする東京があったんだなぁ~
ところで 今 銀座には柳の街路樹は見当たりません
1874年(明治7) 銀座通りに日本初の街路樹として松、カエデ、桜が植えられたそうですが1877年(明治10) 地下水位が高いために松、桜が枯れ柳に植え替えられたとあります。(初代柳の誕生)
1884年(明治17年)には、銀座の街路樹はほとんど柳になったと書かれています。1923年(大正12) 関東大震災により全銀座は焼失し1932年(昭和7)に一時、イチョウに植え替えられたこともあったが1929年(昭和4)の「東京行進曲」(昔恋しい 銀座の柳・・・)のヒットで、朝日新聞社や有志などの寄贈により柳が植樹される。(2代目柳)
しかし戦災でほとんど焼失し戦後何度か捕植が試みられたが 現在は残存していないようです。
5月15日、「建築ストックの再生・活用技術セミナー」IN 大阪は、会場一杯の参加者を得て終了しました。住宅医スクール関係・MOKスクール関係の人達の参加が多かったので、どうしても木造関係の話の方が馴染みやすかったようです。
これで企画・構想から始まった6ヶ月間の独自セミナーは終了しました。シナリオライターとしては、朝ドラが一本 ようやく終わったと言う感じです。
セミナー事務局長兼講師で、しかも 講師の中で一番長い90分という時間に変更したので、両方の準備が重なり 講師の方の準備が疎かになりがちでした。
それでも、この5年程の仕事をリフレクションでき、形にすることができたことは、大きな成果だったと考えています。
また、次の展開に向けての 足掛かりができました。
横浜駅西北口は、随分と建物が建て替わってきている
軽快ではなく軽薄という意味で
豊島区庁舎のグレーチングは鋳物だったのでそれなりの重量感があった。
ディテールは稚拙だったけど。
割箸建築からジャンク建築への転向か