
初詣は、1月2日午前中に、恒例の大塚天祖神社
JR大塚駅周辺には、外国人の旅行客を随分とみかけました。
正月休みというのは特に取らず、年末年始も継続して業務は行っています
従来、年末から年始にかけて用意していた「てら・アソシエイツ通信第9号」は、業務多忙の為、充分時間をとれないので2023年3月に発行を延期しました。
建築法務/ 建築ストック再生・活用 /長寿命化/ 環境建築 / 建築設計監理 / ㈱寺田建築事務所・一級建築士事務所
初詣は、1月2日午前中に、恒例の大塚天祖神社
JR大塚駅周辺には、外国人の旅行客を随分とみかけました。
正月休みというのは特に取らず、年末年始も継続して業務は行っています
従来、年末から年始にかけて用意していた「てら・アソシエイツ通信第9号」は、業務多忙の為、充分時間をとれないので2023年3月に発行を延期しました。
【写真は2022年5月・京都 上賀茂神社】
新年あけましておめでとうございます。
本年も宜しくお願いします。
12月30日、ささやかな忘年会
近くの お気に入りのレストランで
今年は、ひとつのプロジェクトに
会社全体で取り組んできた。
来年はどういうことにチャレンジするかという話題に盛り上がる
久しぶりにワインを飲んだので酔っぱらった。
というか夜の8時は寝る時間だったので食事の途中眠たくて仕方なかった
目が覚めたら大晦日
ようやく年賀状の宛名整理が終わった。これから宛名印刷
今年も沢山の喪中の葉書が届いた。
例年は親が死んだという喪中葉書が主だったが、今年は年賀状をやり取りしている直接の知人の喪中葉書が2通。
一人は設計事務所を経営していたMさんで、審査機関に在職していたころJW_CADの天空率計算のセミナー講師をしてもらっていたりして長くお付き合いがあった。享年73歳。今年の初めにはまだ元気で設計活動をされていたのに、病が発見され闘病生活に入ることになり、Mさんが基本設計をしていた住宅の設計を息子さんからの依頼で引き継いだ。施主からの変更要請と長期優良住宅認定をすることになり随分と変更もしたが、かなり久しぶりに意匠図、設備図、電気図は全て一人で書いた。7月に亡くなる直前「あの仕事どうなっている?」と息子さんに問い「無事すすんでいるよ」との返答に安心した顔を見せたと聞く。以前から予定が入っていた仕事の関係上、工事監理は他の人にやってもらう事になったが、工事は進んているようだ。
もう一人は設計事務所勤務時代の一回り下の同僚のOさんで、建設会社で品質監理の仕事を長く続けられていた。コンクリートに詳しく何度か彼に教えを乞うたことがある。享年57歳。奥様とまだ若い2人の息子さんを残して逝くのは、さぞ無念だっただろう。
そして12日28日、建築家の磯崎新さんが老衰のため那覇市の自宅で死去した事を知った。享年91歳。
磯崎新さんは、私の学生時代の建築上の精神的主柱だった。
皆に合掌
【追記載】
年明けに届いた寒中見舞いで若い時勤めていたゼネコン設計部の先輩が亡くなったことを知った。先輩が新婚したての頃に自宅に遊びに行った事を思い出した。私が若い時に体調を崩し会社を休んでいた時、住まいに来てくれ気遣ってくれた。色々な事を教えてもらった先輩の一人だ。ゼネコンを退職し指定確認検査機関に転職し、最近まで構造適判機関に勤務していた。年賀状のやりとりはずっと続いていたが、少し疎遠になっていて昨年11月に亡くなったことを知らなかった。享年79歳。
2023年の1月は感傷的な気分の年明けだ。
もう残された時間は少ないな・・・。
12月の中旬、事務所協会の会議の後に、株式会社エンドウ・アソシエイツの加藤社長から頂戴した「エンドウ・アソシエイツのデザイン/エンドウ・アソシエイツの物語」(70年社史)をようやく読み終えた。
加藤社長とは、メール・電話・ZOOMで継続的に交流はあるのだが、リアルに会うのはコロナ禍前だから3年振りぐらいだった。
私が審査機関に勤めていた頃、エンドウ・アソシエイツの元気なスタッフが相談に来ていて、それから加藤社長とも交流が始まった。歳は私より 少し上で兄貴分にあたる。何しろ精力的に活動されている。長く東京都建築士事務所協会の理事を務め、現在も事務所協会の幾つものワーキンググループに加わっている。しかも所員15名程をひきいる設計事務所の社長であり、自分でもCADやADSを使いこなし、建築のボリューム検討はこなすそうだ。「経営者と設計者の二足のわらじ」と言われていたが、中規模事務所の所長ともなれば営業に専念し実務から遠ざかる人も多いが、加藤社長はとにかく実務に詳しい。法令の勉強も時間をかけて勉強しているのが、会議の発言などから解る。
さて株式会社エンドウ・アソシエイツの、創業者である圓堂政嘉(えんどうまさちか、1920年 – 1994年)は、 元日本建築家協会 会長(1982-1986)。 1966年に山口銀行本店で日本建築学会賞・作品賞を受賞しており、手堅い設計で、当時若い人達からは垂涎の的 (すいぜんのまと)の設計事務所だった。
その圓堂建築設計事務所の個人事務所の頃から70年。この冊子であらためて時代を振り返ることができた。この社史からはエンドウ・アソシエイツは建築事務所の王道を歩いてきたように感じた。時代に順応し、自分自身を変えて生き残ってきた設計事務所の歴史を知ることができた。
また、圓堂建築事務所からのDNAを未来に繋げたいという強いメッセージを受けた。
非売品の冊子にしておくのは勿体ない本だ。
【写真は群馬県川場温泉】
2022年も、ラスト1週間となった
仕事の締め切りに追われ、年賀状宛名書きや掃除をする余裕がない
28日までは目一杯仕事だが、
年末から正月の間も多分仕事をしないとならないだろう
ひと段落したら湯治に行きたいが、
自宅で自堕落にしているのが一番の静養かも
茨城県石岡市役所に行ってきた
国道から一見した時は、大きな物流倉庫に見えた
内部は意外と凝った意匠
設計は久米設計
下記の久米設計のデザインストーリーで詳しく紹介されている
https://www.kumesekkei.co.jp/designstory/ishioka_city_hall.html
地方巡業の旅で電車での移動が増えたので、合間に少し本を読めるようになった。まぁ大概は寝てるのだが・・
上野駅の本屋さんで見つけて買った「日本史を暴く・戦国の怪物から幕末の闇まで」磯田道史著を読んだ。
帯にある「歴史には裏がある。歴史には闇がある」はインパクトのあるコピーだ。
磯田さんは「毎日、私が古文書のホコリと闘いながら、まことにアナログな手法で、自分で一つずつ集め、日本史のある面を暴いていったものである」と書く。その現場主義、一次資料を確認する研究姿勢が好きだ。
私も既存建物の調査で、いつまで現場主義を貫くのかと聞かれる。現場調査は若い人に任せ、報告書だけまとめれば良いのではないか。報告書を検証する立場でも良いのではないかと言われる。しかし現場に出向かないとわからない空気感がある。同じ年月を経過した建物でもメンテナンスがちゃんと行われているかどうかで、こうも違うのかという事を知ることができた。同じ建物でも地域の管理者の姿勢も違う。紙になった報告書ではわからない別世界の魅力みたいなものに取りつかれている。
流石に10万㎡とかの規模だと体力的に自信は無くなったが、1万㎡以下ならまだ大丈夫なようだ。夏の40度の時期から、気温数度の季節になったが、あの夏の時期に現場調査を行ったので今の寒さぐらいは快適でもある。
さて 磯田さんの本の事に戻そう。
都合の悪い事は古来より文書に残らないもののようだが、奇跡的に文書が残っている事があるそうだ。例えば1811年(文化八年)に奈良県の薬種商が書き残した「関東一見道中記」には、珍しく道中の「女郎」に関する価格と出費、品定めが詳しく書かれているそうだ。それによると大体の相場は六百文・現在の価格で約3万円だったらしい。
聞くところによる新宿大久保公園に立つ女性の相場がホテル代別で2万前後と聞くから、今も昔も相場は変わらないのかも知れない。
江戸後期の庶民の旅費は一日当たり四百文。当時の一文は米価格なら現在の約10円、労賃価格で約50円なので、旅費は一日2万円。これも旅費・宿泊費を含めれば 今とさほど変わらないのかもしれない。
まあ、こんな感じで様々な歴史の裏と闇が暴かれていくのは痛快だ。
この10年近くの間に既存建物の調査の為に全国の色々なホテルを利用させてもらってきた。既存建物の調査に支給される宿泊費は依頼者から一定額を決められ高価なホテルに泊まれるわけではないので宿泊先の選定には結構苦労する。
この宿泊先の選定は、兵站担当者の眼力が頼り。
2022年のホテル宿泊日数は30泊を超えていた。
「安かろう悪からろう」のホテル。すなわち様々な臭いが染みついているホテル。掃除が行き届いていない処、フロントの対応が不親切、要領を得ない。コンセントが少ない。PC作業スペースがない。PC作業をするのに椅子が不向き、部屋内にやたらと段差があるようなホテルだと安息の場ではなく 逆にストレスが溜まってしまう。
そうした中で、割合気に入って利用させてもらっているのはルートインホテル。駅から近くではないが幹線道路沿いにあり便利。温泉や大浴場があるところもあり、何よりビジネス客向けにハードもソフトも充実している。個人的にはベッドが柔らかいのが不満だが、この宿泊価格帯でシモンズを要求するのは難しいとは思う。ルートインホテルでも全てのホテルが一律のサービスではなくウエルカムドリンクサービス(自販機用無料メダル)、おつまみやカップ麺の自販機があるホテルもある。
同様なホテルとしてアパホテルがあるが、これは経営者の世界観と相いれない事と、予約で個人情報をやたら聞き出そうとするシステムが好きになれないので選定外としている。
東横インは安さで勝負。部屋が狭い、朝食は貧弱、隣室の鼾が聞こえる等遮音性に難点がある。それでも結構宿泊客は多い。適切なホテルが他に見つからない時のみ利用。
最近 茨城県方面で利用しているのがテラスホテル。「ホテル テラス ザ ガーデン水戸」「テラス ザ スクエア日立」「 テラス イン勝田」と泊まって まだ新しい建物なのできれい。駅近なので便利。コスパが良い。ビジネス客の事をハード面では良く考えられている。ただし日立は 少し建物が古いのでハード面では見劣りする。
【写真はテラスイン勝田・JR常磐線勝田駅ロータリーにある】
【テラスイン勝田の客室のテーブル】
OA椅子が2脚、天板の一部は回転して化粧鏡に。テーブルの右脇下には冷蔵庫と茶器セツト。今時珍しくウェルカムドリンクとしてミネラルウォーター。何よりこの横に長いテーブルは 15.6インチのノートPCと15.6インチの補助モニターを並べて仕事をするのに便利。電源も多いし、有線lANもWiHiも完備。洗面所・バスルームがバリアフリーなのも良い。歳をとってきたので、わずかな段差に躓く事がある。
既存建物調査の副産物。日帰り入浴施設に詳しくなった事と、ホテルに詳しくなったことも挙げられるかも知れない。
【テラスイン勝田の朝食】
最近のビジネスホテルは、どこも朝食が充実してきている。朝6時30分には宿泊客が朝食をとりにレストランに降りてくる。深夜に起きるので朝食はがっつり食べることにしている。
群馬県沼田市に仕事で出かけたので、足を伸ばして以前から行きたいと思っていた「道の駅 川場田園プラザ」に行ってきました。
日曜日の朝10時頃でしたが、田園プラザ近くの駐車場は満車状態でビックリしました。関越道・沼田ICから近いせいか、群馬県のみならず新潟ナンバー、長野ナンバーも多く見ました。観光バスも止まっています。すごい集客力です。流石、道の駅グランプリというだけあります。
晴天でしたが、刺すような冷たい風が吹いていました。いわゆる上州おろしです。
飲食スペースは、ミート工房・麺屋川匠・地ビールレストラン武尊等で長蛇の列でした。客数に対して食べるスペースが狭く、店舗のオペレーション、案内・表示・誘導がアンバランスになっているという感じを受けました。マスコミでも取り上げられ人気が出て客数が増えて嬉しい悲鳴なのでしょうが、改善の余地が相当あると思いました。
ミート工房・物産センター・KAWABA Premier等物販関係の店舗を覗いてみましたが、どこも混んでいました。
カワバチーズの脇で飲むヨーグルトを買って飲んでみました
飲むヨーグルトがとても美味しかった。
田園プラザの食べ物は、ミート製品(ハム・ウインナー・ベーコン)、米(雪ほたか)、ヨーグルト、地ビール等、みんな「美味しい」と評判のようで、少しお土産を買ってきました。田園プラザの「食」を中心に一次産業が活性化し村おこしが進んでいるようです。
アスレチックやプレーゾーン、大すべり台等のこどもが遊べるところが増えつつあるようです。
2時間弱しか滞在できませんでしたが、暖かくなったら又来てみたいです。
三國シェフのyouTubeチャンネルを時々みているので本屋にあったので買ってみた。
乳頭不耐性なのでフレンチはあまり食べないが、フランスの家庭料理は好きだ。
このレシピ本の中で三國氏は、「料理はレシピを超えたところにある」と「レシピはひとつの指標にすぎない」と書く。
公開されたレシピ通りに作っても、絶対三國シェフの料理にはならないのが、料理の不思議なところ。
建築設計について言えば「建築は設計図を超えたところにある」と言い換えることもできそうだ。
この本を見ていたら随分昔、パリで食べた「鴨のプラム煮」とか「オムレツ」「ポト」それからシーフード(貝)を思いだした。
このレシピの中の「塩豚のポト」は妻が時々作ってくれる。一度食べた料理なら再現できるようだ。
オテル・ドウ・ミクニの四谷若葉の本店は、今年一杯で営業を終え店舗を建て替えるそうだ。
機会があれば一度は食べに行ってみたいと思っていたが、未だオテル・ドウ・ミクニに行った事がない。
既存建物調査の為に茨城県高萩市、北茨城市に行く。
茨城県北部に来たのは東日本大震災の前だから、10数年振りだ。
写真は、北茨城市磯原町の二ツ島
昔行った事がある場所が随分となくなっていた。
平潟港の料理旅館「保養館」、日帰り入浴施設「天心の湯」等
昼食先を探して福島県に少し越境した。
食事先に迷って結局は「幸楽苑」だったけど
この二ツ島にいた頃、知人と電話中に地震があった。
三重県沖を震源とする異常震域の地震で
直下型のような縦揺れでビックリした。
北茨城市も東日本大震災の爪痕は大きく残っている。
あるところは堤防ができ国道からみる風景が大きく変わっていた。
都内で建築設計をしている人に、本件の敷地形状を見せたら、ほぼ100%の設計者は東京都建築安全条例第10条に規定される「路地状敷地」の可能性があると最初に想起するのではないでしょうか。
【敷地形状】
「路地状敷地は区よって取扱いが若干異なる」が、東京都建築安全条例における路地状敷地とは「道路から見通せない死角部分がある敷地」という原則は変わりません。
本件の敷地形状を見ただけで死角部分がある路地状敷地であるというのは明白であります。
普通の設計者なら基本計画の初期の段階で行政に打合せをするような事項であると筆者は考えますが、最近の若い設計者はそうはしないようです。
ある設計監理契約を中途解約した事案で、契約解除をした設計者が東京都建築安全条例の路地状敷地認定について設計監理契約の標準外業務として追加報酬請求をしてきました。この設計者は基本設計がかなり進んだ段階で路地状敷地ではないかと建築主から指摘され、あわてて区の建築審査課に打合せに行っており、実際の業務は区の建築審査課との打合せだけで認定業務申請を行っていません。にもかかわらず路地状敷地認定業務費として60万円(税別)の請求を起こしてきました。
東京都建築士事務所協会の「建築士事務所の業務算定指針2022年版」には、標準外業務の参考例が記載されていますが、この中に路地状敷地認定の業務は記載されていません。また設計監理契約で路地状敷地認定業務を標準外業務とするという取り決めはなされておりませんので、業務の難易度や作業量から考えても基本設計に含まれるものと判断するのが妥当だと思うと意見を述べました。
実際のところプロジェクトを完遂させた別の設計監理者が路地状敷地認定業務を行い。これは通常の設計業務の中に含まれるとして別段追加請求は有りませんでした。
この追加請求をしてきた設計者曰く「路地状敷地だと建築主側から与条件として与えられなかった」。ほとんどの抗弁が「言われなかったから、やらなかった」という感じの抗弁なので、まるで現代学生気質をみているようだと感じました。
既存建物調査の為に再び茨城県日立市に行く
駅前には日立シビックセンターが見える
電車で日立駅に降り立つのは始めて
随分とモダンで近代的な駅舎
何と言っても海岸側と陸側を貫く跨線橋、この軸線の処理が大胆
エスカルロードと名付けられているそうだ。
歩く歩道も設置されている
駅舎の設計は日立市出身の妹島和代氏
日立駅って こんなにも海の近くにあったのか
跨線橋の先端は、海の展望室。この日は雨模様
先端にあるカフェ内部
時間がないのにカフェに入ったので電車の発車時間ギリギリに
既存建物の調査の為に茨城県日立市に行く
前日の水戸市から車で移動する事1時間
日立港近くの久慈サンピア日立で仕事の後の入浴
日立市の建物らしいがスポーツ施設、宿泊施設、会議施設等がある大きな建物。
2022年7月にリニューアルオープンしたとかで、きれいで清潔な室内だった。
大浴場というほど広くはないが、天然鉱石の薬石光明石を使用した人工温泉。やわらかいお湯で、浴室から日立の海が一望出来る
東京から北に150kmぐらい離れると、朝晩は流石に寒い。
移動時間が長いので湯冷めするので、そろそろ仕事の後の入浴も控えめにしなければならないかも知れない。東京に戻る電車の中では爆睡
CASBEEウェルネスオフィス評価員(CASBEE-WO)になりました。
CSBEE-WOは、従来のCSBEE-建築における環境品質(Q)の評価範囲を健康増進や知的生産性向上の観点から膨らませたもので、環境負荷低減性能(LR)は評価対象外で、健康性や快適性等に関する影響要因を評価します。
新築段階というより運用段階が主要な評価対象となっています。
コロナ感染で働く場所の「健康性」「快適性」の確保は一層注目されました。換気や空調システム等のハードの面とともに、空間を取り巻くソフトな部分も、重視する必要があります。
昨年度から働く場所のウェルネスオフイス化の提案を色々なプロジェクトで提案していますが、まだ実例が多くない分野なので採用はされていません。まあ将来は役に立つかもしれない資格ですが、自分の関心があるテーマを掘り下げるついでに資格も取得した次第です。
水戸の仕事先に紹介された蕎麦屋さん「白河」
水戸偕楽園や千波湖から車で5分ぐらいのところにある
元々は福島県の白河にお店があったとか、創業100年の老舗
手打ちのしっかりした蕎麦とあっさりしているが旨い汁
そして天麩羅のボリュームが結構ある
奥久慈しゃもの天麩羅も美味しかった
家庭的で丼類の数も豊富
漬物も美味しい
お店のお姉さん達が元気一杯
納豆と梅しか名物がなかったと思っていた水戸市に
こんなに美味しい蕎麦屋さんがあった。
教えてもらって感謝 !!
既存建物の調査の為に、茨城県水戸市に出向く
近くにあったので寄ってみた水戸市営大山台団地
かなり変形した敷地形状に景観に配慮した屋根形状が特徴
案内板を見ていたら、ちょっと団地の中に入ってみたくなった
4階の通路
北側に坪庭を取り住戸の三方向採光と通風を確保している
戸建て住宅の街並を歩いているような気分になります
1号棟は平成10年、2号棟は平成12年に建てられたと書いてありました。
4階建てだけどエレベーターも設置されています
既存建物調査の後の恒例の入浴
茨城県神栖市の鹿島セントラル天然温泉 美人の湯 湯の華
メタケイ酸含有量は130㎎で、ナトリウム塩化物泉
しょっぱく茶色っぽい色の効き目がありそうな温泉でした
入浴の後、高速道路で成田駅まで移動すること45分、
車を返却し電車で東京に戻りました
鹿島方面は遠い。
毎週のように調査の後に温泉に入ってくるものだから、
近頃顔がつやつやしている。
美肌効果あるのかな・・
茨城県神栖市筒井交差点付近
地方では車は一人一台だというが、日曜の夜に凄い交通量で驚いた。
国道124号線と県道50号、44号が交差しロードサイド店舗や商業施設が集積し、
ホテルも多数建っている
かなり広範囲の地域から集客がある場所なのだろう。
ショッピングセンターの駐車場から見たお月様が美しかった。
既存建物の調査の為に茨城県鹿島市に出向く
前泊して早朝、鹿島神宮に御参り
朝の参拝は気持ちが良い
清浄な空気を一杯吸い込んで参道を歩く
社殿は現在、保存修理中
8時前なので社務所は開いていない
以前来たときには保存修理中だった奥宮は姿を見せていた
とっても気持ちが良かった
既存建物の調査で、周囲が田であったり、川べり、農業水路がまわりにある立地がある。敷地の外周部を歩いて写真を撮っていると雑木林に「マムシ注意」と書かれていたころもあった。
敷地内でも草刈りをしていないと夏場は結構草も伸びるので藪となる。
受水槽やポンプ室まわり、浄化槽、敷地外周部なんかの周りは、草むらになっている事も多い。
聞くところによるとマムシの子育ての時期である8~10月はマムシも攻撃的になっていて特に用心が必要とか。
基本的にはこちらが近づきすぎない限りは向こうからは襲って来ないとは聞いたが、調査箇所が草むらに覆われていると入っていくのも躊躇する。
ということで、膝まである長靴を用意したのだが、今のところ出番はない。
深谷市での仕事の後は、「国済寺天然温泉・美肌の湯」
日帰り入浴施設にしては珍しい洋風のつくり
レストランは券売機で食券を購入してのセルフサービス方式
温泉は、重炭酸ソーダとメタケイ酸が多く含まれているpH7.4(中性)のお湯
露天風呂は狭かった
再び埼玉県深谷市で既存建物の調査
駅のホームから駅舎を臨む
前回とは反対側に行きました。
線路に沿って流れる唐沢堤
両側には桜が植わっています。
ここは、深谷一番の桜の名所らしく
全長3キロにわたり約300本の桜があり、
駅のホームから桜を見ることができるとの事でした。
下台池公園
魚釣りをしている人もいました。
公衆用トイレも駅舎に合せています
深谷は、環境が良さそうな気がしました
この日は、埼玉県上尾市で既存建物の調査。前日までの雨があがり、爽やかな秋風が吹く一日となった。調査の後に近くの日帰り温泉に入ってくるのは「疲れがとれる」と皆に好評で、このまま冬でも この状態は続きそうだ。
この日の日帰り温泉は「極楽湯・上尾店」
大体の造りは他の極楽湯と近似しているが、この店は果物を沢山販売していた。
お土産に林檎を購入した。
高い吹抜け天井のレストラン。風呂上がりのノンアルコールビールがキンキンに冷えていて美味しかった。それと、とても料理が美味しい。同じ極楽湯でも随分と違うものだ。
pH7.8だそうだ。内風呂は熱めで、露天風呂はぬるめ。市街地から近いせいか客の入りは多かった。