名古屋グルメ

昨日は名古屋出張

名古屋駅に車で迎えに来てもらい、愛知県下の某市に

1件目案件の打合せと下見を終えた後、再び名古屋市内に

東別院の道路沿いにある「甘未処 柴ふく」に寄る

室内はレトロ感満載

いつも行列ができているそうだが、すんなり入れた

連れてきてくれた人も始めて入ったそうだ

で頼んだのは、

黒柴金時ミルク+白玉(黒蜜・きなこ・小豆・ミルク)

旨し

血糖値爆上り

それから夕方の打合せ箇所に向かった 

朝6時半に自宅を出て、帰宅は夜11時

日帰り出張は疲れる。

「幻の料亭・日本橋『百川』」小泉武夫著 

 江戸日本橋浮世小路にあった料亭「百川(ももかわ)」は江戸時代中期に始まり幕末にかけて繁盛した料亭だが、明治の初めに忽然(こつぜん)と消え去った。その史料を掘り起こし謎に包まれた名店の全容を小泉武夫さんが浮き彫りにしている。

 「百川」は、江戸中期の明和・安永頃(1764~1781年)に創業し、文化・文政(1804~1830年)頃に最盛期を誇ったようだ。

 逢引きの場としての茶屋、卓袱料理屋から始まり当代屈指の一流料亭に変貌している。この本によると幕末の安政6年(1859年)の「即席会席御料理番付」には、山谷「八百善」、山下「がん鍋」、両国「亀清」、両国「万八」、深川「平清」、檜物町「嶋村」といった江戸料理屋とともに浮世小路「百川」の名前があげられているとのこと。

 江戸の町民文化が根付いていくうえで、人々がとても大切にしていたもののひとつが「社交」だったという。それは江戸という街が、様々な地域の出身者の寄せ集めで成り立っていたからかも知れない。

 商売の新規開業や家督相続、跡取りの元服、養子取り、火消しや鳶の頭の就任披露といった様々な機会に、関係者や親戚を招いて饗応し、引出物を配った。それらの舞台が一流料亭であり、料理茶屋であったと記されている。

 興味深い記述が盛沢山の本で、江戸時代の一流料亭では、まず風呂に入ってもらい、次に酒席になるのが習わし。料理は「旬」と「産地」に強くこだわる。茸・ジビエ・川魚など多様な食材を活用していた事。またこの頃既に食用花も料理に彩を添えていた。

 日本文化の凝縮した空間が日本料理店にはあり、建築・料理・器・庭・掛け軸による総合的な空間構成である。敷居が高いようにも感ずるだろうが、高級なフランス・イタリアン・洋食店と、さほど料金は変わらない。

 日本文化の探求と継承のために「日本料理店」に行きましょう。

福徳神社-2

芽吹稲荷(めぶきいなり)とも称されるらしいが、結構参拝者が多い

パワースポットと知られており、宝くじ当選を祈願する人が多いのだとか。

「創祀された時は明らかではありませんが、古くからの言い伝えによると貞観年間(清和天皇・859~876年)には既に鎮座していたと云われている。 鎮座地の日本橋室町二丁目付近は、往古は武蔵国豊島郡福徳村(あるいは豊島郡野口村福徳)と伝えられ、農漁家の点在する片田舎だったそうです。 古くは稲荷の祠と呼ばれていましたが、後にその村名をとって「福徳稲荷」と呼ばれました」というような由緒が書かれている。

関東大震災や、戦後の再開発などに伴う4度の遷座を経て、2014年(平成26年)に現社殿に至った。

薬祖神社

福徳の森

周辺の人々の憩いの場にもなっているようだ

右側の建物は、コレド室町1

福徳神社-1

日本橋室町三丁目にある福徳(ふくとく)神社に寄ってみた

日本橋大通りから東に入る小路の奥にある

上の提灯に「浮世小路」とあるが、これは「うきよしょうじ」と読むとのこと

 江戸時代、日本橋大通りの室町三丁目から東に入る奥行20間ほどの小路であり、突き当たりは伊勢町堀からの堀留だった。江戸中期以降には福留神社社務所周辺(現在)に有名な料理屋「百川楼」があった。
浮世小路を加賀言葉で「うきよしょうじ」とも読むのは、古くは加賀藩出身者が住んでいたことに由来しているとのこと。
「百川楼」は明治のはじめ頃まで営業を続けていた江戸屈指の料理屋で、落語「百川」の舞台にもなっていて幻の料理屋とも書かれている。また安政元年(1854)ペリー来日の際には、百川楼の料理人が横浜まで出向き、一人前3両、総額1500両の料理で使節団をもてなしたとある。財政難に陥っていた幕末の江戸幕府から、果たして料金は回収できたのでしようか。

社務所の敷地の隅に、「百川楼」の事が記載されている銘板があった。

「建築家・内藤廣 BuiltとUnbuilt 赤鬼と青鬼の果てしなき戦い」内藤廣

2023年島根県立岩見美術館での展覧会に向けて準備され、書籍となった本だと知った。

内藤廣さんの これまでの作品が整理されて、実現した建物。コンペ等の応募作品で実現しなかった建物。現在計画中の建物。約80プロジェクトが掲載されている。

情熱的でロマンティストな赤鬼に対して、冷静なリアリストの青鬼。

この自問自答のような、内藤廣さんの脳内を見ているかのような文章が楽しい。

手書き時代の青焼き図面、CADの断面詳細図、近年竣工物件に納品している寄贈図(断面詳細図にポイントとなる特徴的なディティールをレイアウトした図面)が模型写真等とともに収録されている。

CADの断面詳細図等は、老眼鏡にルーペを併用しないと活字を判読できない文字の大きさで読むのに苦労したが、やっぱり図面が美しい事務所の作品は、愛と情熱がたっぷりと注入されている。

今まで見た内藤廣さんの作品も幾つかあるので、時々見直し、思いだしながら、大いに学ばさせてもらっている。

平和どぶろく兜町醸造所-2

店内

カウンターの甲板はテラゾー

コースター

真昼間からお酒

どぶろくの概念を一新するどぶろく

梅ジュースソーダ割

どぶろく専門店がビジネスとして成り立つのか

リピート率は、どのくらいあるのだろうか

結局は、テナント賃料にもよるのかな

兜町第7平和ビル-3 

1階から地階への新設階段・吹抜け部分

とっても雑なディティール

鉄筋を切断した後の処理はどうしているのか、開口補強筋は?

と気になって仕方ない

今風のデザイン思潮なのかもしれないが

建物が痛々しく感じ、愛を感じない。

1階のベーカリーbank

空調と換気の状態が良くないように感じた

兜町第7平和ビル-2 bank・yen

ピストロ「yen」で昼食

ベーカリーbankに併設されている

客を映さないようにしていたら天井ばっかりの写真

ミニクロワッサン/べったら漬け

一人一個

パンとグリーピースのスープ

サーモン/蕎麦米/柑橘

オリヴィアポーク/とまと /アンチョビ

アーモンド/パイナップル/ココナッツ

「パンを美味しく食べるビストロ」をテーマにしているそうだ

爺婆だと 自発的には決して食べに入らないだろう飲食店

量は少ないが味は良かった

兜町第7平和ビル-1

日本橋兜町再活性化プロジェクトを視察して来た。

兜町第7平和ビルは、ベーカリー、ビストロ、ライフスタイルショップ&カフェバー、フラワーショップが1F及びB1Fに展開される複合施設。建物は旧銀行店舗との事だ。

外壁面をセツトバックしてパブリックな空間を設けている

思っていたより狭かったが、人々に利用されていた

推定樹齢1000年というオリーブの樹

平和の象徴と言われているが、なんとも窮屈に感じた

既存の階段の切断面を表現しているが、鉄筋を切断した後の処理方法は?

切断面から鉄筋が錆びて鉄筋コンクリートの中性化が進むんだけど

テラス壁面の木材は、型枠材を再利用

エリア内の素材の循環の象徴らしいが、

私は こういう汚いのは好きではない

まあ、世代の差かも知れないが

この鉄骨のブレースは何だろう

耐震補強というより耐力壁を撤去したので補強として入れたのか?

構造材をデザインする力はなさそうだ

「建築基準法適合状況調査(ガイドライン調査)実務ガイド」-10


【調査の流れ】

 工事完了検査済み証の無い建物の多くが、確認済証を取得した図面とは異なる箇所がある場合や、何かしら違反箇所がある場合がある。

 あるいは無届出で用途変更や増築、変更が行われている事もあると思っていた方が良い。変更箇所や違反箇所が何処なのかを事前に見極めることが必要となる。

 新たに増築等の確認申請を提出する場合、違反箇所を直して法適合させてから建築確認申請を提出するのが原則だが、増築等の工事の際に一緒に違反是正工事をすることで了解を得られる場合もあり、特定行政庁等と綿密な打ち合わせが必要となる。

下図は、ビューローベリタスジャパン(株)のガイドライン調査の説明図。

 ガイドライン調査も「コンプラインアンスの為だけの調査」と「増築等の建築確認申請の為の調査」と目的は分かれる。その目的によつて違反箇所の是正時期に関する時期は変わる。

https://kansa.bvjc.com/service/bsacs

【事前に準備することが望まれる調査】

1)調査項目の確定
2)調査に必要な資料の準備
3)調査の実施

1)調査項目の確定について

「事前に準備することが望まれる調査」として、調査依頼者・代理者(設計者等)は既存建物の調査項目について確認申請図書に記載された仕様通りに施工されているかについて、調査を実施して確認する必要がある。

 しかし「検査済証のない建築物に係る指定確認検査機関を活用した建築基準法適合状況調査のためのガイドライン」(以下「ガイドライン」という。)の中で例えば構造調査の具体的な調査内容は記載されていない。

 検査済証のない違反建築物に対して是正的な建築行為を行なう場合、是正工事に関する事項は、特定行政庁等の判断に基づき作業を行なう必要がある。とりわけ構造調査については、事前に特定行政庁等の判断を仰ぎ、具体的な調査方法や調査対象となる構造部位を確定させた後、調査を行なう必要がある。

 調査項目については、特定行政庁ごとに調査方法や調査内容は異なり、特定行政庁ごとに調査内容について判断を仰ぐ必要がある。
しかし、特定行政庁に相談してもすぐに調査項目等が決まるとは限らない。

 以上は建前で、実際には特定行政庁によっては、調査依頼者の相談に対し「指定確認検査機関の判断に任せます」との対応がなされる場合も多いし、ガイドライン調査機関独自の判断による場合も多いようだ。

上賀茂神社 2024

5月13日 葵祭の準備が進む上賀茂神社に今年もお参りすることができた。

朝、京都駅から真っ直ぐ上賀茂神社へ

小雨模様だった

洛北の上賀茂神社までくると、随分と空気が清浄なことがわかる

毎年来ているのに、何かしら発見がある

加茂祭(葵祭)に寄せれたお酒

雨の中設営などの準備が進められていたが、この日の夕方には晴れ上がった

社務所に寄った

京都鳩居堂本店 -1

寺町通りの京都鳩居堂本店を見てきた

ここも車に待つてもらっていたので駆け足で

石塀、腰壁は黄竜山石 ビシャン下見貼り

竜山石は兵庫県産の凝灰岩

外壁は、焼杉だが、

下地(基材)はALC版でCチャンの上に焼杉を貼っているようだ

設計は内藤廣建築設計事務所

「坂上に咲く」原田マハ著

「ワぁ、ゴッホになるッ!」
1924年、画家へ道に憧れを抱き裸一貫で青森から上京した棟方志功。
しかし、師もおらず、画材を買うお金もなく、帝展に出品するも落選し続ける日々。
そんな彼が辿り着いたのが木版画だった。全精力を打ち込む創作姿勢から生み出された「板画」は、やがて新しい芸術を生み出す。

棟方志功の生い立ちや妻チヤとのなれそめは知らなかった。

棟方志功の妻チャの視点から世界の「ムナカタ」を描いているが、棟方志功を支え続けるチヤにも引き込まれていく。

純粋すぎて眩しくなる夫婦。

妻や家族などの支えてくれる人。応援してくれる人。そういう人達がいて自分がある。やはり妻の力は偉大。

一気に読んでしまった。

なんとなく「ほんわか」気分。


虎屋菓寮 京都一条店 -1

 京都出張。京都駅への帰り路に送ってくれた車に頼み「虎屋菓寮 京都一條店」に寄ってもらった。

 車を道に停めてもらい、かけあしで写真を撮ってきたので、お茶して内部や庭をゆっくり見る時間がなかった。

 設計は内藤廣建築設計事務所

5月13日夕刻近くに折からの雨も上がった。

「浅草かっぱ橋商店街 リアル店舗の奇蹟」飯田結太著

 効率度外視の「売らない」経営が、廃業寸前の老舗を人気店に変えた。多くのメディアでも紹介されている浅草合羽橋の料理道具専門店「飯田屋」の本。

 ノルマなし。売上目標なし。営業方針はまさかの「売るな」──型破りの経営で店舗の売上は急拡大、ECサイトもアマゾンをしのぐ販売数を達成している。


 廃業の危機に瀕していた浅草かっぱ橋の老舗は、なぜ行列の絶えない人気店へと変身できたのか 小売店再生への道、ヒントが詰まっている。

 試行錯誤、七転八倒の時を乗り越えて、自分の会社なりの事業システムを確立したことに敬意を表したい。

 本を読み、サイトを見ると何気に楽しそうな店舗だ。定番アイテムからマニアックな逸品まで楽しい料理道具が所狭しと並びんでいる。「プロのシェフから家庭の主婦まで世界中の料理人のためのお店」と謳う。

https://kappa-iida.com

 何だか昔の東急ハンズを思い出した。行くと新しい発見があり、オタクのような商品に詳しい店員さんがいて、買い物に行くことが楽しかった。

 建築的にも浜野安広さんが関わっていていたのでスキップフロアとか、新しい仕掛けが興味深かった。若い人は、浜野安広さんのこと知らないかも知れないが、私の時代では商業建築界における「あこがれの人」だった。

 東急ハンズも在庫管理、効率、人件費削減でつまらない店になり、東急不動産が撤退し、今や社名も「ハンズ」。

 中々、使ってみて気に入ったフライパンがないので今度 合羽橋に買いに行こうと妻と話していた。

ゼンリン3D地図ソリューション

(株)ゼンリンさんに3D地図データのデモンストレーションをしてもらった。

 3D地図データには、「3D都市モデルデータ」「広域3次元モデルデータ」「DXFデータ」がある。詳細は、下記URLのゼンリンのサイトを見てください。

https://www.zenrin.co.jp/product/category/gis/contents/3d/index.html

 自分が設計している建築物の単体とかに、とかく囚われがちだが。ちょっと規模が大きくなり、周りの環境に目配せすると、気になる事、気にしなければならない事が多くなる。完成イメージは、クライアント、関係者のみならず、近隣住民、行政との共有は欠かせない。

 リアルモデルは、主要交差点付近に今のところ限定されている。ライトモデルが弊社が利用しようとしているCGへの挿入には適切だが、周囲の建物をホワイトキューブにも出来るとの事。

 弊社が利用したい地域の実際の3D地図データを見せてもらった。今は高額だし、ある程度の規模で設計報酬等を見込めないと3D地図データの活用は難しいかもしれない。しかし大規模プロジェクト、設計・施工の大手組織に最新技術を独占させておくわけにもいかない。

 3D地図データ活用に踏み切ろう。

「建築基準法適合状況調査(ガイドライン調査)実務ガイド」-9

【免責・制限事項】
 ここでは、ガイドライン調査者である指定確認検査機関の免責事項について記載している。

 同様に、既存建築物の状況調査には限定、限界があるので、依頼者より委任された代理者(設計者等)も調査にあたっての免責・制限事項を書式にして依頼者に交付しておくのが賢明である。(参考書式:非公開)

 例えば、鉄筋コンクリート造の詳細調査を行う中でコンクリート強度が低く適合性が確認できない。あるいは鉄骨造でダイヤフラム部のUT調査して溶接が不合格である場合等は、事前に想定できない補強若しくは補修工事の必要性が生じることがある。それらの追加調査、補強工事の発生により費用対効果から調査そのものが中断する場合がある。

 そうした場合等も想定して、後日債務不履行等のトラブルに発展しないような文章の作成、依頼者への交付が必要かと思う。

「建築基準法適合状況調査(ガイドライン調査)実務ガイド」-8

【事前相談】

 建築基準法適合状況調査には、代理者による調査結果に基づき建築基準法の取扱いについて事前に特定行政庁やガイドライン調査機関と充分な協議が必要だが、そもそも指定確認検査機関には、建築基準法に対する裁量権はなく、指定確認検査機関に持ち込んでも特定行政庁との二重打合せが必要になる場合も多くある。その為、打合せ、協議に要する時間は、代理者(設計者等)にとって過重負担となる傾向がある。

 特定行政庁に相談した場合、建築専門職員(とりわけ構造担当者)がいないところもあり、検査済み証の無い建物については相談に応じてくれない。相談しても判断できない。あるいは敬遠される場合もあり、特定行政庁によって対応が異なる。

 実際にガイドライン調査を行ってみると法的な審査能力と工学的な技術審査能力が必要な局面に遭遇する。

 ガイドライン調査機関には、資格者は多くても技術者は少ない現状の為、専任者がいる機関は少なく総合的な判断ができない場合があるので、ガイドライン調査機関の力量を事前に見極めておく必要がある。

「建築基準法適合状況調査(ガイドライン調査)実務ガイド」-7

【基本的な考え方】

 ガイドライン調査策定の主目的は「検査済証がないという理由をもって、その後の増築等の手続きに進めないようなケースにおいて、効率的かつ実効性ある形で当該建築物の法適合状況を調査するための一つの方法としてとりまとめたものである」又「検査済証としてみなされるものではない」と記載されている。

 ガイドライン調査報告書は完了検査済証に代わるものではない。仮に是正工事の必要があり、それらを行った場合でも是正工事に過ぎず、新規の建築確認申請ではないので検査済証は交付されることはない。


 建築基準法上の遵法性を完全に確保するためには、何らかの確認申請をして工事を行い完了検査後に工事完了検査済証の交付を受ける必要がある。そうすることによって既存部分を含めた全体を法適合化できる。

「僕たちはもう帰りたい」さわぐちけいすけ著

 若い世代にとって「働く」ことは、喜びでも生き甲斐でもないと受け止めている人が多いのかも知れない。この漫画を読んでそう思った。

 「全日本もう帰りたい協会」というツイッターアカウントがある。フォロワー数47万人を超えている。

 ここでは働く人々の「もう帰りたい」という気持ちが日々つぶやかれている。こんなにも多くの人が帰りたいと願っているのに、なぜ帰れないのか?

 例えば

・なぜ無意味な残業に付き合わされる?
・「板挟み」状態をどうすればいい?
・上司の無茶振りにどうやって対処する?
・なぜうちの会社は効率が悪いんだ?
・妻でも母でも社員でもない私の時間が欲しい
・何を最優先にすればいいんだろう?
・自分の居場所は本当にここなのだろうか?

「もう帰りたい」と願う理由も、年齢も、性別も、立場によって全く異なる。これから始まるのはそんな人々のお話の漫画。この本も兵庫県明石市の出版社・ライツ社の本だけど、着眼点が面白いと思った。

 確かに私の知る限りでも日本の会社は、生産効率が悪いと思う。無駄な会議も多いし、それに対する資料作りにも相当な時間が費やされる。その時間を費やした資料の分析をするのならともかく、会議は上司の訓話(何度も聞いた昔話)に終始したり。定時で退社するのは、はばかれる環境。建築設計業界なんかブラック×3ぐらいの環境だったけど「帰りたい」と思ったことはあまりなかった。会社に泊まり込むなんて結構あったし、仕事をすればするほど早く技術を習得できると思っていた。私にとって「働くこと」は生活の糧を得る手段であったが、同時に「喜び」であり「生き甲斐」だった。

 時代は変わってきているのだな・・・