「日本の植民地建築~帝国に築かれたネットワーク」西澤泰彦著

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2009年に日本建築学会論文賞を受賞された、現名古屋大学教授である西澤泰彦さんの本です。戦前、日本帝国の拡大・侵略・統治とともに東アジアに広がった植民地(朝鮮・中国・台湾)には、日本の近代建築から忘れ去られた建築群がありました。

西澤さんは、建築が植民地支配に果たした役割を余すところなく描き出すとともに、近代日本建築史の欠落を埋め、初めて本格的な歴史的評価を示した人です。

この本では、台湾総督府・朝鮮総督府・関東都督府・満鉄・満洲国政府の建築組織とそれぞれのネットワークを明らかにしています。

また植民地建築を支えた建築材料~煉瓦・セメント・鉄に焦点をあて、これら材料の確保の実情を明らかにしています。植民地経済の実態に迫るもので非常に興味深い論考でした。

台湾では、1900年(明治33年)の「台湾家屋建築規則」、「台湾家屋建築規則施行規則」が本土と比べても早く法制化されていますが、それは都市化が急速に進んだという事を示しています。

台湾では、本土より早く普及した鉄筋コンクリート造の建物が普及し、建築後10年程経過して柱、梁の亀裂が入りコンクリートの剥離や脱落が見られるようになり、台湾総督府の栗山技師が調査・研究にあたったと書かれています。その結果を1933年1月刊行の「台湾建築会誌」に「鉄筋コンクリート内の鉄筋の腐食とその実例」という論文にしたと紹介されています。それが日本国内でも注目を集め、台湾で起きた問題は日本国内でも将来起こりえる問題として捉えられ、1936年8月には当時の鉄筋コンクリート造構造の権威であった東京帝国大学教授の濱田稔と日本大学教授の小野薫が台湾を訪問し、被害実態の把握と原因の考究をしたとし、その内容を紹介されていますが、現在につながる鉄筋コンクリートの耐久性の問題は、とても面白かったです。

台湾でいち早く普及した鉄筋コンクリート造は、問題が表出するのも早く、台湾総督府の技師たちは対応策も考えられたにもかかわらず、その蓄積された技術が十分に日本国内の建築技術には生かされなかったようです。

西澤さんは「建築はもっとも雄弁に時代を語る存在である」という村松貞次郎さんの言葉を掲げています。建築を語ることは、その時代を語ることであり、歴史を語ることにつながるという視点はとても大事だと思いました。