浄感寺・長八記念館

仕事で三嶋に行ったついでに修善寺で一晩泊まることにしていましたが、まさか西伊豆まで行くとは本人も思っていませんでした。

修善寺に着いたら旅館のチェックインには時間があるし無計画だったのでどこに行くというあてもなく駅前でうろうろしていたら路線バスで松崎行というのが止まっていました。運転手さんに聞いたら修善寺から松崎まで100分。帰りは一時間に一本はバスがあると聞いて、自販機でお茶を一本買い飛び乗りました。

まったくの思いつきの路線バスの旅でした。

伊豆の山道を走る路線バスの中では爆睡。堂ヶ島あたりでようやく目が覚めました。

以前から機会があったら訪れたいと思っていた長八記念館・長八美術館を訪ねることができました。

フラッシュを発光させなければ写真はOKと許可を取り、飛天の図を撮影

対となっている もう一つの欄間にある飛天の図

天井に描かれた雲竜の図は、見る位置によつて表情が違うと言われましたが・・

こちらが山門側・表玄関です

彫も素晴らしいです

「建築ストックの活用・再生テクニカルセミナー」実地セミナー

9/27に行ったセミナーの受講者から参加希望者を募ったところ4人の方が手を挙げてくれたので正調査員の補助員という形で詳細調査に参加してもらいました。

丁度この「建築ストックの活用・再生テクニカルセミナー」の開催時期に、検査済証の無い建物の用途変更に係る建築基準適合状況調査を行うことになり、座学ではわからないことを実地調査に参加してもらう事で理解を深めてもらうという趣旨でした。

人数が通常より倍になったので、いつもは劣化・現況実測・部材採寸・高低差、傾斜等の調査パートを各自黙々と行っているのですが、今回は色々と相談したり、他のパートの調査を確認したりと余裕を持って行うことができました。

私も調査の趣旨や法的な問題等、調査にあたって注意しなければならないことを説明することができました。

補助員としてついてもらつた方々は、全員一級建築士だつたので さすがに理解力は高かったです。

今後も 関係者の理解と協力が得られるならセミナー受講生を中心に希望者を募り補助員についてもらおうと思っています。

「建築ストックの活用・再生テクニカルセミナー」講師

久しぶりに人前で喋ってきました。木造住宅のストック再生に取り組んでいる住宅医協会の関東住宅医ネットワーク・スキルアップ講習会のひとつとして企画されたセミナーです。私の題目は、非木造の建物の「建築ストックの活用・再生テクニカルセミナー」とあるように、建築ストックの活用・再生について建築法規・設備・構造等の建築技術面から語るといった内容です。

昨今のリノベーションブームでソフトからアプローチしたセミナーは多く開催されているようですが、ハード面から総合的にアプローチしたセミナーはあまりないと思います。

セミナーの内容は下記のようなものです。

*****

1. はじめに : 事務所紹介、お願い
2. 現状とこれから
3. 基礎調査編
3-1. 資料調査
3-2. 既存不適格建築の場合
3-3. 工事完了検査済証が無い場合
(建築基準適合性状況調査、国交省ガイドライン調査と法第12条第5項報告等)
4. 詳細調査編
5. 事例編
5-1. 増築
: 平面増築 / エレベーター増築 / 入れ子増築 / 減築 /
5-2. 用途変更
: 事務所→有床診療所 / 物販→飲食店 /事務所→簡易宿舎/ 工場→物販店 /
5-3. テクニカル調査
: 遵法性調査 / 変状(劣化)調査 / 有害物質調査
5-4. 耐震診断・補強設計
5-5. 実現しなったプロジェクト  : 違反是正/用途変更工事費/耐震性
6. 留意事項 : 幾つかの法的事項の再確認/内部階段設置/内部ELV設置/その他
7. 小規模建物のテクニカル・デュ-デリジェンス
7-1. 概要
7-2. 劣化度合による修繕費の算出(事例 : アパート)
8. まとめ

*****

参加者は35名ほどでした。休憩を入れて3時間。ちょつと内容が総論的だつたかも知れません。

現役時代は終わった仕事を振り返る余裕がありませんでしたが、今回のような機会をいただき概ね過去5年程の仕事について整理することができました。自分でも結構面白いことやってきたんだなと~と思っています。

実は今、現役時代よりはるかに労働時間が長いのですが、それでも過去の仕事を振り返れるのは、現役時代は中間管理職としての業務がとても多かったことを物語っています。

何時ぽっくりいくかわからないから、最初で最後のセミナーだと言っていますが、機会があれば 次世代に継承していける場をまた持ちたいものです。

懇親会・二次会と行き若い人達と色々と話す機会を得て楽しい一日でした。

 

「キズカイのケンチク」

木造建築にこだわってきた東海大学・杉本祥文教授の活動の集大成ともいえる本。氏の生い立ちから木材を巡る諸問題についてふれ木造建築復権にかける熱い思いが語られてる。杉本先生とは年に数回会う機会があるのだが、生い立ちは始めて知った。祖父が伊豆修善寺で製材業を営まれていたということから木との関わりは幼少時代にあったものらしい。

「木」という一つの材料にこだわりを持って設計をしている人をうらやましく思うことがある。私などのように実現したい空間を構成するストラクチャは何でもいいと思っている輩からは なんでそんなに「木」にこだわるのか理解しがたいところである。

杉本先生が前社長・現会長職にある㈱計画・環境建築は、かって日本の建築界をリードした鬼才・木島安史さんと橋本文隆さんが設立した事務所である。

若い時に木島安史さんの作品が新建築に発表されるたびに、そのデザイン力・ダイナミックな構想力には圧倒され脱帽した。

木島安史さんの日本建築学会建築会館コンペ案が実施に採用されていたら、どんな空間を我々に提供してくれたのだろうかと建築会館を訪れるたびに思ったものだ。

この本の中には、杉本先生が関わった私の好きな建物が幾つかある。周辺環境に共鳴するかのごとく柔らかな稜線をもつ「道の駅 みかも」。木質ハイブリッドな構造の「道の駅安達・智恵子の里」等だ。

以前の作品には木島安史・橋本文隆のDNAを色濃く継承したデザイン・構想力に秀でていた作品が多かったのだが、最近はおとなしいというか拙い作品も散見する。

今時の大学で子供達と戯れているのも良いけど、デザインの現場に復帰して指導力を発揮してもらいたいものだと影ながら思っている。

シュミットハンマー

立て続けに調査や調査の下見が続いている。爺さんはちょつとお疲れモード。

焼肉や大蒜を食べたぐらいでは、すぐにエネルギーがチャージされない。

旧耐震のRC建築の簡易調査を依頼されたのだが、まだ購入前ということでコンクリートコアを採取して圧縮強度を調べることが許可されなかった。そこでシュミットハンマーで調査し圧縮強度を推定することにした。

レンタルしたのは、シュミットハンマー(NR型)。

若い設計者に聞いたら使ったことが無いどころか、名前も知らないと言う人がほとんどだった。

慣れないと調査結果にバラツキがでるのだが、私も使うのは5年以上経過している。今 テキストを読みなおしているところ。操作は、多分身体が覚えているだろうが、頭がついていかない。

シュミットハンマー調査の外注先はあるにはあるのだが、なんでも自分でやってしまうのはいいのか悪いのか。

「ターン」という音ともに身体に感じるコンクリートの硬さ。中々忘れがたい感触なのである。

段々身体を使った調査が出来なくなるのだな~と思うと ちょっと悲しいかな・・・。

 

「老いる家 崩れる街~住宅過剰社会の末路」野澤千絵著

著者である野澤千絵・東洋大学教授によると「住宅過剰社会」とは、「世帯数を大幅に超えた住宅がすでにあり、空き家が右肩上がりに増えているにもかかわらず、将来世代への深刻な影響を見過ごし、居住地を焼畑的に広げながら、住宅を大量につくり続ける社会」のことと書いています。

2060年の日本の将来人口(合計特殊出生率1.35の場合)は、約8700万人と予想されていて、減少が始まった2010年の人口・1億2806万人の約7割にまで減少するとの国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口」(2012年1月推計)が指摘しています。

国は、経済対策や住宅政策の一環として従来通り新築住宅への金融・税制等の優遇を行い、住宅建設の後押しを続けていて、住宅過剰社会を食い止めようという兆しがほとんど見られないと著者は指摘しています。

不動産は、その住宅の質や立地によっては、売りたくても買い手がつかない、貸したくても借り手が見つからないケースが続出しています。財産ではなく、固定資産税や管理費・修繕積立金を払うだけの「負動産」になりつつあるものも増加しています。

東京近郊における賃貸アパートの供給過剰による空き家の増加。越後湯沢のようなリゾートマンションの廃墟化。限界集落。

最近、弁護士や司法書士に話を聞いたところ「相続関係」の業務が増えているそうです。「相続問題」というと以前は、家族や親族間のトラブルによるものだったのが、最近は相続放棄、認知症の老人の成年後見人になったり、不動産の信託であったりと少子高齢化の波が、建設・住宅業界より一足早く押し寄せているなと感じたものでした。

私が死んだ後の日本の将来を思うと暗澹たる気持ちになってしまいますが、「住宅過剰社会から脱却するための7つの方策」も提案されており まだ方針転換すれば間に合うかもしれないという かすかな期待を抱くことができます。

三浦半島

調査の下見に三浦半島に行ってきました。

 池袋から片道2時間近くかかり、結構遠いなぁ~と思いつつ

海風にあたりながら遠くをながめていると

こういうところで暮らすのも良いかなぁ~

「伝統的民家における温熱特性と現代住宅への応用に関する研究」金田正夫著

本書は現在、無垢里一級建築士事務所を主宰されている金田正夫氏の学位論文です。金田氏は 設計実務を続けながら法政大学に学び2011年3月に博士号を取得され、現在も実務と研究を続けられている「在野の研究者」です。

本書では、民家の温熱特性については茅葺屋根の日射遮熱効果や民家の通風特性についての既往研究は調査事例があり解明されつつあるとし、夏季における置き屋根による日射遮熱、土壁による西日遮熱、民家構成材による調湿、冬季における放射熱源と土壁の採熱・蓄熱については調査事例が少なかったので それらを補完するのが本研究の第一目的としています。

また、民家の温熱特性を現代住宅の諸条件の中で応用し、その効果を対比検証していますが、それが第二の目的としています。

とりわけ面白いと思ったのは「置き屋根(二重屋根)」による遮熱効果。夏の良好な温熱環境をつくるうえで無視できない西日遮熱の問題。民家の調湿効果を類似の新建材に特化した調湿実験の結果。約10年間にわたる実測に裏打ちされた研究成果が満載されています。

「自費出版」ですが、住宅の温熱環境に関心がある人には読んでほしい一冊です。

申込は 下記「無垢里」サイトへ

無垢里

 

役場の食堂@港区役所

港区役所11階レストランで昼食・かき揚げ蕎麦+お握り

窓越しに東京タワーを見ながら

スマホで撮影したら 東京タワーの周りの暗雲だけが切れているような すごい写真に

レストランは、内装がリニューアルされてきれいになりましたね

新「そらまどの家」 丸谷博男著

「地球の恵みの素は、太陽の熱 その熱は、1億5千万㎞を駆け抜けてきた輻射熱です。 「そらどま」は その輻射熱を 住まいに採り入れ その輻射熱で 採暖採涼をします。 太陽の恵み「そら」の熱と 地球の恵み「どま」の熱を 両手両足を背一杯広げて 受取る仕組みです。 そして、人と住まいの健康の素「呼吸する家」をつくります。」

エコハウス研究会

エコハウス研究会のホームページ巻頭に書かれていた この言葉にほれぼれとしました。

「そらどまの家」はフランチャイズではなくオープンシステムです。

「その土地の微気候、それぞれの工務店の工法や技術力にふさわしい、きめの細かいパッシブな家づくりを創案し、皆様のものにしていただこうというものです。このような考えこそがパッシブデザインの本質と考えています」

高断熱・高気密住宅には違和感をずっと感じています。ビーニール袋にアルミの蓋住宅の傾向は、今も昔も何ら変わっていません。省エネと言いながら石油製品の断熱材を多用する矛盾。

日本の風土と共に息づいてきた伝統工法の知恵を生かした家づくりは憧れですが、庶民には高嶺の花であるという現実も存在しています。

「週刊 東洋経済8/12-19合併号・親の住まい 子の住まい」

2019年には世帯数が5307万でピークを迎える

2033年には空き家が2167万戸を超え3戸に1戸は人が住まなくなる。

2050年・現在の居住地の約20%が「誰も住まない土地」になる。団塊ジュニア世代がすべて75歳以上に

今後の日本を展望すると、確かに住環境は激変していくのだろう。

今でもその兆候は見られるし、爺が心配しても仕方ないのかも知れないが、何だか暗澹たる気分になってしまう。

子育て世代の住まいは一戸建てかマンションか。はたまた購入か賃貸か

老後の住まいはどうするのか。

そう言えば 他人ごとではなかった。

NICHE 04

母校の校友会にわずかばかりの寄付をしたところ、出版されたばかりの「NICHE 04・ドイツ建築探訪!」が送られ来た。

いずれ購入しょうと思っていたので丁度良かった。

仕事に追われていてパラパラめくっただけで紹介記事を書くのはおこがましいが、こういう大学の知的資源やネットワークを生かした本を世の中に出し、社会に貢献していくのは大学の使命である。

大学はまだ死んでいなかった。

教育界の品位を下げた「もり・かけ」ばかりではないのだ。

日本語とドイツ語のバイリンガルになっているのだが、かってドイツ語を専攻していたのに今やさっぱり読めなくなっている。

「ブルーノ・タウト再考」を始め、ドイツ建築を特集している。仕事で煮詰まっている時に気分転換で、しっかり読むことにしよう。

「NICHE 04」出版

 

川口市・納戸の取扱い

埼玉県川口市が この9月1日から運用を開始すると言う「納戸の取扱い」が話題を呼んでいる。

川口市建築基準法関係の解説及び運用基準

戸建て住宅で採光が取れない場合、確認申請の図書上だけ「納戸」と記載し、実態は照明、コンセント等の設備や、畳敷き・床の間があるようなものは「居室」であるという至極まっとうな取扱いである。

「時代に逆行してる」と息巻いている人や「現代住宅に採光は不要だ」等と言う人もいるそうだが、他の特定行政庁や指定確認検査機関は見てみぬふりをしているだけである。実は黙認は罪なのだ。川口市のように「取扱い」を明文化して堂々と議論するべきだろう。私は「偉いぞ川口市」と言ってやりたい。

こんな取扱いを明文化しなければならないほど川口市の戸建て住宅は極小敷地に目いっぱいに建っている住宅が多いのだろう。他の地域でも確認申請上では納戸と書きながら戸建て分譲チラシでは寝室になっているのが多くみられる。

明治の中旬頃に全国各地で制定された「長屋建築規則」でさえ、前面路地は2.7m(9尺)、後ろと脇は0.9m(3尺)という離隔距離を定めている。当時は長屋のほとんどが平屋建てだったのにこれだけの採光・通風に配慮した数値を定めていた。

今や隣の家との距離が、1メートルというのは遠い昔の話であり都会の一般庶民の居住環境は悪化するばかりである。

建築基準法の採光規定については議論する余地がある。

例えば

  1. 坪庭・ライトコート等に接する場合の居室の採光緩和
  2. 吹抜けを介して連続する居室(1・2階)の採光緩和
  3. 太陽光採光システム(レンズ集光+光ファイバー伝送方式)による採光の緩和

技術的に検討すべきことは沢山ある。

川口市が投じた「納戸の取扱い」が建築基準法の採光規定の見直しに一石を投じることになれば良いなと思っている。

「ひつじの京都銭湯図鑑」大武千明著

京都の街中を歩いていると意外と銭湯に出くわします。レトロなものやモダンな外装のものあり、ひとつひとつの銭湯が個性的です。

仕事に追われている時は、活字の本を読む余力がありませんが、この本のようなイラストが多い本は、ちょつとの合間の息抜きにピッタリです。

銭湯の営業中は、カメラ撮影が不可なので記憶にとどめておいてイラストにされていたそうですが、結構可愛らしいイラストが散りばめられています。

京都銭湯巡りの小トリップ。

何だかワクワクしてきます。

鎌倉の家

日曜日、知人の設計事務所から新築住宅の内覧会の知らせが来ていたので鎌倉まで脚を運んできた。JR鎌倉駅に降り立ったのは実に何十年ぶりだろうか。菩提寺の本山がある関係で車では幾度か街中を素通りしているのだが、観光客で賑わう鎌倉駅周辺や若宮大路を歩くのが久しぶりだったせいか新鮮な感じを受けた。

知人のパートナーである奥様が設計を担当したという住宅は、鎌倉駅から私の脚で20分ほどの閑静な住宅街にあった。個人住宅なので写真のアップはこの階段吹抜け部分だけにするが、和紙クロスとしな合板と無垢の木による内部空間で、実に風通しの良い家だった。

設計を担当した奥様とは初対面だったが、聞けば40代とか、建築の素材を知り尽くし、その良さを引き出してている日本料理のような住宅に仕上がっている。華美な飾り付けはしていないが、丹念な下ごしらえの実に爽やかな住宅だ。

厨房廻りは造り付けで、女性建築家らしいというか、細部にまで気を配った使いやすい厨房に仕上がっていた。

【鎌倉の家】

設計監理 :   小野育代建築設計事務所  担当・小野育代

施工 :  堀井工務店

鶴岡八幡宮・源平池

鶴岡八幡宮

建築法務は独立した領域

大規模の建築プロジェクトでは、建築法務は独立した分野であり専任の担当者を配置するか建築法務専門事務所にプロジェクトに参加してもらうのが極めてあたりまえです。

上記の図は、大規模プロジェクトにおける設計体制の一例ですが、建築確認申請手続きは全体の業務領域の中では、ほんの一部でしかありません。

許可・届出等で一番面倒なのは建築審査会や開発審査会の許可が必要なものや最近では景観法でしようか。

小規模なプロジェクトでも、設計担当者の業務から切り分けて専任の建築法務担当者(建築法務事務所=弊社)に任せた方が良かっただろうと思われるケースは増えています。

個別の法令や条例が増え続け、それらの法文や手続きの流れを読みこなし、的確に設計スケジュールに反映させたり、図面をチェックバックするのは、ベテランの仕事ですが、建築主との打合せ各種資料作成に追われて中堅設計担当者には余裕がないのが現状です。

弊社では、若い時から外注任せにせず都市計画法の開発行為や農地転用手続き・許可、道路法の施工承認等 自ら様々な役所を回って許認可を行い、それらを業務範囲にしてきたこと。また現役設計者の時に総合設計制度や一団地申請等の大規模プロジェクトを担当してきたことが、現在に活かされているんだと思っています。

建築法務の業務領域は、建築プロジェクトにおいて一層比重が高まっていくことでしょう。

近江八幡市立八幡小学校

近江八幡市立八幡小学校

1873年に創立された143年の歴史がある小学校

ネオルネッサンス調とのこと

校舎脇の駐車場から撮影

話は変わるがミュージシャンの岡林信康は近江八幡の出身。

お父さんは、ヴォーリスの薫陶を受け近江八幡で教会の牧師していた。

岡林信康は牧師の息子で高校卒業まで近江八幡にいて、同志社大学神学部に進学したがドロップアウトしてミュージシャンに。「フォークの神様」と言われたのは彼の生い立ちに関係している。

織田信長のルーツは近江八幡市南津田町の津田親眞だとする研究成果の結果「近江国 津田・織田一族始祖 津田親眞顕彰之碑」が建てられている。

平安末期、平資盛(すけもり)の子として近江国津田郷で誕生した親眞は、越前国(現在の福井県)織田荘の劔神社に養子に行き、その子孫が尾張守護職となり織田に改名し、親眞から十四代目の子孫として信長が誕生した書かれている。

色々な人のルーツがここにあると知り、近江は面白いと思いました。