「科学でツッコむ日本の歴史~だから教科書にのらなかった」平林純

 著者曰く科学の視点で歴史を調べ上げズバッと斬った本。気楽に読めたが、後から考えると深い内容が散りばめられいる。

 日本では歴史は文系、科学は理系で選別され「別物」扱いされがちで、歴史=暗記だと勘違いされている。この科目別教育と若年のときから理系・文系コース分けの弊害は、今の日本に如実に表れているように思う。

 フィンランドは科目別教育を廃止し、領域横断型で現象やイベントを総合的に学ぶ教育システムを導入したと聞いた。見直しが始まつているところがあるのは興味深い。

「科学・・起きる現象には必ず理由があって、それを解き明かすことができる。」と著者が書く通り。全て科学で解明できるかどうかは一旦置いといて。

 最初に豊臣秀吉の「中国大お返し」を取り上げている。織田信長が本能寺で明智光秀に殺されたとき、秀吉は京都から200km以上離れた備中(現在の岡山市北区)にいた。「信長死す!」との知らせを聞いた秀吉は、毛利方と和解し京都に向かい山崎の決戦となる。

 秀吉軍2万人が一週間から10日ぐらいで移動する。これを伝説の「中国大返し」というのですが、よく考えると一日20kmから30kmの移動なので、1日8時間歩くとしても時速3km程度なので、普通に歩く程度。もっとも歴史の本によると備中高松城の陣から姫路までの移動は大変だったらしい。

 この本の著者が注目したのは「食料」。2万人が200km移動するのに必要なエネルギー、食糧を用意した石田三成の実務官僚としての能力の高さ。石田三成は若い時から兵站部門に能力を発揮していたらしい。石田三成再発見という気がした。

他にも考えることがあった。それは労働時間のことだけど、別の機会に書くとしよう。